青山学院大学国際政治経済学部
押村高ゼミ ブログ
トップ青山学院大学国際政治経済学部  


押村高ゼミ ブログ
モバイル版
http://blog.sipec-square.net/t-oshimura/seminar/m/


2015.1.13 ゼミ活動報告

こんにちは、20期HP係です。
更新が遅くなってしまいましたが...
2014年度最後のゼミの活動報告です!

4限は前回から準備を進めてきた文明間対話のプレゼン→ディスカッション。
「アメリカ文明は、各地の人々をより幸福にしているか」
というとても難しいテーマですが、
各班ともにYes/Noどちらかの結論を導きだしました。
各班のプレゼンテーションとディスカッションを経て再確認したことは、
アメリカが世界において持つ絶大な影響力です。
それがpositiveなのかnegativeなのか、立場や見る側面によっても変わってきます。
ゼミ生皆が深く考えさせられ、このテーマの複雑さを改めて実感しました。
本年度を締めくくる良いセッションになったのではないでしょうか?

5限は、19期の先輩方一人一人の挨拶と押村先生からのお言葉。
先輩方が皆、楽しい事ばかりではなくても
とても充実した2年間をゼミで過ごしたということが伝わってきました。
そして、全員が口を揃えて仰っていた
「1年間はあっと言う間」「ゼミの時間を無駄にしないように」
ということを心に刻んで20期も来年度最高学年として頑張っていこうと思います。
19期の先輩方、本当にありがとうございました!
そして、ご卒業おめでとうございます!

投稿者 student1
2015年2月27日18:04 [週刊押村ゼミ]


2015.1.6 ゼミ活動報告

こんにちは、20期HP係です。
大変遅くなりましたが、2015年最初のゼミ活動の報告です。

前半は、来週に行われる文明間対話の準備を各自勧めました。
20期を中心としてゼミ生が3班に分かれ、
「アメリカ文明は、各地の人をより幸福にしているか」
この問いに対して各班でYes/Noどちらかの結論を導きだします。
来週の本番ではそれぞれの班でプレゼンテーションを行い、
その後ディスカッションを行う予定となっています。
どの班もより説得的なプレゼンを目指し、
今回のゼミの時間を使ってじっくりとリサーチを進めたようです。
来週のゼミでその成果が問われます...
今年度最後のゼミを納得のいく形で終える為にも各自頑張っていきましょう!

後半は、就職活動のアドバイスを先生と19期の先輩方から頂きました。
私たちの代から就職活動のスケジュールが変わるということもあり、
不安は大きいですが、ゼミの繋がりはとても心強いです!

それでは、いよいよ次回は2014年度最後のゼミ活動。
悔いの無いように、まずは文明間対話の準備をしっかりとやっていきましょう。
お疲れさまでした!

投稿者 student1
2015年2月27日17:51 [週刊押村ゼミ]


2014.12.23 ゼミ活動報告

こんにちは、HP係のマソヨンです。
今回のゼミは、4限:文明間の対話・5限:4年の卒論中間報告でした。

4限の間は、図書館の本やインターネットを利用して調べる時間を持ちました。
最終ディスカッションに向けて頑張りましょう。

5限の卒論報告は、越沼舞さんでした。

越沼舞「ネパールにおけるマオイスト運動から見る多民族社会構造の課題と展開」

ネパールは100以上の少数民族が国民の7割を占めると言われる多民族国家です。民主化に至るまで、1996年から10年続いたマオイストによる武力闘争による内戦を経験しています。論文では、ネパールの民族多様性と社会構造を解き明かし、マオイストの勢力拡大要因と産物に注目して、未だ混乱の続くネパール社会が今後どうあるべきなのかを考えていく予定です。
基本的クエスチョンは以下の通りです。
 1.歴史的に貧農に不満を生じさせ続けてきた政治体制が、マオイストを農村社会に浸透させた要因と言われるが、それは真実か
 2.マオイズムは多民族国家であるネパール国民のアイデンティティ形成に役立ったのか否か。また、マオイズムのプラス面とマイナス面はどのようなものか
 3.内戦終結後もいまだ都市と農村の格差が著しいが、どのような国家開発が望ましいのか
中間発表では、第二章の「ネパール共産党毛沢東主義派(マオイスト)とは」の一部を取り上げました。
ネパール共産党毛沢東主義派は1995年に結成されたネパールの政党の一つで、最大野党です。毛沢東の暴力による革命的共産主義を受け継ぎ、王政の廃止と平等社会の実現を掲げて民衆を引き込み軍を組織し、武装闘争を繰り広げました。特徴として、思想・人民政府・人民解放軍(兵士)の3つがあげられます。発表では、思想と軍の二つに触れました。
まず、思想です。階級社会の無い平等社会をめざし、「ネパールの実情に合った毛沢東主義」を掲げました。ネパール毛沢東主義の独自性は、民主主義的であることです。国王の権利を国民に譲渡するための新憲法制定、貧富やカースト・男女の性差別のない平等主義の国会を実現するための選挙、政党間の競争を自由にした暫定政府設立を提唱しました。彼らの、貧富格差解消・カースト制度撤廃・国王制の廃止などの「不平等問題解決」という考えは、貧しい民衆を惹きつけました。そして、支配地域に独自の人民政府や学校を設置し、徴税や飲酒禁止活動を行いました。
次に、軍や兵士についてです。マオイストの組織構造は極端であり、党・人民政府幹部は高位カーストや高学歴の男性が大半、兵士は学歴の無い農民の若者が占めました。マオイストの活動拠点は、特に昔からカースト制度に苦しめられてきた人々が多い西ネパールでした。西ネパールの若者は、政府への不信感、現金収入を得られる仕事がないこと、紛争の憎悪が憎悪を呼ぶことなどの理由から人民解放軍になると証言しています。
一方で、政府の弾圧を受けてきたマオイストが、非支持者の一般市民を弾圧するという実態もあります。例えば、リンチや殺害、巨額の徴税と食料納付の強制などです。このため、恐怖心によってマオイストになる者も多数いると言われています。
民主化のために暴力が過激化したネパールですが、政治に無智な国民が思想によって団結することの光と影を探り、再び紛争の惨禍を引き起こさないように必要な政治体制や国際社会の援助の在り方を検証していきます。

皆さん、2014年最後のゼミ、お疲れ様でした。
Happy New Year★

投稿者 student1
2014年12月23日18:00 [週刊押村ゼミ]


2014.12.16 ゼミ活動報告

こんにちは、HP係のマソヨンです。
今回のゼミは、4限:文明間の対話・5限:4年の卒論中間報告でした。

4限の間は、分明間の対話に関する先生のご説明とグループ分けをしました。
ディスカッションテーマは、「アメリカ文明は、各地の人々をより幸福にしているのか」です。
主に3年が3つの班に分かれて、ディスカッションを行う予定です。
後期最後のゼミでのディスカッションが楽しみです。


5限は卒論報告でした。

松本あゆみ「国際養子縁組の研究 ー子の利益保護の立場からー」

今回は本論文の第一章から抜粋し、プレゼンテーションを行った。
日本ではあまり知られていないが、実親による普通の保護を受けることができない子どもを救う制度のひとつである養子縁組には、国際養子縁組という養子縁組方法が存在する。これは、ある国で生まれた乳幼児が生みの親の都合によってその生地で育ててもらえない場合に他国の養親に引き取られて(養子縁組し)育てられる養子縁組のことである。
国際養子縁組は第二次世界大戦後、戦争孤児を救済するためにヨーロッパやアメリカで広まったとされており、2010年度には世界における国際養子縁組数は29,005人であったという研究報告がされている。
世界では、89年の子どもの権利条約や93年にハーグ国際司法会議で制定された「国際養子縁組に関する子の保護及び国際協力に関する条約」、そしてこの条約に基づいて96年に世界国際社会福祉会議によって決められた「国内・国際養子縁組及び里親家庭教育に関する実務のガイドライン」などが存在し、国際養子に関わるそれぞれの国の政府は養子の斡旋状況やケア等を総括・監視する役割を担う中央機関を設立することを義務としている。日本は93年制定の上記条約に批准していないために、すべての斡旋団体を政府機関がチェックできる体制は十分に確立されておらず、96年の具体的ガイドラインにも即していない状況が続いている。
日本ではなぜ国際養子縁組の制度見直し、または新たな検討等がなされないのだろうか。この制度の不十分さや、施設養育への編重という障壁のほか、血縁重視・実子をもうけることへのこだわりの強い国民性など、文化的な障壁も考えられるのではないだろうか。本論文の第二章以降ではこうした文化的な障壁の考察を含みつつ、これからの国際社会と国際養子縁組について、私自身の考えも述べながらまとめていく。

今回のゼミもお疲れさまでした。

投稿者 student1
2014年12月16日17:57 [週刊押村ゼミ]


2014.12.9 ゼミ活動報告

こんにちは。HP係の杉山です。
本日は、4,5限とも4年生の卒業論文中間報告でした。本日は、3人の先輩方にプレゼンテーションしていただきました。以下、要約です。

青木花菜 『カタルーニャナショナリズムの現在―地方独立に揺れるスペイン―』

今回は、本論文第二章「言語とカタルーニャアイデンティティー」より抜粋してプレゼンテーション致しました。
カタルーニャ地方は長年、フランコ独裁下において弾圧を受けていた。「統一されたスペイン」を標榜するフランコは、地方の固有言語であるカタルーニャ語の使用を禁止。公共の場で使用するものならば、「帝国の言葉(=スペイン語)を話せ」と治安警察隊に市民を逮捕させていた。
フランコが死去すると急激に民主化がすすむ。1978年施行のスペイン民主憲法で、地方言語の保護と保障が明文化されたことにより、カタルーニャ地方ではカタルーニャ語が公用語と認定された。言語正常化政策の努力もあり、カタルーニャ語の話者数は現在およそ600万人とも言われ、一国家並みの話者数となっている(デンマーク語よりも多い)。
 2013年にカタルーニャ自治州政府は、Understanding・Speaking・Reading・Writingの4つの能力における、スペイン語とカタルーニャ語の市民の能力度の割合を発表した。スペイン語は全てにおいて90%を超えているのに対し、カタルーニャ語はWritingでは60%強にしか至らなかった。だがUnderstandingは90%超ということから、言語正常化政策を中心としたカタルーニャ語の市民への普及はある程度成功といえる。また、スペイン語を母語とする人が55.12%に対し、カタルーニャ語は31.02%というデータがある。3割しかカタルーニャ語は母語話者がいないにも関わらず、市民のその理解度は高いことが分かった。
 では市民が実際に使っている言語はどうなのだろうか。こちらも2013年に自治州政府によって発表されたデータによると、ほとんどの状況ではスペイン語のほうが主として使われている頻度が高いのに対し、カタルーニャ語がそれを上回った状況は、「授業」「地方行政機関」「自治州政府内」だけであった。このことから、積極的にカタルーニャ語が使用されている環境以外においては、つまり自主的にはスペイン語を使う割合の方が高いことが考察できる。
 先ほどカタルーニャ語が公用語と認定されたと説明したが、カタルーニャ語を自治州政府が前面に推すあまり、新たな問題も近年発生している。その一つが、2010年のスペイン憲法裁判所によるカタルーニャ州新自治憲章の違憲判決だ。カタルーニャ市民はアイデンティティーの根幹を否定されたに等しく、この2010年を境に毎年9月11日にはバルセロナを中心に大規模なデモが行われるようになった。
アイデンティティーを考えるには言語は不可分であり、引き続き分析を続けたい。


岡崎穂乃香 『アメリカ社会がもたらすマイノリティの受容変化 ~ディズニーアニメーションからみる女性描写の変容~』

 1937年に『白雪姫』が公開されてから現在に至るまで時を経てディズニーアニメーションの中の女性の描き方に変化が見られる。それは、CEOが変わっただけでなく、時代の変化が影響しているのではないだろうか。1960年から1970年にかけてアメリカでは第二派フェミニズム運動が活発になり多くの理論書やフェミニストたちによるデモや抗議運動が行われた。そこを境にディズニーアニメーション映画においてもフェミニストを意識したような作品が多く登場する。「白雪姫」「シンデレラ」「眠れる森の美女」はウォルトが手掛けた作品であるが、これらに登場するヒロインは当時のアメリカ人の理想とする女性、受動的な女性が描かれている。一方で、1989年公開の「リトル・マーメイド」以降はより強い女性が描かれている。プリンセスストーリーであるから最終的には結婚という形で話は終わるが、ヒロインの描き方には初代の映画から変化が伺える。特に1998年公開の「ムーラン」は男の中で生きるヒロインが描かれており、男性以上に活躍する行動的な姿で描かれている。このようにそれぞれの映画はそれぞれの時代背景、時代の流行を反映した作品となっており、デイズニー映画として世界中の人に愛されてきた。しかし、今もなお「白雪姫」や「シンデレラ」は不動の人気を誇っている。これらは当時の時代を反映した女性像であり、「女らしさ」が描かれている。これらを小さい頃に目にすることで固定観念を植え付ける原因となるのではないか。女性の社会進出が謳われる一方、女性が定年まで働く数、女性の雇用率は依然として男性よりも劣った数値である。これはやはり固定観念が未だ解き放たれていないことが原因なのではないか。今後の章に繋げていこうと考えている。

船津美穂 『中国現代史にみる道徳観の影響』
 中国人の伝統的な道徳感としてある「儒教」、またその伝統的な道徳間が共産党成立、文化大革命を受け崩壊し革命的な道徳へ、更に経済的政治的な背景によってどのように変化したのかを発表しました。
まず中国人の伝統的な道徳観の基盤としてあげられる儒教では、主に実践的道徳の「三綱」と抽象的道徳の「五常」があげられる。三綱は君臣、父子、夫婦間の道徳であり、対象が限定されていることから実践的である一方で五常は対象を限定せず、仁、義、礼、智、信を説くことから抽象的な道徳と考えられる。
しかしこれらの伝統的な道徳は共産党成立〜文化大革命期において宗教の否定とともに崩壊し、「革命的な伝統」へと変化する。文化大革命期において宗教は封建的な道徳を尊重する保守主義として批判され否定され、人々は信仰を失うことになる。更に文化大革命により教育機関は麻痺、停止し学生は扇動され革命にかりだし教師、友人、自らの親までもを密告し批判闘争にかけ静粛した。
1979年以後から文化大革命によって教育をまともに受けることのできなかった親世代は応試主義として子供を学力競争にさらし、更に政府による一人っ子政策を受け80年代以後に生まれた子供は比較的豊かな時代に生まれたため我がままで自己中心的で「小皇帝」と呼ばれる子供たちが多く育った。又、80年代鄧小平による経済開放政策では、「先豊論」として経済格差、地域間格差が拡大し信仰が否定された人々は拝金主義に落ちいる傾向が強く見受けられた。このように伝統的な道徳観は文化大革命により崩壊し、革命的な伝統へと変化、更には経済、政治政策により変化を遂げたと考えられる。

投稿者 student1
2014年12月10日15:54 [週刊押村ゼミ]


2014.12.2 ゼミ活動報告

こんにちは。HP係の杉山です。
本日は、4限は、押村先生の「グローバルな最弱者の立場から」の講義、5限は4年生2人の卒業論文中間報告のプレゼンテーションでした。

 9.11事件以降アメリカがテロ対策に投じたといわれる1兆2000億ドルを、もしMDGs(Millennium Development Goals)の達成のために使用していたら、貧困や飢餓に苛まれているサハラ以南の人々の生活の質が劇的に改善されていたことは明らかです。貧困国、開発国における小児用の抗生物質が不足している一方で、アメリカではゼナドリンと呼ばれる脂肪燃焼役が130億ドルを売り上げています。スティグリッツが述べた「自由で公正な貿易」という不公正な制度、とはまさに自由貿易がもたらした先進国と途上国の交渉力の差異を利用したアンフェア・トレードなのです。
 しかし、フェア・トレードも一見画期的で慈善的な行為と思われますが、「衣食足りて礼節を知る」とたとえられるように、フェア・トレードは、先進国の人々の優越感と同情のもとに成り立っている、とも解釈することができるのです。この体制の歪みをどのように正していくのかが今後の世界の課題なのです。
この押村先生の講演では、グローバルな経済的最弱者の視点を持つと国際政治の新しい姿が見えてくることを学ぶことができました。

5限は、4年生の先輩方の卒業論文中間報告会でした。

内藤洋子 「1964年東京五輪開催による国民統合と国民意識の再構築」

東京オリンピックは日本が高度経済成長期の真っただ中にあった1964年に開催された「戦後復興の象徴」ともいわれるイベントです。これを境に東京のインフラ整備や国民意識の再構築が行われました。例えば、この時に首都高速道路や環状6号線といった道路、地下鉄日比谷線、東京モノレールといった乗り物などがつくられましたが、これらは今でも私たちの身近にあり生活を支えているものです。つまり、東京オリンピックは現代日本の基礎となる一部分をつくり上げたイベントであるといっても過言ではありません。そのため、戦後日本という時代について、そして東京オリンピックについて考察することは現代日本を理解する上で有意義なのではないかと私は考えています。また、2020年には再び東京でオリンピックが開催されることが決定した今、「オリンピック」というイベントそのものについて考えることも有意義であると考えます。
私が本論文を書くにあたって、設定した基本的クエスチョンは
①東京オリンピックの開催は「生活から遊離した事件」として人々に受け止められたが、その理由は国民が生活において豊かさの実感を得られていなかったためであるということは真実であるか。
②政府や五輪関係者はどのような手段を以て五輪開催の意義を国民に訴えかけたのか。また、その結果、人々の間に「オリンピックムード」が醸成されたということは真実であるか。
③日本人は敗戦により日本という国や文化に対する自信を失っていたが、東京五輪におけるナショナリズムの高揚によって、自信を回復したというのは真実であるか。
の3点です。本論文の構成は3章立てになる予定なので、3つの基本的クエスチョンはそのままそれぞれの章で明らかにしていきたいと考えています。

大矢実佑 「東アジアにおける女性の社会的役割の変遷と比較」

私は、「東アジアにおける女性の社会的役割の変遷と比較」を卒業論文の主題に設定しております。「女性の権利意識」と「伝統と革新」をキーワードに東アジア各国の研究を進めることで、今後、私を含めた日本人女性が国内外で活躍の幅を広げていくための有意義なヒントが得られると考えました。今日、「女性の社会進出」は経済、政治や文化、また個人の生き方にも大きな影響を与えるという認識が世界的な潮流となりつつあります。しかし日本は、先進国の中でも、地理・文化双方で距離の近い東アジア諸国の中でも、著しくそれが遅れているといわれています。本論文ではこのような評価に対して、たとえば原・前田・大沢編『アジア・太平洋地域の女性政策と女性学』新曜社(1996)にある「戦後の各国における女性の社会的地位に差異をもたらした要因として、各国の政治的権力の影響が大きい」という解釈が東アジア諸国に当てはまるのか、といった基本的クエスチョン数題を設定し、その真偽を検証します。また並行して、東アジア各国の女性開放運動初期から現代までの歴史を前提に、各国で時のリーダー的存在となった女性を、キーパーソンとして世代別にピックアップします。そして彼女らの人物像に重点を置き、国、時代、環境等の別によりどのような女性がリーダーとして受け入れられたのかを調査することで、権力による変化だけではなく、女性自身がどう考え、行動したのかという点を重点的に分析したいと考えています。たとえば、今回プレゼンテーションで紹介した彭麗媛氏は、本論文の第三章で、娘世代(暫定)の中国のキーパーソンとして取り上げる予定の人物です。彼女は中国の国民的歌手で、現在は習近平国家主席のファーストレディです。歴代のそれとは異なり、メディア露出度が高いだけでなく、その活動領域も注目されています。たとえば、世界エイズデーに、世界保健機関(WHO)のエイズ予防・治療親善大使としてキャンペーンに参加するなどです。国際的な慈善活動に力を入れていることは、諸外国メディアの注目の的にもなり、彼女に対する評価を述べた文書はいたるところに溢れています。このように、現代の中国で大きな影響力を持つメディアに頻繁に登場する彼女は国民的歌手という自立した女性であるうえに、チャリティ活動への積極的な参加で、若い世代の中国人女性にも温和で優しい印象を与えています。こうした時代背景を各時代と国に分け、各場面を代表するに相応しい女性像を分析し、今後の研究に活かしたいと考えています。

投稿者 student1
2014年12月 3日15:48 [週刊押村ゼミ]


2014.11.25 ゼミ活動報告

こんにちは、HP係のマソヨンです。
今回のゼミは、3年のプレゼンテーションと4年の中間報告となります。

4限のプレゼンテーション
「クレオールのアイデンティティ」山田 怜

 クレオールという言葉の概念や定義には多様性があるが、一般にそれは、『もともとは植民地生まれ(の白人)を指す言葉だったが、次第に植民地に生まれた生活世界の内実を包括的に意味する言葉に変化。そのため、「クレオール」とは、あるときには言語を、あるときには特定のグループを、そして文化を指し示すもの』 ということが出来る。彼らのような脱国家的バックグラウンドを持つ人々が生まれた背景には16世紀から盛んに行われていた奴隷貿易の存在がある。新大陸での植民地における大規模なプランテーション経営に導入されたのはアフリカから大量に運び込まれた黒人奴隷たちであった。異なる文化を有する奴隷達が一定領域内での生活を経る過程で、段々と折衷文化が形成されていった。彼らのアイデンティティは国家に基づく伝統的なものではなく、マングローブの木のように、様々な国や文化をベースに形成されている複雑性の高いものである。一方で、カボベルデやマルティニックの例が示唆しているようにクレオール語の衰退、ヨーロッパ志向等はクレオールに関わる問題の一部である。
流動的かつ複雑な背景を持つクレオールは新しい民族共存の可能性を示しているかもしれない。なぜならば彼らには、自分の中にたくさんの他者が住んでいるからだ。日本人は他者排除の傾向にあるが、その中で、クレオールのように自分と他者を自身の気持ちの中においても共存させていくこと重要になっていくのではないだろうか。

5限の卒論の中間報告
「日本の宗教アイデンティティ ーIT化、グローバル化の側面からー」秋田 涼子
夏合宿において「範囲が広すぎる」「概論になってしまう」等々のご指摘を頂いたので、
今回の中間発表では自身なりにテーマを絞って発表いたしました。
自身が現在興味を持っていることと絡め、IT化、グローバル化の側面から
日本の宗教アイデンティティを読み解いていきたいと思っています。

現在私たちの生活に欠かせないインターネット、情報端末の影響で、宗教を取り巻く環境も大きく変化しています。
90年代から衛星放送や、Windows95の誕生により私たちの情報交換は格段に向上しました。
それまでの一方向の情報通信ではなく、個人単位で双方向に自由に情報をやり取りできるようになっています。
中国ではアメリカにいる教祖からの指令が信者の携帯電話に届くというネット型宗教が1万人のデモを可能にするなど、
中国のように政治や宗教活動に制限のある国ではこのように情報通信を使った宗教形態が非常に可能性を秘めている事が伺えます。
また、インターネットの世界では様々なボーダーレス化が見られています。
例えば、教団内外、審議、宗教と非宗教などが挙げられます。
このようにインターネット技術が格段に向上し、今まで情報の受信側だった私達が自由に情報の受発信が出来るようになったことで、
二つのハイパー化が見られています。異なるものを混在させ新しいものを作る意識のハイパー化と、
異なる宗教の慣習を場合に応じて用いる運動携帯のハイパー化です。
これらは情報化によって明確化されたと言われていましたが、日本の古来の宗教観との類似が見受けられないでしょうか。
今回発表したのは以上ですが、今後は現代宗教概論にならないよう、自身の考察や意見を踏まえ、
ユニークな卒業論文を書き上げたいと思っています。

"Japanese cultural and racial uniqueness, in action and behavior." Natsumi Kawakami

Is Japan really a collectivistic country?
Japanese collectivism is often considered as a negative Japanese character in the comparison to the Western individualism.
However, at the same time, Japanese collectivism receives a high evaluation from foreign countries. For example, Japanese behavior, when the Tohoku earth quack happened, impressed foreign people in terms of organizedness, and the attitude of caring others in spite of the toughness from the disaster.
This attitude is quite different from what other countries assume as a "Japanese collectivism".
From these situations, Japanese attitude cannot be explained only based on the theory of collectivism. Through out this thesis, I'd like to explain the Japanese attitude based on the theory of "contextualism". Here, I'd like to give a little clue for "what is contextualism?". Contextualism is a principle of Japanese cultural value and idea of personal relations. Basically, contextualism thinks that the psychological intervals between person and person are included in the private space. It is consist from 1:Mutual independence, 2:Mutural trust and 3:Considering the essence of personal relations.
In the thesis, first I will explain the basic concept of contextualism. (How it rooted in Japanese culture, what is different from collectivism). Next, I will pick up the cases (for example, Han-Shin Awaji Earthquake disaster and Tohoku Earthquake) that show the Japanese contextualism, and analyze how it works well in Japan. Also, I'd like to view the similar cases in individualism countries, in the purpose of proving the limits of individualism. Finally, I will go in to the problems happening in the global society, such as environmental issues and welfare problem generates along ageing, that require the bilateral cooperation between country and country, and insist the necessity of Japanese contextualism.


今日も皆さん、お疲れ様でした。

投稿者 student1
2014年11月25日18:37 [週刊押村ゼミ]


2014.11.18 ゼミ活動報告

こんにちは。HP係の杉山です。
本日は、4限に3年生のプレゼンテーション、5限に4年生の卒業論文中間報告でした。

4限
保坂友美子 【平和構築とアイデンティティ教育の役割】

グローバル化が進み、民族、宗教、言葉、人種など異なるアイデンティティを持つ人々が共に暮らしていく必要がでてきた。

まず平和とはあらゆる類の暴力の不在(ヨハン・ガルトウゥング)、平和構築とは戦争から平和への移行期にある国や地域を支援する活動(国連)である。そして平和教育の目的とは社会的不正義を解消し、暴力を根絶し、戦争をなくすことである。

平和構築におけるアイデンティティ教育の具体的事例として旧ユーゴスラビアのコソボやボスニアの教育について考えた。2つの国では紛争後民族共存のアプローチとして「市民教育」が行われている。「市民教育」とは、民主社会に生きるために個人の権利と責任を行使するための価値観、知識、技能を身につける教育である。
また社会に住む人々の間に「市民性」が共有されることを目指す教育とも言える。これには市民社会の一員としての市民という意味が含まれている。

教育は権利であり、平和な社会を構築していく上で欠かせない役割を果たす。すべての子どもが安心して教育を受けられる環境を整え、異民族の交流の場として学校を機能させることが平和構築につながる。民族意識が一国内でも、民族によってまた地域によって異なっているので、対象国内の複雑な事情を十分に理解し、適切なアイデンティティ教育を行っていくことが必要である。また行政、学校、市民社会が共同でアイデンティティ教育を通し、民族共存社会を作っていくことが重要だと考える。


5限
秋山智紀 【黄禍論と人種差別撤廃提案にみる戦前日本の対外認識】
黄禍という言葉をご存知でしょうか?これは19世紀末から20世紀初頭にかけて、欧米で唱えられた黄色人種脅威論です。はじめは中国や日本の経済的な脅威として、のちに日本の軍事・外交面での脅威として語られました。明治維新後の日本は「一等国」「文明国」の地位を獲得すべく、富国強兵、不平等条約の改正、領土獲得に邁進します。その過程で欧米の日本認識は、つど変化していきました。黄禍というキーワードは、その変化を説明する一つの有用な手段であると考えています。論文では、黄禍をはじめとする欧米の人種主義的な日本認識と、日本の自己認識を追っていき、それが日本の対外認識および対外行動にどのように影響したのかを考察していきます。
今回の中間報告では、その中でも日本が明確に人種を国際問題として提起した出来事について発表しました。
 日清戦争の勝利によって、日本はその名を世界に現しました。三国干渉に際してはドイツ皇帝ヴィルヘルムⅡ世によって黄禍論が唱えられ、その後有名な寓意画"ヨーロッパの諸国民よ、汝らのもっとも神聖な宝を守れ"によってヨーロッパに広まりました。日露戦争時には黄禍論が高まることで講和を実現できない事態を防ぐため、欧米で火消しが行われました。そして第一次世界大戦で戦勝国となった日本は「一等国」としてパリ講和会議に迎えられます。ところがこの頃、アメリカでは日本人移民排斥の運動が始まっていました。ここに国力の面で一等国とされながらも、民族としては文明の地位を与えられないというジレンマがあります。そこで日本がとった行動が、1919年の講和会議における人種平等条項の提案です。国際連盟規約の協議において、国内の外国人に対して「均等公正の待遇を与え人種或は国籍如何に依り...何等差別を設けざることを約す」という内容の条項の追加を提案します。しかしこれには欧米が軒並み反対の態度を示し、いったん提案を取り下げます。その後改めて法的拘束力のない連盟規約全文に「人種」の文言を削除した当り障りのない一文を挿入するよう提案しますが、なお英米などの反対により棄却されました。これは決して日本を敵視しての反対ではなく各国の国に問題によるところが大きいものでしたが、日本にとっては引き続きゆがんだ一等国としての扱いを受けることになり、のちの帝国主義化の布石の一つとなる出来事となったのです。


松井映梨加 【国際化にともなう繊維産業の盛衰】
今回は卒論第一章より「国際化にともなう繊維産業の盛衰」についてプレゼンテーションを致しました。

繊維産業はイギリス革命よりはじまり、その最終製品の多様さや、川上・川中・川下という工程の長さから、多くの雇用を産出し、様々な国の発展に大きく貢献する要素でした。

日本でも同産業は、1930年代から60年代にかけて産業輸出全体の約半数を占め、近代化の母体ともいわれていました。ところが70年代以降、ニクソンショックやオイルショック、第一次円高やプラザ合意など、円高を助長させる出来事がおきます。これを皮切りに日本の繊維産業の輸出量は大幅に減少。また、中国など新興国への技術流出により、繊維産業は輸入超過の状況が続きました。(90年代の時点では、繊維産業全体の輸出量90億円に対し、180億円の繊維製品輸入量)

その結果、同産業を天然繊維、合成繊維、衣類に分類すると、70年代〜90年代にかけて、天然繊維は糸・織物の川上・川中分野の両方において国際競争力が激減。衣類に関しても国際競争力は大きく落ち込んでしまったのです。その一方で、化学繊維に関しては糸・織物両方において唯一プラスの国際競争力を維持しています。

これは化学繊維産業が価格競争の限界に直面した末に、新たな活路を見出し、日本の繊維業界盛り返しの先駆けとなる要素を含んでいると推測できます。事実、年に開発された新合繊は日本特有の技術によって編み出され、このような化学繊維の技術はファッションにとどまらず様々な分野において、世界で高い評価を得ています。

第二章以降では化学繊維業に的を絞り、現代における取り組みをみていきその過程で、日本繊維産業の今後や国際化におけるあり方をみていきたいと考えています。

投稿者 student1
2014年11月19日15:23 [週刊押村ゼミ]


2014.11.11 ゼミ活動報告

こんにちは、HP係のマソヨンです。
今回のゼミは、3年のプレゼンテーションと4年の中間報告となります。

4限のプレゼンテーション
「グローバル化がもたらす各国文化への影響」3年 マソヨン

 グローバル化した世界を経て、各国独自のナショナル・アイデンティティである文化の行方とそのアイデンティティに対しての正しい理解はどのようなことであるか。まず、グローバル化とは、資本・労働力・モノ・サービス・知識・技術・文化の国境を越えた移動が活発化するとともに、貿易を通じた商品・サービスの取引や、海外への投資が増大することによって世界における経済的・社会的な結びつきが深まることを意味する。文化とは一つの集団を表す物質的・精神的複合的総体を意味する。ジョン・トムリンソンは「複合的結合性(complex connectivity)」という言葉から、近代の社会生活を特徴付ける相互結合と相互依存性のネットワークの急速な発展と果てしない稠密化について説明した。近代における社会の相互結合と相互依存の発展によって国境や地域、階層 を超えて人や文物、情報が行き来する可能性の拡大される一方で、「脱埋め込み(disembedding)」、「脱領土化(deterritorialization)」のように社会関係を地域的な限定から切り離し、地球規模の連関のうちに置き移された。
 グローバル化によって金融開発・技術革新・産業発展世界経済の発展のような効率化が行われたが、各国(地域)独自文化の喪失のような画一化の恐れも生じてしまったのである。ジョージリッチャーは『McDonaldization』理論を通して、文化的商品の伝播による支配文化的現像を説明し、合理性の非合理性によって形式主義的な制度は非効率的であり、数量化によって業務の質的低下、また合理性の強調し過ぎると、人間性が否定されてしまると批判した。
 そして、グローバル化社会の中の多様性が強調される時代となった。地球区域にすむ我らが世界市民というCosmopolitanismや、グローカル化など新しい波が表れたのである。私たちはもうグローバル化を避けることはできない。独自のものより何か似たようなことが多いこの世の中で残されている独自を守ろうとする努力も大事であるとは考えるが、ポジティブな方向に進んでいけるように導いていくことの方が大事であると思う。今こそ、グローバル化によって変化していく今日における新しい文化的アイデンティティについて考えるべきであると私は考える。

5限の卒論の中間報告

木俣佳鷹 テーマ「特別な関係」と英国外交の苦悩 1983-2003

「特別な関係」という概念は、チャーチル首相から始まり、ブレア首相に至るまでさまざまな文脈で、米英関係の歴史で使用されてきた概念である。第二次大戦後、英国は、かつての大英帝国から、一国家に衰退していく過程で、米国との関係性を強化し、英国の国際社会での役割を保持しようとしてきた。しかしながら、米国・英国の力の非対称性は明白であり、1973年のキッシンジャーの発言にあるように、米国は、英国を「特別な関係」の国とはみなさず、欧州共同体の一国としてみなすようになる。英国は、「特別な関係」を用いた外交に挫折し、ヨーロッパで生きることを選択するようになっていった。ブレア首相は、米国とヨーロッパの架け橋になるという新たな英国の役割を見いだそうとしたが、イラク戦争時に、米国と協調したことから、ヨーロッパで孤立することとなる。以上のようなことを、ヨーロッパと米国の間で苦悩する英国外交史を体系的に理解していきたい。時代ごとの「特別な関係」を追うことによって、英国外交の流れを知る事が期待できる。修士論文の「英国外交と日英同盟破棄 1921--1922年 米国の思惑と英国の国益」につながる論文にしていく所存である。

池田卓矢 テーマ 2000年代のブラジルの社会扶助政策

2000年代のブラジルの社会扶助政策についての論文を作成中です。
その中で今回のプレゼンでは、ブラジルにおける社会保障の歴史についてプレゼンテーションを行いました。
ブラジルでは1500年代以降の植民地時代において、先住民や黒人奴隷を労働力とした大土地所有制と家父長制による一次産品のプランテーション農業がおこなわれてきました。この時代、国家による生活の保障はまだなく、個人の身の保障は個人の責任という考えがあったため、土地を持つ者を中心に大きな家族を作り、奴隷もその大家族によって守られてきました。
しかしながら、19世紀に世界的に奴隷制廃止の兆しが高まると、ブラジルでは当時盛んであったコーヒーの生産を維持するために移民制を導入しました。それに加えて、19世紀後半には白人優位の科学的人種差別主義を採用して、「白人化」が国家のイデオロギーとなったことから、『白人を中心とした移民』を積極的に受け入れることとなりました。その証拠に、ブラジルではコーヒーで潤った財源の一部を移民誘致費や補助金を出していたし、ブラジルに1888年から1930年までにリオデジャネイロに来た移民の割合は8割以上がヨーロッパからの移民でありました。これによってブラジルの解放奴隷たちは移民にその労働力としての立場を取って代わられ、その開放の喜びも束の間に仕事も保障も不安定な周辺の層に追いやられてしまいました。
この白人化のプロセスの中で、特に多くやってきたイタリア系移民たちは当時イタリアでのアナーキズムの影響を受け、労働組合を作るようになりました。彼らは、20世紀初頭から積極的に運動を行うようになります。1920年代には政府による厳しい弾圧に対して労働組合の一部が共産党となり労働組合の政治家が起こると、政府としても何か新しい組合との和解策を見つけることを考えるようになりました。1928年、世界恐慌による社会不安の中クーデターによってヴァルガス大統領が政権を握ると、支持基盤である労働者に対する政策として国家による社会保障政策を進めることとなりました。これは、「自らの支持基盤として維持するため」、そして「労働関係を脱政治化させて労働組合が政府に対して要求を行う場として正当化されないようにするため」に、エリート主導によるコーポラティズム及びポピュリズム的な方法で制定した社会保障制度でありました。そのため、非正規の労働を行っている者や経済発展の中で職を失う者(これらは大抵、貧困によって教育や技能レベル向上の何らかの手段にアクセスできない者)は、この保障の対象から外れてしまうため、以後およそ50年間(1988年の民主化に至るまで)、貧富の格差拡大と格差の固定化が顕著になりました。
このように、奴隷制から白人主義の移民制への転換で労働組織が生まれたことで国家による社会保障は制定されるようになりましたが、当時の保障内容は非常に不十分で、それが現在にいたる貧富の格差を生んだといえるでしょう。

投稿者 student1
2014年11月11日18:16 [週刊押村ゼミ]


2014.11.4 ゼミ活動報告

こんにちは。
60期HP係の杉山です。今日のゼミは、引き続き3年生のプレゼンテーションとディスカッションでした。以下プレゼンテーション要約です。

「日系人のID」甘利直幸

今回のプレゼンのテーマは、「日系人のアイデンティティ」でした。その中でも特に、総数が150万人と最大規模をほこる日系ブラジル人に注目して、そのアイデンティティについて考えました。

最初に、日本における移民の始まりについて説明しました。
近代における最初の日本人移民は、「元年者」と呼ばれた1868年にグアムとハワイへ渡航した人々です。これは、幕末の1866年の渡航差許しの触達によって鎖国令が解除されたことにより実現しました。明治政府発足後、政府は海外移住に対して積極的な姿勢をとるようになりました。1880年代明治政府は、資本主義国家建設に着手していました。それに伴い農村の解体が深化し、都市部へと人が移動しました。そのため日本の人口問題が社会問題として論じられるようになり、余剰人口問題を解決する手段として海外移住が注目され、奨励されることとなったのです。

次に日系ブラジル人のアイデンティティを、コミュニティと世代の二つの側面から分析しました。
ブラジルにおいて日系ブラジル人のコミュニティは、二つの方法で形成しました。一つ目が自然的に発生したものです。例えば、同じ出身地(同郷・同県)・宗教・共通の経験(同じ船によってブラジルへ渡ってきた)を持つ人々が集団を形成した場合です。二つ目が、日本の殖民会社が決められた移住地にコミュニティを人為的に建設した場合です。それぞれのコミュニティの内部では学校が建設されたり、村落のような社会構造(村八分・五人組)を基盤としたりすることで、効果的な統制が行われました。また、共同体同士をつなぐものとして、新聞や雑誌などの出版物が挙げられます。
また、日系ブラジル人のアイデンティティは世代ごとに大きく異なっています。一世は、移住先であるブラジルにおいて他国からの移民に囲まれて過ごしたため、自らが日本人であるというアイデンティティを持っています。二世は、ブラジル人としてのアイデンティティを強く持っており、日本に対して否定的な感情を抱いています。それは、第二次世界大戦の勃発により公共の場での日本語使用が禁止され、ブラジルへの同化を求められたからです。一方三世の人々は、二世と同じブラジル人としてのアイデンティティを持ちながら、二世とは異なり日本を肯定的に捉えています。この時代になると、日本は高度経済成長を遂げ、国際社会におけるイメージを回復しました。そのため三世は、日本のルーツを持つ者として日本的なものに誇りを感じているのです。

最後に、結論として日系ブラジル人アイデンティティの今後の展望について考えました。
1985年にブラジルでは、ハイパーインフレの影響で出入国者数が逆転し、移民送出国となりました。その流れの中で、多くの日系ブラジル人が職を求めて日本へ渡ってきています。それは明治時代に日本から人々がブラジルへと渡ったこととは全く逆の出来事です。このことは今後の日系ブラジル人のアイデンティティに大きな影響を与えると考えられます。


「華僑・華人のアイデンティティ」浜田りん

華僑は中国の国籍を保持して海外に滞在する者、華人は中国人の血を引くが居住地の国籍を取得した者を指すが、明確な区別はない。華僑華人は、世界に3000万人以上おり、そのうち90%以上が居住国などの国籍を持っている。
華人社会の特徴は、血縁・地縁・業縁の三大華人ネットワークがあることだ。親戚や同郷の知人を頼っての移住や家族経営、出身地や方言で分かれた集団、相互扶助、中国の価値観などを共有している。
 華僑華人に対して、アジア各国はさまざまな対応をしている。インドネシアは、商店看板の中国語表示を禁止したり、身分証明書で華人を区別できるようにしたりしている。マレーシアは、華人とマレー人の経済格差を縮小することを目的に、ブミプトラ政策を取っている。シンガポールでは、総人口において華人が約7割を占めており、英語教育に力を入れ、高学歴で専門知識を有する中国人の労働・帰化を歓迎している。世界に華僑華人が拡大する一方で、僑郷(海外へ多くの移民を輩出した地域)への愛郷心も高まっている。
華人のアイデンティティは、所属国家(マレーシア、シンガポール...)、民族(華僑・華人)、中国地方(広東、福建、潮州...)の三重構造となっている。彼らの大部分は居住国の国籍を持ち、日常生活では中国語よりも現地語あるいは英語を使っている。政治経済においても、華人ネットワークを生かしつつ、あくまでも居住国の国民として活動してきた。自らのルーツとして中国への意識はあるものの、そのアイデンティティを前面に押し出す傾向は少ないといえる。

投稿者 student1
2014年11月 4日21:40 [週刊押村ゼミ]


2014.10.28 ゼミ活動報告

こんにちは、HP係のマソヨンです。
今回のゼミは、引き続き3年のプレゼンテーションでした。
オープンゼミでしたので、少し緊張したゼミでした。

『英語の世界支配』秋山裕佳

 言語は、人々のコミュニケーションを担い一人一人の自我の意識を支える大きな役割を担っているものである。そのなかでも英語は、国際社会において「学ぶべき言語」として扱われ「英語支配」という負の側面があることは見逃されている。言語教育とアイデンティティ形成のあるべき姿はなんであるか、英語の広がりに対する賛否をそれぞれ紹介し日本の場合について考えた。
 英語は、地理・歴史・社会・文化の要因から、ネイティブに限らず71ヶ国が公用語に指定している言語である。その中立性や普遍性は、リンガフランカ(国際共通語)としてノンネイティブスピーカーを繋ぐ役割を果たし肯定的に国際社会に普及していった。
 一方で、英語使用の拡大を「英語帝国主義」とし、他言語に支配勢力をふるい、世界コミュニケーションを覇権的に牛耳るとして批判する意見がある。コミュニケーションの不平等や差別、少数言語の抹殺などを招くとして英語の広がりを冷静に見る動きである。
 そこで、日本人を見てみると、潜在的に持つ「国際志向性」により、同じく英語を母語としない中国や韓国に比べネイティブへの憧れという動機で英語習得を目指す傾向がみられた。文部科学省の指針では日本語と英語のバランスの議論が不足していることを挙げ、日本語の教育を強化するということであった。
 議論では、各自留学や国外研修などの海外経験をもとに自分のアイデンティティへの影響を考え意見を交わした。日本語という特殊な言語を母語とする以上、多様な人々と関わるためにもはや英語は不可欠であるが今一度英語は「コミュニケーションの手段」であるということを再認識し冷静にとらえる必要があるのではないか。


『日本人の宗教観』粟野愛香

本発表では、『日本人の宗教観』と題し、関連する統計や事例、歴史、またそれらに対する考察を通して、その全体像を捉えた。
はじめに、現代の日本人にとって宗教とはどのようなものであるか、統計を用いて、大枠を捉えた。統計によると、日本人は、自分たちは宗教的な信仰を持っていないと考えるものの、宗教的な心は大事だと考える傾向にあるという。反面、一部の新興宗教が引き起こした事件等の影響によって、宗教に対する不信感を持つ事もまた事実である。
次に、そのような宗教観が築かれた背景を探るべく、歴史をたどった。歴史からは、日本人の宗教観に関して、神道と仏教を土台とする事、自身の信仰と両立可能な宗教の、都合の良い部分を組み入れてきた事、多神教的な信仰や祖先崇拝が根付いている事などが読み取れる。
そして、現代にフォーカスを戻し、日本人の宗教観について、"葬式"と"自分探し"という二つのテーマと絡め、論じた。葬式は、日本人が宗教を一番強く意識する機会の一つであるとされるが、その実態の多くは、本来の教えにそぐわぬ、形式的なものとなっている。続いて近年就職活動時にすべきと言われる、自分探しについてであるが、これは本来一神教的な思考に基づくものであり、宗教という観点から考えた場合、多神教的な信仰や、諸行無常を説く仏教を土台とする日本人には受け入れづらいものである事を示した。
最後に、以上の内容をふまえ、日本人の宗教観の特徴について考察した。第一に、日本人にとって神は、まつりを行うものにご利益を与えるものであること。第二に、近年薄れてきている可能性はあるものの、祖先崇拝の性質を持つこと。第三に、多神教的な信仰を持ち、人間を支配し律する厳しい創造主が存在しないこと。以上の三点にまとめた。
 グローバル化が進んでいる事、それは、日本人が自身と類似しない信仰を持つ人々と交流する機会が増える事も意味する。彼らの信仰や宗教を理解しよりよく共生するためにも、日本人の宗教観はどのようなものであるか、また、日本人である自分の宗教観はどのようなものであるか、日本人一人ひとりが考えていく必要がある。


今日のゼミももお疲れさまでした。

投稿者 student1
2014年10月28日18:32 [週刊押村ゼミ]


2014.10.21 ゼミ活動報告

こんにちは!HP係の杉山枝里です。
本日のゼミは、3年生のプレゼンテーション発表でした。

4限 野村るり 「日本外交のID(ソフトパワーとクールジャパン)」
「かわいい」という言葉は、そのまま世界の人々に伝わる。これは、日本政府がクールジャパン戦略を打ち立て、日本外交においてソフトパワーを重視してきた結果だ。なぜソフトパワーを重視するようになったのだろうか。その結果、どのような影響があるのだろうか。
ソフトパワーはジョセフ・ナイによって提唱され、「強制や誘導ではなく、魅力によって望む結果を得る力」と位置付けられる。軍事力や経済力による強制や誘導によって、他国の政策を変えるように促す力である、ハードパワーとは違う。ソフトパワーの力の源泉は文化、政治的な価値、外交政策と3つある。日本は、特に文化を源泉とするソフトパワーに力を入れてきた。このような道を選ぶようになった答えは戦後にまでさかのぼる。敗戦後、日本は戦前の体制を批判され、新たな理念の下で再出発することが求められた。そこで、軍事面ではない、経済・技術・文化的な国家の建設を目指す。その後、日本が経済大国としての地位を固めていくにつれ、日本に対する反発や誤解が大きくなってきた。不公平・閉鎖的な経済慣習の国というイメージを払拭するために、積極的に文化交流を行うようになる。日本の国際的パワーの最大の魅力であった経済が停滞すると、ソフトパワーを活用した外交への関心が非常に高まり、現在までこのような政策がとられてきた。
ソフトパワーの源泉を具体的に行うのが、パブリックディプロマシーだ。国際社会の中で自国のイメージを向上させ、自国についての理解を深めようとするために、相手国の政府に働きかけるのではなく、相手国の国民レベルに働きかける外交活動である。このパブリックディプロマシーは、各国で行われている。イギリスは1990年代後半から、かっこいいイギリスを目指して「クールブリタニア」政策が進められた。中国も近年、中国語学習者を増やす国家戦略のもと、孔子学院を世界各地へ設置している。
では、日本は果たして、どのような政策をとっているのだろうか。ソフトパワーの源泉であり、パブリックディプロマシーの実践であるのが、クールジャパン政策だ。日本の魅力を高めるために、海外に日本のcoolな商品やサービスを発信している。クールジャパンそれ自体に明確な定義はなく、ファッションから、マンガやアニメ、日本食、など幅広く取り扱う。クールジャパン政策の事業形態は、メディア事業、流通事業、インバウンド事業の3つだ。今回はメディア事業を取り上げたい。日本の人気なテレビドラマやアニメ番組を世界に売り込むという流れがある。また、日本のテレビ番組を通じて、日本文化を発信している。このようなメディアをきっかけに日本に興味をもった人が、より身近に日本文化に触れられるようにと各地でイベントも開催している。
その効果が、BBCと国際交流基金の調査結果からあったことがわかる。毎年BBCが24か国で実施している調査で、日本が世界に良い影響を与えているとの答えは49%で、実施国の中で5番目に高い数値だ。また、国際交流基金の調査では、日本のポップカルチャーへの関心を背景にした学習動機による日本語学習者が増えている。
このように、日本のイメージ向上や関心を高めるのに効果を発揮しているが、課題もまだある。まず、評価が非常に難しいということだ。また、どのようなイメージで国家のブランディングをするかといった具体的なビジョンがはっきりしていない。さらに、海外で受け入れられるものが、必ずしも日本が伝えたい文化になるとは限らない。
ソフトパワーそのものだけで国際社会は成り立たないが、大きな影響力も持っている。上手く活用しながら、ファーストタッチで終わらないような戦略を考えていく必要がある。


5限 佐藤利紗 「戦後外国人の日本人論」
敗戦国からの出発、経済成長と停滞、ソフトパワー外交の台頭といったように、戦後の日本は様々に変化してきた。その変化に合わせ外国人による日本人論も変化している。
戦後直後は、ルースベネディクトの『菊と刀』をはじめ、対日政策を背景とする日本人研究がなされた。集団主義、柔軟性、階層性といった西欧から見る日本人の特異性と、復興・民主化に動く日本人へ期待する傾向がある。
1950〜1970年代、急速な復興と成長への驚きから、日本式の経営方法とその源となる国民性に注目が集まる。勤勉さ、階層意識からくる従順さ、集団主義といった国民性を称賛する一方台頭を危惧する論調も出てくる。
70〜90年代初頭、GDP世界第2位の経済大国として台頭した時代、米国の対日貿易赤字をきっかけにジャパンバッシングがなされた。本音と建前を使い分ける「わかりにくい」国民性、女性・子供の地位の低さ、集団的で個性・創造力が無いというマイナスイメージも合わせて、日本人への嫌悪が主体となる。また、アジア諸国からは、アジア人を見下す日本人への反発が起き、国際社会との相互理解の欠如が露呈した。
バブル崩壊後は、ジャパンバッシングも沈静化し、これまでの諸外国からの批判を受け、より成熟した日本人を期待されるようになる。
今日の日本では、女性の地位向上、グローバル人材の育成といったように、これまで外国に指摘されてきた日本人の「欠点」を克服する動きがある。グローバル人材・主体的に動ける人材育成に重きを置かれている現代、日本人の国民性はどう変容し、諸外国にどう描かれるのか注目していきたい。

ゼミ後は、青山祭の準備を行いました。いよいよ明日からです♪

投稿者 student1
2014年10月21日23:15 [週刊押村ゼミ]


2014.10.14 ゼミ活動報告

皆さん、こんにちは。
hp係の20期マソヨンです。
本日のゼミは3年のプレゼンテーションが主になっていました。

小林敬志
「日独戦後アイデンティティ」

日独は戦後、似たような歴史の歩みを見せてきた。今回のプレゼンではそんな両国のアイデンティティを比較考察した。
まず戦後両国の歴史的歩みを確認し、次に両国の思想を比較した。最後に日本で展開されるドイツ見習え論を考察し、プレゼンを結んだ。
日本とドイツの戦後アイデンティティに影響を与えたのは、日本ならアメリカ、ドイツではフランスやポーランドなどのヨーロッパでの周辺国であった。これが、日本の受動性とドイツの積極性を生んだとも言われ、両国の戦後補償・戦後賠償にも影響を及ぼしている。
日本の戦後を考える上で、似た境遇をもつドイツが歩んできた歴史とその背景にある思想や当時の状況を概観することは非常に有意義であると考える。


杉山 枝里
「EUとヨーロピアン・アイデンティティ」

EU加盟国が年々増えていく中、ヨーロッパの統一されたアイデンティティの形成がますます難しくなっている。また、欧州議会選挙の投票率が可半数に満たない国があったり、ヨーロッパ市民が市民としての権利をあまり理解していないなど、ヨーロッパ市民と欧州政府の間のギャップが広がり、EUが市民にとって遠い存在になりつつある現状がある。そして、EU発足後、人々の移動が盛んになり、国内の失業者が増え、ゼノフォビアの問題を招いている。
そもそも、なぜ近年ヨーロッパアイデンティティ構築の必要性が問われているのだろうか。例えば、イタリアは、EUの初期メンバーであるが、現在国民の半数以上が自分がヨーロッパ市民である、という意識を持っていない。その理由として、失業率の高さとEUに対する不信感の高まりが挙げられる。EUによって人々の移動が自由になり、外国人に職を取られ、国内の経済が悪化した、と感じるイタリア国民は2014年のデータで約5割にのぼった。
ヨーロッパ全体のEU機関への不信感や関心の低さは、年々減少するEU議会選挙の投票率に顕著に表れている。イタリアのみならず、イギリスや東欧でも投票率はEU平均を下回っている。
EU機関とヨーロッパ市民の間にある深い溝を埋めるためには、EU機関と市民のコミュニケーションを高め、互いによく理解し合う必要があるのではないだろうか。ギリシャ危機やウクライナ危機など現在ヨーロッパが抱える問題を踏まえ、ヨーロッパアイデンティティを再定義する必要性は、今までになく高まっている。


ゼミ後には、青祭の装飾を作りました。
楽しみです!

本日も皆さん、お疲れさまでした。

投稿者 student1
2014年10月14日14:55 [週刊押村ゼミ]


2014.10.7 ゼミ活動報告

皆さん、こんにちは!
本日はHP係の杉山が担当いたします。


後期2回目のゼミでは、日本が外国の方の目にはどのように写っているのかをドキュメンタリー映像から学びました。
このドキュメンタリーは、日本で生活をしている外国人へのインタビューを通じて日本の良さやおもしろさ、ユニークな所などを探し出したものです。見終わった後は、ゼミ生の皆で意見交換をしました。

日本で生まれ育った私たちにとっては、当たり前のように思えることも、外国の方にとっては物珍く感じられたりします。私が最も印象に残った西洋人の方のコメントは、その方は何十年も日本に住んでいらっしゃるのにも関わらず、いまだに日本人と接するときにウチ・ソトの壁を感じる、という意見でした。人種が欧米のように多様ではない日本では、私たちは西洋人を無意識のうちに自分とは違う、とみなして接してしまっているのかもしれませんね。それが外国の方がよく口にする、日本人は差別的だ、というステレオタイプにつながっているのかもしれません。決して私たちの多くはそうではないはずなのに、少し残念に感じました。けれども、今回ドキュメンタリーに出ていた外国の方々は、皆日本に好意的な印象を持っているとのこと、とてもうれしかったです。

話は変わりますが、10月18日にゼミガイダンスが開かれます。押村ゼミに少しでも興味のある方は、是非押村ゼミブースに来てください♪待ってます(^0^)

また、10月31日〜11月2日の日程で青山祭があります!
私たち押村ゼミは、20周年を記念して、今回初出店します!!!!!
押村先生といえば、フランス、フランスといえば...フレンチトースト!
ということで、私たちはSoyフレンチトーストを販売します(^0^)
豆乳を使用した、ヘルシーで、こんがりふわふわで、しっとりとしたフレンチトーストを私たちも頑張って作りますので、是非食べにいらしてください!!
もしかしたらゼミガイダンスに来てくださった方には、いいことがあるかもしれません(≧∀≦)

押村ゼミ青祭ポスター画像.jpg

投稿者 student1
2014年10月13日10:57 [週刊押村ゼミ]


2014.9.30 ゼミ報告

こんにちは、ブローグ係のマソヨンです。
本日は夏休み明けの初めてのゼミでした。

先ず、4限の間は、3年の後期プレゼンテーションについての先生のアドバイスから始まりました。
また連絡事項として、ゼミガイダンスや説明会、オープンゼミなどの話をしました。
そして先生から卒論に対する3年一人一人へお話がありました。

及能さんがオーストラリアの交換留学先から帰国後、初めてゼミに参加してくれました。
これから一緒に頑張りましょう!
    
5限は、青祭の打ち合わせと今後のゼミ活動について話し合う時間でした。
ゼミとしての青祭の初出店、楽しみです。

そして、4年の卒論計画について先生からのアドバイスの時間でした。
先生、アドバイスありがとうございました。

後期は様々な行事も多く、忙しくなりそうですね。
皆さん、楽しんでいきましょう!

投稿者 student1
2014年9月30日15:12 [週刊押村ゼミ]


2014.7.8 ゼミ報告

今回は、教室での前期最後の授業でした。

4限の間は、国連の松川 潔 先生の『ソーシャル・キャピタルと武力紛争:ソマリアを事例として』の論文に関する特別講演でした。

ソマリアにおけるソーシャル・キャピタルと武力紛争の関係を、ソーシャル・キャピタル理論を通じて説明する。どのようなソーシャル・キャピタル(結束的・連携的・連結的)が武力紛争を助長し、どのようなソーシャル・キャピタルが武力紛争を緩和するか。

研究において、ソーシャル・キャピタルを測定するために、「集団及び集団ネットワーク」、「個人的ネットワーク」、「信頼」、「社会的結合と包摂」、「アイデンティティ」、「コミュニティのリーダーシップ」を利用し、ラス・アノド、ボサソ、モガディシュ、ブラオ、ガルカイヨのソマリアの五つの都市を研究した。

結果、強制的な連結的ソーシャル・キャピタル(政府高官や軍指揮官、企業経営者によるコミュニティに対しての強制的権力、リーダーシップの有無に関わらず、両者が排他的な垂直関係にあること)は武力紛争を助長し、非強制的な連結的ソーシャル・キャピタル(氏族の長老・宗教指導者・専門家・NGOのリーダー、包摂的な垂直関係、リーダーシップを担う人々がコミュニティにおける権威的・強制的権力を持っていることは重要ではない)または連携的ソーシャル・コミュニティは武力紛争を緩和するということが証明された。

しかし、実際のところ、外部の干渉によって内部状況(紛争)が深刻化し手いるとも言える。
ソマリア内部はコミュニティ(クラン)のルールとして成り立っていたが、国連などの寄付のような金銭的介入により、問題は悪化した。国際社会は困っている国を手伝おうとするため、そこから問題が生じる場合に対しての注意が必要である。


5限の間は、来週の遠足・夏合宿の説明、後期の3年のプレゼンテーション決め、そして青際出店メニュー決めと押村先生の4限の補足が行われました。

【後期のプレゼンテーション日程】
10/14
EUとヨーロピアン・アイデンティティ 杉山
日独の戦後アイデンティティ 小林

10/21
日本外交とEU 野村
外国人の日本人論 佐藤

10/28
英語の世界支配 秋山
日本人の宗教観 粟野

11/4
華僑・華人のアイデンティティ 浜田
日系人のアイデンティティ 甘利

11/11
平和構築におけるID教育の役割 保坂

11/18
グローバル化の各国文化への影響 麻

11/25
クレオールのアイデンティティ 山田

次回のゼミはいよいよ遠足です。
深川江戸資料館にて、日本のアイデンティティついてたくさん学んできましょう!
お疲れさまでした。

投稿者 student1
2014年7月 8日17:04 [週刊押村ゼミ]


2014.7.1 ゼミ報告

いよいよ7月に突入し、3年生のプレゼンテーションも前期はこれで最後となりました!
トリを飾ってくれた2人のプレゼンの要約です。

4限:浜田りん『イスラーム原理主義のインパクト』
 現在、イスラーム過激派/イスラーム原理主義者と呼ばれるテロリストが、世界の脅威として捉えられている。イスラーム教は、テロリズムといった非人道的な行動に駆り立てる、危険な宗教なのか。なぜ、そのような行動が引き起こされてしまうのか。今回のプレゼンでは、第一にイスラームの概要、第二にイスラーム原理主義運動が生まれた背景、第三に、現代のイスラーム主義について考えていく。
 第一に、イスラームとは、「絶対帰依する」という意味で、アッラーとその使徒であるムハンマドを信じ、聖典コーランの教えに従って生きること、を指す。そのためイスラームは、社会生活の規範であり、自己のアイデンティティそのものであり、一定の帰属意識を伴う。イスラーム教徒は、推定16億人いるといわれる。イスラーム教とそれに付随するアイデンティティは、主権国家という空間的境界線を越えて広がっている。
 第二に、「イスラーム原理主義運動」について説明する。「イスラーム原理主義運動」とは、「西洋化・近代化・世俗化が進むことでイスラームの伝統や価値観が変容したり、脅威に晒されたりすることに反対し、伝統的イスラームでは機能していた自律的な社会を再獲得するために覚醒した個人または集団によって行われる運動」を指す。本来、「原理主義」はキリスト教用語であり、聖書のみを固く信じるキリスト教の一派を指す。よって、「イスラーム原理主義」という呼び方は正しくない、と考える学者も多い。
 では、この運動はどのように生まれたのか。今回は、二つの背景を取り上げる。
 一つ目は、歴史的背景だ。西洋の近代合理主義の支配、帝国主義的進出によって、イスラームの伝統的価値観は希薄化していった。これに危機感を抱いた人々が始めたのが、ワッハーブ運動だ。失われつつあったイスラーム意識を覚醒し、浸透させることが目的としたこの運動が、今日のイスラーム復興運動、イスラーム原理主義の起源となった。
 二つ目は、欧米の「ダブルスタンダード」に対する不満と不信感だ。欧米諸国は、民族自決、民主化、人権擁護をモットーとしているが、欧米諸国の実際の行動と比較すると、矛盾して見えることが少なくない。このような欧米の「ダブルスタンダード」な姿勢が、イスラーム教徒の怒りをかき立てている。
第三に、イスラーム主義の現代における動向を考えていく。
 一つ目に、イスラーム主義者とは、イスラームに基づく社会を目指す人々を指す。多くのイスラーム主義者は、穏健派であり、暴力に頼ることなく、政治勢力・社会勢力として社会の本流で活躍している。彼らは漸進的な改革を通して、イスラームの理念に基づいた社会を目指す。教育活動、貧困救済などの社会事業を行い、大衆への浸透も図っている。一方、実力行使に出る少数の活動家が、いわゆる過激派だ。目的の実現のためには、ジハード(聖戦)と称して暴力を使う。
 二つ目に、「アラブの春」とイスラーム政党の台頭について説明する。「アラブの春」では、どの国もイスラーム主義を含めた、いかなるイデオロギーにも依拠せず、ただ「反不正」の主張に特化して大統領の辞任や政治改革を求めた。しかし、その結果は国によって異なるものとなった。「アラブの春」の成果を二つ挙げたい。一つ目は、制度的特殊性の減退だ。「アラブの春」によって、エジプト、チュニジア、アルジェリアでは、実質的終身大統領制は終わりを告げ、政権交代が可能となった。イスラーム政党の禁止も撤廃され、イスラーム政党が台頭した。二つ目は、イスラーム主義の相対化ができるようになったことだ。イスラームが政党と認められたことで、政治的選択肢の一つとなり、イスラーム派の賛否について発言できるようになった。ただ、「アラブの春」は欧米が思っていたほどの民主化はもたらさなかった。
 三つ目は、まさに今、活発な動きを見せている過激派だ。今、イラクは、シーア派マリキ現政権、スンニ派のISIS(イラク・シリア・イスラーム国)、独立に向け動き出したクルド人自治区、3分裂の危機に直面している。2014年6月30日には、ISISが、イラクとシリアの国境の枠を超えた「イスラーム国」の樹立を一方的に宣言した。ナイジェリアでは「ボコ・ハラム」が女子生徒250人以上を拉致。サッカー・ワールドカップの観戦は「西洋的」であるとして、パブリックビューイングも過激派に狙われている。過激派の影響は、ヨーロッパにも及ぶ。ヨーロッパでは、「シリア帰り」の若者が危険視されているのだ。
 イスラーム原理主義運動は、欧米社会への反発と伝統的なイスラームの価値観の復興を目指して始まった。イスラーム主義者のほとんどは穏健派であり、一定の支持を集めている。そんな中、一部の過激派が、本来は平和を掲げるイスラーム教を暴力の正当化に利用し、今日の混乱を引き起こしている。その影響は中東に留まらず、安全保障やエネルギー問題において世界中に広がっている。日本も例外ではない。

5限:甘利直幸『ユダヤ人のアイデンティティ』
 ユダヤ人は、特殊な集団だ。なぜかというと、「ユダヤ人」が誰を指すのかが、わからないからである。ユダヤ教徒やイスラエルに住む人たちだけが、ユダヤ人であるとは限らない。イスラエルの帰還法において、ユダヤ人は、「ユダヤ人の母から生まれた者、もしくは、ユダヤ教に改宗した者」と定義されている。この帰還法では、ユダヤ人の、母親から生まれた者という民族的な側面と、ユダヤ教に改宗した者という宗教的な側面が表現されている。今回のプレゼンにおいて、この民族と宗教の二つの側面に注目しながら、ユダヤ・アイデンティティについて考えた。
 まず、ユダヤ人の歴史は、古典時代にユダヤ教が生まれ、中世時代の離散の中で宗教としてのユダヤ・アイデンティティが確立され、近現代に、転換点としてのフランス革命が起こり、国家への忠誠かユダヤ社会への忠誠かといった、二重の忠誠問題という葛藤が生まれた、といったようにまとめられる。この二重の忠誠問題は、ユダヤ人たちが経験した初めてのアイデンティティの危機であった。
 次に、現代国家におけるユダヤ人についてイスラエル・アメリカ・旧ソ連の三つの例から説明した。ここでは主に、西欧において「宗教」として扱われたユダヤ人と、東欧において「民族」といして扱われたユダヤ人について論じた。
 最後に、異なるユダヤ・アイデンティティとして、各国や国内のユダヤ人同士における対立について二つの例から考察した。一つ目の例は、ポラード事件をめぐるイスラエルとアメリカのユダヤ人の対立で、二番目の例は、イスラエル国内におけるユダヤ教の世俗派と宗教派、二つの宗派の対立についてである。
 結論として、これらの内容からわかることは、一言でユダヤ人と言っても、離散や迫害といった、独自の複雑な歴史的経験や生活環境などの影響から、多種多様な考えや理念を持っているということである。さらに、ユダヤ・アイデンティティは、民族か宗教か、といったように、どれか一つが真のユダヤ性とは決定できない。また、ユダヤ教の宗教派の人々は厳しい戒律による若者離れ、世俗派の人々は元の戒律からかけ離れ過ぎて原型を見失ってしまう、というディレンマを抱えている。これが、今後のユダヤ・アイデンティティに与える影響についても注目する必要がある。
 質疑応答の時間には、今回触れなかった「選民思想」についての質問が多く出た。それらの質問を通して、ユダヤ人のアイデンティティにおける「選民思想」の影響の大きさを実感した。


お疲れさまでした!

投稿者 student1
2014年7月 6日15:58 [週刊押村ゼミ]


2014.6.24 ゼミ報告

6月24日のゼミの活動報告を致します。
今回も引き続き、3年生によるプレゼンテーションを行いました。

4限:山田有紀『日本における他者』
「日本人」とはだれのことを指すのだろうか。~人という決定要因として、国籍・血統・言語・文化・出生地が挙げられるが、どの要因を判断する際に選択するかによって、結果は異なってくる。そして、どの決定要因を選択するかは集団IDのちがいに表れてくる。日本は「島国根性」や「和を以て貴しとなす」という言葉に表されるように、排他的な一面をもち、一方で「他者」を同化しようとする一面も持ち得る。この問題の所在を考えるにあたって、在日コリアンと被差別部落民を例に挙げ考察していく。
まず、在日コリアンの歴史的背景をたどる。日韓併合により、朝鮮人は日本国籍者とされ、その後、国家総動員法が施行され、強制連行された。終戦を迎え、日本占領下にあった朝鮮半島が独立へと進む一方で、祖国に戻れず日本国内で生活をはじめる人々がうまれた。一方、第438号法務府民事局長通達により、本人の意思とは関係なしに国籍を剥奪されることになった。さらに、国民健康保険や国民年金への加入などが日本国籍保持者に限られたことで、「外国人」とされ、公的制度を通じて生活の安定を図ったり、社会経済的地位の上昇を果たしたりすることが困難になった。さらに、民族学校の閉鎖といった文化的抑圧に加えて、外国人登録証の携帯や指紋押捺を義務づけられたことは引き続き警察の監視下に置かれることを意味していた。このような背景のもとで否定的にエスニシティを自覚させられてきた。在日コリアンの本質は、かれらの存在が植民地主義に由来し、国民国家の枠組みのもとで日本社会から除外され、東アジアの国家間関係に左右されてきた点にある。そのため、歴史的経緯を知り、時間的、空間的な見方からとらえていく必要がある。
次に、被差別部落について述べる。穢多差別は平安時代までに始まったとされ、江戸時代に「士農工商、エタ、ヒニン」という身分制度のもとに確立してきた。この身分制度の確立は日本の「中流階級願望」とも深く関連している。被差別部落民は自己の意識とは関係なく部落アイデンティティがあたえられ、身分を根拠に差別される危険性をもってきた。そのような状況下で否定的部落アイデンティティがうまれた。被差別部落民であることを隠していきていく可能性が高い状況にある。この問題の根底にはプライバシーだけでなく、社会的抑圧が背景としてある。社会的抑圧というのが、結婚差別や、就職差別である。一方、このような現状がありつつも東京に住む人々には認識しにくい現状がある。同和地区の分布を考察すると偏りがあり、東京にはないことがわかる。しかし、東京にないのは、人口の流出入が激しく混住化が進み、規定することが難しかったためである。こうして、現実には被差別部落があるにも関わらず、部落はわかりにくくなり、次第に部落に対する認識は低くなっていった。そして、部落問題のことは知っていても、自分の生活には関係ない、部落差別はないという神話がうまれていった。しかし、部落差別についてのほとんどの要因において「関係者」である。最も重要なのは「関係者」になる必要性である。
「他者」と認識することは対立する可能性を生み出す。これまで同質性を求めてきた日本は、今後、多様な背景をもつ人と共存していく中で、「他者」と「自己」の「分割線」を見直す必要がある。一方、「他者」と認識していた人々を「自己」と認識することで、同化されてしまう危険性をもつ。そのため、「自己」の認識の範囲を広げるとともに、「自己」の多様性を認めていく必要がある。そういった潮流のなかで、国籍や血統を基準として「分割線」を引くのではなく、個人間の関わりのなかで「分割線」を決定していくべきである。

5限:秋山裕佳『歴史教育とアイデンティティ』
まず歴史教育とは世界百科事典によると「歴史的・社会的存在である人間のもつ,自己の属する集団の系譜や,人類と民族の過去のできごとなどを知ろうとする要求にこたえ,それらを計画的に教えて歴史の流れのなかで自分の立っている位置を自覚し,社会発展の担い手として育っていくのを助ける教育」である。このように、歴史教育は自国IDを形成する一助となる。しかし、グローバル化する社会の中で国際相互理解の重要性が叫ばれ、自国史だけでなく他国史とのバランス、歴史教科書、歴史認識などが問題となっている中での、日本の歴史教育の向かうべき先について報告、議論した。
世界には歴史教育の類型が3パターンあり、西ヨーロッパ型、東北アジア型、新興独立国型に分けられる。それぞれ自国史と他国史を一本化したり分けたり、初等教育から一貫して教育したり、一から最後までを発達過程に応じて繰り返して教えるなどの特徴がみられた。
その中でも日本の教育はグローバル化を鑑み広範囲の世界史を取り扱い、繰り返し教育を採用しており、記述としては客観が重視されている。それに対して同じアジアの近隣諸国でも韓国・中国はそれぞれ特徴が異なり、西ヨーロッパでは地域で同じ歴史を教育しヨーロッパ中心史観という特徴もみられた。
日本の教育を各国と比較してみると、ID形成にあたり自国史教育が淡白であるのではという指摘があるが、国際社会を意識し他国史を教育する必要もありそのバランスについては判断が難しい。また入試教科から外すことで歴史をゆとり持って学ぶことができたり、一貫教育を採用すれば時間を確保できるため駆け足で終わってしまいがちな現代史がじっくり学べたりとID形成の基礎となるものとして日本の歴史教育は他国に学び見直されるべきであるというのが結論である。
ディスカッションでは、日本のいう「客観的な歴史の叙述」というのはそれ自体が国際社会においては主観的なのではないかという指摘や、アメリカにおける歴史教育などについても質問があったが、どの指摘をとってもそれ一つをトピックとできるような多様な要素をを持った複雑な問題であることがわかった。
各国の教科書を基に歴史教育の特徴を挙げていったが、そもそも歴史教育自体の各国比較というのは資料が少なく主観的になりがちなのが反省であった。歴史教育はID形成の基礎として重要であるため、その在り方はより議論されていくべきだと感じた。

投稿者 student1
2014年7月 1日07:00 [週刊押村ゼミ]


2014.6.17 ゼミ報告

6月17日のゼミ活動報告をさせて頂きます。
今回も、3年生のプレゼンテーションが行われました。

4限:野村るり『日本のナショナリズムの行方』

現在、集団的自衛権の容認や憲法改正についてなど今後の日本の方針を大きく変えるような議論がされている。日本のナショナリズムが形成されてきた歴史的推移から、現代の日本のナショナリズムの行方を考える。
ナショナリズムは一つのネーションが自己の統一・独立・繁栄を目指す運動や思想と定義される。国家主義、民族主義、国民主義、国粋主義とも訳す。
日本という国号が初めて登場してきたのは、大宝700年(西暦701年)の遣唐使によって用いられた記録の中だ。特定の一族によって支配された政治的単位に過ぎず、時代によってその範囲は異なる。江戸時代も藩への帰属意識が非常に強くあったため、日本人としてのアイデンティティは持っていなかった。
日本国民としての意識がうまれてきたのは明治維新後である。明治政府によって国民国家を創設することを目指した。廃藩置県によって分権的な幕藩体制から中央集権的な国民国家へと移行させ、天皇制をとることで天皇の臣民である日本人へと同質化させた。また、学校教育でも国語を制定した。
 だが、大多数の人が国民としての実感を得たのは、日清戦争・日露戦争後であった。欧米列強に対して取り残された思いを抱いていた中で、"大勝利"や"占領"といったニュースが報じられるようになると国民の意識も変化してきた。勝者の一員としての快感を味わい始め、日本国民という気分を強く生み出した。こうして、日本は敗戦までウルトラナショナリズム(超国家主義)が続いた。
戦後、マッカーサーによる占領政策により日本の非軍事化が進められた。憲法9条を制定し、再軍備を規制。軍事的、外交的にアメリカの指示に従属するようになった日本は、戦後のナショナリズムを満たす現実的な方法として経済成長を追求した。その結果、1970年代から80年代に経済大国化したが、バブル崩壊後は日本が行くべき着地点は見つけられていない。
このような現状を歴史教育から変えようとする動きもある。「全体として方向性を見失い自信を喪失している日本は明るい自国史を学ぶべきだ」と主張する「新しい歴史教科書をつくる会」は独自の歴史教科書を制定。従来使用されている歴史教科書を自虐主義史観だと批判し、自由主義史観の教科書で日本の誇るべき歴史や伝統を伝えるべきという考えだ。これに対し、自国史への反省・批判や自国史の相対化が欠如しているとの批判意見もある。
日本はいま、重要な分岐点に立たされている。自分自身が日本国民としてどのように関わっていくのか考えていかなければいかない。

5限:山田 怜 『沖縄のアイデンティティーについて』
「沖縄」という土地は地理的、文化的そして歴史的に本土とは異なった特徴を持っている。西銘順治の言葉にあるように、沖縄のアイデンティティーとは「ヤマトンチュになりたくて、なりきれない心」であったり、ヤマトンチュと相対化する「ウチーナーンチュ」であったりすることから分かるように、そこに住む沖縄の人たちのアイデンティティーは一筋縄で語ることは出来ない。彼らのアイデンティティーは被害者としてのアイデンティティーであり、また屈折したアイデンティティーである。1995年に行われた意識調査の結果から彼らのアイデンティティー意識について考察すると、「沖縄人としての自分を意識する」のは全体の60%と多数を占めるが、自分が日本人であるか、沖縄人であるか、それとも両方であるかについての意識は世代間に有意が見られる。この事実から、彼らの生きた時代、環境がアイデンティティー形成に大きく影響していると仮定をし、歴史的経緯を追いながらその変容について見ていった。
①琉球王国時代(1429〜1879)
②薩摩藩島津氏による琉球征服〜明治維新に置ける琉球処分(16C〜18C)
③戦後のアメリカによる占領統治(1945〜72)
④本土復帰(1972)
琉球の民としてのアイデンティティーを持っていた沖縄の人々は、その後の時代において、特に明治政府による同化•皇民化政策を通じて、日本人アイデンティティーを強制されていった。しかし、終戦後からは、信じていた「日本」に見捨てられたという意識の中で、彼らのアイデンティティーは再び変容していく。それは必ずしも「沖縄人」ではなく、「日本人と沖縄人」であったり、反復帰運動から分かるように「日本人」でもあったりした。そして本土復帰後、観光地として多くの人々を魅了するなかで、その文化の特異性に気がつき、沖縄人としての誇りを持つ人が増えたことで「沖縄人としてのアイデンティティー」を意識する者も増加している。
このような歴史的経緯からもそうであるが、儒教色の強い独自の文化、経済問題(基地経済)そして基地の負担問題等の要因も彼らのアイデンティティーに大きく影響している。

投稿者 student1
2014年6月28日12:23 [週刊押村ゼミ]


2014.6.10 ゼミ報告

6月10日のゼミ活動報告をさせていただきます。
今週も引き続き、3年生のプレゼンテーションを行いました。

4限:保坂由美子『移民、難民のID』
 私たちはしばしば"移民の時代"に生きていると言われる。グローバル化により移動する人々の数はますます増加し、移民の存在が、各国の政治や経済のみならず社会や文化にまで影響を与えるようになった。一方で多くの社会にうまく溶け込めていない移民が存在する。どのようにして移民と社会の関係を作っていくべきなのだろうか。
 移民とは国際的に合意された定義はないが国際移住機関IOMによると"通常の居住地以外の国に移動し、少なくとも12ヶ月間当該国に居住する人のこと"と述べている。難民とは国連の難民の地位に関する条約で"人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受ける恐れがある人という十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいるもの"と定められている。移民が自発的な移住であるのに対し、難民は移動を強いられた人々である。
 移民の要因としてはまずPUSH・PULL理論というものがある。PUSHは移民を送り出す国の状況など人々に移動を強いる要因、PULLは移民を受け入れる国のまともな職への見込みなど移住を可能にする要因を指す。もう一つの要因に移住システム論がある、これはより広範な社会的、経済的、文化的、社会的、政治的な背景がより複雑に作用しあって起こるというものである。
 移民の受入国では労働力不足解消、多様な人材を確保できる一方で、国内の労働者の雇用機会を奪う。また送り出し国は失業率を抑え、貧困削減に役立つ一方で頭脳流出という問題がある。
 具体的な例をメキシコ系アメリカ人でみる。メキシコ系アメリカ人は1900年のメキシコ革命以来増え続けている。メキシコ人が米国へ移住する主な目的は雇用の確保である。米国とメキシコにおける労働市場および賃金の格差はおよそ8対1であるといわれている。米国の多くの中小企業は国際競争にさらされており、生き残り策の1つとして低賃金で雇えるメキシコ移民労働者を採用し、労働コストの削減を図っている。
 メキシコ系移民のアイデンティティは世代によって変化している。第一世代は故国メキシコに思いを寄せ、第二世代は対照的にアメリカにアイデンティティを感じている。第三世代以降は同化を拒否し、非アングロという自己イメージを持ったメキシコ系米国人として権利を主張している。
 現在ヒスパニックはアメリカ最大のマイノリティであり、全人口の16.3%を占める。ヒスパニックのうち63%がメキシコ系である。南西部に集中している。1100万人を超える不法移民への対応が今後の選挙へ影響すると考えられる。またメキシコ系アメリカ人は低所得、教育度が低く家族で貧困にあげく。このまま移民が増え続け、メキシコ系アメリカ人がコミュニティを形成し、スペイン語を話し、独自の文化を維持しようとすると、既にあった国民としての価値観、文化、言語などアイデンティティが揺らぎ、国民国家が分裂し、国民統合ができない危機の状態に陥るのではないかという問題があり、移民の管理が必要だ。これに対し近年ヨーロッパで取り入れられた政策の中に「社会統合」というのがある。多文化主義に近いものだが、違うのは社会的な一体性を重視しているという点である。受け入れ社会と移民の双方がお互いの独自性と多様性を尊重しつ つ、同じ社会の構成員としての共有文化を築き上げていく必要がある。

5限:麻素栄『国籍とID』
 今日の世界はグローバル化により、世界は一つの生活圏になりつつあります。それに伴って、海外で仕事や留学にいくことや、国際結婚そして、他国の国籍を取得することも可能になり、国籍ということで個人のアイデンティティを示すことは難しくなってきました。このような状況の中で、国籍と多様化しつつあるアイデンティティと、それによる問題について考察し、グローバル時代における国籍とアイデンティティの関係について考えていきたいと思います。
 国籍とは、人が特定の国家の構成員としての資格を指します。国籍法の定義として、国籍法とは、国籍の取得や喪失を定める法のことを示します。これについて、世界的に統一された基準は存在しなく、国によって異なる国籍法を持っています。日本では、子供の出生時にその父または母が日本国民の場合、または出生前に死亡した父が日本国民の際、そして、日本で生まれたが、父母がともに知れない時、または無国籍の場合、子供は日本国籍となります。世界的には出生時の取得要件として、出生地主義と血統主義と分かれます。日本国籍を取得できる二つ目方法は、法務大臣への届出による取得があります。父または母が認知した子で20歳未満のもの、認知をした父又は母が子の出生の時に日本国民であつた場合において、その父または母が日本国民であるとき、またはその死亡の時に日本国民であったときは、法務大臣に届け出ることによって、日本の国籍を取得することができます。帰化とは、外国国籍の者が日本国籍を希望し、法務大臣への申請によって日本国籍が与えられることを示します。帰化は普通帰化と特別帰化、大帰化に分かれます。
反対に日本国籍を喪失する場合として、自分の志望により外国国籍を取得した場合、外国法令による外国国籍を選択した場合、不留保、そして、国外に生まれた日本国民が国籍留保届出を提出しなかった場合、国籍を喪失することになりますが、この3つ目の場合、日本に住所を持つ20歳未満の者であれば、再取得できます。ここで言う国籍留保届出とは、外国で子供が生まれた時、3ヶ月以内にその出生届と同時に国籍留保届の手続きをすることで、国籍選択制度の定めによる22歳になるまでに、どちらの国籍とするかを選択できるようになります。そして22歳になる前に届出を出さないと、また国籍は喪失されます。最後に、法務大臣による国籍喪失宣言が挙げられます。
 国籍はアイデンティティと深く関係しています。国籍の決定は国際法上原則として国内管轄事項とされています。各国の国籍法の規定は異なることで、無国籍や多重国籍のような問題は生じます。国籍とアイデンティティ問題として、在日コリアンが挙げられます。在日コリアン1世の日本への強い抵抗感と本国への帰還から、1985年日本の国籍法と戸籍法の改正によって、日本国籍取得がある種の権利として認められ、外国式名前の使用が可能になりました。これは日本の帰化制度が同化主義から多文化主義に変わったとも考えられるでしょう。現在の日本国籍在日コリアンは以前に比べ、ポジティブな面でのアイデンティティの多様化が起きていると考えられます。国籍と民族という二つのアイデンティティの区別が可能になり、個人の選択によるアイデンティティの多様化が進んでいると言えます。
 このように今日の世界はグローバル化に伴って、国籍は以前とは異なる概念を持つようになました。移民や帰化などが自由にできるようになり、すべての個人のアイデンティティを国籍で表すことは難しい状況です。アイデンティティを語る為の国籍という概念ではなく、個人の選択による権利となったとも言えるでしょう。私はアイデンティティを判断する一つの基準それ以上として国籍を考えではいけないと考えます。

投稿者 student1
2014年6月17日10:48 [週刊押村ゼミ]


2014.6.3 ゼミ報告

今回の3年のプレゼンテーションは5限のみとなっておりました。

4限の間には、先生のお話より世界各国の価値観における世論調査について学びました。

・世界の国々に同じ質問に対しての国民の認識
Euro barometer、Asian barometer
日韓言論フォーラムhttp://www.genron-npo.net/world/genre/cat119/

世論調査の結果:国民の意識を知る、政策決定
ブランド意識調査等はマーケティングにおいてのニーズや市場傾向を知る

"もし戦争が起こったら、国のために戦うか?"という質問に対しての調査結果によると、

韓国・中国の場合、"はい"の割合が過半数以上の7割以上を示している。
一方、日本の場合、"はい"の割合は15%くらいにしかならなく、
         "分からない"が4割近くになっている。

(その理由としては、日本人は日本が侵略や戦争になるということが非現実的であり、万が一そのような状況になっても米軍がいるという考え方がある。また、日本人による他のアンケート結果にとっても"分からない"の割合が高いと言うことが分かる。それは、普段からの考えていないということにも言い換えられる。)

majority--minority マイノリティーになりたいくない、真ん中にいたいという傾向、同化意識

東アジア3国の相他国に対しての認識調査結果は、お互いの関係改善の為にも使える。


5限 小林敬志『人種偏見とその克服』
人と人の間には差異があります。肌の色や言語、文化などに違いがあります。差異は不安や恐れを生みます。人種偏見は、その差異から生まれるのです。しかし、ただ違うだけでは人種偏見は生まれません。ユダヤ人学者のアルベール・メンミによれば、
「人種差別とは、現実の、あるいは架空の差異に、一般的、決定的な価値づけをすることであり、この価値づけは、告発者が自分の攻撃を正当化するために、被害者を犠牲にして、自分の利益のために行うものである。」
と定義されており、人種間にある差異をある国家や集団が自己の利益のために利用することが人種偏見であるとされました。また、偏見の特徴として、ステレオタイプと一般化が挙げられます。ある民族に対して、もったイメージをすべての人に適用しようとするのです。ユダヤ人は金に汚い、黒人はリズム感がいいというのは偏見の一般化といえます。
人種偏見の具体例としては、太平洋戦争における人種偏見と、ユダヤ人に対する偏見の2つを紹介します。
太平洋戦争においては、日米ともに敵を非人間化することを目標とするプロパガンダ合戦が行われました。この非人間化の過程で、日本人はアメリカ人を鬼や悪魔にしたてあげたし、アメリカ人は日本人をサルや、ゴリラ、シラミやゴキブリなどの害虫にたとえました。この非人間化により、戦争の残虐性は格段に向上し、太平洋戦争は生きるか死ぬかの容赦なき戦争へと陥っていったのです。2つ目はユダヤ人人種偏見についてです。ユダヤ人は差別と迫害の歴史とともにありました。ユダヤ人の迫害の歴史はモーセの出エジプトからはじまるとされています。また、そのあとに続くのはバビロン捕囚です。ユダヤ人に対する偏見を決定的にしたのは、ユダヤ人によるイエス・キリストの処刑であるとされています。これによりキリスト教社会で満たされる西欧文化において、ユダヤ人の存在は忌むべきものとなりました。また、キリスト教で嫌われている金貸しの仕事でユダヤ人が成功したことも偏見に拍車をかけたと考えられます。シェイクスピアのベニスの商人ではユダヤ人に対する顕著な偏見が表れています。一方で、シオニズム運動はユダヤ人によるパレスチナ人への差別・偏見とも言えます。
具体例を見たところで、人種偏見の克服案として3つ提案しました。教育的克服、法的克服、メディア的克服です。もっとも大事だと考えられるのは教育的克服ではないでしょうか。人種間にある差異を認め、理解しようと努めることが人種偏見克服の重要なステップであると思います。しかし、人種間の差異を教えることにより逆に人種偏見を助長するという考えもあり、人種偏見克服のために教育が本当に有用なのかは検討を要するものでもあります。
具体例で見たように、人種間の差異は大きな存在である国や集団に利用されてしまうことがあります。そして悪質な人種偏見となり、虐殺や争いにつながってしまうのです。なので、個人がそれらの扇動に惑わされないために正しい認識や理解を持とうと努力しようとする姿勢が重要になってくるのではないかと思います。


投稿者 student1
2014年6月 4日21:45 [週刊押村ゼミ]


2014.5.27 ゼミ報告

今回のゼミから、いよいよ3年生のプレゼンテーションが始まりました。


4限:佐藤利紗『多文化主義とは何か』
 多文化主義は1970年代のカナダ、オーストラリアで生まれた考えで、複数の民族が存在する一つの国でそれぞれの文化の共存を目指す立場である。近代の国民国家の下では「国民」という統一意識を崩さないよう、マイノリティは国の主流の文化に同化するべきだとされてきた。この同化主義を否定し、異なる民族を尊重し合い共生する社会を目指すのが多文化主義である。その具体的目標としては、①マイノリティの言語や文化を維持・促進し、それぞれの民族が自分たちのアイデンティティを守れるようにすること。②移民の社会参加促進③全国民に対し異文化への理解を促進すること。が挙げられる。異文化との共存には様々な形態があり、①エスニック料理など日常で異文化に触れる機会はあるが具体的な政策はない「シンボリック多文化主義」②私的領域で個人の文化を認めるが、学校など公的な領域では同化や排除を行う「リベラル多文化主義」③マイノリティの不利な状況を認識し、補償も行う「コーポレイト多文化主義」④国家内のエスニック集団のすみわけがすすみ、地域に自治権を付与する「地域分権多文化主義」のが挙げられる。誰を他者と認め、どこまでの特権を与えるのか、政府がどこまで介入するのかが論点であり、多文化主義を定義づけるのは難しい。
 一方、多様な文化を受け入れると国の統一性を崩す恐れがある。各文化の尊重にこだわれば不干渉や放任が起こる可能性もある。逆差別、経済不況により国民が不満を持ちマイノリティが迫害されることもある。そもそも一方に独立の意志がある場合は共存が困難だ。このように異文化との共存には様々な批判があるが、グローバル化、少子高齢化による労働力不足、難民の保護など様々な理由から国家内の人々の多様化は避けられなくなっている。上述の問題を克服するには国内の異なる民族の不満を受け入れ、多文化主義が統合政策として機能する必要がある。
 オーストラリアの事例を考察する。オーストラリアでは、18世紀イギリスの植民運動から、白豪主義、移民の受け入れと白人優位の同化主義、さらに民族の多様化を受けて移民の管理・統合が掲げられた。アジア地域にあるという地理的要因、国力増強としての移民という政治的要因、またマイノリティの同化主義への抵抗から、多文化主義へ転換するインセンティブが働き浸透していった。現在の多文化主義政策は、移民の定住支援が中心である。各行政主体や非政府組織が役割分担を行い、現場重視の政策が展開されている。教育の場では異文化理解やいじめなどの問題解決の授業、言語サポートが行われている。非政府組織の移民グループは相談業務や地域への啓蒙活動をはじめ、個人レベルに対応している。一方、1996年のハンソン論争をはじめ多文化主義に反対する運動も度々起きている。2001年の同時多発テロ以来イスラム教徒への不信も残る。
 オーストラリアの事例から、多文化主義の推進には政策として進めるための国益、中央・地方・非政府組織の役割と連携、現場に合わせた施策が重要だとわかった。また、異文化理解やコミュニケーションの学びの機会は人々の寛容性を生み出し、異文化の受け入れとさらなる住民の協力を呼ぶという好循環を作る。多文化主義の曖昧性や、異文化に抵抗する人がいることも認識し、人種関連の事件が起きた時のマネジメントも必要である。
 ほとんどの文化は伝統文化をそのまま保持しているのではなく、時代を経て異文化と混ざり合い発展してきた。人々は一つの国、一つの文化のアイデンティティというよりも、複数の文化の混ざり合いから生まれたアイデンティティを持っている。他者と共存が避けられなくなった時代、多文化主義によって寛容の精神を持ち、他者との共存を実現していきたい。


5限:古田智美『ことばと国家』
 When you are asked the question "What is your language?", what you will come up with will probably be "Japanese." This is the normal situation for Japanese people. However, language is something much more complicated in many other parts of the world.
In this presentation, I looked at
①Introduction- the role and complexity of languages
②language and states- the examples of Switzerland and Singapore
③Conclusion- how should Japanese people see the role of languages?

①We can see how language is complicated through the differences of native language (/mother tongue/1st language), national language, and official language. When such different types of languages do not match, language issues such as ID crisis, multilingualism, or disparity between languages come up. We can say that language has much importance because it serves both as a communication tool and a source of ID. When tackling language issues with the awareness of its important roles, state becomes a key actor in fields like education and working environment.

 Switzerland sets four languages (German, French, Italian, Romansh) as its official languages. The languages are legally protected by the national constitution, and each canton is given the right to decide its official language. Through these characteristics, Switzerland has succeeded in giving each language privileges and roles. Its successful multilingualism also created a sense of national ID. However, disparity between the official languages exist, and English is also becoming a threat to Swiss multilingualism.
 Singapore is another multilingual state. It also sets four languages (English, Mandarin Chinese, Malay, Tamil) as its official languages. Its unique point is that Singapore brought English, a language not related to any of the ethnic groups, as an inter-ethnic language. Through this language policy and much effort in eduction, Singapore succeeded in getting economically-developed and globalized. It also overcame conflicts over different ethnicities. However, disparity and competition in education exists, and Singapore is also weak in its national or cultural ID.
③Through the examples of Switzerland and Singapore, it became clear that it is very difficult to balance cultural, traditional values and practicality. Adjustment or adaptation to current globalization is also becoming an issue. Because Japan is an unique, somewhat "lucky" state, being a monolingual state with an abundant number of Japanese-speaking people, we tend to miss the essence of languages. This is why we tend to say something like "Let's learn English and aim at mutual understanding regardless of borders!" We must drop this lighthearted optimism and first aim for a true understanding of language issues in other parts of the world.

投稿者 student1
2014年6月 2日15:09 [週刊押村ゼミ]


2014.5.20 ゼミ報告

こんにちは、20期ブログ係のマソヨンです。
5月20日のゼミ活動報告をさせていただきます。

4限では、前回に続けて、Nations, States, and Conflicting Identitiesをベースとして授業が行われました。

ethnicとnationalを分けるのに客観的な基準はなく、しばしば混同されがちである。
nationで国をまとめることが、nationalism。

Binationalism
一つの国の中に、二つ以上のnationが存在すること   ex)チェコスロバキア
ベルギー 国を一つとしてまとめる為に、支配者はどっちかのからではなく外(ドイツ)から。
カナダ 英語、フランス

multi-nationalism
スイス confederation ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマニシュ語

multi-nationalismの失敗
ユーゴとソ連
ソ連の崩壊:冷戦が終わったとたん、ロシアの支配から脱しようとし、バラバラとなってしまった。

ナイジェリア
現地のethnic、local identityと無関係な線引きーナイジェリア人というnational identity育たず、絶えず内乱。
グループごとのidetity  他部族国家(アフリカーtribalismはネガティブなイメージ/ある意味差別
                  注意ー元々あったものではなくアフリカ植民地支配際に、tribeに分けられ、統治された)
                  tribalismとnationalsm

国家無き国民 
北アイルランド、パレスチナ(自治)、クルド人(イラン・イラク・シリアに分かれて暮らしている)

nationalismのプラス面とマイナス面
+ nationalismとして一つにまとまる(ドイツ/イタリア)
ー 内乱や戦争の目的にリよされてしまう

 世界にnationは6000以上あるため、自決(self-determination)は大変
assimililation アメリカ:インディアンに身分差を付けて、ヨーロッパ的な価値観を身につけさせる。
             ヒスパニックなどが多いことより、スペイン語などをnational languageとして入れるべきか否か。
consociationalism 多極共存主義
レバノン(内部だけの問題ではなく、外部勢力によって結果、失敗
     同じく、朝鮮半島も北−中国、南ーアメリカで内部の問題だけで考えることはできない)
ベルギー
アメリカ 中央政府(権限を持つ)、連邦政府

social development 
教育によって、文化の違いやお互いのアイデンティティを知ることで紛争を防ぐ。
平和構築→平和維持

economic development
reduce disparities 経済格差を縮めなくてはならない(id紛争となってしまう)

5限では、
stiglitz on globalizationを見て、話し合う時間を持ちました。

グローバリゼーションは実際、不安定である。
自由貿易は希望的な展望であったが、豊かな人と貧しい人の分断・格差を作ってしまった。
(豊かな国の企業が自分の利益special interestsの為の規則)democratic deficit
エイズの特効薬できても、アフリカ使えない。
→make globalization work 真のマーケット主義、グローバリゼーションをちゃんと働かせなくてはならない。
              (政府の政策・規制)

アイデンティティの違いは色んなところから生じる。
特に格差から生じるアイデンティティに差異はとても強烈になってしまう。

合宿の後、初めてのゼミでした。
皆さん、合宿も今日もお疲れさまでした。

来週から、いよいよ20期のプレゼンテーションが始まります。
頑張っていきましょう!

先生、フルーツチョコ美味しかったです!
ごちそうさまでした★

投稿者 student1
2014年5月20日15:09 [週刊押村ゼミ]


2014.5.13 ゼミ報告

こんにちは、20期ブログ係のマソヨンです。
5月13日のゼミ活動報告をさせていただきます。

今回はまず、今週末のプレゼンテーション合宿について先生からご説明がありました。
20期にとっての初めての合宿であり、初めてのプレゼンテーションなので、色々質問も多かったです。

そして、初回に配られた英語の文献をベースとして授業が行われました。
文献のタイトルは、Nations, States, and Conflicting Identitiesでした。

国家的・民族的・宗教的・歴史的・文化的・人種的・物理的のようなアイデンティティの小さな差異は衝突を生み出す。
相互排他的コミュニティーは闘争の原因となる。
また、一つの国家内でも大多数が結束することで一体感生じ、マイノリティーが生まれ、不安になる。
宗教的アイデンティティの重要性は再発見されており、結束と衝突の相反する2つを生む。

Nation(国民) State (国家)の意味
アメリカは多様な文化だが、NationとStateがある意味重なる。
イギリスはStateの内にウェールズ、England、スコットランドが含まれる。

Race=人種はアイデンティティの基礎であり、同時に統一の問題。
全人類的アイデンティティが必要。


5限では、日米同盟と日本のアイデンティティのジレンマについての講義でした。

日本はアメリカから独立しようとすると、不安になるため、
安全を確保しようとすると、アメリカに依存した方がいい。→ 日本の安全保障のジレンマ
憲法9条、アメリカの核の傘  複雑なねじれが生じている

⇔フランスはアイデンティティを護る(独立)ことが安全を追求すること。

日米関係問題   頼らなくてはならないのか、自立できないのか。
アメリカに属している訳ではなく、恩義を感じているのである。
沖縄の米軍基地 -- アジアの公共財としてのアメリカ
   アメリカにとってメリットとなる

日米同盟は必要か
日米は終わりの無い同盟関係、破ることは想定外
海洋軍事同盟のような考え方 -- 二国間ではなく多国間同盟
アイデンティティを損なわない形での同盟


今回の授業で先生からのゼミの基本となる内容に対しての講義は終わりました。
これからのゼミのテーマの基礎として、より思考を深めていきたいと思います。
来週からは本格的に個別プレゼンテーションに入ります。
そして20期の皆さん、先ず、プレゼン合宿に向けて、頑張りましょう!
皆さん、今日もお疲れさまでした。

投稿者 student1
2014年5月13日15:28 [週刊押村ゼミ]


2014.4.29 ゼミ報告

こんにちは、20期ブログ係の古田です。
4月29日のゼミ活動報告をさせていただきます。

今回のテーマは「日本、アジアのアイデンティティを論ずる前提」でした。
日本のアイデンティティはとても2−3時間で説明できるようなものではありませんが、
そのテーマを考えるにあたって最低限押さえておきたい事柄を5つのポイントから学びました。

①地理的(自然的)背景
・外から隔たれている国家、自分たちが世界の中心ではないというある種の劣等感
・地理的条件、国の大きさ、資源etc.→日本を考える上でのキーワード"vulnerability"
・豊富な自然や四季の存在→日本人の環境意識や文化に影響

②宗教的背景
日本人は自らを「無宗教」だと思いがちですが、日本も宗教的背景無くして考えられません。
【元来日本にあった神道(日本におけるアミニズム)】
神道の特徴:開放的であり、他の仏教や儒教と融合が可能
→結果、一見対立して見える土着と外来の両方が融和
この和魂洋才という特徴はアジアに多く見られる

③文化的背景
日本文化とは、どこまで本当に独自のものなのでしょうか。
【モノから捉える文化】
・ぱっと思いつく日本文化は、近隣諸国にも見られるものが多数 Ex.お茶、お箸
【人の考え方から捉える文化】
・日本人は異なるものも良いものと判断すれば、選択的に接種することが得意
・「和を尊ぶ」...対決よりコンセンサスを好む
↑これらの日本的な考え方が生む弱点
・ジレンマに対する自覚の薄さ
・危機下におけるリーダーシップやスピードの欠落

④歴史的背景
・非西洋で初めて近代化を成し遂げた→アジアのモデル的存在
↑この反面、日本が持つ歴史的弱さ
・過去に二度も自らのアイデンティティを否定した経験(明治維新と敗戦)
・自らの意思や力で国際社会に入っていない
(ペリーによる強制開国、WWII後のアメリカによる国際社会への復帰)
・WWIIでの経験→今日の日本の外国との関わり方に大きく影響

⑤政治経済的背景
・日本は本当に貿易立国か?
 今まで:モノ作りを武器として、加工貿易で栄える貿易立国
 現在:経済はモノ中心ではなく、金融中心へとシフト=モノ作り中心では遅れる
・シンガポール等に比べると、市場として日本を見ると決定的に遅れている


20期も少しずつゼミの雰囲気に慣れてきたようで、
大分ディスカッションも盛り上がる様になってきました!
今日は日本のIDに関して最低限基礎的な背景を学びましたが、
このテーマは2年間ずっと向き合っていくものになると思います。
それぞれの興味に合わせてどんどん発展させていきましょう!
お疲れさまでした。

投稿者 student1
2014年5月 1日11:31 [週刊押村ゼミ]


2014.4.22 ゼミ報告

初めまして、新しくホームページ係になった20期マソヨンと申します。
これから頑張りますので、よろしくお願いします!

3回目、4月22日のゼミ活動を報告させて頂きます。
今回のテーマはアイデンティティの衝突でした。

4限の間には、大きく分けて二つについて学びました。

一つ目は、「アイデンティティの違いと紛争の関係」でした。
差異が存在しないところで紛争は起きない、つまりweの関係では争う必要がないのです。
奴らと呼ぶ、自分とは異なるアイデンティティの相手に対して敵対心を持つようになり、紛争に発展します。

例外として、
・IDが異なっても、平和に共存している場合
  マレーシアのブミプトラ政策によって、経済格差のあるマレーシア人と華人の衝突を未然に防防止
・戦闘がなくても、平和とは言えない場合
  朝鮮半島の38線ー毎日戦ってなくても、平和な状態ではない

・アメリカとカナダの国境には兵隊がいない
  互いに敵意がなく、信頼関係を構築している。
  経済的に同じ水準である。
  しかし、アメリカとメキシコの国境は全く違う(経済格差や不信)

  DIFFERENCE  <DIFFERENCIATION>
問題は物理的なことではなく、意識的・心理的なことであります。

差異化によって生じた敵意や不信はプロパガンダや教育によって増幅されます。
そしてここから二つ目は「差異の増幅」でした。

差異の増幅となるパターンは5つに分けられます。
・生存競争的世界観
  確率が高い
  私たちと奴らは一緒にいられない、あいつもそう思っているだろう
  北朝鮮 戦争体制
・脅威論
  敵がいると国内的に有利な地位を得られる人々
  保守派の共存論関係ー敵対関係に見えるが、実際互いに必要な関係 日中関係
・人種偏見・自民族中心主義
  虐殺や人種隔離が起こる
・被害者のアイデンティティ
  民族教育・愛国教育によって
  中国、沖縄
・共通の敵の創出
  内部の対立をおさめるにはいいが、敵とみなされた方とは取り戻せない

5限では、
4限に続いて、そのような差異を増幅させないためにはどうするべきかについて学びました。
その方法として、過去は過去として増幅させない
        ソーシャルキャピタルを構築する
        差異を認め、相互を理解・人権を尊重する
        制度(国際法)を守ることによって信頼関係をつくる
        第三者による仲介や調停              がありました。

差異はあるが、紛争として発展しない場合についての議論が行っています。

ドイツとフランスのように、
絶対上手く行かないだろうと予想されていた二つのアイデンティティが融和できたことから学ぶ。

東アジア3国は?
日中関係で独仏のようなことはできるか?そうではない。
お互いどのような関係であるかが大事。


今回は2回目ということもあり、前回に比べて質問や発言も盛り上がったと思います。
これからも頑張って行きましょう!

*みなさん、お疲れさまでした*

投稿者 student1
2014年4月22日15:16 [週刊押村ゼミ]


2014.4.15 ゼミ報告

新しくブログ係になった、20期の古田智美です。
これからよろしくお願いします!

さて、私たち20期も加わり、いよいよ今年度の押村ゼミの活動が始まりました。
初回は係決めやスケジュール確認を行ったので、
今回の分からゼミの活動報告をさせていただきます。

4限では、これからじっくり向き合っていくことになるアイデンティティ、
中でも集団IDについての基本知識を講義形式で学びました。

何らかの共通点を持つ"we"と、その共通点を持たない"others"
この境界で集団IDは形成されるのですが、
・集団はある理由や目的を持って一緒にいるが、その理由・目的は変動することもある
・自らの集団の個性(他との「差異」)を守ろうとする
・集団IDはDNAによってインプリントされたのではなく、環境(他者との関係)で構築される
これらのことを踏まえると、
集団IDは状況の変化等で揺らいだり、対立の要因ともなることがわかります。
加えて、グローバル化によって
・従来の枠組みが取り払われる/変動する
・外との接触や交流が急激に増える
これらのことによって、
自らのIDをより強く意識するようになったり、文化に対する意識が高まるようになります。
近年のグローバル化は、集団IDを巡る問題をより複雑に、あるいは揺らぎやすくするのです。

5限では4年生の先輩方も加え、集団IDについてさらに理解を深めました。
・相手集団・国の行動の背景にあるもの
・対立の理由&和解の見通しや方向性
・自国の世界における立ち位置
集団IDの知識によって、こういったことが見えてきます。
しかし、その知識は一部の人たちだけが持っていても何の意味も無く、
本当の課題はいかに皆が集団IDの知識を共有するか、という点にあるのでしょう。


20期にとって初めてのゼミは、皆緊張した面持ちの中で終わりましたが、
きっとそれぞれが先生や先輩方の発言から色々と考えさせられたと思います。
これからは私たちもどんどん発言してゼミを盛り上げていきましょう!
お疲れ様でした!

投稿者 student1
2014年4月21日23:12 [週刊押村ゼミ]


2014.1.7 ゼミ報告

あけましておめでとうございます。
19期の内藤です。
年明け初のゼミ活動報告をいたします。

今年度のゼミも残すところあと2回ということで
4限の時間には先生がまとめの講義をしてくださいました。

リアリストは世の中はアナーキーであると考えます。
各国は主権を持っていて、それを上回る権限は国際社会にはありません。
つまり、各国が考える正義や悪は異なるので、ともに裁くルールがありません。
ですから、矛盾が生じたら戦争という手段に訴えるより他ないのです。
リアリストの考えでは、国際社会においては戦争状態が普通なのであって
平和は一時的なもの ということになります。
この考えに異議を唱えたのがconstructivism, reflectivism を主張する人々です。
彼らは、国は決して1つのアイデンティティの集合ではないので
ビリヤードモデルのように 全員が全員、戦争という方向に向かうわけではないと主張しました。
つまり、1つの国は宗教や民族が異なる様々なアイデンティティの人々で構成されているので
それらすべての人が同じこと(例えば戦争)を望むわけはない、ということです。
しかし、過去には多様なアイデンティティを持っているはずの1つの国が
戦争に走ってしまった例は数多くありますよね。
この原因は扇動やプロパガンダであると constructivism, reflectivismを主張する人々は言います。
つまり、国と国がぶつかる際には何かしらの外から働く力が作用しているわけで、
何もない状態では、衝突するとは限らない、ということです。

私たちが1年間勉強してきたアイデンティティはこのような理論で活かされてくるわけですね!
アイデンティティの相違は時として、問題を生みますが
平和はその多様性によって保たれているのかもしれません。


5限には、以前から準備を重ねてきた「英語で日本文化を紹介する」プレゼンテーションを行いました。
外国人代表のジャッジとして青山短期大学からアメリカ人のマイク先生をお招きして、授業が始まりました。
ゼミ生は
1 Location,climate and environment
2 Ethnic, linguistic and religious characteristics
3 Diplomacy and international relations
4 Economy and industry
5 Modern history
6 Pop culture and media
の6グループに分かれてプレゼンテーションを行いました。
各プレゼンテーションの最後にはマイク先生からの厳しい質問が待ち受けています!
悪戦苦闘しながらも英語を駆使してそれに答えるゼミ生を見ていて素直にすごいなーと思いました。
私も英語の勉強頑張ります...!
全グループのプレゼン終了後、マイク先生に優秀グループを発表していただきました。
その結果...
1位 Ethic, linguistic and religious characteristic
   の久保さん、園田さん、川上さん、松本さんグループ
2位 Diplomacy and international relations
の齋藤さん、池田君、木俣君グループ

となりました。
おめでとうございます!!
今回、作成した日本紹介のスクリプトは
これから留学する押村ゼミ生たちにへのプレゼントとして有効活用していきます。
世界へ飛び出す押村ゼミ生として日本について英語で詳しく話すことができるようになりたいですね。

投稿者 student1
2014年1月13日18:28 [週刊押村ゼミ]


2014.12.17 ゼミ報告

こんばんは!
19期ブログ係の川上夏実です!

以下、ゼミの活動報告になります。

まず4限目は、来る英語でのプレゼンに向けての準備を、チームごとに行いました。
知っていたようで知らなかった日本について調べるとともに、
英語で構成や文章を練る作業も行うため、
ゼミ生一同、気合いが入っていました!

5限目は、18期による卒論の中間報告でした。


【オリエンタリズムと東アジア】河貴娟

 卒論のテーマである「オリエンタリズムと東アジア」について中間報告をしました。
発表内容は本論文のメインである、第2章「逆オリエンタリズムとしての日本」の第1節「日本の近代化」を扱いました。
 先ず第一項「明治維新とナショナリズム」では、開国後「健全さ」を保っていた日本のナショナリズムがいかなる変容を遂げたかについてざっとみました。当時日本では、国家というものが最初からあるのでなく、一人一人がその形成過程を目撃し、歴史に立ち会っているという実感をもっていたため、キリスト教や社会主義者など反体制派も、国家形成に対する強い関心と情熱に裏付けられていました。開国以来、最重要課題であった不平等条約の改正のため、いかなる方法で近代化をするかで、大きく3つの「立国原理」に分かれました。一つは大久保利道らを中心に「上からの工業化」による「富国」を第一課題とするもの、二つ目は西郷隆盛らが主導し「新攘夷」(欧米に対する「攘夷」を、東アジアの盟主になることで代替しようする主張)を目的に「強兵」を訴えるもの、そして三つ目には「上からの民主化」と「下からの民主化」を主張するものです。しかしこの三つの原理は、どれが「現実的か」というよりも、どれが「理想的か」というイデオロギーを巡る対立であったため、政策の優先順位を決められず、三つ巴となってしまいました。最終的に前者の二つが混ざり合い、「富国強兵」として日本の近代化を切り開いたのは、日清戦争以降となりました。
 次に第二項「和魂洋才的オリエンタリズムとしての「脱亜論」」では、アジアへの帰属意識が強かった日本が、いかにして「脱亜入欧」を唱えるに至ったかという過程に注目しました。「脱亜論」は、その原型は西郷隆盛の「征韓論」にまで遡ることができ、『代表的日本人』において西郷を賞賛した内村鑑三は、日清戦争を「義戦」とする当時の風潮を正当とみなしました(後の日露戦争においては徹底して非戦論を訴えました)。このような風潮の背景として、当時清国が阿片戦争に負けたことにより、日本の知識人の間では中国崇拝に影がさし、停滞する中国を批判する声が強くなったことが挙げられます。それでもはじめの頃は清国と協力し、列国に対抗しようとする流れがありましたが、近代化を急ぐ日本は次第に「停滞するアジア」を蔑視するようになりました。それを象徴的に表したのが、福沢諭吉の『脱亜論』であったといえます。いわばアジアという「悪友を謝絶する」絶交宣言であり、それは同時に日本の内なるアジアとの決別を決意したものでした。ただ、この『脱亜論』は、発表された当時ほとんど注目されず、改めて「思い出された」のは戦後であったという点から、当時の時代背景から離れ、一人歩きしてしまった面もありました。
 最後に第三項「アジア主義--「理想」か「隠蔽」か」では、いわば福沢諭吉と反対の思想をもつと見られる岡倉天心について見ました。「アジアは一つ」というのは、中国とインドの文化が交わったアジア文化の多様性•多元性に豊穣さを見いだした岡倉天心の有名な言葉であります。彼は、芸術の観点からアジアを有機的存在としただけでなく、物質文明である西洋文明に対し、アジアは一つとなって立ち上がらねばならないということも含めて「アジアは一つであるべきである」としました。つまり岡倉天心が福沢諭吉と異なるのは、「アジアは一つ」と「脱亜論」というアジアへの姿勢だけでなく、その背景にある文明観の違いであったともいえるでしょう。しかしこのような彼の輝かしい理想は、後に「大東亜共栄圏」に至る日本の帝国主義を正当化する言説となってしまいました。第二節以降ではその流れについて述べます。

以上が発表内容の要旨になります。ありがとうございました。

【アフガニスタン・ヘルマンド州の安定化における課題】麻生千尋 

 私の卒論のテーマは、紛争を経験した国家の安定と、「正当性」の関係について明らかにすることです。紛争や脆弱国家の研究などでも、当該国政府および政府機関の「正当性」を高めることが、長期的な安定と平和の鍵だとよくいわれています。私はそれについてより深く考察したいと考えています。紛争、とはとても広い意味を持つ言葉ですが、アフガニスタン紛争は、その性質から一般に反乱と定義されます。反乱とは非国家アクターによる政治権力を目的とした武力行使で、それに対する既存権力の取り組みを対反乱と言いますが、これは「正当性をめぐる闘い」であるといわれます。また、反乱・対反乱においては、「人々の心」が重心であり、それを勝ち取ることが勝利に繋がるともいわれます。この研究では、これら「正当性」や「人々の心」が実施レベルで具体的に何を意味するのかについて考察します。そして、実際にこれらを獲得することと、対反乱の成功や国家の安定の間に相関関係があるのかどうかについて、アフガニスタンの中でも最も過酷な戦闘を経験した地域の1つであるヘルマンド州を例にとって検証したいと考えます。
 「人々の心」を勝ち取ることは、「人々の目からみて正当だと認識される」こと、に要約されます。これは現地の正当性ともいわれるもので、つまり、現地の人々がどれだけ支持・信頼しているか、ということを意味します。これは、世論調査や現地調査などによって計測可能だといわれているので、私も実際に様々な機関が公表している世論調査やインタビュー調査のデータを用いて研究を進めるつもりです。そして実際の治安状況などのデータと照らし合わせ、そこに相関関係があるのかどうか調べます。
これについて、押村先生には、現地の人々の目からみた正当性を重視し過ぎることの危険性をご指摘していただきました。それだけでは、国家主席に圧倒的な支持をみせる北朝鮮や、帝国主義国家による植民地における統治も、正当であるとされてしまうということです。執筆にあたってはこの点を留意し、正当性は現地の人々の主観のみならず、民主主義やよい統治など国際的規範などの客観的尺度も含めた視点によって評価すべきものであるという立場で、世論調査のみならずアフガン政府および政府機関の実際の組織構造や行動についてのデータや、国際機関による汚職などについての評価も取り入れていきたいと考えています。


投稿者 student1
2014年1月13日18:08 [週刊押村ゼミ]


2014.1.7 ゼミ報告

あけましておめでとうございます。
19期の内藤です。
年明け初のゼミ活動報告をいたします。

今年度のゼミも残すところあと2回ということで
4限の時間には先生がまとめの講義をしてくださいました。

リアリストは世の中はアナーキーであると考えます。
各国は主権を持っていて、それを上回る権限は国際社会にはありません。
つまり、各国が考える正義や悪は異なるので、ともに裁くルールがありません。
ですから、矛盾が生じたら戦争という手段に訴えるより他ないのです。
リアリストの考えでは、国際社会においては戦争状態が普通なのであって
平和は一時的なもの ということになります。
この考えに異議を唱えたのがconstructivism, reflectivism を主張する人々です。
彼らは、国は決して1つのアイデンティティの集合ではないので
ビリヤードモデルのように 全員が全員、戦争という方向に向かうわけではないと主張しました。
つまり、1つの国は宗教や民族が異なる様々なアイデンティティの人々で構成されているので
それらすべての人が同じこと(例えば戦争)を望むわけはない、ということです。
しかし、過去には多様なアイデンティティを持っているはずの1つの国が
戦争に走ってしまった例は数多くありますよね。
この原因は扇動やプロパガンダであると constructivism, reflectivismを主張する人々は言います。
つまり、国と国がぶつかる際には何かしらの外から働く力が作用しているわけで、
何もない状態では、衝突するとは限らない、ということです。

私たちが1年間勉強してきたアイデンティティはこのような理論で活かされてくるわけですね!
アイデンティティの相違は時として、問題を生みますが
平和はその多様性によって保たれているのかもしれません。


5限には、以前から準備を重ねてきた「英語で日本文化を紹介する」プレゼンテーションを行いました。
外国人代表のジャッジとして青山短期大学からアメリカ人のマイク先生をお招きして、授業が始まりました。
ゼミ生は
1 Location,climate and environment
2 Ethic, linguistic and religious characteristic
3 Diplomacy and international relations
4 Economy and industry
5 Modern history
6 Pop culture and media
の6グループに分かれてプレゼンテーションを行いました。
各プレゼンテーションの最後にはマイク先生からの厳しい質問が待ち受けています!
悪戦苦闘しながらも英語を駆使してそれに答えるゼミ生を見ていて素直にすごいなーと思いました。
私も英語の勉強頑張ります...!
全グループのプレゼン終了後、マイク先生に優秀グループを発表していただきました。
その結果...
1位 Ethic, linguistic and religious characteristic
   の久保さん、園田さん、川上さん、松本さんグループ
2位 Diplomacy and international relations
の齋藤さん、池田君、木俣君グループ

となりました。
おめでとうございます!!
今回、作成した日本紹介のスクリプトは
これから留学する押村ゼミ生たちにへのプレゼントとして有効活用していきます。
世界へ飛び出す押村ゼミ生として日本について英語で詳しく話すことができるようになりたいですね。

投稿者 student1
2014年1月13日17:30 [週刊押村ゼミ]


2013.11.26 ゼミ報告

こんばんは!
19期ブログ係の川上夏実です。

またしても年が明けてしまっていますが、
昨年末のゼミ報告です!

まず4限目は、いよいよ12月の1日から始まる就職活動に出陣する3年生に向けて、
押村先生から就職活動を行う上でのアドバイスなどをいただきました。
これからどんなことが起こるのか想像もつかず不安な3年生。
全員で必死に先生の話を聞いていました。笑


5限目は4年生による卒論の中間報告でした。


【中国民族の経済格差】島川小百合

 現在の中国の経済成長は1979年の改革開放成長からはじまっているといえます。
 改革開放とは中華人民共和国の鄧小平の指導体制の下で、1978年12月に開催された中国共産党第十一期中央委員会第三回全体会議後開始された中国国内体制の改革および対外開放政策のことです。
改革開放政策で重要な政策の1つに大規模な対外開放政策の採用があげられる。
対外開放の拠点は広東省の深玔(しんせん)、珠海(しゅかい)、汕頭(スワトウ)、福建省の厦門(アモイ)の4ヶ所に「経済特区」を設立。
経済特区は
・輸出加工基地
・外国資本、技術を受け入れる窓口
・政府による社会インフラ重点的整備
・外資の優遇政策
など政府が積極的に経済成長を促した。
工業や市場経済の働きだけでなく、政策によって地域格差が生まれていることがうかがえる。

 中国で都市と農村の所得格差が問題視されるのは単に農業と非農業の生産性格差が大きいわけではなく、政府によってその格差が増幅されているからです。
 政府の関与を象徴するもののひとつが「戸籍制度」です。
中国では農民と都市民が戸籍で二分化されていることがわかります。そして1番の問題が戸籍と社会保障が合わさった問題です。
経済改革時代から戸籍制度が就職・福祉・保険などと一体化され差別ともいえる社会構造を生み出していました。改革開放後、農村から都市部に出稼ぎが活発になった現在でも差別は顕在しています。
就職面では北京や上海市の大都市では農業戸籍者を採用してはならないと明文化された規定がある。また、農村出身出稼ぎ労働者が参入してもよいとされる業種・職種が地元政府から毎年発表されるなどの制限があります。
福祉では国有企業の従業員も戸市民は家族まで公費医療を受けられ、退職後も年金がある。一方農業戸籍の公民の医療は自費でまかなう。
教育では農民出稼ぎ労働者の子が親の働く都市部の学校には入れず、入る場合は巨額な余分な学費を払うことを余儀なくされる。戸市民より農民は大学合格ラインが高い農村には義務教育が施行されていないなど様々です。
農民を労働力として利用しながら、戸市民の利益を守るために権利が保障されていなただ、農業と工業の収入の差によって生まれる格差ではないこと、昔からの社会体制が現在の市場経済にあっていないことが問題といえます。

【全体主義の憑依~日独戦中比較からの考察~】大寺陽

本論文は、全体主義という社会現象に憑依された日本とドイツという二国を歴史的事実から比較し、それが求められた要因や、それを求めた日本人とドイツ人のIDを探るという論文。

基本的クエスチョン
1.第二次大戦期の日本における軍国主義の、ファシズムとの差異、共通点とは
2.両国が全体主義に染まる以前の社会状況、国民感情の如何
3.ごく普通の人々が全体主義を受容し、非人道的行為に手を染めた理由とは
4.それぞれの全体主義には機会主義的なID利用が行われていたのは事実か。また、両国のナショナルIDは全体主義に適合しやすいものであったか

おそらく、日本人にしてもドイツ人にしても、もともとのナショナルIDは決して悪質なものなどではなかった。ただ、その当時の世界的な戦争や他国からの新しい政治思想の流入、政府へのルサンチマンの高まりなどによる社会的混乱が、社会全体に不穏な雰囲気、過激な行動に身を委ねたいとする雰囲気を生み、そこに上手くその状況に乗じ、両国のナショナルIDを悪用して独裁政治体制を築き上げようとする主体が現れ、両国のナショナルIDを曲解させて一般市民が煽動されていったのだ、というのが現時点で考えている仮説です。

全体の構成としては、序章に上記の内容や全体主義の定義について述べ、第一章にファシズム前夜の両国の社会的動乱やそれに伴う国民感情、第二章にファシズムに染まりだしたころの両国の堕落の始まりを、若年層の熱狂に着目しながら論じ、続く第三章では次第にファシズムに扇動され、非人道的行為に手を染めてゆく一般市民の変化について触れます。そして最後の第四章ではそれぞれの国のナショナルIDについて考察し、それらの形成要因や、どのように全体主義へと結びついていったのかを分析していきたいと思っています。

今回のプレゼンテーションではドイツのファシズム前夜であるワイマール体制崩壊から社会民主党、共産党、ナチスという三つの主体による政治的抗争を経てのナチス政権掌握、そしてSA粛清による独裁体制確立という歴史の流れについて触れました。

構成なども含め、内容的な部分にしてもまだまだつめれていないところ、手が回っていないところが多く、課題は山積みです。あと二か月弱、全力で取り組みたいと思います。

投稿者 student1
2014年1月10日23:34 [週刊押村ゼミ]


2013.11.19 ゼミ報告

こんばんは!
新年あけましておめでとうございます!
ブログ係19期の川上夏実です。

更新が遅くなってしまい、大変申し訳ありません。
年が開けてしまいましたが、昨年末のゼミの報告をしたいと思います!

まず4限は、3年生によるプレゼンテーション、次に5限で4年生による卒業論文の中間報告です。

4限:3年生プレゼンテーション
【ジェンダー・アイデンティティ】 19期・川上夏実

あなたは男ですか?女ですか?

この問いに当たり前のように答えることができるに対して疑問を持ったことはあるでしょうか?現在の日本では、人々は当たり前のように自分の性別を自認し、その性別に与えられた社会的役割を果たしています。
しかし、これまで当たり前だと思っていた、私たちのジェンダー・アイデンティティは、正しいものだったのでしょうか?
その点を、女性、男性、更に女性でも男性でもない別の視点から見て、検証していきたいと思います。

まずひとつ目は、女性についての問題です。
第一次・二次世界大戦の時代、国家総動員法が施行され、直接の"戦力"にならない女性は、戦力を支える"生産力"と見なされました。「産めよ、増やせよ」という国力増加政策のもと、堕胎罪などが制定されました。それと同時に従軍慰安婦問題などが生じましたが、それについて男性は罪に問われないという状況が出来上がりました。
現代においても、戦時下・紛争下では女性に対する性的暴行が横行しやすい状態にあります。日本における、沖縄の米軍による女性暴行事件なども、そのひとつと言うことができるかもしれません。
法律の面においても、男女共同参画社会基本法などが制定されましたが、これらは全て努力義務にすぎなかったため、根本的に女性の社会進出を積極的に支持しているとは言い難い状態です。

このように、女性に対する暴力や女性の社会進出などの問題は、まだ根深いと言えます。しかし女性が擁護される一方で、男性でもまた「男らしさ」が押し付けられていました。

高度経済成長期に、"働き蜂"と呼ばれた男性たちの自殺率は、1997~1998年の大手銀行や企業の破綻、過去最低の完全失業率と共に一気に上がります。そして今もなお、男性の自殺率は女性の自殺率を倍以上上回る状態にあるのです。また憲法においても、刑法第177条の強姦罪は、女性のみを客体としており、男性には適応されません。更に、離婚時の親権においても、裁判所には「母性優先の法則」というものがあり、親権はかなりの確率で母親に渡るようになっています。

このように男性もまた、押し付けられたジェンダーアイデンティティにより、苦悩を強いられていた、と言うこともできます。ここまで、両者の視点からものごとを見てみましたが、最後に忘れてはいけないのは、このようなカテゴリーさえ与えてもらえず、あぶれてしまったジェンダーマイノリティと呼ばれる人々です。

ジェンダーマイノリティ(性的少数者)とは主にレズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー(性別を変更した人)を指します(LGBT People)。現在では、はるな愛、佐藤かよなど、メディアでよく取り上げられているため、人々の理解も深まってきているように思われますが、その報道のされ方として「男なのに、かわいい」や「美人だけど、実は男」などのフレーズが用いられることが多く、ここには強烈な性別二元論が存在していると言えるます。
更にジェンダーマイノリティの人々への権利も、未だに制限されていることが多くあります。例えば、憲法第24条により、婚姻は男女間でしか認められていません。婚姻という形でなくとも、遺産相続や養子縁組みなどの夫婦と同じ権利を認める、パートナーシップ法も日本にはまだ存在しません。

このように、人々をカテゴリー化することによって、現代では様々な問題が生じています。
もはや人をカテゴリー化するということは、現代社会の成長のスピードに追いついていない部分もあります。そこでこれからの私たちは、社会や他人から与えられたジェンダーアイデンティティやカテゴリーではなく、自ら自分のジェンダーアイデンティティを選んでいく力を持つことが必要になってくるのではないでしょうか。更にそれを認めていくことができる社会をつくることによって、人々の生き方に多様性が生まれ、より良い国づくりに繋がるのではいか、と思います。


5限:卒業論文中間報告

【日本人が持つべき国の誇り】矢崎彩

私の卒業論文のテーマは、「日本人が持つべき国の誇り」です。主な構成として、第一章で日本の誇りの変遷を追い、第二章で各国との比較、第三章で今後のあり方について考察するつもりです。そして今回の中間発表では、主に第一章の戦後の誇りの変化について発表させて頂きました。

日本は戦後、GHQの占領下に入り、「非軍事化と非民主化」というそれまでの価値観が一変する抜本的改革を行いました。その中で、表現の自由が認められ、自由主義的思想を広めることになりました。この表現の自由やラジオ放送の普及が、さまざまな民主的表現を花開かせ、価値観の多様化をもたらしたらし、未来への希望が広がったとされています。しかし一方で、日本人が日本人としてアイデンティティを表現する場を失い始め、「洋式」というものが、新たな価値として浸透していき、「和式」は、古い価値を代表するものとされ、日本の伝統的な文化的アイデンティティはどんどん制約されていくことになりました。

そして、経済面では、朝鮮特需、高度経済成長、バブル経済期といった好景気の時と、石油ショックや、プラザ合意、バブル崩壊といった不景気の波が、「日本を誇りに思うか」というアンケートの結果に影響を及ぼしていることを、資料を使って読み解いていきました。

今後は、各国との誇りの比較を踏まえて、日本の今後について考察していきたいと思っています。


【タンザニア、ニエレレ政権時の教育政策とアフリカの教育開発】佐々木康隆
 アイデンティティ(以下ID)に相違が生じた時、人は互いに異質な感情や、排除したい感情を抱くこともある一方で、その相違を乗り越えて理解し合える人がいるのも事実である。
 つまり人は「変われる」のである。
 では人が「変わる」ためにはどのような要素が必要なのか。
 一つの要素は「教育」だと思う。そして「教育」がもつ魅力の一つは、誰もが参画でき、誰もが自由に議論し合い、その理想の形を模索できることにある、と自分は考える。IDの相違を越えて、社会を一つにまとめ動員するためには、教育は如何なる役割を果たせるか。多民族国家でありながら、国家IDの形成に比較的成功したタンザニアを事例に、国民的支持の高いニエレレ氏が当時掲げた教育政策を分析し、ナショナリズム、国家開発と教育の結びつきを確かめる事が、自分の問に対する答えになると考える。
 結論から先に言うと、当時アフリカ諸国の独立期において流行った「アフリカ社会主義」の理念と、開発の上位目標「人の福祉(well-being)の達成」に合致する部分があり、もしニエレレの教育政策がこれに叶い、実際にタンザニア人の生活水準の改善がなされていれば、彼の教育実践は評価に値するものと考えられる。
 アフリカの社会主義の発展は、アフリカ本来の良さや個性を取り戻そうとする「ナショナリズム」の興盛と同一志向性を有し、またその理念は社会の「福祉」を協調し、実践による問題解決を重視している。要するにその人の生活が抑圧されておらず、様々な機能(選択肢)が与えられる状態のことである。
 つまり、ナショナリズムの興盛と、生活水準の向上が、同時になされる兆候と捉える事ができる。タンザニアも言わずもがな、「社会主義」の国であり、その文脈の中で国の理想の形を語ったニエレレの「ウジャマー演説」や、演説の内容を踏まえた政策実践「アルーシャ宣言」等が行われたのである。
当時のニエレレの教育政策によって、上記の文脈も踏まえて、タンザニア人IDと実際の生活水準の向上に如何にして寄与できたかを今後も引き続き分析していきたいと思う。
 ここで問題となるのが、実際にどれだけIDの醸成に結びつき、かつ生活水準の向上につながったかを分析するには、それ相応の実証的データが必要になる。これは今後の課題として、さらなる資料データ集めに励みたい。

投稿者 student1
2014年1月10日22:09 [週刊押村ゼミ]


2013.12.4 ゼミ報告

先週の時点で3年生のプレゼンが全て終了したため、今週は4限に旧ユーゴスラヴィア内乱の問題と、第二次世界大戦時の日本帝国主義に関するビデオを観賞しました。

5限では引き続き、4年生の卒論テーマについてのプレゼンを行いました。以下プレゼンの要約になります。

5限
【斉藤万里子 ボスニアにおける平和構築、理想と現実】

卒業論文でボスニアにおける平和構築について、和平合意がどのようにして履行されていったのか、紛争が終わって15年たったボスニアの現状等を体系的に示すことがこの論文の目標となっています。
今回のプレゼンテーションではその中でも特に司法分野について詳しく取り扱いました。ユーゴスラビア紛争のさなかに、安全保障理事会の決定によって作られた旧ユーゴスラビア国際法廷(ICTY)の作られた過程、依拠する条約・慣習法について触れたのち、その執行について詳しく述べました。
ICTYにおいて問題となったのは、だれが逮捕するかという問題です。通常、逮捕を行うのは現地の国家機関ですが、ボスニアの各エンティティーは逮捕に非協力的でした。というのも、起訴された人の多くはその民族における有力者で、政治的影響力が大きかったからです。一方、NATO軍をはじめとする現地で治安活動を行っていた国際組織も同様に、逮捕に対して消極的でした。彼らが逮捕に協力しないことの正当化理由として、①ボスニアの脆弱な平和を破壊するかもしれないこと②不偏不党性がくずれるかもしれないこと③軍は戦争犯罪者逮捕のための訓練を受けていないこと等、がありましたが、それは言い訳に過ぎず単に逮捕のための政治的意思が不足していただけであることは明白です。和平合意から2年たった1997年にようやく国際社会が逮捕に乗り出しますが、遅すぎると言わざるを得ません。
プレゼンの最後には、ICTYの評価も行いました。「戦争犯罪者が政治に参画できなくしたことは、平和に貢献した。しかし、和解の促進になったかについては疑問が残る。」というのが私の結論です。国際裁判所に纏わる平和OR正義の議論や真実和解委員会との違い等についての議論は、さまざまな学者が行っていて、興味深いものが多いので興味を持った人がいたら読んでもらいたいと思います。特に、Paul WilliamsとMichael Scharfの"Peace with Justice?"という本とPayam Akhavanの"Justice in Hague, Peace in the Former Yufoslavia? A Commentary on the United Nations War Crimes Tribunal"という論文は面白いのでお勧めです。
今回のプレゼンで、皆さんに考えてもらいたかったことは、制度がしっかりとしていても執行されなければ"絵に描いた餅"になってしまうということと、紛争後の裁判の役割です。テーマはボスニアについてですが、国際政治を考えるうえでも大切な論点だと思うので、このプレゼンをきっかけに考えを巡らせてもらいたいと思います。


【高岸陽子 他言語社会インドネシアにおける言語政策】

私の卒業論文のテーマは「多言語社会インドネシアにおける言語政策」です。インドネシアは広く分散した島々に、民族、宗教、言語が多様な人々が暮らす多民族島嶼国家です。言語、生活様式、社会構造が異なり、ばらばらなバックグラウンドを持つ民族集団が多数(世界第四位の人口!) 暮らしているインドネシアですが、アジアバロメーターでは、インドネシア人は他の東南アジア諸国に比べて、国家に帰属しているという意識を高く持っていることが示されています。私は、このように多民族で構成されるインドネシアで国民を統合し、人々が国民意識を高く持つ一つの要因として、国語であるインドネシア語が大きな役割を果たしているのではないかと考えて言語政策に着目することにしました。
<構成>
第一章では、インドネシアにおける国語成立の歴史。特に第二節の日本軍政がインドネシアの独立や国民の教育にどうかかわったかというところは重点的に扱う。
第二章は、言語政策の変遷と評価。憲法や教育に関する法律制度の変遷を追って、人々の生活において使う言葉がどう変化していったのかを追う。
第三章は、現在の言語状況と展望。一節では、民主化後の言語状況について地方語の中では話者人口が多く、・地方分権が進んでいるスンダ地方の状況を例として挙げる。二節ではその他の動きとして、都市部で地方語を話さなくなって国語だけを話す若者が増えている現状や、英語や中国語が積極的に学ばれている現状を書く。
<プレゼン内容>
インドネシアでは、多くの人が、家庭や私的空間では、各民族の母語である地方語を、公的空間では小学校で学ぶ国語を使用しているバイリンガルである。今回のプレゼンでは第二章の国語に対する地方語の位置づけの変遷を紹介した。
独立時と同時に作られた1945年憲法において、それぞれの地方の多様な言語も国語とともに国家によって保証された。しかし独立後国家の統一、国民統合が最優先される中で地方語は文化を表現する非政治的な言語とされ、主要メディアからも地方語は排除され、国土の隅々までインドネシア語でラジオ、テレビ放送が行われた。その方向性は強権的な政治を行ったスハルト体制においてますます強くなり、政府は公の場での漢字の使用を禁止し、中国系などの渡来人をインドネシア人化する同化政策をとり、地方語が使われる空間はどんどん狭められていった。
続いて第三節では、30年にもわたるスハルト政権の終焉による言語社会の変化をみる。スハルトによる中央集権政権の終焉により民主化と地方分権が進展する。1945年から変更されることのなかった憲法が1999年から2002年にかけて四回にわたる改正が行われた。改正により地方語の重要性は明文化されたものの、内容としては、地方語は言葉としてではなく文化として尊重されるということで憲法において国語に対する地方語の位置づけは変わっていない。しかし、実生活において着実に地方語はプレゼンスを上げていて、2003年改正国民教育体系法では、地方語が教育言語として正式に認められ、地方語は学校教育で教えられる内容に含めることが認められた。
最後に第三章の内容で地方語尊重の動きが高まっている様子をスンダ語を例に挙げて紹介した。地方自治権の拡大により地方のレベルで独自の政策を打ち出すことができるようになった。具体的な変化としては、初等教育と中等教育ではスンダ語が必修化になり、生徒はスンダ語とスンダ文学を尊重して誇りを持つことがカリキュラムで定められた。またメディアにおいてはスンダ語番組が増加し、スハルト政権時代は芸能や文化的な番組に限ってスンダ語を使う番組が放映されてきたが、2000年以降、バラエティ、トークショーだけでなく、毎日のニュースの一部がスンダ語で放送されるようになった。

今後は、先生からいただいたアドバイスを受け、「なぜ国語政策が成功したのか」という理由を自分なりに考え、言語以外にもインドネシアナショナリズムの主要因となりえている宗教や経済にも視野を広げ、研究を進めていきたい。


投稿者 student1
2013年12月19日01:38 [週刊押村ゼミ]


2014.12.10ゼミ報告

こんにちは19期 ブログ係の松井映梨加です。
12月10日のゼミ授業内容について報告させていただきます。

まず、4限では、1月8日に控えた「英語で日本について紹介する」というプレゼンに向けての準備を行いました。
当日はそれぞれ日本のPop Culture, Economy, Modern History, Ethnicity, Diplomacy, Environmentのセクションに分かれてプレゼンを行います。
各チーム、どうしたら日本を知らない人たちにうまく日本について説明できるかを考え、試行錯誤しスクリプト及びアウトライン作成にはげんでいました。


次に5限では、引き続き4年生の先輩方の卒論中間発表を行いました。
本日は
久保舞さんと
園田愛美さんが
プレゼンしてくださいました。
以下要約になります。


「名前というアイデンティティ ―在日コリアンを例に―」
4年 久保舞

本論ではメインとして在日コリアンを取り上げるつもりだが、
在日コリアンについてのプレゼンは、日本における他者でやったということと、創氏改名などは歴史や制度の羅列になる部分も多いので割愛し、名前の概要をメインにプレゼンした。

名前とは
個人の名であっても、その名を作っている民族という集団への帰属を示している点で、決して、個人のレベルにとどまることはできない。
つまり名前は個人に深く根付きながらも、社会性を切り捨てて考えることは難しい。
名前は、個人の問題とされ、名前に対する考え方も多種多様なのは事実。
しかし、それと同時に社会的、民族性とも切り離せないので、名前についての研究、また一般化して考えることに意味があると考える。

社会にとっての名前
人類学の名前はレヴィ=ストロースが議論しているが、そこから2つの社会類型を設定できる。ひとつは「閉鎖的体系」であり、名前の種類と数が限定され、一定の名前のストックが存在し、そのストックの中から命名される社会である。
これに対し「開放的体系」は家族レベルでつぎつぎに新たな個人名が創作され、名前の流行変遷が激しい社会である。このような社会では、名前はその個人特有のものであり、名前の個人特定機能は高い。
日本をはじめとする東アジア地域では古代から戸籍が編成され、近代にも新たな戸籍制度が確立された。
近代国家の確立に向けての急務は、国家の領域の画定とそのなかにいるすべての人間の把握であった。
命名、改名とも戸籍に登録する名前をとおして、国民の名前を国家が管理し、名前を重要な統治手段として支配の効率化がはかられたのである。


以上の様に名前の概要を説明した後、名前とアイデンティティとの関係について触れた。


自分は自分であって、それ以外のものではありえないと主張される自分は、他方ではどこかに所属している、あるいは所属せざるを得ない。
というこの原理は、名付け、すなわち、ことばの原理そのものから発しているように思われる。というように、二重性があるものの名前におけるアイデンティティへの影響は深いとされる。


名づけはその文化に根付いていることから、日本と朝鮮の名前制度に触れ、
現代にも残る創氏改名の問題として一円訴訟を例に挙げた。
そして目指すべき道として、
名前は個人のものと言いながらも、国の制度の下に置かれる現状がある。日本は受入れ体制が整っているとは言い難い。
日本の排他的という強固なIDもあるが、現実的に受け入れる必要がある故、在日コリアンが本名を使うのがゴールではなく、個人の意見が尊重される自由を取り入れたいと考える。


「ロシアにおける教育制度の変遷」
4年 園田愛美

今回のプレゼンではペレストロイカによる教育改革について発表しました。
ペレストロイカとはゴルバチョフが1980年代から着手した社会主義社会の再生運動で、具体的には国内における民主化、経済改革、グラスノスチ(情報公開)が打ち出されました。これが進むことにより当時の大学内でも表現の自由が認められ、またソ連共産党史の義務的受講が変更されました。
このようにペレストロイカがソ連の教育にどのような変革をもたらしたのか、に焦点を当てました。
ゴルバチョフ政権以前の教育の特色として、全主義的学校、共産主義的教育が挙げられますが、そのようなソ連教育の批判として、教育内容が理数系に過度に傾斜していた点、指導者崇拝であった点、教師の質の悪さなどを紹介しました。
ここから従来のソ連教育から外れた、教育の民主化をすすめる国民教育基本法ができるまでのあゆみを振り返り、結局日の目をみなかったこの法案が今日のロシアの教育に生きていることを明らかにしました。
今後の課題として、共産主義的思想教育を行っていたという証拠として当時の教科書が必要になるので、ロシア語でのリサーチをより進めていこうと思います。


投稿者 student1
2013年12月10日10:11 [週刊押村ゼミ]


2013.11.12 ゼミ報告

11月12日のゼミ報告を致します。
いつも通り、4限には3年生のプレゼンテーションを、5限には4年生の卒論中間報告を行いました。

<4限>
秋山智紀『日本外交のアイデンティティ(歴史)』

今回のプレゼンでは、近代日本の外交の原点となったIDは何だったのかについて考え、発表しました。
まず、外交IDを獲得していった経緯を簡単に追っていきました。
日本の近代は開国によって幕を開けました。この開国は不平等条約体制への組み込みであり、それまでに日本が経験しなかったほど衝撃的かつ屈辱的なものでした。そこから尊皇攘夷運動につながり、それに関連して「日本人」という概念が広まりました。これは、開国によって「欧米列強」と「日本」という対立軸でものを考えるようになったためです。そして、欧米による被支配の恐怖の一方で、アジアに対する支配の要求が生まれました。植民地化の脅威が現実になったことで、それを免れうる国づくりが最重要課題になりました。アジアの支配は、その目的を達成する手段として考えられていたのです。当時の日本は国際関係をいわば「戦国時代」のように理解していたのかもしれません。
明治政府が発足してからは、不平等条約改正が最大の外交課題でした。日清戦争、日露戦争の相次ぐ勝利のあとで不平等条約の改正に成功しましたが、その背景には日本が欧米と同じ「文明国」になったと認識されたこと、軍事的プレゼンスが向上したこと、ヨーロッパの勢力均衡に組み込まれたことがあるといえます。
第一次世界大戦で「戦勝国」の地位を得て、国際連盟の常任理事国になるなどして西洋の主権国家システムに本格的に参入します。これによって朝鮮や満州における既得権益が認められるようにはなりましたが、日本の都合だけで軍備増強や勢力拡大ができなくなるという弊害もありました。名目上は一等国として扱われるようになったものの、英米に対する軍事的劣位は変わらなかったのです。そのことが、真の「一等国」を目指して日本が太平洋戦争に突入するひとつの背景になりました。結果として国際連盟から脱退し、さらにはドイツやイタリアと手を結び、国際的に孤立してしまいます。
次に、当時の代表的な人物や組織に焦点を当てて外交IDを考えました。
明治政府最大の外交課題であった条約改正の第一歩として、岩倉使節団が派遣されました。しかし、文明化の度合いにあまりの差を感じ、結局は欧米情勢の視察をして帰ってきました。この岩倉使節団に同行していた久米邦武はのちに記録書である『米欧回覧実記』の中で、「西洋各国ノ交際礼ハ、陽ニ親睦公平ヲ表スルモ、陰ハ常ニ権詭相猜ス」と、当時の国際関係を非常にリアリズム的に考察しています。明治政府も基本的にはこういった認識に基づいて、「脱亜入欧」や「富国強兵」といったスローガンに代表されるような、国内の整備を進めました。
続いて、日本が主権国家システムに参入する時期に大きな役割を果たしたのが、「幣原外交」で知られる幣原喜重郎です。彼の活躍する時代には欧米の植民地拡大の動きは鈍り、度重なる軍縮会議を行っていました。その流れに沿って行われたのが、条約の順守と対支内政不干渉を基調とした幣原外交です。軍事的膨張から貿易中心の対外関係へのシフトを進めていきましたが、中国のナショナリズムの高揚や、軍縮に対する軍部の不満、国内からの「軟弱外交」という批判にさらされ、結局は挫折してしまいました。


<5限>
中村早希

私の卒業論文のテーマはオーストラリアの移民政策についてです。イギリスの植民地として始まったオーストラリアは、建国当初から移民の存在が影響力の強い多民族国家です。その長い移民の歴史を追い、かつての白豪主義時代かや現在の多文化主義政策に至るまでの論争や政策の移り変わりを研究していきます。そして現在のオーストラリア移民政策の中で重要視されている、いかなる基準で移民を選ぶのか、という選別主義的な部分を掘り下げて行きたいと思います。
卒論を進めるにあたり、大まかな構成は、1章ではオーストラリアの移民政策の歴史、2章では技術移民について、3章では統合政策について書く予定です。
今回の中間報告では、第二章に関係する、技術移民について発表しました。オーストラリアの移民政策では、移民を家族移民、技術移民、難民移民の3つのカテゴリーに分類しています。その中で、1996年以降は技術移民が著しく増加しています。これには2つの理由があります。一つ目は1980年代の、経済構造の変化と経済合理主義の出現、二つ目はハワード自由党政権の誕生です。現在のオーストラリアの移民政策で一番重要視されているのは、経済的発展と国益の拡大です。そこで移民政策では、オーストラリア社会や経済に貢献できる技術移民を受け入れるために、ポイント制度を設けています。この制度では技術力や英語能力などを数値化して、受け入れ基準を定めています。以上のように、オーストラリアの移民政策は、選別主義的な性格が強くなってきています。
今後はの課題としては、オーストラリアの政党の動きを更に調べていきたいと考えています。


原川拓士

こんにちは。押村ゼミ18期の原川拓士です。私は先日(11月12日)に卒論の中間報告をさせていただきました。以下はその要約になります。
『個人は自己の行為を規定している存在なのか~社会構造の枠組みの中で~』というのが私の卒論テーマになります。個人は日々選択しながら生きており、IDをも自らが選び取れる時代とされていますが、そのような中で「個人」と「社会」との関係について論じる予定です。具体的アプローチについては、主に2つの側面から考察する予定です。1つめは「社会が個人を規定している例」をあげ、2つめに「個人がそのような中で能動的に行為している例」を挙げたいと思っています。前者においては、社会における集団心理の考察―E・フロムの『自由からの逃走』や、社会における見えざる規則性―E・デュルケムの『自殺論』を手掛かりに論を進めていきます。後者においては、前者の「社会が個人を規定している例」を踏まえて、そのうえでどのように個人が能動的に行為しているのかを、ギデンズの「構造化理論」を用いて分析していきます。最終的な結論としましては「個人は自己の行為を規定している存在なのか」という問いは否定し、社会に拘束されているとまとめます。それは社会的統計から読み取れるものですが、きわめて自主的主体的になされた行為が、社会構造によって規則正しく変動されているから現実があるからです。しかし、それは「社会構造によって縛られた個人」を意味しません。社会構造が個人の行為を規制・制限していることは疑いのないことですが、同時に社会構造は個人の行為によってのみ生産されうる(実在されうる)のであって、社会構造と主体の同時生成を意識して、個人は生きていくことが望まれる、ということです。
具体的な章については以下の通りです。
第一章 「自由と孤独」「欲望の解放と欲望の挫折」といった近代社会病理現象を大枠でとらえるところから始まる。
第二章 そして究極的な「アイデンティティ・クライシス」の現れである自殺において、各社会には一定数の人々を自殺へと導く「自殺の潮流」傾向があることをE・デュルケムの『自殺論』を通じて述べ、個人は社会構造によって思考や行動を規定されていることを明らかにする。
第三章 さらに自殺に限らず個人が無意識のうちに思考や行動が社会によって規定されている現実を構造主義の立場から理論的に検証し、
第四章 そのような状態の中で「個人は能動的な行為主体者」となりうるかを考察していくために、ギデンズの「構造化理論」などに手掛かりを求めながら検討していく。

投稿者 student1
2013年11月26日12:15 [週刊押村ゼミ]


2013.11.4 ゼミ報告

11月4日のゼミ報告です。今週から5限では、4年生の先輩の卒論中間報告が行われます。以下要約になります。

4限

池田 卓也 「グローバル化の各国文化への影響」

ナショナルID形成のために国民が共通して持っている経験・記憶の集合としての国の文化は、通信手段・交通手段等の技術的発展をしたグローバル化された社会によって変わりつつある。文化はその土地独特の経験のみによって成り立っているのではなく、場所に影響しない世界規模での共通した経験も含み始めた。グローバル化によって経済発展や技術革新が起こっているが、文化への影響には実に様々な捉え方がある。
まず文化の単一化やローカルな文明の崩壊の危機があげられている。ジョージ・リッツアは今のグローバル化の波に乗り広がったマクドナルド化に対して、合理性を究極に追及して成功し消費者も満足している現状があるが、そこには個人の個性喪失や均一性が隠れていると強く批判した。
一方で、コスモポリタニズムという考えも世界的に広まった。世界市民としてどの文化も侵略を行うでもなく、助け合いながら優劣をつくることなく文化を尊重するという考えである。しかし、この考えにも文明の大小、貧富の差から、人々は無意識に文化に優劣をつけてしまう恐れがあると批判の声もある。
また、カリフォルニアロール等の例にみられる、グローバルなものに影響を受けつつも自文化(ローカル性)を残しながら融合していくグローカル化という考え方もある。これも、ローカルな文化が根強くあってこそなしえる面かであり、必ずしもすべての国がこれを成功しうるかは定かではない。
経済発展のためにどの国もグローバル化は避けては通れない。かといって、経済発展の結果自国の文化の喪失はあってはならない。私たちは経済と自文化の保護のバランスをしっかりと考えて行動しなければならないのではないか。

5限 

①榎本有沙 「日本における人種偏見とその克服」

論文の基本的クエスチョン
1、これまで存在した日本における人種偏見は、現在も消えることなく根付いているのか。もしそうであればその理由は何か。
2、グローバル化の進行に伴い、文化的に多様な背景を持つ人々との共生は社会的課題であるとされているが、多文化教育によって偏見や差別を低減させることは可能であるか。また、教育実践にはどのような効果があるのか。
3、日本はこれまで国内、国外で起こった人種偏見の歴史から何を学び、これからに生かしていくことが出来るのか。

一章では日本における人種偏見の歴史についてを書く。
アイヌや被差別部落問題といった日本でこれまで起こった人種差別の歴史について基本的クエスチョン1に対応させる。
二章では、海外との関わりにおける人種偏見について。これは、一章よりも少し現代よりの話で、中国や朝鮮などのアジア、そしてアメリカ、黒人、白人といった幅広いものとの関わりあいの中で起こる差別について具体的な戦争や事件を取り上げていく予定だ。
そして一章、二章を経て三章では、基本的クエスチョンの2と3に対応させ人種偏見克服のためにというテーマで教育やメディア、団体の活動に着目していく。

今回は、この三章の第一節である教育による克服についてのプレゼンテーションを行った。
接触仮説とは、偏見は無知や誤解に基づくものであり、接触を通じて相手集団の「実際の姿」を知ることで改善される、というもの。
今回はこの接触仮説の成功例である、シェリフのサマーキャンプ実験の例を挙げた。面識のない小学生が2つのグループに分かれ、共通する目標を設け、生活を送ることで、両集団を良好な関係に導いたという実ものである。
また、第三項 ヒューマンライブラリーでは、実際に駒沢大学のゼミ活動で行われたものについての実施方法や仕組み、効果について考察した。ヒューマンライブラリーは、普段近づきにくい人を招き話を聞くことで、人は誰もが多様であること、そして多様であってよい事を知るきっかけとなり、社会の偏見を少しでも減らそうとする取り組みのことである。
現実的には、この取り組みで偏見克服出来たのかなかなかはかりずらいところもありますが、偏見を低減させるための第一歩としてプラスに働いたことは事実だと思う。偏見克服のためには、個人を取り巻く地域や社会が継続的に多様性に開かれた地域、そして社会作りに取り組むことが求められると感じた。

今後、これだけでなくもっとたくさんの例となる実験や実際の活動を調べ、どのような条件の下であれば人々の交流が上手くいくか、という点についてもっと深く考えていく予定だ。


②百瀬佳里奈  「訪日外国人観光客誘致」

第一章で、日本国内の外国人観光誘致の歴史と今までの取り組みについて論じる。
第二章では、各地での外国人観光誘致の取り組みについて論じながら日本の政策についての違いを述べていく。
第三章では、日本の外国人観光誘致政策においての課題とあるべき姿について論述していく予定だ。

今回の中間報告では、第二章の各地の外国人観光客(インバウンド)誘致の取り組みについて発表した。
まず、一節の世界のインバウンド政策では3つの観光客誘致政策について説明した。一つは行政主導タイプ。二つめ目は民間主導タイプ、そして三つ目は混合型タイプです。
第二章節の世界の観光大国では、外国人観光客数1位であるフランスの政策について、そして米国、中国に次いで4位のスペインで行われている誘致政策について簡単に説明した。
そして、第三節では日本国内で行われている政策、これから開発していくと言われている分野(国際会議MICEの誘致)について発表した。

先生からの助言や、ゼミ生からの質問により、見えていなかった視点を含め、引き続き研究を進める予定。

投稿者 student1
2013年11月14日08:31 [週刊押村ゼミ]


2013.10.29 ゼミ報告

10月29日のゼミ報告です。

4限
『日系人のアイデンティティ』 内藤洋子
日本人の海外移住が盛んになるのは1885年ころからである。ハワイやアメリカ本土、ブラジルなど主な移住先は時代と共に移り変わっていったが、今回のプレゼンテーションではその中からアメリカに焦点を当てた。
アメリカにおける日系人のアイデンティティは時代とともに変化する。
まず、一世についてであるが、ひとことでいえば、「アメリカに住んでいるもののあくまで日本人としてのアイデンティティを持つ」とまとめることができる。彼らは帰化不能外国人という社会的身分であり、英語が話せなかったため日系人のコミュニティの中に閉じこもる傾向があった。そして、母国である日本への誇りを抱いていたため、アメリカでも日本の伝統的生活を営み、子供たちである二世がそうした価値観を身に着けることを望んだ。
二世は「日系人としてのエスニックアイデンティティはあるが、アメリカ人であると自覚している」人々である。彼らは一世とは異なりアメリカ市民権を持っており、アメリカの教育を受けていた。しかし、それと同時に家庭やコミュニティの中では日本語や日本の価値観を身に着けさせられていた。したがって、このような日米2つのアイデンティティを持つにいたったわけである。そんな彼らは太平洋戦争下において、その分裂したアイデンティティの故にもっとも苦悩した世代であるのではないだろうか。二世自身は自らを当然の如くアメリカ人とみなしていたのに、アメリカ社会は彼らをそう見てはいなかったわけである。その結果、強制立ち退きと強制収容、忠誠登録といったことが実施された。
三世は「アジア系アメリカ人としてのアイデンティティを持つ」人々である。なぜなら、この頃から日系人はアメリカ社会に溶け込み始め幼少期から他のエスニックグループと交流する機会があったからだ。そんな彼らは学校や社会で、日系人であることの差別を受けて初めて日系人であるという自分のアイデンティティを自覚するようになった。そして、日本文化や日本語について自ら学ぼうとした世代である。
今回、日系人のアイデンティティを調べてみて、教育や環境といった要素が人のアイデンティティを構成する際にいかに重要かを再認識した。


5限
『クレオールのアイデンティティ』 越沼舞
現在の社会はグローバル化が進み、一概に「○○人である」とアイデンティティを規定するのが難しい時代です。例えば、日本とアメリカのハーフの女性とドイツ人男性の間に生まれ、北京生まれ北京育ちという子供のアイデンティティはどうなるのでしょうか?この問題を考えるのに有意義な概念が、「クレオール」です。単一民族国家と信じられている日本(本当はそんなことはない)では、なじみの薄い言葉ですね。
クレオールとは、植民地のプランテーションで生まれたものすべてのことで、①新大陸や他の植民地で生まれた白人および黒人とその混血、②彼らの習慣・文化や言語を指します。一般的にカリブ海地域を連想させる言葉です。プランテーションという西洋による歴史的暴力によって、白人支配者層や黒人奴隷やその混血など多様な文化が混ざり合うことで生まれました。プレゼンテーションでは、②のクレオール語の成り立ちや分布についても説明しました。
さて、クレオールのアイデンティティとは何でしょうか。クレオールのマニフェストと言われる「クレオール礼賛」では、『カリブ、ヨーロッパ、アフリカ、アジア、レヴァントなど、「歴史」の軛が同じ土地に集めた諸々の文化要素の相互交換的な、相互浸透的な集合体』と書かれています。また、クレオールのアイデンティティ確立に文学が関わっていること、クレオール・アイデンティティには様々な種類があること、クレオールの例としてカボ・ベルデ共和国についても説明しました。
クレオール・アイデンティティにも課題があります。それは、社会階級の上層(白人・白人文化など)への同化志向と、それに伴うクレオール語の衰弱です。
しかし、「クレオールID」という概念は、グローバル化し人口移動が激しい現代社会に大きな示唆を与えます。日本は単一民族と信じられていて異質なものを排除したがる社会です。しかし、例として在日の人に関していうと、日本人か韓国人の二者択一で分けられるものではなく、どちらでもない独自のIDをもつクレオールとして認めることができます。多民族社会において、人種学的な区別から脱却し、社会の構成員を顔立ちにかかわらず、「クレオール」と呼びことは、多様なものとの共生を図るひとつの方法です。
私は最初、「クレオール」という言葉がかっこいいと思ってこのテーマを選びました。調べてみて、クレオールの人が書いた文献は難しい言い回しがたくさんあって、理解するのがとても大変でした。でも、その言い回しもクレオール語が生まれる背景に由来するものだと知って、読むことでプレゼンテーションの知識も得られるし、クレオールの文化に触れることができて楽しかったです。クレオールで細かいことを現実の現在の社会に当てはめようとすると問題は沢山出てきますが、自分と違う人・ものと一緒に生き、他者を認めるためには新しくて大切な考え方だと思います。

投稿者 student1
2013年11月10日23:50 [週刊押村ゼミ]


2013.10.22 ゼミ報告

こんにちは!
ブログ担当3年の川上夏実です。

第3回目のプレゼンテーションの日である今回は、2回目のオープンゼミでもありました。

それでは以下、2人のプレゼンターによる内容の要約です。

4限:『日本人の宗教意識』3年・秋田涼子

 私たち日本人は年間を通じて様々な宗教的行事当たり前のように触れあっていますが、雑多な宗教を慣習、行事として形態化し、日本的に取り入れる私たち日本人は一体どのような宗教意識を持っているのでしょうか。宗教に触れているにも拘わらず、2008年の統計によると、信仰を持つものは約3割でありますが、宗教的な心を大切だと思うものは約7割です。
日本人の古来の宗教観から宗教意識を考えてみます。
 まず古代では、万物、自然に霊魂が宿っており、アニミズムという精霊崇拝が行われていて、これは日本中どこにでもたくさんの神がいるという考えといえます。アニミズムは時代と共に霊魂を祀る精霊崇拝、自然崇拝、自然物信仰、特定の者が霊魂と対話できるシャーマニズムと前者の特徴を残しながら信仰の流行が移行していきます。
 縄文時代になると、神道の枠組みが形成され、自分たちに利益をもたらす現世利益を願って崇拝する、人間中心の宗教が出来上がります。そこにも古代の精霊崇拝は残ったままで、すべての人間は良心という霊魂を持ち、善なるものだと考えられていました。
 5、6世紀になると学問としての仏教が渡来人によって伝来し、日本における仏教は現世利益を願うものとされました。そのため、ありがたいものは拝んでおこう、と日本的な神と仏が共存したのです。この精霊崇拝、神道を基盤としながら雑多な宗教と共存し、現世利益を願うのが日本の民俗宗教と言えます。
 しかしながら16世紀にキリスト教が伝来しますが、日本古来の宗教観である、多神教と、神という超越的絶対者の不在、偶像崇拝の禁止、人々の生活による集団主義などの要素から日本の民俗宗教と融合できませんでした。
 現代における宗教の立場は如何なものかというと、データによると特に新興宗教に対してはほとんどの人が不信感を抱いています。これには90年代に起きた新興宗教団体による事件が影響しており、これにより人々は新興宗教によるマインドコントロールやカルトの危険性を発見し、その悪いイメージが宗教全体に少なからず影響をもたらしたと言えます。
 結論といたしまして、現代の私たちは信仰を認識せず、宗教団体や新興宗教への信頼は低く、否定的であるが、私たちの基盤には様々な宗教の良いところを寄せ集め、アレンジした日本の古代宗教が受け継がれており、様々な宗教に触れつつも、特定の信仰は自覚せず、融合し、組合せながら現世利益を願う姿こそ日本らしさと言えます。さらに宗教に対する考え方は人間を動かす基盤であり、人々のID形成に影響しているでしょう。したがって外交、国際問題を考える場合、その対象、主体が人である限り、宗教観は軽視してはいけないと考えます。また、このように日本人の宗教意識を読み解くことは、日本人論や日本人のID形成を考える鍵になりうると考えました。


5限:『英語の世界支配』3年・松本あゆみ

 グローバル化とともに世界各地へ急速な普及を見せる英語は、いまや約40%の国々で使用されている言語である。しかし、このような国際性と圧倒的な影響力から「世界共通語」としての評判を高くする一方、1970年代からはこうした流れを「英語支配」として批判する人々と英語普及の問題点が注目されはじめている。
 そもそもの英語普及の要因は、18 世紀から20世紀まで続いていたイギリスの植民地政策の拡大などといった「歴史的要因」と、情報化社会の到来や国際政治組織における英語の公用語化などの「社会的要因」、そして英語が発音と文法ともに比較的易しく、学びやすい言語であるという「言語特徴的要因」の3つに分けられる。
 また、英語は双方がNativeの場合やNative~Nonnative間のコミュニケーションで使用されるよりも、Nonnative同士のコミュニケーションのために使用されることが最も多いという統計結果もあり、異文化コミュニケーションでは欠かせないツールであるといえる。
 しかし、英語の世界的普及は少数言語の衰退に拍車をかけたり、自文化アイデンティティの意識を薄れさせたり、英語ができない人をコミュニケーション弱者にしてしまうなどといった不平等性を生んでしまう懸念がある。これらはまさに「英語支配」の負の側面であるといえる。
 英語はこれからの私たちの国際社会とその発展においてますます世界に普及し、注目を集めていく言語であるが、今後の英語のあり方を考えていくには、普段表向きでは決して注目されない英語普及の影の部分に必ず目を向けていくべきであると考える。


いかがでしたでしょうか。
今回を持って、2週に渡るオープンゼミが無事に終了しました。
見学に来て下さった皆さん、ありがとうございました。
押村ゼミに少しでも興味を持っていただけていたらうれしいです。

1450894_544744182276024_631178377_n.jpg

さて来週のテーマは、
『日系人のアイデンティティ』と『クレオールのアイデンティティ』です。
お楽しみに!^^

投稿者 student1
2013年11月 6日00:40 [週刊押村ゼミ]


2013.10.15 ゼミ報告

後期が始まり、1か月が経過しました。そろそろ3年次に所属するゼミを考える時期ですね。
ということで10月15日はオープンゼミ、2年生の皆さんにゼミの雰囲気をみてもらう良い機会になったのではないでしょうか。

以下は第二回目プレゼンターによるプレゼンの要約です。


4限 『外国人からみた日本人論』松井映梨加

戦後日本は敗戦国でありながら急速な経済復興を果たし、先進国として成長してきた。その過程は欧米をはじめとする諸外国によって研究され、特に西洋視点の日本人論は今でも日本人が考える日本人論の根底をなしている。戦後以降の日本人論は、西洋の視点から敗戦国の一国である「取るに足らない存在」から「西洋に追いつき、ついには脅威となりうる存在。そしてバブル崩壊を経て成熟国家へ」という風に移り変わってきた。一方でアジア視点から描かれた日本人論はいままで日本人のなかで主に取りざたされなかったという反省がある。アジアからみた日本は非西洋諸国のなかで先進国の仲間入りをしたという点でアジアの牽引者的役割をはたしているという評価もある一方で、戦時戦後のアジアに対する対応に批判的な声もあることが明らかに。以上、日本人論は描いた側の日本に対する希望や要望を顕在化しているという点で、日本の今後の国際社会での立ち位置を決めるうえで注目し続ける必要があるだろう。特に今後民主化が進む多くのアジア諸国は国際社会でも存在感を増してきており、こういった国々からの日本人へのまなざしを取り入れた現代における日本人論を再構築していく必要があるのではないだろうか。


5限 『戦後外交のアイデンティティ』木俣佳鷹

戦後日本の外交の柱は、経済外交であったが、日本経済に陰りがでてきた今日、新たな主軸が求められた。
そこで、新たな外交の主軸として、パブリックディプロマシーが注目された。
注目された背景としては、ジョセフ・ナイのソフト・パワー論とDouglas MacGrayの「Japan's Gross National Cool」がある。
パブリック・ディプロマシーを議論する上でかかせないのが、ソフト・パワーの概念の理解である。ソフト・パワーとは、自国が望む結果を他国も望むようにする力であり、他国を無理やり従わせるのではなく、味方につける力である。日本では、ソフト・パワーの議論をする際に、ハード・パワーと反対の概念と位置づけて議論しがちだが、ソフト・パワーとは、あくまでもハード・パワーでは表すことができない「何か」を示すために提示された概念だということに留意しなければならない。つまり、ソフト・パワーとは、ハード・パワーを補完するものであり、万能ではない。
日本は、クール・ジャパンを掲げポップ・カルチャーに注目している。いわゆるアニメ外交は、近年見直されてきている。その他にも、観光、日本料理の広報にも力をいれている。
中国・韓国において、日本の文化は広く受容されているが、歴史・政治問題により、いっこうに関係は改善されていない。パブリック・ディプロマシーは、歴史・政治問題などの根本を解決しなければ、効果がないことが分析できる。


来週も引き続き、第二回押村ゼミのオープンゼミが開催されます。
来週は
『日本人の宗教意識』
『英語の世界支配』
というテーマです。

毎プレゼンごとに異なる議論が繰り広げられるので、
前回見学にいらしてくださった方もまた新しい学びを得ることができると思います。
私達も皆さんが来てくださるのを楽しみにお待ちしています。

投稿者 student1
2013年10月18日06:32 [週刊押村ゼミ]


2013.10.8 ゼミ報告

10月8日のゼミより3年生による後期のプレゼンテーションが始まりました。
これから毎週、各自に割り当てられたテーマで個人プレゼンをしていきます。
留学から帰ってきた3人以外は2回目のプレゼンとなるので、前期で学んだことを生かして頑張りましょう!

以下は初回のプレゼンター2人による要約です。


4限  
「日独戦後アイデンティティの比較」 岡崎穂乃香

 日本とドイツ、この両国は第二次世界大戦において共に敗戦国となった。しかし、両国は同じ「敗戦国」として再生の出発をしたのにも関わらず、戦後の姿勢についてドイツは世界から賞賛されている一方、日本ではアジア諸国からの非難が多い。果たして両国において差が生まれた要因は何なのだろうか。
それは島国とヨーロッパという地理的立場や敗戦に対する両国の立場や認識の違い、そして占領体制、両国における賠償と補償の認識の違い、政府の立場などから違いを伺うことができる。このようにドイツと日本の間では過去の取り組みや認識に違いがある。ドイツは経済復興や信頼を取り戻すために自らがなした行為の「補償」に前向きに関わった。一方、日本は対外的な理由やアメリカの単独占領を理由に経済復興に専念することができた。そのため自らがなした行為の「補償」をするという認識に至るまで長い時間を要した。戦争に対する「過去の克服」は一回限りで片づけられるものではない。ドイツの元大統領であるヴァイツゼッカーの演説の「過去に目を閉じる者は現在に盲目となる」とあるように戦争を経験していない我々も過去に目を閉ざさず、反省する気持ちを持ち続けることが国際社会にとっても自国にとっても大事なことである。


5限
「EUとヨーロピアンアイデンティティ」 青木花菜

2013年、EUではEU市民権導入から20年が経ち、また新しくクロアチアが加盟しました。

冷戦が終焉し、ドイツの東西分断が無くなると、ヨーロッパでは統合が進みます。同時に、「ヨーロッパとは何なのか」「どこまでがヨーロッパなのか」というアイデンティティの模索が始まりました。そこで、EUという共同体を強化すべく、市民権を導入します。

かつて、「ヨーロッパの火薬庫」といわれたバルカン半島では冷戦が終わったあとも、ユーゴスラビアの紛争など、民族紛争が絶えませんでした。まだ完全に終わったとはいえませんが、クロアチアのEU加盟によって、初めて、西バルカンの国の加盟になったと同時に、EUは民族紛争を解決せざるをえない、難しい問題を抱えることになります。

この市民権導入とクロアチア加盟から、ヨーロピアンアイデンティティを考えてみると、「ヨーロッパ市民であるか?」という問いに、81%のEU加盟国市民が「そう思う」と答えました。ですが、「市民権を十分に理解していると感じるか?」という問いには、36%しか「そう思う」と回答しません。(2013/2のユーロバロメータより)
また、「ヨーロッパ市民であるか?」という問いに対して、「そう思う」と答えた割合を国ごとにみると、中・東欧地域で高いことが分かりました。

以上を踏まえると、EU市民権導入によってヨーロピアンアイデンティティが強化されているかは定かではないこと、またクロアチアをはじめとした中・東欧地域のEU加盟によって、ヨーロッパの東方でヨーロッパ意識がさらに高まっていく可能性があることがいえます。

投稿者 student1
2013年10月15日12:33 [週刊押村ゼミ]


2013.10.1. ゼミ報告

みなさんこんにちは!
ブログ担当の3年(19期)川上夏実です!

少し遅くなってしまいましたが、10月1日のゼミ報告です!

今回は、先週押村先生から出された課題の発表日でした。

まず4限では、「日本」という国を知る上で大切な、民族性、言語、宗教、そして政治について、それぞれの解説を押村先生から受けました。

まず民族性に関して。
日本人は単一民族国家と見られることが多いですが、大昔に遡れば、外の大陸から渡ってきた渡来人などに起源を見出すことができます。
こういった人々は、技術や知恵を持って日本へやってきたため、日本の中でも尊重され、高い地位について繁栄していったと考えられます。
ということで、日本人は決して単一民族国家ではなく、起源を辿るとさまざまな民族が混ざっていると考えられるのですね。

次に言語です。
日本の言語の発展の仕方は非常にユニークだそうで、押村先生がポイントアウトされたのは、カタカナ、いわゆる表音文字がつくられたという点です。
この「カタカナ」を生み出したからこそ、日本は外来語の摂取が早かったわけですね。
というのも、元々日本の文字の起源であるお隣の国、中国ではこういった表音文字が開発されなかったようで、外来語の摂取が遅れてしまった部分があるそうです。
中国では全ての言葉を漢字で表記していますが、外来語は音を漢字で当てはめて表記しているようなので、少しおもしろいことになっている言葉も......

さて、お次ぎは宗教です。
ここはなかなか説明が難しいところだ......と押村先生もおっしゃっていましたが、
よく誤解されてしまうのは日本は無宗教、無神論だという点。
確かに日本人は、ある特定の宗教を深く信仰するということはあまりありませんが、日本にも仏教やキリスト教が入っています。
それに加えて日本には、古くから「神道」という宗教があり、これが私たち日本人に根付いていると考えられます。
そもそも神道というのは、山や川などの自然に「八百万の神」が宿るという考え方の宗教です。「八百万」とは、神様の名前ではなく、「たくさん」という意味だそうで、つまり「何にでも神様が宿る」と考えられていたのですね。これを「アニミズム」と言います。
このアニミズムという考え方が、様々な神様を許容するという考えに繋がり、クリスマスも祝うけど、新年には神社にお参りにも行く、という今日のスタイルが完成したようです。

さて、最後に政治について。
日本の政治に関しては、UniformityやHarmonious Unityと言った、「和を尊ぶ」という姿勢が見られます。
よく言われるように、日本人は個人主義より集団主義、権利より義務、が重要とされますが、これはどこから始まったのか?ということについて話し合いました。
非常に興味深い押村先生からのお話でした。
こういったことを知りたい!と思った方は、10月15日、22日に行われるゼミの見学へ是非お越し下さいませ!(ここで宣伝。笑)


さて、基本的な知識もゲットしたところで、5限ではついにプレゼンテーションに入りました。
今回は「英語で日本を説明する」ということだったので、プレゼンテーションはもちろん英語!
前回も報告しましたが、トピックを今一度紹介します!

1.Location, climate and environment
2.Ethnic, linguistic and religious characteristic
3.Diplomacy and international relations
4.Economy and industry
5.Modern history
6.Pop culture and media

残念ながら、時間切れになってしまい、発表は3番までしか終わりませんでしたが、
後で押村先生から、せっかくだから年明けにこれをもう少し本格的にやろうということで、実際に外国人の方に説明する形で、このプレゼンテーションをもう一度行うことが決まったので、そのときにまとめて詳細をアップしたいと思います!おたのしみに!

いかがでしたか?
毎度のことながら、押村先生の知識量に驚くばかりなのでした。
まるで知識の泉。湧き出る泉。
生徒同士で良いディスカッションもできて、良いゼミになったと思います!

それでは、次回をおたのしみに!
川上でした!

投稿者 student1
2013年10月13日01:15 [週刊押村ゼミ]


2013.9.24 ゼミ報告

9月24日のゼミ報告をします。
今日から2013年後期のスタートです
皆さんこれからよろしくお願いします!

今日は3限では北方領土に関するビデオ鑑賞を通して領土アイデンティティについて学び、4限では来週行われる「英語で日本を説明する」というプレゼンに向けての講義を受けました。
以下、それぞれの詳しい内容です。

3限では「誰も見たことのない日本の領土」というビデオを通し、日本は尖閣諸島、竹島、北方領土、南鳥島、沖ノ鳥島など周辺諸島の領有をめぐり、中国やロシア、そして韓国といった近隣の国々とどういった議論を進めて来たのかについて学びました。
例えば日本と韓国は1950年以来お互いに竹島(韓国語では独島)の所有を主張して参りました。海洋国の日本としては昔から経済の要地であったり、また漁が盛んに行われてきたという記録を証拠に、歴史を通して竹島は日本の物であるという主張をしています。一方、韓国もまた歴史的背景から、自国領だと述べています。また韓国では現在も教育の場でもそのような教えを行い、さらに竹島に海洋警察隊を配備、一方的な領有を続けています。日本と韓国の主張は衝突し、なかなかお互いに納得のいく合意に至らないというのが現状のようでした。
以上、ビデオで取り上げられているそれぞれのケースから共通して分かるのは、いったん各国の利害が関係すると、ただの島であったのが、国のアイデンティティを決定する重要な要素に様変わりするということです。また、領土問題は片方の国が領土所有を認められれば、相手側が得るものは何もない、ゼロである、という点で、双方にプラスとなるような解決策をみつけるのは非常に困難であり、あわよくば軍事衝突につながる危険性もはらんでいるということでした。


4限では次回のゼミ10月1日に行われる「英語でいかに日本を説明するか」というテーマのディスカッションに向けて分野別にメンバーを決定しました。それぞれの分野は以下の通り。

1.Location, climate and environment
2.Ethnic, linguistic and religious characteristic
3.Diplomacy and international relations
4.Economy and industry
5.Modern history
6.Pop culture and media

その後、押村先生からそれぞれの分野におけるディスカッションする上でのポイントをご指導いただきました。例えばEconomy and industryに関して、「非西洋でありながら最も早く経済発展を成し遂げた国として、その要因は何だったのか、また今でもそのようなことはいえるのか」という視点が重要だとのことです。いづれの分野においても、他国の人に日本を説明する上で、「ただこちらが伝えたいことを伝えるのではなく、相手なら日本のどういったことに注目するだろうか」という考えを重視するのがポイントであるとのことでした。

以上のことを踏まえ、皆さんどのようなプレゼンを考えてきてくれるのでしょうか。来週のディスカッションが楽しみですね。

投稿者 student1
2013年10月 2日03:11 [週刊押村ゼミ]


2013.7.9 ゼミ報告

7日9日のゼミ活動報告をします。
これで前期のゼミの授業はすべて終了です。
みなさん、お疲れさまでした!

以下は3年生船津さんによる授業の要約です。

4限では密着ムジャヒディン ~素顔のイスラム戦士~を鑑賞しました。
これはイギリスで制作されたアフガニスタンのイスラム戦士、ムジャヒディンに密着したドキュメンタリーです。
アフリカにおける戦闘は主に南部が中心でありましたが、北部においても戦闘は頻発する事態に至っており、これは
アルカイダとつながりがあるとされる「ヒズビ・イスラム」と呼ばれるイスラム武装勢力が勢力をのばしているためです。
内容としては、ズビイスラムは南部で活動するISAF(国際治安支援部隊)に物資を運ぶ輸送車をターゲットとしておりこの任務に密着したものでした。
ムジャヒディンはこの任務を遂行するために武器資源を調達し、製造する姿や幹線道路を爆破するための作戦を練りますが
驚くことにこのムジャヒディンが製造する武器の資源はムジャヒディンが潜伏する村の村人に依存しているということです。村人は税金を政府でなく武装勢力ムジャヒディンに払い、食料の提供を行い支援しています。政府による統治よりもムジャヒディンに対する支持基盤が現地において強固なため、民主主義の介入による統一に疑問が浮かび上がります。
このビデオにおいて、武器製造をするムジャヒディンの姿やケーキを笑顔でほおばる姿、任務に失敗し責任の所在を転嫁させようとする姿が移っており、これは残忍残虐なテロリストという見方とは異なる人間らしい面を私たちに提示しています。


五限では世界はなぜ融和しないのか、なぜコスモポリタンが生まれないのかについてお話をしていただきました。
その原因としてあげられるのが、①文化、文明衝突の衝突(国の枠が弱まっても尚起きるもの)②格差・不平等(見逃されやすいもの)です。
特に②の格差、不平等にでは途上国においてこれをバネにしてまとまる被害者IDが構築され、これは世界の融和を妨げる原因を生み出します。
一度帝国主義により植民地化された途上国はかつての支配を貧しさと結びつけ、歴史的なトラウマから先進国の介入や侵入を拒み戦おうとします。
実際は植民地から独立した後、自分たちで富の生産や分配を行うので宗主国であった西欧に責任をすべて負わせることはできません。しかしそれでもなお西欧に現在の格差や貧困の責任をなすりつける理由としては国際機関が支えている貿易や経済体制が不平等かつ先進国に有利なシステムということがあげられます。
この先進国優位な経済システムに途上国が組み込まれた状態では先進国がいくら我々は仲間であると途上国に歩み寄ろう年でも途上国にとっては奴らでしかなく、強者は弱者の立場に立てずフレンドシップを唱えたとしても弱者にとっては教じゃこそが仲良くできない原因をつているととらえるのです。
また、先進国だけでなく途上国においても腐敗権力構造や経済構造、またコミュニティ感覚の希薄さなど責任の所在を見つけることができます。
このようにグローバル化が進むにつれ、国の枠がいくらうすれたとしても世界がまとまらない理由としては文化、文明の衝突や特に地球的な格差や不平等があげられます。

投稿者 student1
2013年7月25日14:41 [週刊押村ゼミ]


2013.7.2 ゼミ報告

7月2日のゼミ報告をいたします。
これで留学から帰国した3名を除く3年生全員のプレゼンテーションが終了しました。
それぞれのトピックから押村ゼミの研究テーマであるアイデンティティの基礎が学べたのではないでしょうか。
後期からはまた別のテーマでのプレゼンテーションが始まります。
アイデンティティに対する知識をどんどん吸収していきましょう!

以下は発表者による要約文です。

4限 秋山智紀『ユダヤ人のアイデンティティ』

英語の"Jew"という単語には、「ユダヤ人」と「ユダヤ教徒」の両方の意味があります。なんとなく曖昧にされがちですが、現代では必ずしもユダヤ人であるからといってユダヤ教徒であるとは限りません。
もともとユダヤ人は、イスラエルで独自の宗教的共同体をつくって暮らしていました。ところが、2世紀までにはローマとの戦争に敗れてイスラエルを後にし、欧州や中東に離散していきました。これが長い迫害の歴史が始まりです。離散の地でも、ユダヤ人たちはラビ(宗教指導者)を中心とした共同体を維持してユダヤ教を守ってきましたが、居住地の市民権は与えられていませんでした。また周囲のキリスト教徒には、イエスをメシアであると認めない点でユダヤ教を敵視するものも多く、様々な迫害を受けていました。
転機はフランス革命でした。革命によって王政やカトリックの権威が否定されたことで、ユダヤ教は「宗教」として承認され、ユダヤ人も他のキリスト教徒らと同じ市民権を得ることができたのです。ここに、現在のユダヤ人の問題の根源があります。市民権を得て国民になる以上、ユダヤ教を信じていても、今までの自治共同体生活を送れなくなったのです。このあと、ユダヤ人は宗教を頑なに守る人々と、伝統を離れて他宗教に改宗したりするものとに分かれました。その後、ヨーロッパ各地に革命が伝播してユダヤ人解放は進んだものの、偏見はなくなりませんでした。そしてユダヤ人の最大の危機は、なんと言ってもナチスによるホロコーストであったと言えるでしょう。このような長い迫害の歴史はユダヤ人の自己のアイデンティティー形成に大きな影響を及ぼしています。
歴史を概観した後は、現代のユダヤ人に焦点をあてていきました。
現在、ユダヤ人のほとんどはイスラエルとアメリカに住んでいます。
イスラエルは、19世紀末からのシオニズム運動の結果として各国からユダヤ人が移住して建国された、民主主義国であり「ユダヤ人の国」です。この「ユダヤ人の国」ができたことが、他国に住むユダヤ人にとって希望でもあり、問題でもありました。約束の地にユダヤ人の国家ができたことを喜ぶ一方、彼らはその国に住んでいながら心の中ではイスラエルに忠誠を誓っているのではないか、といういわゆる「二重の忠誠」疑惑をかけられることになったのです。
イスラエルがパレスチナの一部地域を占領するようになってからは、国内にも宗教的純粋性を重視する派閥と、単に人種としてユダヤ人をとらえる派閥との間で対立しています。このように、イスラエル国内のユダヤ人同士でも、アイデンティティーの自己認識には差があります。
一方で、イスラエルのほかに最も多くユダヤ人が住んでいるのがアメリカです。
アメリカのユダヤ人は、ドイツや東欧から迫害を逃れて移民してきた人々です。アメリカのユダヤ人は、次の2つのキーワードで特徴づけれられます。1つは「経済的成功」です。もともと経済的な才覚に優れているユダヤ人は、特に金融分野で大きな成功を成し遂げました。もう1つは「イスラエル・ロビー」です。新アラブ派を牽制してイスラエルの利益を守るために議会に働きかけるロビー活動は有名です。
最後に、現代のユダヤ人のアイデンティティーを考えるにあたって、イスラエルとアメリカのユダヤ人の相互認識を考えました。
建国後まもなくイスラエルから全世界のユダヤ人に発された「帰還」要請に対して、アメリカのユダヤ人は次の4つの原則を示しました。
①アメリカのユダヤ人はアメリカと運命を共にする
②アメリカのユダヤ人は捕囚の民ではない
③ユダヤ人同士の相互援助はするが、内政干渉はしない
④イスラエルの存続はアメリカなど他のユダヤ人社会にかかっている
ここから分かるのは、イスラエルのユダヤ人は国家建設のためにユダヤ人を結集させたいと思ったのに対して、アメリカのユダヤ人はイスラエルを同胞だと思いながらも、別のコミュニティとしてとらえているということです。
1985年、ジョナサン・ポラードというアメリカのユダヤ人がイスラエルにアメリカの機密情報を流していたことが明らかになりました。これに対して全く異なる反応を示します。アメリカのユダヤ人は彼を、「母国アメリカへの裏切り」と感じ、二重の忠誠疑惑が再び向けられるのではないかという危惧を抱きました。一方でイスラエルのユダヤ人は、彼を「英雄」と称したのです。いまでも折に触れて、ポラードの釈放要求が起こることがあります。
以上を踏まえて、「現代のユダヤ人のアイデンティティー」というものは一言で定義できるほど簡単ではないことが分かりました。迫害の歴史を共有しつつも、自己認識は一様ではないのです。私達もそのことを理解してパレスチナ問題やアメリカのユダヤ人について考える必要を感じました。


5限 大矢美佑『イスラーム原理主義のインパクト』

イスラーム原理主義と一般に呼ばれる運動は、『長い年月の間に汚れて変形し、分裂してしまったイスラーム世界を、純白な出発点に戻す「回帰運動」』であって、その目的は全世界にイスラームを拡大することでもなければ、他宗教徒を駆逐することでもありません。今日に至っては、『西欧化・近代化によって混乱し、腐敗したイスラーム世界を、預言者ムハンマドがいたころに実現した完全なるイスラーム世界に戻す』という、内部浄化の目的を担っています。この回帰運動にあたって、彼らの基本にあるのは、民族や言語や地理ではなく、イスラーム教徒であること、「イスラーム共同体=ウンマ」の一員だというIDです。彼らにとって最も大切なことは、イスラームの信仰と、自らが所属する共同体を守ることであり、それ自体が自らの生存つまりIDに繋がっているのです。ここからわかるように、彼らの関心はあくまでも共同体の保身に注がれます。ここで、彼らの共同体維持にとって危機の元凶となるのが、「西欧」です。イスラーム世界の西欧嫌いは、想像以上にはるか前から始まっています。その要因は、十字軍遠征(11C~13C)、植民地政策(19c)、イスラエル建国(1948)の3つと言われています。近代におけるイスラーム回帰運動の根本には、生きること同様であるIDを西欧によって決定的に辱められ、ズタズタにされたという激しい怒りの感情も秘められているのです。
こうした歴史を、イスラーム世界は「ジハード(聖戦)」(「イスラーム共同体」を崩壊させうる脅威から、彼らの信仰行為を守るための対抗の努力)という防衛戦によって乗り越えてきました。どのような場合にジハードが働くかを定義するのは、イスラーム法=シャリーアなのですが、この法の解釈の仕方は穏健派や過激派などの間でも一様ではないため、反政府運動、暴動、戦争のように暴力を伴うものから、非暴力的な活動(神学校建設の支援活動、図書館や動物の保護施設への資金集め等)まで様々な行為がジハードとして成立します。しかし程度の差があるにせよ、ジハードの根本の狙いには、法の解釈を変えて、どうにか社会を変革しようとしていることにかわりはありません。つまり、ムハンマドを最後の預言者とし、この先に新たな律法をもつことのないイスラーム教徒が、完全なイスラーム世界を実現したムハンマドの時代に戻るための回帰運動なのです。
ジハードには、西欧へ抵抗のような、「外部からの攻撃」に対する「外なるジハード」と、国内におけるイスラーム国家建設のような、「内部からくる腐敗」に対する「内なるジハード」があります。過激派にとっては、西洋化は、外部からだけでなく、内部からもイスラームを腐敗させる最悪の悪弊であり、内外問わずジハードの対象となりました。このような一部の急進的な思想は、近代化によって崩壊した伝統的イスラーム界の空洞に入りこみ、民主主義でも世俗主義でもない「非西欧的な思想」として、人々の心の隙間を埋めています。
過激派の行動はしばしば非人道的なテロと結び付けられます。その例としてウサマビンラーディンによる9.11がありますが、実際には、このテロはイスラーム法学者によって「ジハードとは全く異なる非人道的なテロ」との法判断が下されています。この法判断によってイスラーム世界とアメリカとの「文明の衝突」は避けられましたが、9.11後の西欧キリスト教世界では、9.11がイスラーム教徒そのもののイメージと重なり、激しい偏見やイスラームフォビアを生んできました。そして日本人を含む多くの非イスラーム世界の人々が西欧の考えに影響を受け、イスラーム教を忌避し、恐ろしいものとして遠ざけています。イスラームと異文化は、その成立以来、地球上のさまざまな地域、空間で衝突を繰り返してきました。西欧でもイスラーム世界でも、そのたびに互いを暴力的で、不寛容な宗教だというイメージが固定化してきました。人間は、自分と異質なものを見るとき、どうしても、そのマイナスの部分が誇張して感じられてしまいます。それが、暴力というマイナスなもので強調されるのであれば、なおさらです。原理主義のイメージが過激な行動をとるイスラーム回帰運動の一派に代表されてしまっているのは、その象徴ともいえるでしょう。しかし、両者の間にはたくさんの誤解があることは事実であり、それこそが「文明の衝突」の要因となることに間違いはないでしょう。
イスラーム回帰運動の真の意味や目的、それに関連した様々な過去から、現実的かどうかは置いておいて、未来へ向けてイスラーム教全体のイメージチェンジを試みるならば、過激派が持つインパクトの大きさを利用できるのではないでしょうか。
皆さんが過激派組織として良くその名を耳にするようなムスリム同胞団も、もともとは産業化・近代化に伴うエジプトの伝統的なイスラーム社会の喪失に危機を感じ、国内におけるイスラーム国家の再建を目指していたことが発端でした 。そこで、これらの強い発言力を持った過激派グループが中心となって、社会福祉や公共サービスといった草の根的な活動をリードしてゆけば、NGOや企業が同じ活動をするよりもよほど、市民社会だけでなく、世界の人びとにインパクトを与えられるでしょう。彼らの持ち前のアピール力が、いい形に働いてイスラーム世界の暗いイメージに、少しは明かりがさすのではないでしょうか。宗教間の偏見が少しでもなくなること、そしてそれぞれの信徒がIDを守ることができるような環境の実現を願っています。

投稿者 student1
2013年7月 9日13:34 [週刊押村ゼミ]


2013.6.25 ゼミ報告

6月25日の活動報告をいたします。
プレゼンのテーマは
4限 内藤洋子『多文化主義とは何か』
5限 筒井景子『ことばと国家』
です。
以下は発表者による要約です。


内藤洋子『多文化主義とは何か』
多文化主義とは1970年代にカナダやオーストラリアといった移民国家で注目され始めた政策である。様々なエスニック・グループが平和的に共存するために政治的、社会的、経済的、文化・言語的不平等をなくそうとする一種の国家統合イデオロギーのことを指す。具体的にはエスニック・マイノリティの伝統文化や言語維持のために公的補助をしたり、移住先の国の言語習得を補助したりする。それだけではなく、主流国の人々に対しても差別や偏見をなくす取り組みをしてマイノリティへの理解を深めることも多文化主義が目指すことの1つである。
多文化主義発祥の地であるカナダの例でもって具体的に説明する。カナダにおける2大建国民族はイギリス系とフランス系だがカナダはもともとイギリスの植民地であり、イギリスやアメリカといった英語圏からの移民が多かったことから政治的、経済的にイギリス系の優位が確立していた。それに対しフランス系住民が異議を唱えたことから「二言語二文化主義」が唱えられイギリス系とフランス系の平等が確認されることとなった。しかし、これに対してイギリス系でもフランス系でもない白人移民であるホワイト・エスニックの住民らが自分たちは二級市民であるとの烙印をおされたとして異議を唱えることになる。ここにおいて二言語主義の枠内における多文化主義として多文化主義がカナダの国是とされることになった。
カナダではその一環として教育やメディア、職場といったあらゆる場面で移民に対する配慮がなされている。そして、英語とフランス語はどちらもカナダの公用語とされておりどちらかが使えれば公的サービスが受けられる。しかし、圧倒的多数を占める英語話者が優位であるという現状は未だ少なからずあると思われる。
多文化主義は大いに評価できるものだが残念ながら限界がある。その主なものとして、移民の文化に譲歩しすぎることでカナダ的シンボルやアイデンティティが失われてしまうということが挙げられる。例えば、近年カナダにおいてイスラム系の移民が増加しているのだが、彼らは男尊女卑といった独特なイスラム文化をカナダに持ち込んでいる。それらをどこまで認めるかという問題は「多文化主義の国カナダ」を考える上で大きな問題である。
以上のことから、多文化主義は光と影両方を持ち合わせたものであるといえる。


筒井景子『ことばと国家』
私はことばを通して国家、そしてアイデンティティについてプレゼンさせていただきました。アイデンティティの定義については多くの議論がありますが、ここでは大まかに「自分とは何なのか」としたいと思います。
今回は二十五分という限られた時間でしたので、
①ことばの定義、②国語=母語の国(日本)、③他民族語を使用する国(シンガポール)、④多民族国家の実験場(インド)、⑤まとめという流れでお話しさせていただきました。
詳細は以下の通りです。
①ことばの定義
そもそも音を発して意思疎通する、ことばを使うのは人間だけです。そんな少し神秘的なことばは「母語」と「母国語」、「公用語」という概念に分けられます。「母語」は"母から子へ"人間の営みの中で自然と行われるものです。しかしながら、「母国語」となるとそこに国家の統一、一体を"象徴する"「母なる国家」のことばというニュアンスが現れます。「公用語」はより実用的に、国の中で使われているものです。
以上の概念を踏まえて、次に三つの国の言語政策を例にお話ししました。
②母語=母語の国(日本:人口2億2千万)
日本では、国が何らかの政策をしなくても、初めから同じ"日本語"を話していたように考えられがちですが、実は黒船の来航を受けて、「一民族、一国家、一言語」の考えのもと、明治政府は言語政策を行いました。特に、アイヌや琉球では、今の日本語とは全く異なることばが話されていたため、教育制度や罰札制度で同じ日本語を話すように特別な政策が採られていました。
③他民族語を使用する国(シンガポール:人口4百万)
シンガポールには、大きく分けて華人、マレー人、インド人の3民族があるとされます。国語をマレー語、公用語を4つの言語に制定しています。国家の統一の言語として、公用語の第一言語には英語が指定され、バイリンガル教育(英語+母語)がなされています。しかしながら、自分の民族とは由来のない英語しか話せないシンガポールの若い世代は、自国への思い入れが少なく、頭脳流出や移住が国家的な問題となっています。
④多民族国家の実験場(インド:人口12億4千万)
インドでは、ヒンディー語と英語に加え、22の州公用語が認められています。「3マイル行けば言語が変わる」と言われるほど多種多様な言語が話されていますが、国家はヒンディー語を、州は州の公用語を志向しています。現在IT部門での発展が注目されていますが、これは英語教育に支えられるものです。今後インフラ二次産業の成長のためには、より身近な母語による教育が必要とされています。また、人々の間にある言語的階層も軽視できる問題ではありません。
⑤まとめ
三つの国を通して、ことばと国家について考えてきましたが、私達にとって切り離せない言語が、いかに社会に大きな影響を持っているのかを強く感じました。世界に目を向けると、国ごとに経済の発展段階も言語政策も異なります。その中で、統一言語によってもたらされるコミュニケーションコストの削減と発展と、多言語によって維持される多様性はどちらの方が価値があるのか比べることが出来ません。
難しい問題ですが、私達が自分たちの文化や歴史といった脈々と引き継がれるものの価値を忘れずに、上手にことばと付き合っていければと思います。
また、本プレゼンにあたって18期の原川先輩がたくさんお気遣いくださいました。最後となってしまいましたが、心の底から感謝しております。ありがとうございました。

投稿者 student1
2013年7月 2日12:58 [週刊押村ゼミ]


2013.6.18 ゼミ報告

6月18日の活動報告をいたします。

4限にはDVDを見ました。
内容は「海外から見た日本について」です。
もともと日本は神秘の国、美の国として憧れの対象とされていました。
それは海外におけるジャポニズムの流行、という点からも見て取れるでしょう。
映像で見るゲイシャやサムライの姿は私たち日本人の目にはどこか違和感のあるものとして映りますが...

そんな日本のイメージが近代に入り、大きく変わることになります。
その転換点となったのは日露戦争でした。
西洋でもない白人の国でもない日本がロシアという西洋の国に勝利したことで、ヨーロッパ諸国は日本に脅威を感じ始めるのです。
ここにおいて『黄禍』という言葉も誕生することになります。
その後も、日露戦争で自信をつけた日本は軍国の道を歩んでいくこととなりました。
そして、その時掲げた目標が『大東亜共栄圏』というアジアの統一です。
その理念自体は批判に値するものではありませんでしたが、軍国主義の下 道を誤った日本はアジアをかき乱してしまうのです。

そして、現在の日本は海外からどうみられているのでしょうか。
3.11後、あれほど大きな被害の中においても秩序を乱さず行動する日本人が海外メディアに賞賛されたことは記憶に新しいことです。
こうした日本人の精神性というのは、現代においても海外にとってミステリアスなものなのではないでしょうか。
その精神性を説明するのは日本人である私たちにとっても容易ではありません。

インターナショナルな雰囲気あふれる押村ゼミにおいて、私は日本的な考え方が強いほうだと自覚しているのですが
日本人であることを誇りに思っています。
だからこそ、日本が過去に犯した罪についても目を背けずそこから学んでいくことの大切さを実感しています。
グローバル化が叫ばれる今、世界における日本というものを深く考えることはこれからの未来を考えていく上で必要不可欠なことなのだと感じました。
(HP係 内藤)


5限には船津さんのプレゼンテーションが実施されました。
以下は、ご本人による要約です。
船津美穂『アフリカの部族主義』
ポスト冷戦期においてアフリカで起きた紛争のほとんどは内戦である。
この紛争の原因を、民族対立というわかりやすい四文字の言葉でまとめた報道や、人々の認識は少なくない。
しかしアフリカはもともと異なる集団同士共存をしてきた歴史がある。
植民地化以前のアフリカでは現在のいわゆる民族・部族よりも微細な集団がアフリカ大陸を移動し、集団同士で共存をするというのがダイナミズムであった。
しかしこれは帝国主義の時代、アフリカが植民地化する過程で大きく変容することになる。
列強国はアフリカ大陸において統治の便宜上無数にある移動する集団を植民地政府の主観で部族という大きな枠組みにまとめ、移 動を禁止した。
さらに列強国間の植民地の争いが激化するにつれ、ベルリン会議において部族などの分布を無視した宗主国の利害を繁栄した地図上でのアフリカ分割が行われた。
第二次世界大戦を経て、帝国主義が弱まりを見せた時期においてアフリカ全土では独立の波が生まれるが独立の際に境界線を引きなおすのではなく、列強国が恣意的に引いた境界線を国境線にしたまま独立を果たした。これが現在アフリカには共同体の枠と国境の枠が一致しない多民族国家が多くあるゆえんである。
一つの民族が分断もしくは複数存在する国家が多いのは事実であるがそれだけで紛争が起きるのではなく、また、ほぼ同じ民族で構成されるソマリアにおいても紛争は起きているため、同質性が高い 国家で紛争が起きないわけではない。ルワンダ内戦におけるツチ族対フツ族を例にとってみると、民族の違いだけでなく国際的(植民地期の差異の形成、優遇)、政治的(権力闘争)、経済的(格差、独裁による国内困窮)的な要素や大衆を扇動する者の存在加わり紛争の契機になったことがわかる。
紛争が発生した後も、国境線を引き直すことは現実味がない。人々は敵対するる民族と一つの国家の中で共存をなさなくてはならないのである。そのために、ルワンダ国際刑事裁判所やガチャチャによって紛争下にも一定の道義や正義を加え処加害者を罰し、再発を防ぐことが必要である。また民族の和解や相互不信の除去として教育や連帯と和解委員会での会議やセミナーを通し、加害者と被害者がともに 紛争の原因や、いかに歴史的に民族が政治的に利用され対立を生んだかを話あうこと。共同事業において相互利益を共有することで「我々と奴ら」ではなく、仲間意識を芽生えさせることが重要である。

投稿者 student1
2013年6月24日12:42 [週刊押村ゼミ]


2013.6.11 ゼミ報告

6月11日のゼミ報告をします。
越沼さん 『人種偏見とその克服』
木俣君  『歴史教育とアイデンティティ』

4限 
越沼舞 『人種偏見とその克服』

人種差別は、南アフリカのアパルトヘイトやナチスによるユダヤ人迫害など、沢山の歴史の惨事をもたらしました。しかし、私たちもいつでも人種差別する・される立場になりうるのです。人種偏見とはなにか、という本質を解き明かした後に、太平洋戦争とアフリカ民族紛争の二つの具体例あげ、人種偏見を克服するためには何が必要なのかを考えました。

定義
アルベール・メンミによる「人種差別」の定義は、「人種差別とは、現実の、あるいは架空の差異に、一般的、決定的な価値づけをすることであり、この価値づけは、告発者が自分の攻撃を正当化するために、被害者を犠牲にして、自分の利益のために行うものである」です。

注意したいのは、差異自体は良くも悪くもないということです。差異を指摘したり否定したりすることで人種差別主義者になるのではなく、差異を自分の利益のために、つまり敵対する相手への攻撃の正当化のために、利用するときに人種差別主義者になります。

人種偏見が太平洋戦争にもたらした影響
太平洋戦争においてアメリカと日本がそれぞれどのように人種差別を利用して戦争に勝とうとしたか見ていきます。呼び名やステレオタイプなどの「言葉」が人殺しの葛藤を和らげ、大量虐殺を容易にしました。自分の利益のために人種偏見が用いられ、人種偏見が攻撃を助長することが良く分かります。

アメリカは日本に対して、「黄色い猿」からゴキブリまで非人間的な呼び名を用いました。実は日本にあてられた差別用語は、もとを辿れば先住民、黒人、そしてアジア人に適用されており、西洋の非白人に対する意識が表れていたといえます。また、アメリカには日本が勝つことで世界で自分たちが抑圧している有色人種全体が連合したり暴動を起こしたりする恐怖もありました。

日本は西洋を先生にして近代化したため、人間の顔をした狐やタヌキ、「鬼畜米英」の鬼などで例えられ、人格や人間性をわずかにせよ敵に与えていたのが特徴です。特に、米鬼といった表現が多用されました。一方、アジアに対しては、日本のアジアにおける民族自給自足ブロックを作るためにアジアと他の人種と民族に対する恒久的支配の確立を目指し、アジア人に対する人種差別が行われました。

激しい人種差別と容赦ない戦争の後、アメリカは平和に日本を占領し、日本はアメリカ人への好意が広がりました。その理由として、戦時中のステレオタイプが逆転し、協調に適用されたことがあげられます。例えば、アメリカの日本に対するイメージでは、猿は「賢く模倣的で飼いならされたペット」、「よい生徒」というイメージに転換しました。

アフリカでの民族紛争
アフリカにおいてルワンダが大虐殺など紛争状態になった理由と、タンザニアが紛争を経験せずに済んだ理由をみていきます。同じアフリカでも、民族の構成や関係が大きく違い、その違いと不満や憎悪のあるなしで、紛争発展になるかの分かれ道になっていたことがわかります。

ルワンダでのジェノサイドは人種差別の憎悪がひとつの原因でした。なぜその憎悪が生まれたのか3つの理由をあげました。第一に、ベルギーの植民地下で、コーカソイド系のトゥチが徹底的に優遇され、民族によって社会的階級が不平等に決められました。第二に、民族を軸にした政党が政治権力を独占する体制で、大多数が暴力的に排除されました。第三にコミュニティ意識が弱く、トゥチ殺害を命令した権力者に対する恐れからフトゥの住民が大虐殺に参加することになりました。

一方、タンザニアの例をあげ人種偏見を生まず、独立後紛争を回避できた理由を5つあげます。第一にイギリスの間接統治政策下でエスニック・グループごとの統治が可能だったことです。第二に複数のエスニックを束ねる組織、タンガニーカ・アフリカ人民同盟(TANU)の存在です。第三に、独立後にニエレレによってネイションとしての一体感が主張されたことです。「伝統社会」という各エスニック・グループを包括するような価値観や歴史的背景をうまく組み入れました。第四に、ジャマー(家族)村建設政策で、共同体が意識的に建設されました。第五に、公用語としてのスワヒリ語教育を推進しました。

克服のために
私たちは人種差別克服のために何ができるのでしょうか。第一に、不平等関係を改善することです。 劣位側が経済力、軍事、外交などの権力をつけること、 地方分権があります。第二に、相手との間に「われわれ」意識を身に着けるために、教育で共同の歴史観を身に着けたり、統一言語を使用したり、共同体の形成、共同作業をすることです。第三に、人種差別への理解を深めるために、義務教育での人種差別の定義の学習を入れたり、マスメディアが人種差別的な世論を育成しないようにすることです。

差異があり、利益があるかぎり人種差別は誰の心にも存在するでしょう。しかし、虐殺などの大惨事をあおりたてる人種差別を克服するために、国際社会、国家、そして個人の努力が必要です。


5限
木俣佳鷹 『歴史教育とアイデンティティ』

歴史教育というものは、国民教育の核心であり、また人間教育の基礎でもあり、人々がアイデンティティを形成するのに非常に重要な役割を果たす。
世界の歴史教育を見てみると国によって、その教え方が大きく3つの要素において異なっている。
それは、①自国史と世界史の組み合わせ②初級学校から上級学校における歴史教育③時代区分という要素である。
大きく歴史教育の種類として、①西ヨーロッパ型②旧植民地国型③東北アジア型がある。
たとえば、西ヨーロッパ型の歴史教育では、自国史と世界史を一本化し、東北アジア型では、自国史と世界史を別々で教えている
旧植民地国では、時代区分と して、前植民地期・植民地期・独立期といった特色がある。
このように、それぞれの国が違った方法で歴史教育を行っている。
ドイツと日本は、近代・現代の歴史が似ているため比較されるが、歴史教育については全く異なったものとなっている。
ドイツの歴史教育では、負の歴史について徹底敵に生徒に教育している。教科書には、グロテスクで目をそむけたくなるような写真も載せてあり、なぜホロコーストが起こってしまったのかという問について生徒が議論し理解を深める機会がもうけられている。さらに、歴史教育をより自国的視点に偏らないように、ドイツの侵略によって被害を受けた国(イスラエル・ポーランド・フランス)とも積極的に教科書会議を実施している。
一方日本の歴史教育は、客観的に記述するあまりに、日本の行った侵略についての記述が非常に淡々としたものとなっている。
被害国である韓国・中国の教科書との記述(南京事件・植民地朝鮮政策)の差があり、歴史教科書の記述のズレが、歴史認識のズレを生み出している。ドイツと同様に、日韓歴史共同研究会・日中歴史共同研究会が実施されたが、成果はあまり出なかった 。
日本は、ドイツのように日本が加害国でもあったという「負の歴史」を積極的に歴史教育に取り入れ、隣国(中国・韓国)との関係を改善すべきだと思う。またそのことが、日本人のどこか侵略戦争に対する後ろめたい歴史感を克服し、正当な日本人のアイデンティティを形成することができることにつながると思う。

投稿者 student1
2013年6月19日10:18 [週刊押村ゼミ]


2013.6.4 ゼミ報告

6月4日の活動報告をいたします。
4限 岡崎さん
5限 松本さん
のプレゼン内容の要約は以下です。

5限 岡崎穂乃香『移民・難民のアイデンティティ』

人類の移動は5万年も前から続いている現象であり、時代と共に要因は変化してきた。現代は政治的、文化的な要素も加わった移住が増えた。しかし移民に対して偏見や差別意識を持つ人が多い。移民と受入国の人々が共存するためにはどうすればよいのだろうか、また彼らのアイデンティティーは一体なんなのだろうか。
「移民」とは国際的に定義された定義はないが、国際移住機関IOMによると"通常の居住地以外の国に移動し、少なくとも12ヶ月間当該国に居住する人のこと、と述べられている。一方、現代の移民も音大として世界中の関心を集めている「難民」は"人種、宗教、国籍若くは特定の社会集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害をうけるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを臨まないものとする"と国連の難民の地位に関する条約の第一条にて定義されている。「移民」と「難民」の大きな違いとしては「移民」は自発的意思による移住であること、また「難民」は強制的に移住せざるをえないことを言う。
移住の要因としてはPUSH・PULL理論というものがある。PUSHは移民を送り出す国の雇用不足や経済力などの状況を指し、PULLは移民を受け入れる側の国の就職機会などの状況を指す。この両方の要因が同時に発生したときに人の移動が起こる、という理論である。もう一つの要因としては移住システム論というものがある。これはより広範な社会的、経済的、文化的、政治的な背景を考慮した理論である。特徴としては前者は主に個人の選択による要因であったのに対して後者はより広い世界の出来事や状況と個々の移民の状況との相互作用による要因であるということである。
移民は受入国の労働力を補完するというメリットもあるが雇用不足を招いたり、文化摩擦が起きることもある。また、送り出し国には移民が母国へ送金することによって外貨獲得ができる、国民の購買意欲を高め貧困削減に繋がるというメリットがある一方、頭脳流出という問題もある。このように移民は受入国、送り出し国共に政治・経済・文化に大きな影響をもたらす。
具体的な例を移民を多く受け入れているドイツで見てみる。ドイツは第二次世界大戦以降、経済の建て直しのためたくさんの外国人労働者を受け入れた。その中で最も多く移民として受け入れたのがトルコ人である。彼らのアイデンティティーは世代によって異なる。第一世代は異文化にクラス孤独からイスラムへの信仰を通じて心を癒そうとしたり、母国へ帰ろうという意志が強い。しかし、第二世代になると生まれ育った地もドイツではないためトルコ人としての帰属意識が持てないのにドイツ社会からは差別されるためアイデンティティーの喪失という問題が起きる。このような移民との共存を実現させるためドイツでは2000年以降、統合への取組みが成されてきた。IT技能労働者を非EU諸国から受け入れるグリーンカード制や移民に対してドイツ語の教育を促す移民法などを制定した。しかしドイツ語の教育は上手くいかずメルケル首相は''多文化主義への取組みは失敗した''と発言した。
人の移動が自由になった現代で私たちは移民との共存をどのように進めていくべきなのか大きな課題となってくる。


6限 松本あゆみ『国籍とアイデンティティ』

みなさんにとって国籍とはどのようなものでしょうか。国籍は毎日の生活の中で特別意識されるものではありません。しかし、それはグローバル化の進む現在において私たち一人ひとりのアイデンティティを示す重要なものです。一国の国籍とその範囲はそれぞれの国によって異なる国籍法の規定の中で定められています。これを国籍立法の自主性といいます。国籍の取得要件には出生、届出、帰化の三種類がありますが、そのなかでもすべての人に関わるのは出生です。世界には、アメリカのように国内で生まれた子供にはもれなく国籍を付与する『生地主義』の国と、父親の血統を優先する『父系血統主義』、またはより男女平等に根ざした『父母両系血統主義』の国々が混在しています。ちなみに日本は1984年の国籍法改正をもって父母両系血統主義となっています。このように、国ごとに違う国籍法と近年の国際結婚増加などによって二重国籍者の発生はより一層避けられなくなってきました。国籍法については各国異なる条件を定めているのにも関わらず、国際法の中では重国籍を基本的に認めない国籍唯一の原則というものがあります。しかし近年のグローバル化によって、ヨーロッパでは重国籍容認の動きが出てきました。その一方で日本は未だに重国籍を認めておらず、重国籍者への国籍選択を迫っています。私は日本も二重国籍を認めるべきだと考えています。両親のいずれの国の文化も受け継ぐ人に国籍選択の葛藤をさせる必要は本当にあるのでしょうか。二重国籍者はこれからの国際社会の架け橋となる存在です。現状のまま二重国籍者のアイデンティティを制限していく必要性はなく、また兵役もない日本においては制限が必要なところを別の法律で補うことで重国籍に付随する懸念は解決されていくでしょう。そしてこのようにアイデンティティの多様性の実現を法律でも見直していくことこそが真のグローバル化といえるのではないのでしょうか。


投稿者 student1
2013年6月10日18:43 [週刊押村ゼミ]


2013.5.28 ゼミ報告

5月28日のゼミから3年生のプレゼンテーションが始まりました。
これから、毎回2人ずつ 3年生がプレゼンしていきます。
さっそく、前回のプレゼン内容をご紹介します。

青木花菜 『日本のナショナリズム』
領土問題で近隣諸国と緊張関係にある日本に対し、ナショナリズムが高まっているとの声があるが、果たして本当なのだろうか。
まずナショナリズムとは、民族や国家の独立、統一、発展をめざす思想や運動のことである。また国民主権であるという国民国家体制をめざすこと。
WWⅡでの敗戦までの日本のナショナリズムの歴史を振り返ると、ナショナリズムの発端は鎖国時代にある。以前まで我々意識はあったが、国民意識というのはほとんどなく、ペリー来航をきっかけに中央集権の国民国家体制を目指すことになる。巨大な黒船を見た武士たちは、このまま鎖国を続けていると独立国家としての維持が難しいと危機感を募らせ、外圧と異質な文化によって開国の気運になる。国家は、尊王攘夷論や天皇制によって創出され、国民はアイヌや琉球人の内国民化や戸籍制度などによって創りだされた。こうして明治時代、日本は国民国家体制のベースを整えた。このころの日本のナショナリズムは、国民国家を創出するための気運であったが、これは徐々に誤った方向へ進むこととなる。
19世紀、先に国民国家として自立した欧州に取り残されるという危機感から、日本も植民地政策を取り入れ、脱亜入欧をすすめる。日清戦争で勝ったこと、WWⅠでチンタオを陥落させたことなどから、欧州と並ぶ一流の国民国家という過剰な意識が生まれ、帝国主義化に拍車がかかる。WWⅡでは国民を総動員する形で臨み、大東亜共栄圏を展開させるなど、ナショナリズムの高揚がピークであった。だが結果は敗戦。このあと日本は米国の政策に組み込まれることになる。
1980年代、日本は当時世界第2位の経済大国となり、自信を取り戻しつつあったが、このころの日本のナショナリズムは意識的に抑制するものと、復活させるものという、相反した流れがあった。抑制するものとは、君が代斉唱や国旗を揚げることなどかつての軍国主義を連想させるような行為を控えること、復活というのは経済大国になったのだからプライドや自信を取り戻してもよいのではないかということである。このあたりのイデオロギーの対立は、文部科学省の学習指導要領から見受けることができる。
冷戦が解体し、日本を取り巻く環境も日本自身も大きく変わる。国際社会においては、米ソ二極構造が解体したことで、自国を自分で守る必要が生まれ、自分の国は何なのか?という問い返し、つまり国家としてのアイデンティティを再構築するようになる。グローバル化が進む中で自分の民族の生き残りを考えたとき、自分のアイデンティティを形成しておく必要があるからだ。これに関して、ハンチントンの文明の衝突の概論が有名である。
では日本はどうなのだろうか。国家の視点からみると、歴史認識についての発言などからナショナリズムが高まっていると見られるかもしれない。中国は国家目標を富強に定め、今や世界第2位の経済大国となった。だが民族としての誇りを持つためには、日本の国会議員の靖国参拝、日中戦争について日本が「太平洋戦争」と呼ぶことでまるで中国と戦ってもいないかのような表現になっていることなどを見過ごすわけにいかない。こうして近年歴史認識問題が激化しているため、日本はナショナリズムが高まっていると見受けられる可能性がある。
だが国民一人ひとりに焦点をあてると、そうではなかった。内閣の世論調査の結果から、最新の平成24年度のデータでは「国を愛する気持ちの程度」が世論調査実施以来、最高値をたたき出した。これだけ見ればやはり日本のナショナリズムが高まっていると思われるのだが、この結果を年代別にみると、若くなればなるほど愛国心が低いことが分かった。また、若年層が「日本は一流国だ」「日本人はすぐれた素質がある」などの日本人としての自信を問う問題について、高年層と中年層よりも程度が低かったことから、若年層ほどナショナリズムの程度が弱い可能性があることが分かった。
しかし歴史認識に関しては、愛国心があるほど過去のアジアへの侵略について反省するべきだという結果も分かったことから、日本人のナショナリズムは愛国心があっても、過去の歴史を冷静に見つめる姿勢が伺えた。
最近はネット右翼の存在などが日本の右傾化をささやかれる要因となっているが、日本のナショナリズムは今後どのように向かっていくのだろうか。これが今後の課題である。


秋田涼子 『沖縄のアイデンティティ』
温暖な気候、日本本土から飛行機約2時間もかかる沖縄について、今回プレゼンテーションいたしました。沖縄のアイデンティティとはどんなものなのでしょうか?私自身、大の沖縄好きとして、現地の方と多く交流した経験を生かし、日本本土では知られていない沖縄の実情をご紹介いたしました。まず、そもそも沖縄はどんなところかと申しますと、日本本土とは全く異なった歴史を持っています。琉球王国として、明、清から冊封を受けつつ、貿易の拠点として栄えていましたが、琉球処分といって薩摩から侵攻され、日本に強制的に組み込まれ、揚句、太平洋戦争では日本に捨て石にされ多くの犠牲が生まれました。アメリカにとっても日本にとっても軍事的価値を持った沖縄は、双方によって抑圧され、まさに犠牲者というアイデンティティを持つことに間違いはないでしょう。ゆえに反基地運動がメディアでも多く取沙汰されていますが、実際沖縄では反基地は県民の総意とは言えません。基地従業員が反基地に全面賛成しない筆頭です。米軍基地は沖縄の四大雇用主といえるほど大きな雇用を生み出し、基地経済依存から抜け出した、と公表されていますが、実際はそうではないでしょう。さらにあまり知られていませんが沖縄はなんと離婚率が全国一位!DVの相談数も非常に多く、暴力を嫌う沖縄県民の潜在意識の表れともいえるのかもしれません。沖縄県民は総じておおらかな性格をもっており、反米でも、自分たちを犠牲にした反日でもないのが現状です。沖縄の諺、「なんくるないさ」(何とかなるさ、大丈夫)、「いちゃりばちょーでー」(一度会えばみな兄弟だから大切にして当たり前)の二つが多文化との共生や、抑圧されたにも関わらず卑屈にならず、うちなーんちゅ(沖縄県民)であることに誇りを抱いていることを裏付ける鍵といえると考えました。

投稿者 student1
2013年6月 3日14:58 [週刊押村ゼミ]


2013.5.21 ゼミ報告

5月21日の活動報告をします。
4限の先生の講義の要約は3年生、越沼さん
5限のプレゼンテーションの要約は発表者の4年生、佐々木さんが書いてくださいました。

2013.5.21 ゼミ報告

5月21日のゼミ活動報告をいたします。
この日はプレゼンテーション合宿後、初のゼミでした。3年生以前よりも更に気を引き締めて、しかし更に打ち解けた様子でゼミに臨んでいたようです。

4限に押村高先生から「アジアのアイデンティティ」を、5限に4年生の佐々木康隆さんから「アイデンティティの理論的解明」をテーマにお話ししていただきました。


4限のテーマは、「アジアのアイデンティティ」です。
―アジアの範囲ってどこまでなの?
―「アジア」という名前は誰が付けたの?
―アジアには共通なものがなくてバラバラなの?それとも、共通点は存在するの?
そんな私たちアジア人なら誰しも疑問に思うことを、押村先生が講義してくださいました。

まず、今の「アジア」はどこまでが範囲に含まれるのでしょうか。最も広いものは、トルコ以東のユーラシア大陸を指すと言われています。もともと、「アジア」の呼称の由来はorient(oriens)で、「太陽の昇る方向」という意味があります。この呼び方から分かるとおり、自分たちで名付けたのではなく、ヨーロッパが名付けたものを現在も引き継いでいるのです。最近では、南アジア、西アジア、東南アジア、東アジア、中央アジアとアジアが細分化して呼ぶようになっています。特に、ロシア南の中央アジアはソ連崩壊後にできた概念です。

それでは、アジアの共通するもの、そうでないものはなんでしょうか。実は、アジアはバラバラだという見方は必ずしも正しいわけではなく、共通点を持っています。
「多様性がアジアで共通するものはない」という主張の根拠のひとつとして宗教があげられます。ヨーロッパ諸国はキリスト教がベースになっています。しかしアジアには仏教、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教など宗教のバックグラウンドが国によって様々です。
対して、「アジアは共通点を持つ」という考えの根拠としては、文化、経済、思考があげられます。中国文化圏では米や茶、海流や季節風、箸や漢字など共通した文化を持ちます。経済においても、中国の広い沿岸を活かしたアジアは海洋交易で栄えた歴史があります。思考では、欧米列強の植民地になった経験(タイと日本以外)から、「和魂洋才」のような物事を混ぜて考えることができるという特徴があります。

5限は、「アイデンティティの理論的解明~アイデンティティの理想と現実~」がテーマでした。次週から始まる3年生のプレゼンに備えて、4年の佐々木さんが模擬プレゼンとして発表されました。以下は内容を佐々木さんに要約していただいたものです。

私たち押村ゼミは、「アイデンティティ」をテーマにゼミ活動をしていますが、
そもそも『アイデンティティ』とは一体何なのでしょうか?
プレゼンでは、『アイデンティティ』に対する基本的な理解を深めながら、
アイデンティティが抱える、国際社会の理想と現実を見ていきました。

『アイデンティティ』はもともと「心理学」の分野で産声を上げた概念です。
そして冷戦終結後、従来の方法で分析が難しくなった国際情勢を、
新たな光で照らすかのごとく、国際政治学の世界に登場しました。
『アイデンティティ』の言葉一つをとっても、沢山の意味があるのですが、
共通して「私が他ならぬ、この私であるその核心とは何か、という自己定義」の意味があります。
例:私のアイデンティティ:日本人である私、押村ゼミ生である私、社交的な私、など

アイデンティティは、
⑴個人の自我のことを指す「個人」レベルと、
⑵集団の属性を指す「集合的」レベル、
に大別できます。

押村ゼミの性質上、後者に限定してその特徴を説明すると、3つに分類できます。
①価値観を作り上げて、集団の中で共有する(物事の善し悪しとか、身近な例でいうとマナーとか)
②人々を内包するか、排除するかの作用をもつ(仲間とそれ以外を明確に区別すること)
③集団の中で安心感を与え、協力のしやすい環境を作る(自分のコミュニティや価値観を守ること)
社会の中でしか生きていけない人間にとって、とても重要なのが「アイデンティティ」です。

例:ゼミ
①ゼミの方針とか、先生の意向
②ゼミの面接とその合否
③ゼミ生が共通の興味分野をもって、仲良く協力して活動できること

今日のグローバル社会においては、「アイデンティティ」は悪く作用することもあります。
様々な人、物、情報が越境して、交差して、多種多様なアイデンティティが生まれる複雑な世の中です。
これにより、人々は自分たちの価値観を強く押し進めたり、他人を排除したりすることもあるでしょう。
反○活動や、過激な思想の台頭や、差別や暴力の拡大が、その結果です。
アイデンティティの直面する現実です。

一方で、アイデンティティには希望もあります。
相手の価値観のルーツ(歴史、政治、経済、風習、日常生活など)を理解し、
それを寛容に受け入れる「理性の力」によって、
あわよくば、世界の人々が共感できる価値観を発見し、
お互いに協力し、信頼できる世の中が生まれることを信じたいです。

以上で要約は終わりです。
集団アイデンティティはゼミの例にもあったように、私たちの日常生活においてもとても身近なものです。同時に、グローバル社会において人種差別や内紛につながる恐ろしさを持っています。国際社会でアイデンティティの違いが具体的にどのような問題を引き起こしているのか、そしてその悪の側面を和らげるためにできることは何なのか、これからの押村ゼミでの学びが非常に楽しみになりました。
次週から私たち3年生は順番にプレゼンテーションを行います。この内容を原点にして、これから勉強していく「アイデンティティ」にかかわる諸問題を理解していきたいです。佐々木さん、基礎となるプレゼンテーションをありがとうございました。
(文責:越沼舞)

投稿者 student1
2013年5月27日00:02 [週刊押村ゼミ]


2013.5.14 ゼミ報告

みなさん、こんばんは。
5月14日のゼミ報告をします。
要約してくださったのは3年生の秋山君です。

4限では前回に引き続き、アイデンティティに関する英語の文献を読み進めました。
世界には、一国の中に3つ以上の民族を有するという、国があります。その中でスイスは、比較的強い地方自治と部分的な中央集権を組み合わせることで国の維持に成功しています。一方で、ユーゴスラビアやソビエト連邦など、民族対立の深まりが分解につながった例もあります。
同じ状況がアフリカにもあります。アフリカの場合は"tribalism"と呼ばれますが、実態は上記と同じです。部族の分布を無視して作られた国境に原因の一端がある、という点が特徴的です。
一つの国に多数の民族が集まる一方で、国を持たない民族というものも存在します。代表的な例はパレスチナ人やクルド人などです。
こういった多民族国家を維持する方法として、同化、多極共存国家、連邦制などがあります。
多かれ少なかれ、ほとんどの国が国内に複数の民族や集団を持っています。共同社会の平和を維持するために、アイデンティティの観点からは経済発展はもちろん、教育による社会の発達が何よりも重要であることを確認できました。
5限はキリスト教のアイデンティティについて学びました。一口にキリスト教と言っても、その中には歴史の中で分化していったいくつかの宗派があります。最も大きいのがカトリックでその信者数は10億人と言われます。そして、宗教改革によってカトリックから分離したのがプロテスタントです。その他に国教会や、ギリシャやセルビア、ロシアなどの正教会などがあります。
決して単一の集団ではないキリスト教ですが、それでもどの宗派にも共通する考え方の文化があります。今回は主に2つのことを学びました。
一つ目は「終末論」です。これは、世界を「現世」と聖書で予言(預言)された「終末の世界」という二元論で考える考え方です。たとえば、聖書には「天に富を積む」というイエスの言葉があります。キリスト教徒は終末の世の到来を待ち望んで生きるわけですから、教義の上では現世での富や地位、名誉は仮のものであり、求めるべきでないことになります。もっともこれは、カルヴァンによって資本主義の実情に沿うように解釈されるなど、時代に即した解釈が行われています。
もうひとつは「神の下の平等」という考え方です。キリスト教は、神の下にあっては誰もが平等であると考えます。一つの絶対者のもとですべてが相対化される、というわけです。聖書では「人を裁いてはならない」と言われますが、これもこの考え方を表すものです。
先生からお話をうかがった後、メンバーからはユダヤ教との関わりについての質問が多く出ました。
儒教の影響を受けた現世利益的な宗教観を持つ私たちにとっては、キリスト教のIDを理解することは簡単ではありませんが、世界を見る上でのその重要性を改めて感じました。

投稿者 student1
2013年5月26日23:57 [週刊押村ゼミ]


2013.5.7 ゼミ報告

みなさん、こんにちは。
GW明けの5月7日の活動報告をいたします。

4限には、"Nation, States, and Conflicting Identities" と題された英語文献を読みました。
以下はその要約です。
「RELIGION」
宗教は国際政治において重要な意味を持っていたが冷戦時には資本主義対共産主義という新たな対立軸の陰に隠れ、宗教的要因は表立ってはいなかった。こうしたことを経て国際政治における宗教の意味が再確認されるようになった。第一に、宗教組織が国際政治の重要なアクターになったこと、第二に宗教という立場が政治を凌駕するようになったこと、第三に宗教間対立の問題の発生、第四に国という枠にとらわれない宗教的つながりの発生などである。
「NATIONS,ETHNIC GROUPS, AND STATES」
Stateとnationという言葉は似ているが,stateは領土を持ち、政治による統治があり、主権を主張し、またその主権が他の主権国家に承認されている国という定義を持つ。Nationは主観的な言葉で、人々が主張すれば彼らは1つのnationであると言える。これは1つのstateの中に異なる国がある場合、複雑な問題となったりする。その例としてイギリスやカナダが挙げられる。
「Binational States」
1つの国家に2つ以上のnationが存在する例もある。その例としてベルギーがある。ベルギーにはフラマン語を話すグループとフランス語を話すグループいる。言語が違うということはそれぞれの歴史や文化も異なるということで、こうした異なるグループを1つの国として治めることは大変困難である。しかし、ベルギーはどちらのグループにも属さないドイツ人を王に据えることで、これに成功した。

5限には、1960年代のアメリカについてのDVDを見ました。その内容については、先生の解説の要約を4月23日分の活動報告としてHP上にのせてありますので、そちらをご覧になってください。
ということで、僭越ながら映像を見た私の感想を少し書かせていただきたいと思います。この映像から私が感じたことは、言うまでもない単純で明白なことですが『戦争の悲惨さ』です。本を読んだり、大学の講義を聞けば、いつどこでどんなことが起こったのか知ることはできます。どれほどの残酷なことが行われ、どれほど多くの人が犠牲となったか正確な情報を得ることもできます。しかし、それはあくまで目で見た文字、耳から聞いた言葉に過ぎません。しかし、映像からは現実がありのままのリアルな状態で私たちの目と耳に飛び込んできます。ベトナム人の男性がアメリカ兵に射殺される前の表情、なんのためらいもなく引き金を引く兵士、一瞬にして地面に倒れる身体、溢れ出す鮮血。これを見て感じることは戦争の悲惨さだけです。月並みな感想ですが、これらの事実から目を背けず学んでいくことの重要性を国際政治、国際平和を学ぶ一学生として痛感しました。
HP係 内藤

投稿者 student1
2013年5月12日22:49 [週刊押村ゼミ]


2013.4.30 ゼミ報告

みなさん、こんにちは。
ゴールデンウィークも今日で最終日ですね。
よいゴールデンウィークをお過ごしになりましたか?
私は親戚の家を訪ねたり、読書をしたりしていました。
さて、先週のゼミの活動報告をいたします。
4限の講義の要約は3年生の筒井さんが書いてくださいました。
5限には3年生が書いてきたレポートの発表をしたので少しずつですが、各自のレポートの内容をご紹介します。(HP係 内藤)


4限「日本人のアイデンティティ」
日本人のアイデンティティを①言語と宗教、②歴史、③外交の三点から分析しました。

①言語と宗教
日本語の起源はいわゆるヨーロッパ語族ではなく、独自性をもった言語といえます。
宗教では歴史を通して、様々な外国からの宗教を受け入れています。
元来、日本にはアニミズムや神道といった思想が存在していました。その後、538年には仏教が、江戸時代には儒学と朱子学が日本に溶け込みました。一見、多くの宗教の併存は不可能なことのように思えます。しかしながら、矛盾していてもしていなくても、日本人は必要なら受け入れてしまうという特徴があるといえます。

②歴史
日本は歴史上二度のアイデンティティの断絶を経験しました。一度目は西欧文化の流入、二度目は二次大戦での敗戦です。
鎖国中の日本は、ペリーの黒船来航によって日本とは異なる文化に衝撃を受けました。その後、明治前後の紆余曲折を経て、西欧文化を受け入れてゆくことになります。また、敗戦によってアメリカの自由主義、民主主義という概念が日本にも採用されることになりました。これを受けて行われた東京裁判に代表されるように、日本人の罪の意識、敗戦という記憶は、素直に過去の日本を誇れない一面を作り出すことになりました。

③外交
戦後、いわゆる謝罪外交を行った日本の外交には同じ敗戦国であるドイツとは異なった特質がみられます。
日本の国際社会の復帰のきっかけはサンフランシスコ講和条約です。しかしながら、この条約は、日本の自助努力というよりも冷戦期のアメリカ外交的戦略からなされたものという様相が強いものとなってしまいました。鎖国中にもわかるように、日本の国際社会での立ち振る舞いはアメリカに頼りがちの他力本願な外交になりがちともいえ、しばしばresponse diplomacyと批判されてしまいます。

今回は日本人のアイデンティティというテーマでしたが、武士道や和の精神といったまだまだお話しきれない多くの特徴があるといえます。今後、押村先生、ゼミの皆さんと勉強していくのがとっても楽しみです!
三年筒井


5限
「日本人としての誇りを感じない理由・日本人の国防意識が低い理由」
①米軍基地の残存。他国より劣ってる点だけ見ると、英語力の低さ、食料自給率の低さ、災害の多さが挙げられる。(青木)
客観的歴史教育によって、私たちは日本の歴史に誇れない部分があるから。(秋田)
徴兵制がなく、日常の中で国防を考える機会が少ない&国境線の意識が薄い。(秋山)
ID危機を感じる劇的状況の欠如、負の歴史→"生卵"のように、芯がない。(大矢)
海外在住や留学経験のある日本人が少ないため日本人としての誇りを感じる機会が少ない。愛国心のある教育がないから。(岡崎)
日本の歴史教育、日本の将来性、文化力。(木俣)
自国の文化よりも西洋のものがイケているという風潮から。(越沼)
太平洋戦争以後の国家体制と教育、侵略が少ない歴史をつくりだす地政学的要因から国防意識が低くなった。(筒井)
①曖昧さを好む国民性②戦争に対する危機感の薄さ③第二次世界大戦の反省 。(内藤)
途上国、イスラーム宗教国などは特に自国民としての誇りを持つが日本は経済先進国、無宗教の国民が多いため。また日本の自虐的なメディアや歴史教育が背景にあるのでは。(船津)
米国依存の国防体制。世論調査によると、77.3%の国民が現状通りに日米安全保障の体制と自衛隊の防衛を続けることが最善の安全対策であると回答。(松本)

「中国人の46%の人が日本は軍国主義であると考える理由」
②戦時中の侵略に対する反省なしの、閣僚トップの靖国参拝。(青木)
自衛隊が米軍が感嘆するほど洗練されているから。(秋田)
侵略されたという事実と、それを強調する歴史教育。(秋山)
二千年の歴史で変化して来た日中関係、大国となった日中→中は日の行動に過敏。(大矢)
中国のメディア報道が原因。(岡崎)
中国人の国民性、反日教育。(木俣)
昔から戦争相手であり、中国は日本に侵攻され犠牲を負ったという歴史経験から。(越沼)
侵略と内戦をくりかえしてきた歴史のために中国は周りの国の行動に敏感、共産党体制の維持のために外敵を創出するプロパガンダ。(筒井)
中国のメディアと教育の影響。例えば、南京大虐殺を巡り、詳細かつ感情的な教育が為されている。(内藤)
ドイツのように歴史認識や戦後の処理が十分でない、更に日本の自衛隊は国防軍(攻撃的な)レベルであるため、日本が中国の脅威になるのではないかという危惧からきているのでは。(船津)
歴史認識の溝の深さ。日中歴史共同研究の会合の場からも歴史認識の隔たりが両国の関係悪化の一因であることは明らか。(松本)


投稿者 student1
2013年5月 6日15:51 [週刊押村ゼミ]


2013.4.23 ゼミ報告

4月23日の活動報告をいたします。
要約してくださったのは3年生の秋田さんです。


4/23は、まず4限にIDの衝突について学んだ。衝突はだいたい宗教の違いが引き起こすのだが、今回はそれ以外、IDが違うから衝突を招くわけではないことに焦点を置く。例えばマレーシアでは政府がマレー人優先の政策を行うことで争いを防いでおり、パレスチナはイスラエルが建国され、現在こそ各宗教の聖地が入り交り争いが絶えないが、依然は共存を果たしていたのだ。つまり、IDが違うから争いを引き起こすのではなく、IDが構築される過程、環境、教育によって対立を生んでしまうことがある。しかしこれは逆にIDの形成過程で衝突を防ぐことができるのだ。争いが起こった時、国際社会の介入で武器を取り上げる。しかしこれはIDの衝突の根本的解決にはならず、すぐに争いは再発してしまう。だから武力介入ではなく、相手を敵と思わせぬような変化をもたらす介入が必要なのだ。元々私たちは相手に対し先入観や期待などを持っていなければすぐに衝突はしないし、相手のことを見極めようとする。だが、相手への先入観や、敵意を持っている場合、それは争いの引き金になってしまう。「衝突が避けられないと思うことが衝突の始まり」と先生がおっしゃったように、IDの違いが争いを起こす場合は、相手を対等の人と思わない、敵意を抱くに至らせる+αがあるのだ。それは教育やpropagandaなど一種の洗脳要素を持つ。戦争中は敵を容赦なく葬るために相手を人と見ないように偏見を兵士に持たせる。さらに自分たちの苦難の歴史を強調する教育や、敵国と一時的に共通の敵を持つことものちのちにIDの融和を困難にさせる要因である。その一例がイスラム国家であり、もともと宗派の違いで一つにはなれないがために、国内の不満をアメリカに向けて解消するため、イスラム対アメリカは激化の一途をたどる。このようにIDの違いによる衝突は元々の違いというより、IDの構築過程にかなり原因があるといえる。「戦いは心に宿る」まさにこの言葉に尽きるだろう。ならば争いを生まないためには社会的、利害関係の一致など経済的にも融和を図ることが効果的である。ネルソン・マンデラのように抑圧された人間が憎しみを憎しみで返すことはやめよう、と働きかけたように憎しみを増幅させないこと。共通利益を共有し、助けあい、コミュニティを構築すること。真実和解委員会などの手を借りて紛争が終わったから水に流してはい終わり、とするのではなく、紛争をもたらしたお互いの誤解、わだかまりを取り除くこと。内政不干渉、人権擁護などのルールをお互いに守ること。第三者に仲裁をしてもらい、場を鎮めること。これらの解決策や、将来を担う世代に相手に対し敵意を生まない教育をすることでIDの衝突を防ぐことができるのだ。つまり悪意や戦いを心に宿らせないための努力をする必要があるのだろう。
5限はアメリカのIDのクライシスについて。本来ならばDVDを観る予定だったのだがプレーヤーの鍵が開かないため断念、来週に持ち越し。学務を呼ぶことを提案され、あの人たち怖いじゃん、と笑う先生、可愛かったです。 ともあれ、なぜ1960年代アメリカでクライシスが起きたかというと肌の色の差別が引き起こした公民権運動やベトナム戦争が背景としてあげられる。ベトナム戦争は、共産化を阻止した戦争であるが、実は初めて映像化された戦争でもあり、激化するゲリラ戦に怯え、多くの米兵の気が狂い、米国帰還後も回復せず、ドラッグに溺れる者も多かった。さらにアメリカの都市化が進むことでソ連に対抗していた勝利者であるはずのアメリカの誇りが揺らぎ始めていたのだ。現状として、自由国家であるはずのアメリカではNative American は居住区に追い込まれ、人種差別がひどかった。1860年代に奴隷解放宣言が発表されたものの、依然として黒人の地位は低く、建物、乗り物など住み分けが行われていた。黒人の地位獲得に立ち上がったのは穏健派のキング牧師と過激派のマルコメクスが著名である。この二人の活躍や北アイルランド紛争、アジア、アフリカ諸国の独立という流れもあり、結局ケネディは公民権を与える宣言を行うものの黒幕不明に暗殺される、というのが激動の1960年代アメリカのIDクライシスである。 今週はDVDが観られなかったので、来週鑑賞しよう、ということで今週のゼミは終了。来週のDVD鑑賞後は懇親会もあるし楽しみですね!

投稿者 student1
2013年4月29日23:46 [週刊押村ゼミ]


2013.4.16 ゼミ報告

初めまして。
ホームページ係になりました、内藤と申します。
持ち前の筆マメさを活かして頑張ります。
よろしくお願いします。


2013年4月16日の活動報告をします。
4限「identityとは」
Identityとはラテン語の"idem"(=the same)に語源を持つ言葉です。Individual identityとcollective identityがありますが、押村ゼミで主に扱うのは後者の集団アイデンティティの方です。さて、なぜこのようなアイデンティティというアプローチが必要なのでしょうか?理由として、国民国家の揺らぎやグローバル化、自由化が挙げられます。グローバル化する社会においては以前よりも異質の文化に触れる機会が多くなりました。そして、その異文化によって自分とは何かということをより強く意識するようになったというわけです。つまり、グローバル化すればするほどアイデンティティが揺らぐから、これが問いに対する簡潔な答えでしょう。しかし、アイデンティティという言葉は私たちのDNAに備わっているものであると誤解されてしまうことがしばしばあります。アイデンティティは周囲の環境によって形成されるもので、決して生まれた時から有しているものではありません。赤ちゃんが"dad"や"mom"という存在を認識した後に"I"を認識するように、第三者との交流によって生まれるものなのです。


5限「フランスのアイデンティティ」
フランスは西ヨーロッパにある正六角形の国です。人々はローマ文明の継承国である、国民国家をどの国よりも早く作った国である、というような自信を持ち日本とは対照的に自分たちは世界の中心であると思っています。また、カトリック国でありながら、非宗教性の色が濃く教育といった社会の場に宗教を持ち込むことを嫌います。近年話題になったムスリムのベール問題などがその一例です。また、フランス人は英語を話さないという神話は誰もが耳にしたことがあるのではないでしょうか?その理由として
1対抗意識の表れ
2フランス語こそヨーロッパの正統なのだという意識
3ことばの構造の違い                      
などが挙げられます。
フランス人は自分たちに衰えをもたらすライバルであり歴史も文化も持たない成り上がり者でもあるアメリカを嫌悪しています。また、発音的にもラテン語に近いフランス語こそが正統であるという意識が強く、英語はフランス人にとって方言のようなものに過ぎません。また、単語の後ろにアクセントを置くフランス語話者にとって、前にアクセントを置く英語は馴染みづらいようです。こういうわけでフランス人はまともに英語を勉強しようとしなかったのです。しかし、最近では英語を話すフランス人も大勢いるようですから旅行に行った際なども心配は必要ないかもしれません。これらのこと以外にも、フランスにおける食事情や家族事情など生きたフランスの情報を吸収することができました。私もフランス=芸術の国といった乏しいイメージしかありませんでしたが、少しフランスについて詳しくなったような気がします。イメージにとらわれずに国の最新の情報を求めることが正しい理解につながると改めて思いました。

3年ホームページ係 内藤

投稿者 student1
2013年4月17日22:12 [週刊押村ゼミ]


2013.2.2 ゼミ報告

こんにちは。ブログ係の河貴娟です。

2012年度押村ゼミ最後の記事になりました。17期先輩方との最後の日に行った「卒業論文報告会」と「卒業生追いコン」の報告です。
その前に、一年間原川拓士くんが素敵な写真をたくさん撮ってくれました。
この場をお借りして、ありがとうございます!


まず、午後に先輩方の卒業論文報告会を行いました。
以下4年生のお名前と卒業論文テーマになります。

杉山 晶子  『日本のパブリック・ディプロマシー ~クール・ジャパンの可能性~』
新谷 萌    『ベトナムの改革・開放への道のり』
岩谷 惟子  『日本人の領土意識 ~安全神話はどこまで通用するのか~』
西田 圭吾  『武士の精神と日本』
生須 美輝  『多民族国家アメリカにおける教育 ~「多様性の中の統一」の実現のために~』
西岡 真菜  『「無宗教」という日本人のアイデンティティ』
音石 達矢  『都道府県体制の限界 ~道州制構想の検証と展望~』
松井 ゆりな 『同和問題と人権教育』
堤 友理絵  『ポーランド人のアイデンティティ ~宗教IDにみるポーランドの独立~』
川上 泰   『韓国における反日感情とその形成要因』
北原 友里奈 『個人主義の変容 ~近代化と日本~』
小宮 明子  『日本の学校給食におけるグローバル化とローカル化』
針替 朝子  『上部ライン地域における越境政策 ~EU統合の中で~』
榎本 あや  『アメリカにおけるセクシュアルマイノリティのアイデンティティ』
長谷川 稜  『「想像の共同体」リベラル・ナショナリズムの視角からの再検討 ~差異の世界における正義の探求~』

DSC_0037.JPG

DSC_0058.JPG

DSC_0060.JPG

DSC_0066.JPG

DSC_0069.JPG

DSC_0072.JPG


発表と先生からのコメント。

DSC_0078.JPG

報告からじりじり伝わるそれぞれの卒業論文の独創性と濃さ。そして大変さ。
書く際のアドバイスだけでなく、卒論とどう向き合うかという姿勢そのものを教えて下さいました。
4年の皆様、本当にお疲れ様でした!


そして夜はお待ちかねの追いコンです!
毎度お世話になっている日比谷バーにお邪魔しました。
DSC_0080.JPG

いつも素敵なお酒を作って下さるのですが、今回はなんと17期一人一人の名前にちなんだカクテルがっ!!粋なお計らいありがとうございました!!どれも美味しかったです。

乾杯しガヤガヤとしてきたところで3年生が用意したクイズをどーん!内容は「漢字で当てよう押村ゼミクイズ」!
チームごとに代表者を一人選び、出されたお題に沿ってチームの人たちが紙に書いた一文字ごとの漢字から、答えを推察してもらうというゲームです!もちろん優勝チームには商品、ビリチームには罰ゲーム。
代々木のモスクやゼミの教室番号(227!)など思い出深いテーマで大盛り上がり!

DSC_0084.JPG

見事優勝は岩谷さん&西田さん率いるチーム!
ビリチームを代表して音石さんが押村先生のモノマネ!そして先生からのダメだし。笑 ありがとうございました!

みんなの体感温度が高まったところで、3年生から4年生に向けて作ったムービーを上映。

見ながら、おー!あはは!ひゅー!といろんな歓声が聞こえ、最後に先生からのお言葉でしんみりと締め。
4年生が楽しんでくださり、3年一同とても嬉しかったです。
ムービーのDVDと色紙にお花を添えて先輩方にプレゼント。

そして4年生一人一人からのお言葉。

DSC_0100.JPG

DSC_0102.JPG

DSC_0105.JPG

DSC_0109.JPG

DSC_0122.JPG

17期幹事の川上さん。厚い人情とアツい心で、率先してゼミをグイグイ引っ張っていく押村ゼミのリーダーでした。


18期幹事の佐々木君から17期へのメッセージ。


なんとここで4年生からのプレゼントが!!
押村先生へアルバムとワインをプレゼント!先生満面の笑顔で嬉しそうでした!

DSC_0134.JPG


3年生一人一人にはメッセージを書いた色紙が!みんな感激で宝物です。ありがとうございます!
DSC_0145.JPG

そして幹事の川上さんにも4年生からプレゼント。
すごい盛り上がりでした。

DSC_0138.JPG


最後に先生からのお言葉。そしてドキドキの17期ネーミングは...?!

DSC_0139.JPG
"伝説の17期"
に決定しました!


集合写真
DSC_0148.JPG


最後に17期幹事の川上泰さんと18期幹事の佐々木君からコメントを頂きました。

17期 川上泰さん
押村先生、2年間本当にお世話になりました。僕たちがこうして無事卒業できるのも、いつも先生が17期一同を温かくご指導して下さったおかげです。本当にありがとうございました。今後はまとまりの強い17期らしくゼミの繋がりを大切にし、先生からいただいた「伝説の17期」というネーミングに恥じぬよう、押村ゼミ生として社会に貢献していければと思っています。卒業後も、OB・OBとしてよろしくお願いいたします。
そして3年生。1年間お世話になりました。個性が強く自立しているみなさんと共に学ぶことができて本当に楽しかったです。一年間約30回という授業の中で、先輩として少しでもみなさんの模範となりゼミに貢献できていれば嬉しいです。これからはみなさんが最上級生。押村ゼミの伝統を受け継ぎつつ、18期らしいゼミにしていって下さい。また、素敵な追い出し会を開催していただきありがとうございました。試験や就職活動で忙しい中、笑いも涙もあるクオリティの高い追い出し会を開いてくれたことが本当に嬉しかったです。残りの大学生活とゼミ、全力で満喫して下さい。卒業後もよろしくね。


18期 佐々木康隆君
18期は、「伝説の17期」こと4年生の先輩方に多くの刺激を受けてきました。
17期の先輩方は、一人一人の個性が輝いていて、尚かつ全体の和もとれた、すばらしい代なのだとつくづく思います。
そんな先輩方の後輩としてゼミに入り、学ばせて頂いた事、かわいがって頂いた事、背中を押して頂いた事、全てに感謝致しております。先輩方から託されたものを、これからは19期の後輩に受け継いでいき、ゆくゆくは「伝説を越えたと噂の18期」になれるよう頑張ります!!
2年間お疲れさまでした。本当にありがとうございました。


4年生の皆様、2年間本当にお疲れ様でした。
こんなに温かい先輩達と出会い、押村ゼミで共に学べたことは私たち18期の誇りです。
社会に飛び立っていかれる先輩方の健康と一層のご活躍を心よりお祈りしています。
是非ゼミに遊びにいらしてください!
大好きな先輩方、一年間ありがとうございました。

投稿者 student1
2013年2月11日20:02 [週刊押村ゼミ]


2013.1.8 ラストゼミ


こんにちは。

この日は今年最初のゼミ、
そして今年度最後のゼミでもありました。

大好きな先輩たちと過ごせる最後のゼミということもあり、
みんな4時間目から少しそわそわしていていつもとは違う雰囲気が漂っていいました。

4時間目


最初にいつも通り基本的な連絡事項を話したあとに、
今日は最後ということでプレゼンテーションはなく、
先生から就活についてのお話を聞きました。

みな、ちょうど就活真っ盛りの時期だったこともあり、
今まで貯めていた不安や疑問をたくさん先生にぶつけ、
先生もそれに丁寧にアドバイスをしてくださいました。

・長所や短所は何を書けばいいの?
・挫折経験てどんなふうに言えばいいの?
・面接で言わない方がいいことは?
・ゼミの内容を説明してくれって言われたら、なんて伝えればいいの?
・アイデンティティってなんて説明したらいいですか?

などなど...

就活についての小さな疑問から、
みんなが感じていた定番の疑問まで、
先生への質問は絶えず、
4時間目いっぱい就活についてのお話が続きました。

特に、ゼミの内容やアイデンティティという用語をどのように伝えたらいいのか?
はみなが不安に思っていたようで、みんな真剣に聞いていました。


先生の話を真剣に聴きながら、
みんなメモをとっており、
4時間目はあっという間に過ぎてしまいました。

5時間目


先輩たちと過ごせる最後の時間でした。

5時間目は、先輩たちから就活についてのアドバイスと一言メッセージをいただきました。

就活を順調に終えた優秀な先輩たちのアドバイスは、
とてもためになるものばかりで、みな真剣に聞いていました。

また、一言メッセージはこれから追いコンもあるということで、
そこまでにとっておく、とおっしゃりながらも、
とてもこれからの私たちにとって有意義なアドバイスを
たくさんくださりました。


先輩たちには本当にたくさんご迷惑をおかけしたのに、
最後までとても親切で、
ゼミを続けていく上で大切なことや、
これからの生活で重要なことなど、
いろいろなことを話してくださいました。


先輩たちへ私たちが伝えたいこともたくさんありましたが、
5時間目は先輩からのアドバイスと、
先生から先輩たちへのお話でしめられました。


先輩たちには感謝しても感謝しきれません。
こんなに未熟な私たちをずっと支えて、
たくさんアドバイスをくれたり、
プレゼンの時はいろいろなことを教えてくださったり、
本当にありがとうございました。


みな、言葉には出さなかったけれど、
どこかさみしそうな雰囲気の漂う5時間目でした。


投稿者 student1
2013年1月 8日08:59 [週刊押村ゼミ]


2012.12.18 3年プレゼンテーション&4年卒論中間報告

こんばんわ久保です。

2012年も最後のゼミ活動となりました。
本日のゼミは特別編と言う事で、
普段の3年プレゼンテーション、4年卒論中間報告に加え
4年生が準備して下さったクリスマス会、
そして留学から帰国された16期榎本先輩にも中間報告をして頂き、
盛りだくさんで今年を終えました。

ドイツのクリスマスでは欠かせないケーキ、シュトーレン
IMG_8401.JPG

コーヒーと先生からのチョコレートを頂きながら、優雅なひと時でした!
IMG_8400.JPG


ケーキ、飲み物など準備して下さった4年生には本当に感謝しています。
私たちもゼミ思いな先輩方を目指したいものです。

以下、プレゼンテーションの要約です。

3年 麻生千尋『国境・領土とはなにか』

私たちが学部で勉強している国際政治学は、近代以降の国際社会システムを前提とし、
その上でグローバリゼーション、グローバル・イシュー、グローバル・ガバナンスなどといった目新しい側面に焦点を当てています。
しかしそもそも、現代のような国際政治システムはいつから、どのように形成され、私たちの生活・思考を支配するようになったのでしょうか?
その理解のキーワードとなるのが、このプレゼンのテーマである「領土(性)」「国境」であり、
そして領土に結びついた「ネーション(ナショナリズム)」というアイデンティティです。

人類の歴史は戦争の歴史であると言われますが、特に近代以降はその戦争の原因のほとんどが領土の所属をめぐる戦いであったと言えます。
領土は私たちが安心して生活し、そして国家が繁栄できるための、安全・住居基盤・食料生産そして地下資源をもたらす、
いわば国家にとっての"生存圏"そのものです。しかし、生きるための領土のために戦って命を失っては本末転倒です。
やがて人々は、争いをやめるために不戦の約束をしました。それこそが「国境」の誕生です。
国境によって線引きされた領土は、基本的に1領土に1権力が排他的支配権を持つという不可侵の原則によって、"正当な"統治を受けることになります。

近代以前は、世俗の権力よりも上位に、普遍的(と信じられていた)宗教的・文明的な権威があり、
それが「神からの授かりものである土地」をゆるやかに支配し、秩序立てていました。
しかしやがて、それまれ1つであったその普遍性・絶対性が疑問視されると(宗教改革)、戦争が起こり(三十年戦争)、
宗教秩序と世俗支配を分離して考えるようになります(神聖ローマ帝国の解体)。
また、商業活動が活発化し都市が発達すると、権力はその富を独占するために、
生産・労働力(ヒト)・富の基盤である土地を人為的に合理的に管理するようになりました。
そうして力をつけていった強い権力が周辺の比較的権力の弱い共同体を吸収していき、
地方分権的だったヨーロッパ世界は、中央集権化していき、国王は前近代の宗教的権威に代わる絶対的な存在として領土の支配権を独占するようになりました。
やがてフランスをはじめとして市民革命が成功していき、権力は一般大衆の手に渡ります。
自己を統治し、領土を支配する"正当性"の基盤として、人々は自分たちを、共有する意志(ジェネラル・ウィル)を持つ、ひとつの共同体であると主張しました。
これが「国民(ネーション)」の誕生です。

こうして、現代にも引き継がれる、"私たちが本来正当に有するべき土地(固有の領土)"という領土ナショナリズムの考えが生み出されました。

今日、国境を越え、領土性の衰退していくはずのグローバル化の最中でも、世界中のあちこちで領土をめぐる激しい争いが後を絶たちません。
それは結局、上記のことを考慮すると、物理的な領土(やそこにある資源)以上に、人々が自らのアイデンティティをかけて争っているのだと見て取ることもできます。

"私たちに本来帰属すべき領土"の正当性の根拠となるネーションは、3つの側面から主張することができます。
①歴史・神話、②文化・エスニシティ、③政治的帰属意識です。領土をめぐる争いは、この視点や解釈の違いから生じるものが多いです。
これらのどれがより優先されるのかに関しては国際的な合意はありませんし、このような意識=アイデンティティに関しては、具体的に証明することも難しいです。

人々のアイデンティティと国境線が一致していない例としてアフリカがよく例に挙げられますが、
彼らは1960年の植民地独立付与戦前の際に、当時の植民地支配の管轄区を基礎にして政治的帰属意識を根拠に独立を果たしてしまったことが原因であると言えます。
国境の引き直しをめぐって再び紛争が多発しないために、国際社会ではローマ法に基づく合法性を根拠に「領土保全」原則にしており、
一度「ネーション」として主張し独立した国に、二度目の機会は与えられないことになっています。
よって、アフリカでは矛盾を抱えながらも、今一度エスニシティを根拠にして独立・国境線を引き直す、ということが出来ません。
(但しチェコとスロバキアのように円満離婚なら可能?南スーダンは例外?(すいませんよくわかりません))

以上のように、近代国際政治学において"正当性"の基盤となる「ネーション」という概念に埋め込まれた矛盾が、
「国家」「国民」というアイデンティティの問い直しを求められるグローバリゼーションの時代において、
いよいよ誤魔化すことが出来ないまでに疼きだしているようです。


卒論中間報告 4年長谷川 稜

『「想像の共同体」リベラル・ナショナリズムの視角からの再検討ー差異の世界における正義の探求』

特定の項をプレゼンするというよりも、論文構成がわかるように、それぞれの章の骨子を包括的に大きく三点。

①想像の共同体とは
「この限られた想像力の産物のために、過去二世紀にわたり、数千、数百万の人々が、殺し合い、あるいはみずからすすんで死んでいったのである」
とB・アンダーソンが筆をとったように国民とは「イメージとして心に描かれた想像の共同体」のことです。
国民である私たち一人ひとりには命があるのに対し、概念としての「国民」には「死」がありません。
ここに国民としての宿命を感じさせる、ナショナリズムの魔術があるとアンダーソンはいいます。
いかなるプロセスを経て、何を原動力にネーションはつくられたのか。
おおきく三点あげると、(1)出版資本主義 (2)人口調査、地図、博物館、スポーツ (3)民主化に集約され、
これらの要素が相まって水平・世俗的、時間・横断的なネーションが形成されていきました。

②リベラル・ナショナリズムとは
アンダーソンのナショナリズム論からは「虚構性」や「物語性」が抽出されるわけですが、
リベラル・ナショナリズムの問題意識は、それを更に深く掘り下げることでした。
すなわち、ネーションには虚構を越えた実体性があるのではなのかという根源的な問いです。

そもそもリベラリズムとナショナリズムって反発しそうな概念ですよね。
リベラルの側は自立、反省、選択を尊重するのに対し、ナショナルの側は所属とか、忠誠、連帯といったものを強調します。
リベラル・ナショナリズムの真髄はこれらの立場が相互に排他的なのではなく、お互い包摂し合う関係にあるとしたことです。
ネーションが想像からなるものだとしても、それは自覚的に維持されなくてはならない。なぜでしょうか。
ネーションに所属することは共同体内で相互的な責任感を生じさせるからです。
人間関係の発展、言い換えると共有された目的を達成するために他者とともに奮闘する能力は、人間的生活を豊かにします。
ネーションに内在している連続的なメンバーシップに対する敬意は、自らを祖先と将来の世代とに結びつけて、現代生活の特徴である孤独と疎外を減らし、
それによって個人に人間的生活と創造性との連続の中に自らを位置づけることを可能にさせるからというのです。

③弱いコスモポリタニズムとは
ナショナリティというものがコスモポリタニズムとは本質的に相容れないものなのか。
リベラル・ナショナリストのグローバル・ジャスティスへの見解にヒントを求めながら考察します。
そのためにここでとくにD・ミラーの「弱いコスモポリタニズム」という考え方を援用します。
ナショナリティとは心に深く刻み込まれたものなので、人々が国籍を越えて真の意味でコスモポリタンになるのは容易ではないし、
現行では難しいと言わざるをえません。
それでも、深刻に広がったグローバルな不平等を鑑みるなら、
ナショナリティを越えた人間としてのニーズに基盤を置いた普遍的な正義があるはずだという確信がたしかにあります。
弱いコスモポリタニズムはナショナリティに「想像」を越えた本質的価値を認めた上で、
人類全体に対して持つ一般的な義務を履行する責務を追求する観念のことです。
さらに深く理解を含めるために事例として、(i)アメリカのソマリア内戦への介入 (ii)シンガーの責任論を導入しました。

一章でネーションがいかにして「想像」から成立し、成長を遂げ、維持されたのか、
二章では想像は更新されうるものであることをリベラル・ナショナリズムの視点で確認し、
三章で想像の先にあるグローバルな正義をいかに達成できるのかを考察します。
導きたい結論としては、グローバリゼーションが進行して久しい今日であっても、
ある国民国家で暮らす住民の一人一人は自分たち自身の言葉、歴史的な記憶、慣習、信念、
コミットメントなどに結び付けられた主体(言い換えると文脈づけられた個人)であって、国内的文脈から解き放たれているとは言い難い。
異なるナショナリティには異なる道徳がある。
それを尊重し合うことを前提した上で、
文化・宗教を越えた人間としてのニーズに目を向けた人権保障の国際秩序を創造(想像)していくことが必要であるということです。


卒業中間報告 4年川上 泰
『韓国における反日とその形成要因』

 今回は2年間お世話になった押村ゼミ最後のプレゼンでした。
卒論のテーマである「韓国における反日とその形成要因」についてプレゼンを行いました。
韓国は日本にとって地理的に最も近い国家である一方で、政治的・歴史的に様々な問題を抱えています。
これらの問題により、韓国内において反日的な感情が存在しており、それは統計等のデータからも裏付けられています。
昨年行われたロンドン五輪サッカー日韓戦における竹島論争や前回のWBC(ワールドベースボールクラシック)で
日本を下した韓国チームがマウンドに国旗を立てたこと、また事ある度に叫ばれる竹島問題に起因するデモは決して反日感情とは無関係ではないでしょう。
しかし、反日感情と一口に言ってもそれは普段目に見えない無味無臭の概念であり、
明確に定義付けられたものでもありません。何か問題が発生した際に表出してくる概念です。
そこで、この卒論ではそもそも韓国人の日本に対するイメージとはどのようなものか探った上で、
その中に日本に対して批判的な意見が多数存在するようであればそれを抽出して反日の定義付けを行います。
その上で、反日感情の実態を明らかにし、形成要因を探り、日本に対するネガティブな国民感情をいかに解消すべきかという点について考察することを目的としました。
基本的クエスチョンと論文の構成は以下の通りです。

基本的クエスチョン
・韓国における反日感情の実態とはどのようなものか。
・反日感情は何に起因し、いかにして形成され、どのように増幅されるのか。
また、批判的な国民感情の形成に今日のマスメディアが果たす役割はどのようなものか。
・今後、日韓の問題を乗り越え、韓国の反日感情を取り除き、肯定的な日本観を醸成するにはどうすべきか。
現在行われている取り組みはどのようなものがあるか。

論文の構成は以下の通りです。
 一章では「韓国における反日感情」という章題で、主に統計や世論調査から韓国人の日本観を明らかにし、
その上で反日の定義付けを行います。論文における反日の定義についてはいくつかの文献に基づき
「日本に対するマイナスイメージおよび日本を拒否し、接近するのをはねのけようとする感情や主義主張。
また、そのような感情を持つ外国人やこれらの人によってもたらされる活動の総称。」としました。
また韓国人の日本観のみならず、戦後の日韓関係史を探り、日韓に横たわる歴史問題・領土問題と反日感情がどのように結びついているかを明らかにします。
ただし、韓国は決して反日一辺倒ではなく、日本に対する好意的、親日的な意見も存在するので、これらの意見についても考察します。
二章では、反日の形成要因が教育とメディアにあると仮定し、韓国の教育とメディアがどのような日本像を作り出しているかを探ります。
前章でも触れたように、この章でも韓国の教育やメディアが必ずしも全て反日的な要素を含んでいる訳ではなく、
特にメディアに関しては公正な報道や好意的な報道が行われているという側面についても具体的事例から明らかにしていきます。
また、教育やメディア由来の情報を得た受け手の心情についても触れていきます。
しかしそうは言っても、実際に政治問題・領土問題が発生した際には、どんな国家でも自国目線での報道をしてしまいがちです。
そこで、二章では教育とメディアの功罪、プラスとマイナス両方の側面について分析したいと思っています。
最後の三章では、今後の反日感情は何処へ向かうのか、どのように変化していくのかを考察します。
反日を増幅させる要素は、政治・軍事などのハードなものから経済や文化芸のなどのソフトなものまでたくさんあります。
特にその中でも領土問題や歴史認識は間違った方向に向かえば反日をエスカレートさせる可能性を秘めています。
その一方で、反日を解消させる要素や取り組みがあることも事実です。近年、特に2000年以降、日韓の文化交流が著しく盛んになり、
韓国における日本文化の流入制限も段階的ですが開放されつつあります。韓流ドラマや韓国人歌手が日本のテレビに出ることも増えています。
そのような流れの中で両国の文化がプラスに作用し、以前と比べて両国民の心的距離は縮まっていると言えるでしょう。
漫画や音楽などのPopカルチャーや、映画やテレビ等のメディア文化などのソフトパワーを用いた非伝統的外交手段による国家間関係の構築は
パブリックディプロマシーと呼ばれ、外務省や経産省も実際に外交戦略の中に組み込んでいます。
また、日韓にまたがる歴史問題についても歴史教科書対話が行われており、
このような取り組みは両国の国民感情を肯定的なものにしていく可能性を持っています。
三章では、肯定的な日本観をいかに醸成していくのかということに焦点を当てるつもりです。

以上が卒論とプレゼンの主な内容になります。
 卒論の中でも一番力を入れたいと思っているのが第二章です。
ある人が違う人のことを認識し判断する際に用いる要素は主に情報と経験です。
同様に、日本人が外国人を認識判断する際に用いる要素も情報であると言えます。
そして、論文で扱う他日韓の相互イメージつまり多国観を作り上げているのも情報と経験です。
しかし多くの場合、他国の人と接したことやその国に行くという直接経験をしたことが少ないため、
どうしても外国イメージは情報に依拠することになります。では、この情報はどのようにして人々にもたらされるのでしょうか。
それは主に、テレビ・新聞・ラジオ等のマスメディア、学校教育、書籍、他人からの伝聞、そしてインターネット経由の情報が大半になるでしょう。
テレビや新聞はマスメディアの凋落が叫ばれる今日においても、依然として人々の他国イメージの形成に大きな影響力を及ぼしています。
しかし一方で、インターネットという情報ツールが世界的に普及し、日韓でもそのユーザーが全国民の8割に達しています。
このように社会が情報化する中、情報の担い手は従来のようにマスメディア一極ではなく、
誰でもインターネットを介して情報を発信できるようになり細分化しているのです。
つまり、相手国のイメージを形成する上で大きな要素となり得る「情報」がメディアからインターネットに少なからずシフトしつつあると言えるでしょう。
論文の内容とは反れますが、情報の担い手としてのインターネットの存在だけでなく、
実際にインターネットは社会を変革させる力も持っています。エジプトやチュニジアで起きた一連の革命はインターネットの存在なしには語ることができません。
つまり、あらゆる側面においてインターネットは影響力を行使するようになっています。
しかし、このようにインターネットの力が増幅している中にあっても、
マスメディアはインターネットよりも人々が抱く外国イメージ形成に強い影響を及ぼしていることを具体的事例と客観的データから明らかにしたいと思っています。

卒業後マスメディアで働く者として、卒業論文の執筆を通じて情報を扱うことの意味とメディアが与える影響、そしてメディアの現在の立ち位置について、国際関係を中心として考察していきたいと思います。


以上です

投稿者 student1
2012年12月28日02:00 [週刊押村ゼミ]


2012.12.11 3年プレゼンテーション&4年卒論中間報告

こんにちは、河です。
ゼミ活動もいよいよ終盤に入りました。
発表記録になります。

4限

3年 島川小百合 『中国少数民族問題』

皆さんが想像する「中国人」は、漢民族と呼ばれる中華人民共和国の一つの民族です。
世界最大の中華人民共和国の人口は漢民族と55の少数民族で構成されています。
また、漢族と少数民族は階層的構造になっており漢族が少数民族を支配するための政策がとられているといえます。
では、中国の国民とは一体誰なのか、56の民族は同じアイデンティティを共有できるのでしょうか。
1.漢民族と少数民族
ではまず中国の90パーセントを占める漢民族とはどんな民族なのでしょうか。
実は漢民族に典型的な遺伝的血統があるわけではありません。
漢民族は紀元前に秦の始皇帝が生みだした漢字文明を用いる漢族が由来です。そこからは異民族でも漢族の文化伝統を受け入れれば、漢族とみなされるようになり、漢民族は漢字が生まれてから現代に至るまでの1600年の歴史の間に多くの民族との融合、歴史を経て成り立っています。
また、漢族の重要なアイデンティティにとして中華思想があります。
中華思想とは清朝の時代に存在した伝統的中華国際秩序から生まれたものです。
まず、中華とは「優れた文化を持つ者」を意味し、漢民族の間で「中国」と同様の自称として用いられました。「中心の国に住む優れた文化の担い手」という意味の「中華」には、地理的な意味に加えて、「漢民族のアイデンティティ」と「中華文化の優越性」という要素が共存していました。
中華帝国で生まれた民族が融合された漢民族は中華思想というこの階層的な儒教的概念を理解・共有しているといえます。
つまり、漢民族は概念を共有することで形成された民族といえます。中国の学者であり、民族概念を最初に使用した梁啓超(リョウチョウケイ)が『新民説』で「自分が中国人だと反射的に思う人が中国人の範囲である」との言葉を残していることもそのことを裏付けています。
2.少数民族政策
中国における少数民族政策は1949年に新政権がうまれてから一貫した政策の原則があります。
1つ目は諸民族の平等
2つ目は民族区域自治政策(中国民族区域自治)です。
民族を55に分けた民族識別工作は、この政策原則のもとに遂行されたものです。
諸民族の平等とは差別的な民族の呼称や地方名を廃止したり政治権利を廃止したり小さなエスニックグループを民族にひきあげるなどの政策がとられました。
民族を発掘し権力による識別と認知をする民族識別工作によって55の民族を平等にし、自治や文字、議席、幹部をもち、民族間の不信や不和を緩和し中国人としての、われわれ意識作る大きな役割を担いました。
しかし、このような民族平等政策によって
・部族や部落と呼ばれていたエスニックグループが『民族』に昇格し、民族意識が強まったこと
・モンゴルやチベットのような文化的宗教的に歴史が古く大きな民族と、リー族やジノー族のような小さな民族も同じにされてしまった問題があります。
2つ目の民族区域自治とは、
少数民族が集中している地域を区画してそこに一定の自治権を与えるものです。
民族自治の例えとして、中国政策の有名な一人っ子政策は、漢民族同士の夫婦のみに適用されるため、夫もしくは妻のいずれかが外国人もしくは少数民族の場合、この政策は適用されません。
区域自治の問題点としては、属地主義であり、居住していない民族少数社には自治権が保障されないことです。
以上の2つの政策原作に一貫する政策目標が愛国意識を持つ国民の形成、国民国家の形成です。
新国家として統治するために、かつて中央集権が生き届かなかった辺境地域の人々や、固有の文化政治的集合体をもつモンゴル人やチベット、小さな民族にも中央集権への一体感、共和国のメンバーとしてのアイデンティティ、忠誠心を植え付ける必要がありました。
そのため民族として平等、自治区を与えて『上からの国民形成』を行うことがすべての政策の目的でした。
3.民族問題
しかし、ご存じのとうり中国の民族問題はなくならず、特に宗教政策で多くの問題を抱えています。
代表的なものはチベット問題と新疆ウイグル問題です。
チベット民族はチベット仏教、ウイグル民族はイスラム教を信仰しています。
なぜ問題が起きているのか、原因の1つに厳しい宗教政策があります。
宗教政策は建国直後の平等や自治のように優しいものではなく、宗教組織や宗教指導者の全てをとりあげるものに変わりました。
チベットの例をみてみましょう。
チベットはかつてひとつの国あったのにも関わらず1951年に17条協定で中国のⅠ部になってから仏教国であったチベットの95%以上の僧院を破壊し、多くの僧侶を還俗させ、経典を焼き、仏像を持ち去って溶かしました。また、僧院を中心とした社会の仕組みを壊しました。
1959年にはチベットの都ラサで市民による大規模な反乱(いわゆるチベット動乱)が起こりましたが、もちろん中国軍に鎮圧され、指導者のダライ・ラマ14世がインドに亡命
69年、食糧危機がきっかけのチベット暴動
87~89年のチベット独立運動
2008年にも大規模なチベット暴動がおこりました。
はやり、厳しい宗教チベットの文化やチベット人のアイデンティティの破壊、人権の抑圧は、現在も着々と進んでいるといえます。
宗教を抱える民族問題の原因の二つ目は、漢民族のアイデンティティ要因である、中華思想であるといえます。
中華中心の中華思想は儒教のものであり、儒教とはことなるチベット仏教やイスラーム教信者にとって理解できるものではありません。
チベット民族、イスラム民族どちらの民族も世界宗教を信仰していて仏教の世界、イスラームの世界を中心とします。つまり、中華を中心とする中華思想とは相反するのです。このため、宗教を持つ民族が文化的・歴史的な中華アイデンティティを共有して持つことは難しいといえます。
中国はなぜここまでして少数民族を支配、維持するのでしょうか。
それは、少数民族がすむの地にある自然資源の豊かさを手放さないだけではありません。
中国が一つの少数民族を手放すことは、他の少数民族の分離独立、つまりソ連のような国内国家崩壊を招く可能性を恐れているからといえます。
おわりに、
結論として、
中国の民族は深い歴史や宗教をかかえていて、とても複雑です。
民族としての特徴にあげたように民族間の差が大きく定義があいまいで、民族として2番目に多いホイ族はイスラーム教という特徴のみによって漢族と区別されています。
つまり、中国56の民族が中国人としての同じアイデンティティを共有するのはとても難しいといえる。
中国の民族たちは文化的・歴史的アイデンティティは共有することや、上からの強制的な国民形成は不可能だといえます
本当に中国の民族が(われわれ意識)を持つためには、文化的アイデンティティを共有するのではなく、政治参加、一緒に国を作っていること意識からなる政治的なアイデンティティの共有が必要になるのではないでしょうか。


5限

4年 西田圭吾 『武士の精神と日本』

夏に発表した時とタイトルは変更していませんが、範囲が広すぎて薄っぺらい論文になってしまうことが懸念されたので、内容を絞り章立てし直しました。今回の発表では、最初に自作の図を用いて変更した論文の全体像を明らかにしました。参考までに基本的クエスチョンを載せておきます。
基本的クエスチョン
・武士道は時代によって様相が異なり、その背景に禅や儒教の影響があると言われているが、武士とそれらはいつどのようにして結びついたのか。また、それらは武士にどのような影響を与えたのか
・武士道という言葉は皮肉にも武士が滅亡してから盛んに使われるようになったが、それはどうしてか。また、武士が滅亡してから唱えられた武士道とそれ以前のものにどのような違いがあるのか
 このクエスチョンを通して、現在一般にイメージされる武士と、実際の武士の姿にどのようなギャップがあるのかを探り、武士道が日本の誇るべき文化であるのかどうかを考えていきたいと思います。
プレゼンテーションでは主に、武士道の土台となる主従関係がいかにして生まれたのか、並びに、それに基づいて誕生した武家社会の道徳、即ち、「献身の道徳」について発表しました。経済的・物質的関係を超えさせるくらい大きな力をもつ主従関係、主君に対して没我的に献身する武士について皆さんはどのような印象を持ちましたか。
この「献身の道徳」は、禅や名誉という概念など、武士に関するさまざまなトピックで関係してくるものです。これらは今回の発表では述べられませんでしたが、しっかりと論文の中に盛り込んでいきたいと思います。
(追記)
「現代では、どのようなところで武士的な精神が残っているのか」、、、という質問が議論の中で出たかと思います。授業の時に僕は「企業の経営方針やスポーツの組織を探っていけば、もしかしたら何か見えてくるかもしれない」というように答えました。それに付けたしてもう少し私見を少し述べさせてください。
 突然ですが、「アイドル戦国時代」という言葉を耳にしたことがあるでしょうか。近年たくさんのアイドルグループが生まれ、まさに群雄割拠の状態ですが、これはその状況を示す言葉です。
本当にたくさんのグループが存在しますが、その中の某グループは、ファンのことを「もののふ」と呼びます。「もののふ」を漢字にすると「武士」です。武士と書いて「もののふ」と読んでいた時代が過去にあったこと、そのグループの名前と語呂的にもマッチしていること、といった理由でファンが「もののふ」と呼ばれるようになったと記憶しています。
 さて、そのグループのライブ会場などに行きファン(=もののふ)の狂乱ぶりを見ると、プレゼンで述べたような、「主君に対して徹底的に献身する武士の姿勢」を感じずにはいられません。実際に、会場には全身を好きなメンバーの色で固めたような人達が大勢います。また、「よくもまあこんなにも大きな声が出るもんだ」と、驚いてしまう程の熱意を持って声援を送る人もたくさんいます。
 某大な時間とお金をアイドルのために使うなんて、ハマってない人からしたら非合理的でありえないことですよね。ましてや、全身を派手な色の服で固めたりすることも普通じゃありえないことです。でも、そういう問題じゃないんです。彼らからしたら、そういった姿勢で献身(応援)せずにはいられないのです!笑
少々的外れかもしれませんが、「現代に残る武士的な精神とは」という質問に対して、このようなアイドルファンをあげることはできないでしょうか。ライブが戦場、アイドルが将軍、ファンがそれに仕える武士、というように思えてきませんか。実際に「もののふ」と言われているのが面白いですよね。さすがに生命まではかけられませんが、武士に似たような心持ちでアイドルを応援している人もいると、僕は思います。みなさんはどう思いますか。
ここからは完全に余談ですが、ファンのことを「もののふ」と呼ぶその某グループが、三味線などを用いて和をテイストにした楽曲を提供しているところや、扇子を使ったパフォーマンスをしているところもまた興味深いですね。「祭り」を意識したライブや日の丸を背にして歌うPVなんかもあります。このように、戦略的に「日本的」なものを取り入れ、それがウケる人にはウケ、その熱狂的なファンが「もののふ」と呼ばれるのです。このグループがこういった「日本的」な演出で一定のファンを獲得し(もちろん他の理由でファンになる人もいるでしょうが..)、紅白出場を果たしたという事実は、我々がそのような「日本的」なものを求めているということを証明しているのかもしれません。武士の精神もその「日本的」なものの中に含まれるでしょう。
武士に興味があってそれについて卒論を書く自分と、不覚にも某アイドルグループにはまってしまった自分がこんなところでリンクするなんて、思ってもいませんでした。人生なにがあるか分からないものです(笑) 追記、気合いが入りすぎました。この辺で失礼します。。。


4年 音石達矢 『都道府県制の限界―住民のアイデンティティを尊重した新制度の構築をめざして』

本論文では、自分が地方出身者であること、その地方があらゆる点で限界を迎えていること、そしてその対策として政府レベルで道州制の導入が検討されているという理由により、このテーマを扱うことにしました。
基本的クエスチョン
・明治時代の廃藩置県以来執行されている現行の都道府県制が、今日限界を迎えているのは事実か。
・「都道府県制を廃止して連邦制を導入すべき」との議論があるが、それは歴史的、及びアイデンティティ的観点からみて適切か。
・現行の都道府県制に替わる制度として「道州制」が構想されているが、それが住民のアイデンティティを汲み取ったものであるのは事実か。
今回のプレゼンテーションでは、前回から変更した構成と、政府が想定している道州制とアメリカの連邦制の比較を行いました。
まず構成ですが、はじめに序章で道州制の定義を明確にし、続く第1章で現行の都道府県制度の説明とその限界に関する考察を行います。
まとめると、「人口の減少と小泉政権下での三位一体の改革により、地方の税収に格差が生まれていること」、「東京への政治・経済等の一極集中により、東京での劣悪な住居環境、そして災害のリスクが高まっていること」、そして「全国共通の法律が足かせとなり、地方の実情に即した条例や政策を打ち出せないこと」、以上の三点について論じていきます。
続く第二章では、「都道府県制に代わって連邦制を導入すべき」との論を批判的に考察していきます。ここで連邦制が日本にはアイデンティティ的・法制度的にそぐわないことを指摘し、第3章で「じゃあ道州制しかないよね」という結びに繋げていきます。この点に関しては後に詳述します。
そして第3章では、序論で定義した道州制が現状どのように議論され、どのように日本に適しているかを考察しています。
まとめると、「連邦制と違って憲法の改正を必要としないこと」、「人口バランスと文化的背景を加味した枠組みの設定を行うこと」、「東京にある権限を地方に移譲することで、災害へのリスクを分散し、地方の実情に則した政策決定を行えること」、以上の三点を打ち出します。
続きまして、プレゼンテーションの内容に移ります。
前述したように、今回は第二章の「都道府県制と連邦制の比較」について発表しました。
大まかにまとめると以下のようになります。
都道府県制
・中央集権化のために作られたトップダウンのシステム
・中央政府は「基本的人権を蹂躙しない限り」地方政府よりも優位にある
連邦制
・元々存在した地方政府が国家になる必要が生まれたため作られたボトムアップのシステム
・憲法で連邦政府と地方政府の役割が明確に分けられている
つまり日本に連邦制を導入するには、ボトムアップの経験を持たない点で、アイデンティティ的にも法制度的にも困難であるのです。
最後に感想ですが、構成についてまだまだ詰める余地があるとのご指摘を先生より賜りました。もっと序論と第一章を強化して現状を打破する必要があるという論を強化すること。そして連邦制との対比ではなく、類似している点をピックアップすること、その方がよりシンプルな論理展開になるとのことでした。
もう〆切まで時間がありませんが、論理を見失わないよう、されど自分の主張を大切に、卒業論文を執筆していきたいと思います。
末筆ながら、貴重なご指摘をいただいた押村先生にこの場をお借りして御礼申し上げます。ありがとうございました。


以上です。

投稿者 student1
2012年12月24日09:28 [週刊押村ゼミ]


2012.11.27 3年プレゼンテーション&4年卒論中間報告

こんばんわ久保です。
更新が滞っており申し訳ございません。

27日の活動報告を致します。

3年 北條愛美 『日本人の宗教観』

自分が何教か聞かれた時に、答えに窮する日本人は少なくありません。
信仰心があるかないかという質問に対し、全体の約3割程度しか、信仰心があると答えている人はいません。しかし、日本人が宗教というものをまったくないがしろにしているかというと、そのようなことは決してなく、宗教心自体は大切なものであると考えている人の数は全体の約7割をしめています。
このような日本人の矛盾した宗教観はどこから生まれたのでしょうか。
日本の宗教の歴史は、古代におけるアミニズム的な原始神道から始まります。ナチュリズムや、トーテミズムといったアミニズム的な思想は、日本における多様な神のあり方を形成し、日本の宗教の土台を築いてきました。
5~6世紀に入ると、外国との交流から仏教が伝来し、弥生時代以後、外来の有用なものを神道と融合させて日本文化の中に取り込んできました。仏教はキリスト教やユダヤ教などの一神教とは違い柔軟性の強い宗教であったため、日本古来の神道に組み込む形で、日本人の中に受け入れられていくこととなります。
一方で、16世紀に、日本に初めて伝わったキリスト教は、仏教徒は異なり柔軟性が低く、一神教であったことや、偶像崇拝が禁止されていたことから、強いキリスト教排斥運動が行われ、日本人の思想に深く組み込まれることなく、日本人の宗教観に影響を及ぼすまでにはいたりませんでした。
江戸時代に入ると、幕府により儒教が導入されます。同時に、武士は実践道徳としての朱子学を学ぶようになります。
このように様々な宗教を取り込み明確なひとつの宗教というものが無かった日本ですが、明治時代になると初めて国家神道が作られました。それまでは一体のものとして扱われてきた神道と仏教が神仏分離により別々のものとされ、廃物希釈運動が行われるようになります。
しかし、第二次世界大戦後、GHQの支持の下、国家神道の解体が行われました。その後憲法により信教の自由が確立され、日本における宗教の自由度は一気にあがります。
現在では、多くの宗教団体が設立され、様々なところで独自の宗教活動を行っています。その中で、いわゆるカルト教団による悲惨な事件が起きるようになり、様々な事件がメディアで大きく報道されるようになります。
このような宗教団体が関係する多くの事件から、日本において、宗教=新宗教といった感覚が強くなり、宗教というものに対するイメージが下がっただけでなく、何かしらの宗教を信じているということ自体があまり良いことではないかのように扱われるようになってしまいました。
このことは現在に日本人の宗教観を形成するうえで大きな要因となっていると考えられます。

このことに加えて、日本人の宗教観を形成するうえで大きな影響を与えた要因が大きく二つ挙げられます。
一つ目は、日本では比較的、政治的理由により様々な宗教が取り込まれ扱われて来たということです。矛盾するものを矛盾させずに、また利益がある部分のみを取り込む姿勢は、日本における宗教に対する寛容さを形作っていると思われます。
また、明治時代における神仏分離も日本人の宗教観を曖昧なものにする大きな原因の一つであると考えられます。
明治時代に神仏分離が行われるまで、日本では神道と仏教は一体のものとして続いてきました。そのような神仏習合という日本の古来の宗教のあり方を、明治政府は、形式上分離させました。しかし、日本人の生活を取り巻く様々な宗教的活動は、神道に即したもの、仏教に即したものの両方があります。仏教神道ともに日本人の生活に密接に関係していたことから、神仏分離制作が行われても、仏教から離れることができず、曖昧なままになってしまいました。
以上のような要因から、明確も宗教をひとつに絞れない、特定できない日本人の宗教観は形成されて来たと考えられます。

4年 北原友里奈 『新たな個人主義の誕生 〜近代化と日本〜』


集団主義や個人主義と行った行動様式は一概に画一化できるものではありません。更にはこれらの概念にも様々なバリエーションがあり、研究者にとって捉え方も違うものです。卒論を書いている中でこの不安定性に悩みましたが、自分が最も興味を持ち取り組めると思ったテーマだったので挑戦してみることにしました。テーマの個人主義に「新たな」という言葉をつけたのは、現代日本人にあてあまる行動様式が日本のいわゆる伝統的な農耕村落共同体尊重的社会とも西欧の真の個人主義(ここで真のと言うのは、西欧でも近代化につれて「個人主義」の定義が変化しているため)とも異なるものであると捉えたからです。

今回のプレゼンテーションでは、論文の構成の説明に時間を割きました。

まず第一章では西欧における個人主義の系譜や戦前の日本における個人主義を先達の個人主義者と共に紹介・説明します。
第一節の「西欧における個人主義」の一項「キリスト教との関係」では、個人主義とキリスト教との切っても切り離せぬ関係をルターの宗教改革を経てどのように個人主義が誕生したのかと共に説明します。第二項では19世紀に生きたフランス人政治思想家トクヴィルを紹介します。彼は自身の著書『アメリカの民主主義』において「個人主義」という言葉をアメリカで強くみられた個人重視と個人の自治権尊重という一般的信念を表現するために用い、レーガン政権時代に個人主義的リベラリズムが台頭する一方で防衛や国家の威信も平等に強調されるといった愛国的ナショナリズムが共存している様子を指摘しました。そして続いての第三項では、イギリスのサッチャーの個人主義にふれます。サッチャーはイギリスの「従属を拒絶する」マグナ・カルタの伝統を個人にも適用、個人が自分で自分の面倒をみることや家族が自分の家族の面倒をみることを奨励しました。

続いて第二節の「日本の個人主義の先達」では、民法制定を巡る論議、さらに日本に個人主義を紹介した二人の日本人について説明します。
第一項では、1890年代の民法制定をめぐる近代化主義者と国粋主義者との間でおこなわれた論争にふれます。
第二項、第三項では、それぞれ「独立自尊」を掲げる福沢諭吉についてと、日露戦争後の国粋主義全盛の時代に学習院で『私の個人主義』というタイトルの有名な演説を行った夏目漱石について述べます。

第三節の「超個人主義」は、フランスの政治学者であるエマニュエル・トッド氏が2011年1月に朝日新聞に寄稿した記事を紹介します。ここで彼は現代の民主主義の機能不全に言及しています。彼によると、グローバル化が進んだ現代では、権力を実際に握っているのは自由貿易という経済思想であり、家族構造の変化を分析しながら社会の変化や共同体の弱体化にひろげていっています。

続く二章、三章では「個人主義化する日本」にスポットをあてます。
まず第二章では、時代とともに変化する社会環境の影響を論じます。
第一節ではグローバル化に伴う情報化社会やインターネットの普及による行動様式やアイデンティティへの影響にふれます。まず、SNSの普及による影響をデータを用いて論じます。また、日本発祥のmixiとアメリカ発祥のfbの性質の違いからみる個人主義の性格の違いについてもふれたいと思います。そして、これらの一項と二項の結果から、第三項の、現代ではアイデンティティはヴァーチャルなものに帰属するということについて論じたいと思います。

続いての第二節「労働と家庭の環境変化」は、今回のプレゼンテーションで取り上げ説明しました。
まず、厚労省の労働時間に関する資料等を用いて、労働時間の短縮は職場だけでなく家事をこなす主婦にもいえることだった事実を説明します。また、1960年代からは家電製品の普及や幼稚園や保育所と言った育児施設が増加したこと、そして1970年代以降のサービス業の急成長により家事労働の外部委託が増えたことなどもあいまって主婦の家事の負担は以前より軽減されたと続けます。また、アイデア・バンクという企業による世論調査では、古いデータですが、主婦が自由に使えると考えている時間数は1960年代に一日平均3時間45分だったのに対し、1980年代には7時間29分にのびているというデータもあります。第二項では、世界一の長寿国であり、かつてない高齢化社会を経験している日本において、生涯の以前よりもより多くの時間を職場や家庭の外のより多元的な帰属関係の中で過ごし、更には孤独な自分自身に向き合って生きることになったことの影響について説明します。しかし、この状況は集団の中に自分を位置づけることに慣れている人々を不安にさせる一面も持ち、1970年代末には「毎日が日曜日」という言葉がはやったり、1970年代以降の占いや新興宗教ブームの一因となったといえます。また、グローバル化の影響もあり、価値観の多様化も顕著に現れ始めました。思想やファッション、音楽の選択肢は増加し、社会の気風は多元化しました。また、一世帯平均人員の減少や核家族世帯増加という近年の家族構成の特徴にも注目しました。つまり、都市部の人口増加によって、農耕で生計をたてていた時とは全く異なるライフスタイルのもとで暮らす人々が増え、周囲と協力して生計をたてるのでなくいわゆる「都市部のライフスタイル」のもとで暮らす人々が増えたといえます。

そして、続く第三節では教育と医療福祉の質の変化から日本における社会構造の変化を論じます。まず、第一項では社会的「猶予期間」としての青年時代、つまりこの大学生時代の時間の使い方の変化、社会が若者に期待するものの変化により、いわば「前のめりに生きる姿勢」が必要でなくなったことにふれます。第二項では、不幸の質の変化と題して、医療の発達による国民の死亡要因や健康状態の変化や、一方での交通事故による死亡者の増加家庭問題、労働問題、失業問題等にふれます。
尚、第三項では、教育問題についてとりあげる予定です。

最後に、第三章では、現代日本の個人主義を形容する「〜〜主義」といった表現を紹介しカテゴライズして論じます。
第一節では、日本人が個人主義を間違って捉えた例について言及します。
それぞれ、第一項では社会からの孤立を好む孤立主義との違い、第二項では自己の利益を追求する利己主義との比較、そして第三項では、冷たいイメージでとられがちな個人主義が実は「利他主義であり、他人に迷惑はかけないということを重要視する主義である」という事実についてイギリス人の行動様式を例にあげながら述べます。

第二節の「柔らかい個人主義」では、山崎正和さんの『柔らかい個人主義の誕生 消費主義の美学』より、消費活動における個人主義などにスポットライトをあてます。

そして最後に、日本人の新たな行動様式を表した言葉である関係主義について述べます。
まず、関係主義のもととなっている考え方とは、「人は、人間関係の中で生きる意味や幸福を実現する存在であり、自己選択により多様な関係性を築いていける」というものです。まず、第一項では林望氏著の『新個人主義のすすめ』を紹介します。
そして最終章最終項では空間や目に見える共同体にしばられる機会が少なくなった現代においてアイデンティティは選択する時代であるということについて論じます。
ここで少し懸念されるのは、先ほど触れた第二章第一節の情報化社会の影響第三項でのべた「ヴァーチャルなものに帰属するアイデンティティ」でのべる内容と若干内容がかぶってしまうということです。しかし、ここは本論文の趣旨でもある部分なので、繰り返してパラフレージングという形で角度を変えて繰り返し論じてみてもいいかな、というかむしろ全体のまとめ的な項にしてもいいかな、と考えています。


この論文を書く事によって、自らの生きている時代について考え、それがどのような思想のもとに成り立っているか自分なりに定義づけてみたいというのがこの論文の私にとっての大きな意義です。
押村先生からは論文の構成などについて多々アドバイスを頂いたので、これからもっとコンパクトかつ多角的に論じる論文に仕上げて生きたいと考えています。

4年 堤友理絵 『ポーランド人のアイデンティティ~宗教IDに見るポーランドの独立~』

基本的クエスチョン
・一度は完全に消滅し、長きに渡って列強の支配を受けてきたポーランドが民族IDを失わなかったのはなぜか。
・戦後ポーランド人の宗教IDの高まりのわけとは。
・東欧革命の先駆けとなったポーランドにおいて、国民はどの様にして民主化されていったのか。またその際、教皇ヨハネ・パウロ二世
の存在意義とポーランドIDに果たした役割は何であったのか。

今回の中間報告では第三章「ローマカトリック教会とポーランドの自立」に関してプレゼンテーションを行いました。
東欧革命の先駆けとなったポーランドがどのようにして国民を民主化へと導いたのかを述べました。

建国当時からポーランドではカトリック信仰が盛んでしたが、第二次世界大戦後、カトリック信仰とローマ・カトリック教会への信用が国民の中で急激に高まり
民主化をもたらしたとされています。
戦後、ドイツの占領を逃れたポーランドは国家独立が回復されると思われましたが、再びソ連の共産主義体制による実行支配を受けます。
そんな中、ポーランド国内では共産党支配による不満が高まり国民によるストライキ、大規模な暴動が起きる様になります。

同時期、ヨハネ・パウロ二世がポーランド人として初のローマ教皇に選出されます。
ヨハネ・パウロ二世はローマ・カトリック教会を代表して共産主義に対抗し、ポーランド人に民主化への希望を失わない様呼びかけを行いました。
また国内ではワレサを指導者とする連帯(独立自主管理労働組合)が発足し、連帯に政府から戒厳令が出されてもなお、教会は連帯を支持し続けました。

東欧革命、特にポーランドにおいての民主化はローマ・カトリック教会なしには実現されなかったかもしれません。
またポーランド人教皇の存在は共産党勢力によって押さえつけられていた国民の一番の精神的支えでありました。
人々が弾圧を受ければ受けるほどカトリック信仰は増し、教会は人々が民主化へ向けての活動を行う唯一の機関としてあり続けました。
同時にこのことは宗教がどれだけ人々のモラルに訴える力を持つかを表し、また教会は長い期間をかけてその体制を変えながらも
ポーランド人のアイデンティティー形成に必ず関わっていました。宗教そのものが国家を運営できるかは疑問であり、
国と教会の関係性を批判する意見も数多くあります。しかし事実、東欧革命の先駆けとなったポーランドでローマ・カトリックが果たした役割は大きく、
たとえ一時的ではあっても宗教は人々の感情に訴える力を持ち、時には国家や国民を動かす力を持っていることがわかりました。

以上が今回の中間報告でプレゼンを行った内容です。
卒論ではこの第三章を主に書いていきたいと考えています。
またポーランドIDに重要な影響を与えたとされるユダヤ人に関しても触れていきたいと思っています。
以上です。


以上になります。
今期のゼミも佳境となってきました。
残りのプレゼンの方々も楽しみにしています!

くぼ

投稿者 student1
2012年12月18日00:01 [週刊押村ゼミ]


2012.11.20 3年プレゼンテーション&4年卒論中間報告

こんにちは、河です。
今週も引き続き3年生のプレゼンと、4年生の卒論中間報告になります。

4限

3年 園田愛美『クレオールのアイデンティティ』

今回、クレオールのアイデンティティを担当させ ていただいた、園田です。 日本に住んでいると単一民族的視野を持ちがちで すが、世の中にはもっと複雑なアイデンティティが 存在します。アイデンティティは一つの要素で構成 されるのではなく、様々な要素をもって複合的に形 作られるのです。日本を出てしまえば、複数の民族 の血を受け、複数の国に移り住み、複数の言語を使 い分ける複合的アイデンティティの持ち主がどれだ け多くいるか実感することでしょう。今回のクレ オールもまた、そのような一口では説明できない形 のアイデンティティです。 クレオールとは、本来は新大陸の旧植民地圏に移 住してきた黒人・白人・またその混血の子供を意味 しました。
わり、クレオールはそのうち植民地で生まれた人だ けでなく、白人主人と有色奴隷の間の言葉、すなわ ちクレオール語も指すようになり、果てにはその植 民地で生まれた全てのものを意味するようになりま した。 クレオールのアイデンティティ理解の一歩として、 クレオールに関する研究書の中でも金字塔と呼ばれ ている、
いと思います。 ≪"クレオール性"とは、カリブ、ヨーロッパ、アフ リカ、アジア、
同じ土地に集めた諸々の文化要素の相互交感的な、 相互浸透的な集合体である。≫ ここからこのアイデンティティの根幹は複雑なもの であり、またモザイク模様であることが伺えると思 います。また、
民族性へのクレオール的アプローチ』の著者である ル・ペイジとアンドレ・タブレ=ケラーの分析・調査 から、このアイデンティティの意識は相対的・流動 的であり、また相互主観的であることが分かりまし た。 今、アメリカ産のグローバリゼーションが加速度 的に進んでいます。それにより現代では異民族、異 文化との共生を図ることが世界のあらゆる地域にお いての緊急の課題となりました。その意味におい て、旧植民地、
私たちが学ぶべきことは多いでしょう。日本のナ ショナリズムの根幹にあるのは"同じ起源、同じ言 語、同じ文化"であり、私たちは互いが互いに均質で あることを求めがちです。この民族的同質性は、意 識的・無意識的に差別を引き起こす要因となってい るのです。例えば日本の国籍概念はドイツと同じ血 統主義に基づいており、それは日本人であるために は日本人に生まれなければならないことを意味しま す。これはクレオールの、異質も何もかもすべて飲 み込む性格と反対の立場をとります。日本に根付く 差別、それは北のアイヌ、南の琉球から、在日コリ アン、被差別部落、移民労働者、そして他にもおお くの地域的民族的少数者に対してなされています。 今まではできる限りのぎりぎりまで彼らを自分と同 質のものにしよ うと、周辺化、同化を強制し、均質 な"日本人"というものを作ろうとしてきたことで しょう。排除できない異質要素には同質でないとし て切り捨て、自分のしたことに目をつむってきたこ とでしょう。しかしこれからのグローバル化で日本 にもたくさんの民族、文化が流入してきます。その 時もまた異質な要素を排除しようとしたり、無理に 日本の形に収めようとするのでしょうか。むしろそ れよりもクレオールのように他文化を受け入れ、認 める準備が必要なのではないでしょうか。 以上です。


5限

4年 杉山晶子『日本のパブリック・ディプロマシー〜クールジャパンの可能性』

卒論でとりあげるパブリック・ディプロマシーとは、自国のイメージ・存在感の向上や対外政策が実現しやすい国際環境を作ることを目的として、相手国政府だけでなく、国民にも働き掛けていく外交スタイルのことです。
主な構成は、
第一章:戦後日本の外交戦略(経済外交から文化外交へ。世界および日本でパブリック・ディプロマシーが注目されている背景)
第二章:クール・ジャパン(日本文化発信)戦略とその課題
第三章:日中・日韓関係、相互理解へ向けて(クール・ジャパンを良好な国際関係構築にどう活かすか)
→今回のプレゼンテーションでは第三章の第一節分、"韓国におけるクール・ジャパン"をとりあげました。
まず、第一節で、韓国ではかつて日本大衆文化の流入を規制していたことを述べますい(主な理由:植民地時代の記憶→残酷なイメージをもたれ、"倭色文化"とよばれる、軍事政権期の仮想敵、自国産業の保護)。しかし軍事政権の終焉や日韓W杯共同開催決定をきっかけに、1998年から4回に分けて「段階的開放政策」がとられ、映画・アニメ・ドラマなどが徐々に流入するようになります。(厳密にいうと、開放前から海賊版や不正ルートで流入していましたが、政府が「公式」に開放したのが98年ということです。)
第二節では、現在特に人気がある映画と文学を例に、日本文化人気(日流ブーム)の理由を探っていきます。映画に関しては、『Love Letter』(岩井俊二監督)という純愛映画をはじめ、①「倭色文化」イメージを覆したこと。②今までの韓国映画では扱わなかったテーマ(同性愛や障害者との恋愛)を重苦しくなく描いていること。
文学に関しては、①文壇厳粛主義(国家的・民族的内容を論じなければならないかのような風潮)に疲れた韓国文学の停滞、②共通の社会現象・問題をテーマとして扱い、親近感がわいたこと、③口コミの力。また、日本文化が浸透した大きな要因として、日本における韓流ブームがあります。韓流ブームのニュースを見て、「日本人が我々の文化を受け入れてくれた」という喜びが、日本文化への関心につながったといえます。
第三節では、日本が韓国で行っているパブリック・ディプロマシー活動を紹介した上で、韓国国民の対日感情の変化、今後の課題について触れました。段階的開放以後、第二外国語として日本語を選択する高校生の割合が増加していること、日本の映画やアニメをよく見る人ほど、「日本への親近感が増した」と答えている、といったデータを提示しました。しかし、日本文化が好きでも、歴史・政治問題とは別物と考える人が大半であり、「日本を好き」と答える人の数に大きな変化がないことを課題として述べました。
今回のプレゼンのまとめ
・日本文化の「新鮮さ」の一方、「共感」できること、が人気の秘密である。
・韓流ブームがあったからこそ日流ブームがあるといえ、自国文化を発信するだけでなく相手の文化を受け入れるという「双方向性」が大切である。
・対日イメージは、歴史・政治問題よって決まる傾向が強く、文化面で日本への興味を絶やすことなく、政治面での努力が求められる。
・文化に触れることで親近感の向上、少なくとも敵対心を弱めることに一定の効果はあり、パブリック・ディプロマシーによる相互理解の可能性を軽視すべきではない。
→パブリック・ディプロマシーは、従来の外交にとってかわるものというわけでなく、同時進行して補完・強化するものであると考えています。万能薬ではありませんが、プレゼンの後半で触れたように、日本に対するマイナスイメージを改善することに効果があるということが伝われば幸いです。


4年 生須美輝『他民族国家アメリカにおける教育』


今回のプレゼンテーションでは、第三章「『多様性の中の統一』のための実践と展望」から第一節「忠誠の誓い」と第二節「多文化的歴史教育」をとりあげて報告を行いました。

「アメリカ合衆国の国旗とそれが象徴する共和国―すべての人に自由と正義を与え、神の下にある不可分な一つの国―に忠誠を誓います。」
毎朝多くの公立学校では、児童たちが起立して国旗に向かい、右の手を胸の上に置いてこの忠誠の誓いを一斉に唱えています。忠誠の誓いの原型は、1982年にベラミーによって作られました。その後1920年代には、移民の急増を背景に文言が作りかえられ、忠誠の誓いは移民のこどもたちをアメリカ化するために使用されるようになりました。
一般的に愛国的感情は儀式行為への参加によって形作られ強化されると言われています。同一の動作を演じることで参加者に一体感が生まれるため、そして儀式が求める動作を演じることは、儀式が伝えようとするメッセージの受け入れや記憶を促すためです。ある調査では、学校でどのようにして愛国心を学んだのかという質問に対して、27人中23人の大学生が忠誠の誓いを唱えることで愛国心を学んだと答えています。子どもたちがナショナルアイデンティティを形成する上で、忠誠の誓いが果たす役割は非常に大きいと考えられます。

次に、多文化的歴史教育についてです。アメリカでは伝統的に、歴史教育がシティズンシップ教育を担う中核教科として位置づいてきました。他に例を見ない人口国家であるアメリカの国民は、国の成り立ちから現在に至るまでの経緯を歴史として把握し、自らの姿をその歴史の中に確認することで、ナショナルアイデンティティを形成しているのです。
論文では、1995年に開発されたニューヨーク州合衆国史カリキュラムをとりあげます。このカリキュラムの特徴的な点は、アメリカの民族的・文化的「多様性」の理解と、合衆国憲法、独立宣言、権利章典に基づく民主主義思想を中核としたアメリカン・アイデンティティの創出におる「統一性」の尊重を、多様なすべてのアメリカ人の「貢献」という視点から織り上げていることです。
実際にアメリカの公立学校で使用されている歴史教科書を分析してみると、アメリカの歴史が「白人の歴史」から「多様なすべてのアメリカ人の歴史」へと変わっていることが分かります。例えば、コロンブス到着以前のネイティブアメリカ人に関する記述を見てみると、ネイティブアメリカ人であるタイノ属に関して、彼らが使用していた言語なども紹介しながら、詳細に記述されています。また、コロンブスが「新世界を発見した」と考えたことは誤りであり、実際はコロンブスとタイノ族の出会いによって新しい世界が始まったのだと書かれています。それまでコロンブスに発見される対象でしかなかったネイティブアメリカ人が、アメリカを構成する主体として描かれるようになったのです。また、アメリカ独立革命時の記述を見てみても、黒人であるジェームズ・アーミステッド・ラファイエットの功績はもちろんのこと、その他黒人奴隷の様々な視点が描かれていることが分かります。以上のように、多文化的歴史教科書では、アメリカ合衆国の建設・発展において、白人だけでなくネイティブアメリカ人やアフリカ系アメリカ人も大きく貢献していることが書かれているのです。

基本的クエスチョンでは、「多様性の中の統一」を実現するために愛国的儀式と歴史教育による市民の育成のどちらがより有効かという問いを立てましたが、以上のまとめとして、多文化的歴史教育の有効性を挙げたいと思います。アメリカという国、そして民主主義的価値や伝統の発展に、多様な人々が貢献してきたという歴史を学ぶことは、多様性を認めることと国民の統一性を図ることという一見相反するように思える2つの目的を達成する有効な手段であると思います。
一方で、愛国的集合儀式である忠誠の誓いは、国民としての一体感を得る上で、また自由や正義というアメリカの信条を意識する上で、大きな効果を挙げていることは間違いありません。しかし、移民のアメリカ化を目的として作られた文言が今もまだ同じように使われていることから、同化主義の色合いが強いように思われます。また、今回は触れていませんが、第二章との関係から言えば、自由や平等をアメリカの理念として歌いながらも、現実には差別が存在するという矛盾があります。自由や平等といった価値が白人のものである社会では、この忠誠の誓いは西洋中心主義的なものと言わざるを得ません。多文化的歴史教育によって、民主主義や自由、平等といった価値が多様な人種のものであると認識されたうえで、忠誠の誓約は「多様性の中の統一」を体現するものとなるのではないかと思います。

皆様お疲れさまでした!

投稿者 student1
2012年12月16日00:32 [週刊押村ゼミ]


2012.11.13 3年プレゼンテーション&4年卒論中間報告

こんにちは、河です。
13日の活動報告になります。

4限

3年 斎藤万里子『平和構築におけるアイデンティティ教育』
平和構築を考えるに当たって平和とはあらゆる類の暴力の不在であると定義し、特に文化的暴力を中心に議論しました。ユネスコ憲章は、「戦争は人の心の中で 生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。」という一文で始まります。この、人の心の中に平和の砦を築くことこそが平和構築であるとして、心の中に平和の砦を築くことについて議論しました。
 パットナムの社会関係資本の考え方からすると、「アイデンティティは対立の方向にベクトルが働けば、紛争につながり、和平後の平和構築の障害になるが、共有されるアイデンティティが全面に出る活動の中ではむしろ連帯感を生み出し、人間関係を強化する方向に作用し、平和構築の過程を促すことになる。」という事がいえます。なぜ、テーマであるアイデンティティ教育が必要であるかというと、義務教育という制度の下全ての人が必ず幼い頃に受けることになる教育が良い意味でも悪い意味でも、影響力をもつからです。他者と平和に共生するためにはいかなるスキルが重要かを教えることが必要で、宗教、民族、言葉、そして人種の多様性に対する認識を教室からなくすのではなく、多様性を受け入れることが必要です。学校と教室というのは、何よりも子どもたちがお互いに交流し、共有し、尊敬し合う場所でなければなりません。国民がお互いに信頼し合うことができる道を見つけることが平和への道であり、その出発点となるのが、教室なのです。
 最後に、平和構築におけるアイデンティティ教育の問題点として生徒や先生が政治に対する信頼を失い、議論になる話題を話すことを恐れ、異人種との接触を避け、民主主義よりも権威主義のほうが安心できると考える事があるということをあげ、課題としました。
 平和を考える上で、ゼミのテーマであるアイデンティティを考える事の重要性を考えさせられるプレゼンテーションでした。


5限

4年 新谷萌 『ベトナムの改革・開放への道のり』
この論文における基本的クエスチョンは以下の2点です。
・ベトナムは、危機的な経済状況を受け、1986年第6回共産党大会でドイモイ政策を打ち出した。その背景には、チュオン・チン氏の貢献や、先に刷新政策を打ち出した同じ社会主義国のソ連・中国の影響があったといわれる。それらが果たした役割とは何か。
・ドイモイは、経済・政治・文化等、全面的な刷新と位置づけられる。しかしベトナムは今なお社会主義体制を堅持している。このことは、経済面での果敢な改革と政治面での多元性の否定という矛盾を孕んでいる。この矛盾の克服のため、ベトナムは「ホーチミン思想」を掲げているが、この思想がベトナム国内・対外関係双方にもたらす影響とは何か。
この2つの基本的クエスチョンを軸に、現在市場主義経済を導入し、飛躍的な経済発展を遂げているベトナムが、今なお社会主義体制を貫いている理由やそれに伴う課題について論じていきたいと思います。

はじめに、ドイモイ政策とは何かを説明します。1986年第六回党大会で、(ア)社会主義路線の見直し、(イ)産業政策の見直し、(ウ)市場経済の導入、(エ)国際協力への参加を進める、という4つのスローガンが決定されました。ドイモイとは、このスローガンを表す言葉です。このスローガンの決定には、ベトナム戦争後、企業国有化・資産の没収・農業の強制的集団化などを行っていたため、ベトナム国内では国民の生産意欲が低下し、特権化した党官僚の腐敗によって国民の不信高まっていたという背景があります。また、中国がソ連のベトナムに対する影響力拡大を懸念し、カンボジアを使ってベトナムに軍事的圧力をかけ、これに対しベトナムがカンボジアに侵攻したことで、資本主義国との経済関係が途絶え、ベトナムは国際的に孤立し、深刻な経済的困難に陥っていました。ベトナムでは現在この政策のもと、国営企業の解体、農業生産の自由化、外国からの直接投資の導入などが行われ、飛躍的な経済発展を遂げています。

今回の中間報告では、第二章:国内における課題の、第二節:多民族国家としてのベトナム、第三節:格差拡大を取り上げました。
まず、第二節第一項では、54の民族が共存する多民族国家であるベトナムの民族政策について述べます。ドイモイが開始された1980年代以降、民族構成の多元性を認め、多様性の統合を重視した国民統合を目指すようにベトナムの民族政策は変化していきました。1989年11月に打ち出された政治局22号決議「山間部の経済・社会の発展についての主要な政策方針」や、1998.7.31に開始された、政府首相決定135号「山間部と僻地の特別に生活の困難な社の経済・社会発展プログラム」で、少数民族の生活レベルの向上が図られました。
第二項では、2001年2月、中部高原地域でおこった少数民族暴動について述べます。これは、政府の国民統合政策に対抗するデガ運動です。数千人もの少数民族がこの暴動に加担するにいたった背景として、ドイモイ政策により、山岳地域は経済発展を遂げる都市部との格差が拡大し、貧困状況にあったこと、また、いまだ低い教育水準にあったことで、少数民族間では新興の宗教・宗派が浸透しやすかったとされています。

第三節第一項では、ドイモイ以降のベトナムにおける階層分化について述べます。ドイモイ以降、市場経済化が進んだことにより、ベトナムの社会階層構造も大きく変化しました。1990年代半ば以降、外国民間企業が続々と参入し、若く専門知識をもった大卒エリートを雇用し始めると、それまで国営企業でとられていた平均主義的な給与体系は崩壊し、能力主義が全面におしだされるようになりました。ドイモイ以後、経済発展に伴い、さらなる社会的上昇を目指して学費などの自己投資を惜しまない都市部の中間層の台頭みられます。
第二項では、都市部と農村部の地域格差について述べます。ベトナムでは現在、農村部から都市部への人口流入が加速期を迎えています。特に、ホーチミン市および周辺諸省で構成される東南部経済圏では、雇用を求める労働人口の人口流入が顕著に見られます。「国の工業化・現代化」という国家の開発目標に従い、まずは経済成長優先の政策が取られ、都市部ではめざましい発展を遂げる一方で、開発の恩恵を享受するための条件を満たせない農村部の貧困は深刻化しています。

今回の中間報告のまとめとして、ドイモイ政策によって、市場主義経済を導入し、飛躍的な経済発展を遂げているベトナムですが、一方でドイモイ政策によって、都市部と農村部、多数民族と少数民族の間の格差が拡大していると言えます。その格差をどう是正していくかが、ベトナムの大きな課題となっています。

4年 松井ゆりな 『同和問題と人権教育』
今回の卒論中間報告では、基本的クエスチョンや論文の構成が夏合宿で発表したものと変更がなかったので、あまりなじみのない問題である同和問題への理解を深めることに重点を置きながら、論文の内容を紹介しました。
まず、導入として、被差別部落とは何か、差別された理由や歴史的経緯について簡単にまとめました。「部落差別」とは、江戸時代に作られた身分制度において、賎民身分に位置づけられた人々と地縁、血縁で関係があるとされた人々へ行われた社会的差別です。差別された理由として、人々が忌み嫌う職業へ従事していたこと、また被差別部落に集中していた貧困やそれによる偏見、被差別部落へのマイナスイメージが挙げられます。そのため、被差別部落の人々は教育、就職、住居、結婚において、差別を受けてきました。
次に、論文の内容の紹介としては、第二章「差別解消を求めて」の第二節で取り上げる「同和対策事業特別措置法」と「同和教育」を説明しました。
第二項で取り上げる「同和対策事業特別措置法」とは、被差別部落の人々が差別解消を求める運動の中で生まれたものであり、1969年に制定されました。同和対策事業によって、同和地区(被差別部落)の生活環境は著しく改善され、高校進学率や生活水準も向上しました。しかし、一方で逆差別なのではないかという意見があることを、大阪府民を対象とした人権意識調査結果を用いて説明しました。
そして第三項で取り上げる「同和教育」とは、次の二つを目的として、差別解消のために開始された教育のことを指します。一つは、被差別部落内の児童の長欠・不就学の問題解決のために取り組まれた「学力保障」でした。そして二つ目が、「人権啓発」です。学力保障として同和教育は成果を上げていましたが、結婚や就職において差別が続いたため、被差別部落への偏見を取り除くことを目的とし、同和地区内の児童だけではなく、一般の人々を対象として開始されました。この教育は、同和問題への差別解消に向けて確実に効果を上げたといえますが、一方で小・中学校で同和教育を受けた人の同和地区への忌避意識が、同和教育を受けていない人よりも高いということが調査により明らかになっていることについても紹介しました。
そして最後に、現在でも残る同和地区へのマイナスイメージを増幅させている要因の一つとして、第三章「同和問題の現在」第二節で取り上げる「えせ同和行為」について紹介しました。えせ同和行為とは、同和団体を名乗り、高額図書・機関誌の購入や寄付金・賛助金を強要する、つまり「同和地区出身者は怖い」というイメージを利用した悪徳商法のことです。金銭的被害も問題ですが、このえせ同和行為は、同和問題になじみのない地域にまで被害が及んでいます。これは、同和問題について知らなかった人たちにまでマイナスイメージを植え付けてしまうことになり、同和問題への偏見が根強く残ってしまっている原因の一つと言えると思います。
以上がプレゼンテーションの内容です。最後に押村先生から、この問題が海外でどのように扱われているか調べてみると良いとアドバイスを頂いたので、卒論に加えようと考えています。

以上です!

投稿者 student1
2012年12月13日18:23 [週刊押村ゼミ]


2012.12.4 3年プレゼンテーション&4年卒論中間報告

こんにちは、北條です。
更新が滞ってしまい、大変申し訳ありませんでした。


12.4の活動報告を行います。


高岸陽子 : 「グローバル化がもたらす影響」


今回のプレゼンでは、グローバル化がもたらす文化への影響について、グローバル化の特徴とグローバル化に対する様々な考え方を紹介しました。
グローバル化において文化が重要なのは、政治や経済よりも他国からの影響が意識されにくく、いつの間にか他国の文化が生活に根付いていることも多いからです。
グローバル化の特徴としては合理化が挙げられます。
ジョージリッツァは世界に拡大するマクドナルドを例に挙げ合理化の特徴を説明しました。

①効率性(スピード重視)
②計算可能性(質より量)
③予測可能性(いつでもどこでも同じ)
④制御(人間を管理、不確実性を制御)

 しかし彼はこの合理性こそ非合理性を生み、人間味や実質的な内容を欠いている「無」のグローバル化を引き起こしていると主張しました。
グローバル化の捉え方は様々あり、グローバルな力が世界の文化を同質なものにしている、とするグロースバル化(アメリカの大衆文化)や、グローバルとローカルを混成し文化は土着化する、とするグローカル化(マクドナルドの国別メニュー)など人によってどちらの側面に着目するかは異なります。

議論では、グローバル化している日本の文化を考え、海外で普及しているカリフォルニアロールを日本のお寿司とは思ってほしくない、という意見が出ていかに文化正しく伝えるのが難しいのかということを認識しました。
先生からは日本の柔道が国際的スポーツになったのは、重量による階級性を採用するなどのグローバルスポーツにする工夫をしたからであり、あるものを誰もが好むものにする普遍化(Universalization)は、変形可能でローカル化できるものにしか起こりえないという説明をいただきました。
またいくらマクドナルドが国別のメニューをもったりグローカル化しているといっても、その人間味を欠いたファーストフードのシステムがグローバル化していることこそ問題なのでは、などという意見も出ました。
このグローバル化が進み大衆文化が溢れる現代こそ各国が自国の文化に誇りをもち、世界のためにも自国の文化を守り正しく発信していく努力が必要なのだと思います。

針替朝子 : 「上部ライン地域における越境政策―EU統合の中で」


基本的クエスチョンは

・EUの中で重要な役割である越境政策が、複雑な歴史を持つ独仏国境地帯を含むライン川上流地域で成功している要因は何か。なぜ他の地域に比べより発展したのか。

・政策において、国境がもたらす困難、国境が阻むものとは何か。

・ユーロリージョンにおける政策によって地域にもたらされた変化(経済的恩恵や人の移動)は人々の持つIDに変化をもたらしているのか、それとも以前と変わらないのか。

です。構成は、越境政策の成功の定義を冒頭に記し、まず第一章第一節ではヨーロッパの統合から現在のEUまでの発展を簡単に記します。そしてEUとは何なのか?どんな存在であるのか?超国家的な、そして国境のないヨーロッパとはどういう意味なのか考えます。その後、ヨーロピアンアイデンティティーについて記します。第二節ではヨーロッパ統合に伴いどのように地域政策が発展し、越境政策も発展していったのかについて話します。二章では、本題の上部ライン地域の話に入っていきます。一節では、上部ライン地域の前身である協力機関がどんな様子だったのか、現在の上部ライン地域での目的や、関わっているアクター、そしてどのようにガバナンスされているのか記します。またEUに加盟していないスイスがこの越境政策には関与しているので、EUとスイスの間にどんな協力関係・協定があるのかを確認したいと思います。二節では、詳しくどのようなプログラムがなされているのかを書いていきます。様々なプログラムがなされているのでそれについては簡単に第一項で紹介し、第二項ではこの地域で大々的に行われているバイオバレープロジェクトについて記します。第三節では、この地域にいる越境労働者の実態について書きます。そして第三章ではこの地域で行われている政策についての評価をしていきます。第一節は、政策がもたらした良い面を書き、第二節では反対に未だ残っている課題について書きます。そして最後は、この地域に住む人��垢離▲ぅ妊鵐謄�謄�爾両🌛屬砲弔い撞④靴泙后�海海任魯茵璽蹈團▲鵐▲ぅ妊鵐謄�謄�爾里箸海蹐能颪い燭海箸鳩劼�蠅��┐襪茲Δ砲靴茲Δ隼廚辰討い泙后��鹿齔瘤昭�闔�鹿霈惹闔�皷🐍就晦�痺綵�ぢMS Pゴシック">

今回のプレゼンテーションではEUの地域政策と、ユーロリージョンで行われている越境政策がどのように発展したのか、そして上部ライン地域の越境労働者の実態について発表しました。

統合されるEUでは、同時に地域間での経済的な格差や統合による地域産業の衰退を危惧し、それを乗り越えるために地域の発展・再生を目指す地域政策が統合初期から構想され発展してきました。しかし、EC/EUは当初から地域格差の問題に気付いてはいたものの、国境隣接地帯というよりミクロな地域に対する直接的な資金援助やプログラムは実施されてはいませんでした。

一方、ユーロリージョン(国境を越えた地方自治体同士で協力が行われているヨーロッパにおける地域)が1958年のオランダのエンスヘーデ地方とドイツのミュンスター地方での「エウレギオ(EUREGIO)」と呼ばれる協力により形成されたことをきっかけに、ヨーロッパでの越境協力が広がって行きました。1971年に設立された欧州国境地域連合(AEBR)が欧州評議会、欧州議会、欧州委員会に働きかけを行ったことにより、EC/EU主導で国境隣接地域を財政支援するINTERREGプログラムが導入されました。(88年)

強調したいのは、元々越境政策、ERは地域のニーズから起こったものであり、"下から"発展していったものであったということです。そして後に、EC/EUがINTERREGというプログラムを地域政策の一環として導入したのでした。これで、ユーロリージョンとEUの越��㍉�🌸廛蹈哀薀爐��鹿齔瘤昭齔瘤�瘤臀�劉孑⊂惹闔�聲竇就着銓🏁💼症淋賭凖納�闔�鹿齔瘤昭齔瘤��跂洲肬銓㊥瘢蛹🈹�によって結びつきました。

INTERREGの今日の評価ですが、一般的にユーロリージョンの歴史が長い国では優れた経験を生み出してきたとされ、一方、特に新たな加盟国である東欧諸国で行われている越境政策はうまく推進されていないこともあります。越境政策が行われているERによって、��諭垢淵院璽垢�△蝓⇒イ譴新覯未鬚發燭蕕靴討い襯院璽垢發△詒礁漫∩漢蛙聞圓靴討い覆ぅ院璽垢發△襪箸いΔ海箸任后��鹿齔瘤昭�闔�鹿霈惹闔�皷🐍就晦�痺綵�ぢMS Pゴシック">

次に、越境労働者について簡単に述べます。

上部ライン地域は産業が集結していることや地理・交通環境により、人口が密集した地域です。その結果、越境労働者の数も多いですが中でもアルザスからドイツ・スイス側へ渡って労働する人の数が多く、越境の流れは一方向です。その理由には、アルザスとドイツ側、スイス側の上部ライン地域の間に経済的な格差が存在していることが指摘でき、国境を越えて働きに出れば所得も上がるといったインセンティブが働いています。また他の地域に比べるとアルザスは地価が安く、両国から土地の安いアルザスに移住してくる人の割合が増えていることが、アルザスから他国へ渡る人が多い理由と言えます。しかし1960年代から90年代半ばまでのデータを見ると、越境労働者は増加傾向にありますが、90年代半ば以降は増加傾向にあるとは言えない状況にあり、そこには越境しない理由=越境を阻むものが存在していると考えられます。言語、情報不足、税制の違い、越境インフラ不足・交通システムの不便さ・地理的障壁、資格・学歴認可の差異、社会保障権、国内労働市場の制限、年金システムの差異、メンタリティなど、ここに書いてあるのが越境しない理由として一般的に考えられています。上部ライン地域には、以上のバリア要因を補完するようなサービスを行っている団体が存在しており、INFOBESTという団体について最後に説明して終了しました。
今後ユーロのみならず国境を越えた協力という重要性が増す国際社会になるのではないかという思いからこの論文を書いていますが、このユーロリージョンの経験から多くの学びが得られると嬉しいです。

4年 岩谷惟子 : 「日本人にとっての領土~安全神話はどこまで通用するか~」



現在、日本は周辺諸国といくつかの島の領有権を巡って争っている状態であることは、ニュースや新聞などで周知の事実となっています。

日本と争っている相手国政府や国民がしばしば過激な言動をとるのとは対照的に、日本国民は至って冷静であるように見受けられ、政府も「日本固有の領土論」を繰り返すに留まっています。この状態に疑問を持ち、次のような基本的クエスチョンを立てました。

Ø 日本と周辺諸国との間に生じている領有権争いについて、日本は認識が弱く、一時的にしか関心を示さないように見受けられ、政府も「日本固有の領土である」と述べるに止まっている。一方相手国は多くの場合、国内世論の支えもあり日本よりも強引な手段に出ている。このような海外には見られない日本独特の「弱腰」な対応の背景には、日本国民の領土意識の弱さがあるというのは事実か否か。

Ø そのような領土意識が地理的、歴史的なものから作られているとすれば、日本は今後も増えるかもしれない領有権争いにどのように対処していくことが望ましいか。




第一章では、「領土」という概念が生まれ、それが国民のアデンティティと結びつく過程を述べ、なぜ領土問題が発生したのかに注目していきます。

領土が与えるもっとも大きなものは、石油、石炭、天然ガスといった地下資源でしょう。地下資源が発見されれば国の繁栄につながるので、領土拡張の欲求が生まれていったと考えられます。世界中で起きた紛争の原因の多くが領土でだったこと、またその領土紛争が石油絡みの地域で多く勃発しています。

第二章では、日本と外国の領土問題への対応に焦点を当てていきます。

論文中ではフォークランド諸島を取り上げる予定です。イギリスとアルゼンチンの紛争におけるイギリスの戦い、そして勝利するまでの過程を追っていきます。

日本については韓国と緊張状態が続いている竹島問題を取り上げていきます。日本人は「有事の際にはアメリカが日本を守るはず」と安心している節があると思いますが、米国地名委員会の検索機能から「リアンクール島」の所属国は「大韓民国」と表示されます。「韓国領」と見なしていると言わざるを得ません。

この表記を巡っても、日本政府は「アメリカの一機関のやることに、あれこれ過度に反応することはない」と、静観しました。米国地名委員会は世界の地名に関してアメリカを代表する機関であることと、日本が受諾したポツダム宣言の「日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ」という記載から、アメリカの判断が日本の領土の範囲にとって重要であったと言えます。



第三章では、日本が「弱腰」と言われるようになった原因を、「政府の責任」「国民の責任」に分けて述べていきます。外国へ積極的にアピールを行わず、その場しのぎの対応をしてきた政府、日本の領土の安全神話をどこかで過信する国民性といった切り口から、日本の問題点を洗い出し、今後の領土外交の行方について論じて結びたいと思います。

この論文を書くことで、私の祖国日本が「弱腰」と言われないために、一日本人としてできることを模索し、未来を見据えることができたらと思っています。

投稿者 student1
2012年12月 4日07:48 [週刊押村ゼミ]


2012.11.06 3年プレゼンテーション&4年卒論中間発表

こんばんわ久保です。

更新が遅れてしまい申し訳ございません。
活動報告をしたいと思います。

今週からは、
4限で3年が1名プレゼンテーションをし、
5限で4年生の卒論中間発表を2名行うスケジュールになります。


それでは以下、今回のプレゼンの要約です。


【3年プレゼンテーション】

『ジェンダー・アイデンティティ』3年 原川拓士


今回僕はジェンダーアイデンティティというテーマで、主にフェミニズムについてのプレゼンを行いました。
フェミニズムというものを男性の視点から研究すること、
そして女性が多い押村ゼミでこのテーマを発表できるということに意義を感じたのでジェンダーアイデンティティを選びました。
フェミニズムというものは閉塞的な社会の価値観にNoを突きつけた思想または運動です。
閉塞的な価値観とは、「男は仕事、女は家事育児」などの性別による役割固定化のイメージや、
「男らしさ」「女らしさ」といった、つくられた「らしさ」による縛りなどです。
本来ならば、男であっても女であっても、自分の道は自分で選択できるはずなのに、
それがイメージのせいで実現が難しいといったことに、女性たちは不満を持っていました。
  フェミニズムには、2種類あります。この2種類は、時代も違いますが、彼女たちが求めていたものも違います。
まず第一次フェミニズムは、20世紀初頭に「権利」を求めていました。
フランス革命による、「法の下の平等」が掲げられましたが、実際に権利を与えられたのは、
男性だけという現実がありました。それなら女性にも、「男並みの権利を」という想いが出てきて、
権利の獲得を目指した運動が、第一次フェミニズムです。第二次フェミニズムは、1970年代からです。
こちらは権利の獲得というよりは、性別による役割の固定化からの解放です。
たしかに、第一次フェミニズムによって、男女平等に権利は与えられましたが、
性別による役割固定化がなされていたので、そこからの解放を目指したものです。
  フェミニズムが台頭してきて、法の整備や「セクハラ」などの言葉の改革が達成されてきました。
しかし、フェミニズムにも、バックラッシュと呼ばれる逆風が吹き荒れたことも事実です。
たとえば、「女も男並みに働いたら平等に扱ってやろう」といった、男に似る平等で、
男女平等を唱えることです。こういった思想は21世紀に入ってから行われてきました。
  しかし、僕がこのテーマを研究していて、一番大事に思ったころは、以下の結論にまと
めています。プレゼン後の議論でも、たくさんの意見が聞けて良かったです。
1)
 結婚して家庭に入るだけが女の人生じゃない。出世して社長になるこ
とだけが男の人生じゃない。もっといろいろなかたちの幸福があっていいはずな
のに、今の世の中はあまりにも選択肢が少なすぎる。→フェミニズム運動は開始さ
れてきた。
2)
自分個人の幸福のことばかりを考えずに、少しは次の世代に暮らしやす
い社会の残す努力をしよう。→フェミニズムはこういうスタンス。
3)
ひとりでも多くの女性あるいは男性が、より多くの選択肢の中から自分
の人生を選び取っていけるような、そんな社会にしようという強い使命感。
4)
現在の女性は、当たり前のように大学に進学し、卒業すれば企業に就職
することを選択肢のうちに入れ、結婚したからといって退職を強制されず、セク
ハラにあえば怒る。当たり前だと思っている権利は、実は25年前まあでは当たり
前ではなかった。
5)
戦って獲得してきた権利は、戦って守らなければたやすく失われる。
6)
社会を少しずつ得してきた先人たちの活動を見て、僕らの世代もやっぱ
り少しは社会をよくしようと努力しなければうそになるだろう。


【卒論中間発表】
『日本の学校給食におけるグローバル化とローカル化』 4年 小宮 明子
卒業論文「日本の学校給食におけるグローバル化とローカル化」より、
第一章「アメリカ小麦戦略と学校給食」から、第二節「日本国内での粉食奨励策」と第三節「学校給食の開始」を中心に発表しました。
戦後の日本ほど急激に食生活が変化した国は、世界でもあまり例がないと言われています。
その背景には様々な要因がありますが、そのひとつとしてアメリカの存在は決して小さくなかったと考えられています。
世界のパン籠と呼ばれたアメリカも戦後は大量の余剰農産物を抱えることとなり、新たな市場の開拓が求められていました。
そのはけ口として目をつけられたのが日本でした。

1950年代から、アメリカは大金を投じて、日本国内での市場開拓事業として粉食奨励運動を開始します。
アメリカの農産物市場開拓のため、日本にパンを始めとする欧米の食生活を広めようと様々な活動が、
日本の農水省、厚生省、文部省などの協力により行われ、なかでも象徴的なのが、キッチンカーによる栄養改善運動です。
日本食生活協会がアメリカから1億数千万の資金提供を受け実施し、1956年から合計12台のキッチンカーが全国の都市や農村をまわり料理講習を行いました。
アメリカから出された条件はただひとつ、「食材に小麦と大豆を使うこと」でした。
オレゴン小麦栽培者連盟と米国大豆協会がスポンサーだったからです。
献立は必然的に小麦・油・肉類・卵・乳製品を多く含む洋食や中華の献立となりました。
背後にアメリカの存在があるとは知らず、日本人はこのような料理が欧米流、近代的で豊かな望ましい食生活だと信じ込むようになりました。
このキッチンカーは、アメリカの海外小麦市場拡大戦略で、最も成功した例と言われています。
この頃日本では粉食奨励に留まらず、極端な米食非難が行われるようになりました。
栄養改善運動を積極的に推進した当時の厚生省栄養課長大礒重雄氏は、「米を食う民族は消極的で勤労意欲がなく貧乏。発明や工夫に乏しい」と述べています。
また、慶応大学医学部教授だった林髞氏が米食低脳論をとなえ、「白米で子供を育てると、頭脳の働きをできなくさせる」などと、
研究者からも米食批判の声があがっていたのです。ここまでくると極端な欧米崇拝のようで、本当に科学的根拠に基づいているのか疑問ですが、
小麦食品業界が作成した『米を食べるとバカになる』というパンフレットが数十万部配布されるなど、当時は受け入れられていたのです。
日本人の食のアイデンティティとも言える、米を主食とする日本食が当時は悪しき食習慣のように扱われ、
パンを主食とする欧米型食生活が当たり前のようによしとされました。
国をあげて行われた栄養改善運動とは結局欧米風の食生活を奨励することだったのです。当時の活動が今の私たちにもたらしたものは、決して少なくないでしょう。

次に給食の始まりについてです。終戦後、元アメリカ大統領で国連救済復興機関代表のフーバー氏が子どもたちの栄養状態の悪さに驚き、
GHQに学校給食を早急に開始することを進言したことから、戦後の給食は始まります。
日本の食糧不足は深刻だったため、アメリカの民間団体「ララ」の協力を受けて、
1947年から413万人の児童を対象に全国の都市部で学校給食が開始されました。
その後ユニセフやガリオア資金の援助を受けながら、1950年には740万人の児童にまで拡大しました(この時点では副食のみ)。
当時の学校給食の目的は、児童の栄養不足解消、それによる健康の保持増進、体位の向上が主でした。
その点で当時食糧難に苦しんでいた日本にとってアメリカからの援助は大きな助けであり、評価されるべきことであると考えます。
その後1950年に全国8大都市で完全給食が開始されます(完全給食=主食と副食とミルクからなる給食)。
アメリカからの贈与小麦などを使ったパンが提供されました。
そして完全給食の全国拡大にあたり、総司令部は「日本政府が今後ともこの完全給食を強力に推進する確約をしなければ許可しがたい」との態度を示しました。
独立後の日本を見越し、学校給食用の食糧をビジネスとして売り込みたいというアメリカの意図が明らかになってきます。
独立後の1954年には学校給食法が成立し、パンとミルクの完全給食が明文化されます。
この法案の提出理由として当時の文部大臣大達茂雄氏は、「米食偏重の傾向の是正、粉食実施に伴う適正な栄養摂取のため、
学校給食によって教育的に配慮された合理的な味に幼少の時代から慣れさせることで、国民の食生活を改善」と述べており、
粉食を奨励することが学校給食の目的の一つであったことがよくわかります。
この頃からアメリカによる市場開拓の一環としての学校給食普及拡大運動も始まりました。
このようにしてそれまで日本人の食卓にあがることのなかったパンとミルクの学校給食は定着し、
それは1976年に米飯給食が導入されるまでかわることはありませんでした。
この頃のアメリカには余剰農産物のはけ口として日本の市場を開拓するという大きな目的がありました。
その上で学校給食の実施は、援助を呼び水に通常の貿易に移行すること、幼少期からパンとミルクの味を覚えさせ、
日本を長くアメリカの顧客にすることが狙いでした。
アグリビジネス研究者のスーザン・ジョージ氏は「PL480法の援助で日本が受け取った食糧は4億ドル足らずだが、
1974年までに日本が買い付けた食糧は175億ドル以上。給食制度のなかに子どもたちを組み込むことは、販売市場の開拓で成功率の高い方法」と述べています。
アメリカの戦略は大成功だと言えるでしょう。
学校給食をはじめとするアメリカの小麦戦略が及ぼした影響は様々ですが、まずは基本的な食生活の変化です。
ごはんや野菜が減り、肉や油が増えています。食生活が欧米化すれば、食料輸入も増えます。
現在とうもろこし、大豆、小麦の三大穀物の大半をアメリカから輸入しており、特定の国への依存が懸念されています。
必然的に食料自給率は下がり続け、カロリーベースで昭和40年には73%あった自給率は、現在39%です。
このように、戦後日本の食と農を取り巻く状況はめまぐるしく変化してきたといえるでしょう。

様々な戦略によって日本の食生活は影響を受け変化してきたことがわかります。
決して自然な流れの中で変化してきたのではなく、アメリカの明らかな意図があり、一部の人間の利害関係が陰では大きく働いていたのです。
ただし、アメリカに押し付けられただけではなく、日本人自らが今は健康的といわれる米を中心とする日本型食生活を否定し、
欧米風の食生活を推進しようとしていたことも事実です。その背景には、敗戦による自らのアイデンティティの否定、
それによる極端な欧米志向があったようにも感じられます。
そして、その食生活の変化の結果として、私たちは現在、生活習慣病などの健康問題や、輸入依存による食の不安など様々な問題を抱えています。
もう一度日本の食と農、自分たちの 足下を見つめなおしてみることは、きっと何かしらの形で私たちを助けてくれることでしょう。


『「無宗教」という日本人のアイデンティティ』 4年 西岡 真菜

今回の卒論では、日本人の7割程が自分の信仰している宗教を問われると『無宗教』と答える。
もはや、日本人のひとつの顔、アイデンティティともいえるであろう。
今回は『無宗教』をどの宗教にも属さないと定義し、その背景を歴史的、民族学的、社会学的アプローチ、などを使い今回の卒論で論じていきたいです。
まず、論文の中心として2つの基本的クエスチョンとして
1. 日本人の宗教アイデンティティに日本固有の宗教である神道はどのように影響を与え、神道そのものは変化してきたのか?
2.日本人がどこの宗教にも自分が所属していないと思うのは、これまで集団で行ってきた宗教が近代化によって個人の宗教となったからか?
そうであるならば、日本人はなぜ個人の宗教を確立するのが難しいのか?

第一章で最初のクエスチョンを日本に伝来した宗教の歴史側面から追っていきます。
つまり、日本独自の宗教である神道がどのように外来宗教を吸収し対応してきたのか歴史を通して解き明かしていきたい。
クエスチョン②は日本人が無宗教になった理由は、家族単位から個人単位に社会が変化したからではないかと仮説し
第三章で日本の家と宗教の関係性、そして日本人にとって家族がどのような宗教意味を持っているのかに着目して論じていきたいです。
この研究を行うことの客観的意味として、
1)稲作を始めた時代から、現在に至るまでの歴史から日本人の宗教アイデンティティの変容と同時に、日本人の根底にある変わらないものが、どのように作り上げられたかのプロセスを導き出せるであろう。
2)常に変わりゆく時代の中において日本人が宗教とどのように向き合い、また宗教はどのように変わっていくかを考察することで、これからの日本人の宗教アイデンティティの可能性を導き出せるであろう。
とします。
構成内容としては、序章で宗教、そして無宗教の定義付けをし、
アンケート調査による現代日本人(大学生)の宗教観を紹介し、
第一章では、日本における宗教、特に神道がどのように変わっていったのかを歴史的に展開、
日本古来からある宗教的習慣と神道の結びつき、中世日本における仏教と神道の融合、キリスト教の伝来から明治における国家と戦争の影響を論じていきます。
第二章では、日本人の宗教観、特に神道が稲作、モンスーン気候という風土にどのように影響されたのかを論じ、
日本人の宗教アイデンティティを構築した風土、そして日本人が農耕民族であり、それを神格化し利用されてしまった明治以降のことに触れつつ、
日本人の宗教アイデンティティを論じていきます。
第三章では、変化する日本社会が日本人の宗教アイデンティティにどのような影響を与えたのかを、
日本独特の家制度、そして近代化によって促進された個人化に着目して論じ、
最後にこれからの日本人の宗教、個人としての宗教、スピリチャリティの可能性、行き先を論じて、最終に結論とします。
日本人の宗教アイデンティティの変化、行き先を知ってもらえたらうれしいです。

以上になります。

投稿者 student1
2012年11月11日22:46 [週刊押村ゼミ]


2012.10.30 3年プレゼンテーション(10)

こんにちは、河です。

今回のプレゼンテーションの内容は、


4限:佐々木康隆「日本外交のアイデンティティ(歴史)」
5限:大寺 陽「日独戦後アイデンティティ」

です。

以下要約となります。


4限:
こんにちは。
押村ゼミ3年幹事の佐々木です。
後期のプレゼンでは「日本外交のアイデンティティ(歴史)」という観点から
発表させていただきました。

みなさんご存じのようにペリー来航以降、日本は今までの鎖国時代から一変して、
開国を果たし、国際社会の一員として花開いていきます。
このときこそが日本の外交史の始まりです。
以降日本は国際政治の荒波にもまれながら、西洋諸国に追いつけ追い抜けの精神で
国内の発展、諸外国への拡大をすすめていきました。
その当時の日本近代外交IDを概観することで、現代日本外交とのつながり、
日本人のIDとのつながりが見えてきます。

発表の要点をまとめますと、2点のポイントがあります。

まず第一に西洋諸国と対面したときの日本人の劣等感です。
これはある意味日本人の外交に内在するIDでもあったと思います。
日本はアメリカの砲艦外交やアヘン戦争に大敗した中国を目の当たりにして、
西洋諸国との圧倒的な軍事力の差を意識します。
政治・経済面でも劣る部分もあり、
日本はまず政治経済の面からの近代化、西洋化を押し進めていきます。
特に国内経済の興隆を促すためにも、不平等条約の改正は外交の第一目標でした。
例えば福沢諭吉や、岩倉使節団の岩倉具視も西洋から学ぶという姿勢を強く抱いていました。
そういった日本人の劣等感は、日本の外交政策に内在していたかもしれません。

第二に日本人の価値観と国際社会の価値観とのすれ違いです。
帝国主義外交を進めていた日本にとって、
対外膨張を押し進め、アジア圏の秩序と太平を、
WWⅠ戦勝国:一等国である日本が守ることが、
日本にとっての合理性でした。
しかし、WWⅠ以降は国際連盟の樹立からも見られるように、
国際社会が徐々に国際協調という路線に歩みつつありました。
自国の利益を拡大するよりも、国際協調を促進することが合理的と考えられた時代です。
つまり国際社会の価値観からして、日独伊の対外政策は受け入れがたいものでした。
それは日本にとっても同様で、日本と国際社会の価値観はすれ違い、
結果的に日本は国際的に見て孤立化の道を歩んでいきます。

以上が発表のポイントです。
日本外交のIDは、日本人のイメージ、日本人がもつ外国のイメージの投影です。
日本外交の歴史を概観する事は、当時の人々の思い、
また当時の国際関係や日本の国内事情など、
様々な様相を見せてくれます。
それは現代の日本ID、日本外交IDを理解するのにとても重要なのです。
歴史を勉強してこそ、『今』が理解できるのですね。


5限:
第二次世界大戦を機に国家のあり方を大幅に変化せざるを得なくなった国に、日本とドイツが挙げられます。これら両国には先ほど述べた「敗戦」という経験をはじめ、戦後の経済復興や国民意識のあり方、さらには過去の行為に至るまで、さまざまな共通点が見られますが、その一方、過去の克服に対する取り組みそして近隣国との関係においては明らかな相違点が両国には見られます。
戦後の流れとして、ヒトラーの死をきっかけとして無条件降伏を受け入れたドイツは、米英仏ソ4カ国による占領統治を受け、冷戦期突入の流れの中で東西分裂を起こし、「2つのドイツ」としてそれぞれ主権回復を果たしました。また原爆の被害を受けた日本もポツダム宣言を受諾し、GHQによる間接統治を経てサンフランシスコ講和会議にて主権回復を果たしています。また、両国は冷戦構造という国際情勢の中、アメリカなどによる西側資本主義陣営勢力の強化という思惑の下、奇跡的な経済復興を遂げ、ともに世界を代表する大国へと成長したという共通の経験を持っています。
しかし「過去の克服」に関して、両国には大きな違いがあります。ナチズムの過激化によるアウシュヴィッツでのユダヤ人に対する残虐行為などに対し深い罪の意識を持ち、国内歴史教育において積極的に罪の内面化を進めるドイツに対し、日本では戦争への反発心はあるものの、それは南京大虐殺などアジアにおける加害者としての意識によるものでなく、原爆による被害者としての意識に起因しています。またドイツが国際軍事裁判の後も自国においてナチズムの罪の遡及を行っていることや、軍人・民間人への無差別補償を行うなど、国内における取り組みにも両者には大きな差が見られます。近隣国との関係においても、ドイツが速やかな謝罪・賠償を行い、ECSC、NATO、EUなどますますの関係改善が進んだのに対し、日本は中国・韓国と無賠償による過去の清算を果たしたがゆえに、その後も歴史認識をめぐり幾度も論争を繰り広げるなど、アジアでの友好関係はいまだ絶望的です。
結論として、敗戦という歴史的事実は、戦勝国による日独のそれまでの国家のあり方の否定を招き、それぞれの国民の民族活力を弱めました。しかし、戦後の冷戦構造という国際情勢の中、米国など西側陣営による抜本的改革、そして敗戦国としてのコンプレックスはドイツ、日本にそれぞれ奇跡的な経済復興を成し遂げる原動力を与え、両国は大きな発展を遂げました。また、自国が過去に行った誇ることのできない歴史は現在の両国民に愛国心の喪失を招いたほか、戦争に対する強い反発意識をはじめ、平和主義といった両国民の思想に大きな影響を及ぼし、戦後日独のアイデンティティを形作る大きな要因となったと考えられます。
よろしくおねがいしまーす!

どちらもかなり難しい問題でしたが、議論は充実していました。
プレゼンターの二人おつかれさまです!
次週もがんばっていきましょう〜。

投稿者 student1
2012年11月 7日07:38 [週刊押村ゼミ]


2012.10.23 3年プレゼンテーション


こんにちわ、北條です。

オープンゼミも終わり、ひと段落しましたが、今回のプレゼンテーションも深い内容で、ディスカッションが盛り上がりました。


今回のプレゼンテーションの内容は、


4限:榎本有紗「EUとヨーロピアンアイデンティティ」
5限:河貴娟「アジア的価値」〜東アジア共通のIDを目指して〜

です。

以下、内容の要約です。

「EUとヨーロピアンアイデンティティ」

榎本有沙

今回のプレゼンでは、EU設立の歴史を軽くみた後にEUで行われている共通のアイデンティティ形成のための政策についてみていきました。
EUには、欧州の旗や歌などの文化面をはじめ、言語政策、教育、政治、経済、メディアといった様々な面からのアプローチが存在します。
そこで実際に市民に根付いているのかユーロバロメーターで国民の意識を考察すると、ナショナルアイデンティティやローカルアイデンティティの方が強く、意識のヨーロッパ化はまだあまり出来ていません。しかしその反面で徐々に成果は出てきているため、これらのアイデンティティ政策は将来的には成功といえ、これからも意識のヨーロッパ化を進めていく必要があると考えました。そのために、身分証明書やスポーツといった人々に身近な存在で、それぞれの文化は尊重しつつヨーロピアンアイデンティティを形成していく必要があると考えます。

議論では、そもそも経済市場統合だけではだめなのか、というところから始まり、やはり政策、政治統合無しには何かあった時に崩れてしまったり、去年話題となった金融危機などあった時にID基盤が重要な役割を果たすということを先生からご説明いただきました。
また、アイデンティティの重複はある、つまり、EUアイデンティティが強くなったからといってナショナルアイデンティティが弱くなる訳ではなく、共に持ち得ることが出来ること、などアイデンティティについても話すことが出来て有意義なものとなりました。
これから先EUはどのような共同体へと拡大していくのか、とても興味深いです。

「アジア的価値」〜東アジア共通のIDを目指して〜

河 貴娟


冷戦後、世界各地で民族紛争が起きるなど、政治において文化が重要な要素の一つとなりました。
ハンチントンがいう「文明の衝突」は、文明そのものが西欧文化に依拠しているという前提で唱えられており、自分は文明を世界である程度共通する「普遍的なもの」とし、「文明」と「文化」の衝突という構図の中で、アジア的価値の登場とその未来についてプレゼンしました。
従来「アジア」とは優れた「西」が劣った「東」を研究するという異文化理解によって定義されており、ヨーロッパのアイデンティティを映し出すため外部に設定された「鏡」のような存在でした。それが近年アジアの台頭により、普遍的な西洋文明に挑戦するアジア脅威論として新たに位置づけられます。
これらが「西洋からみたアジア」であるのに対し、1980年代後半からリー•クアンユーやマハティールらによって唱えられた、アジア社会の独自性を強調する言説が「アジア的価値」です。
この背景として、「アジアの奇跡」をとげたアジア人としての自信•自負が芽生えたことと、経済発展という大きな目標をとげ終えた人々の心の空虚を満たす新たなものが必要だったことが挙げられます。
これは普遍主義的欧米流スタンダードへの防御的な意味合いが大きかった一方、問題点も多くありました。
多様なアジアにおいて回帰する固有のアイデンティティがあるかどうかも不明確であり、またこれが政治的言説であることから、民主化を押さえ込む支配者の都合のいい戦略として利用された負の一面もあります。
ここでより具体的に説明するために、西洋的価値--アジア的価値の対立軸となる要素をあげました:キリスト教--儒教,個人主義--家族主義,法の支配--人の支配,市民社会--強い国家,自由民主主義―非自由民主主義 etc.
そしてアジア内部での「アジア的価値」を巡る論争で、上記の西洋的価値はアジア的価値とは相交われないというリー•クアンユーの主張と、アジアにおける民主主義の歴史的発見を通し、アジア的価値と西洋的価値の融合を主張する金大中大統領の主張をあげました。
そして西洋に依存しない独り立ちする受動的アジアのためにも、金大中の立場をうけ、アンチではなくオルタナティブとしての「アジア的価値」の将来的あり方を提示し、結論としました。
アジア的価
値そのものが非常にあいまいであり、西洋的価値との対立によって浮き彫りにするという見方しかできず、まとまりのないプレゼンになってしまいました。またアジア的価値を理解するのに西洋的価値はなんぞやというところから始まったため、奥が深く非常に難しいテーマでした。し
かし普遍的であると我が物顔をされている西洋文明に対し、アジア地域なりのフィルターをかけ翻訳しなおす過程を認めてもらうという意味では、アジア的価値は地域知として非常に大切なものであると思いました。
文明が文化の混ざり合いの中で普遍的なものになってこそ、真のグローバルな世界に近づけるのでないでしょうか。


投稿者 student1
2012年11月 1日23:50 [週刊押村ゼミ]


2012.10.16  3年プレゼンテーション(8)

こんばんわ、3年久保です。
16日は公開ゼミということで、どのゼミにしようか悩んでいる2年生が40名ほど見学しに来てくれました。
通常は2人のプレゼンターですが、今日は3人というたっぷりの内容となりましたが、少しはゼミを決めるお手伝いができたでしょうか?

それでは各プレゼンの要約です。

『外国人の日本人論』久保 舞
外国人の日本人論とは世界と比較することで自己を知る、他国からどのように見られているのか、鏡の役割を果たす点で重要です。そもそも日本人論とは日本人の観察記とも言い砕くことができるでしょう。「日本人」と一概に言いくるめられないという指摘もありますが、ここでの国民性とはある国民や民族の成員が示す「最頻的」な性質をさします。
外国人の日本人論は鎖国以前には大勢の宣教師、鎖国時は長崎オランダ商館に勤務した人々や将軍の代替わりごとに慶賀のため来日した朝鮮通信使、開国以降は大勢の来日外国人の滞在記、明治維新以降は御雇外国人の記録が資料とされています。
ザビエルは日本人の知識欲を評価し、同時期に来日したジョアン・ロドリーゲスという通詞にはエスノセントリズムを指摘されました。また、西洋化にも外国から目をつけられ、国民国家の形成過程と捉え、長い平和を通じてより穏やかに、なりより自由かつ人間的なものとなったと考察されています。
19世紀になると宗教儀式などがアジアと比較されるようになり、官僚国家としてのまとまりが認められ、高い知的水準を評価され、階級社会による治者と被治者の分離が指摘されています。
ルース・ベネディクトの『菊と刀』は日本人論の名著とされており、太平洋戦争終結へむけた対日政策の裏付けとするために研究されたものです。矛盾の塊として映る日本人だが、「各々其ノ所ヲ得」という精神的な原則に従った合理的なシステムに基づいていることを発見しました。日本人の行動パターンの基礎を形成する階層制度や、日本人の行動原則となる恩と義理の関係や恥の精神についても研究されています。
カレル・ヴァン・ウォルフレンの『なぜ日本人は日本を愛せないのか この不幸な国の行方』やエドウィン・O・ライシャワーの『ザ・ジャパニーズ』を参考に、日本人であることに矛盾を抱えていることや、『日本人』と『外国人』との間をはっきり線引きしている外と内の意識など、日本人論に見られる日本の諸問題を上げました。
これまでの建前としての国際主義ではなく、世界の一員であるという自覚を深めるべきであるとライシャワーはまとめています。国政が不安定なこのような時期にこそ日本人論を再考することで第三者の視点から解決への糸口が見つかるのではないかと考えました。


『英語の世界支配』中村 早希
近年、グローバリゼーションの進展に伴い、国際コミュニケーションの場において英語が世界に広がりました。英語は今や世界標準語や地球語と呼ばれるほど、クローバル社会の中で大きな役割を果たしています。その反面、「英語支配」と呼ばれる批判もあります。
まず、英語普及の現状について。現在、英語の話し手は約20億人いると言われています。その中で英語の母語話者が3億人ですが、英語を公用語として使用する人が7億人、外国語または国際語として使用する人が7億人いると言われています。また、インターネットにおいて英語が大きな役割を果たしています。
英語は様々な機能を持ち多国間のコミュニケーションツールになっています。
英語はなぜ世界中で普及したのでしょうか。19世紀末にピークに達したイギリスの植民地支配力の増大と20世紀の経済大国としてのアメリカの登場が最大の理由です。世界大戦後にらグローバリゼーションの進行で国際社会においてコミュニケーションの手段として英語は圧倒的な地位を保ってきました。
このように広がった英語はどのような役割を果たしているのでしょうか。一つ目はアジア地域における英語の普及です。英米文化とは関係なく、お互いに独自の英語を使ってコミュニケーションを取る、多様な英語の考え方は世界諸英語、World Englishesと呼ばれています。例えば、シンガポールで話されている英語は、シングリッシュと呼ばれ、標準語とは少し違う英語が使われています。
二つ目は、国際社会における共通語としての英語です。英語は世界のすべての地域における、ほとんどの主要国際機関の公用語または作業用言語の役割を果たしています。
一方で、英語の世界への広がりは英語支配論と呼ばれ、様々な問題を引き起こすとも言われています。
今回は3つのデメリットを挙げました。
一つ目はコミュニケーションの不平等と差別です。英語が世界標準語になると、英語圏の人が有利になり、非英語圏の人にとっては大きなハンディキャップになるということです。英語圏の人々は自由に英語を使えるので、彼らがコミュニケーションの中心的存在になってしまいます。
二つ目は少数言語の衰退です。英語が世界を支配すると、それ以外の少数言語の衰退に拍車をかけてしまいます。今回はハワイ語の衰退を例に挙げました。
三つ目は世界文化の画一化です。言語は文化の中核であるので、英語が支配的になるということは英語圏の文化が支配的になるということにつながると考えられます。とくに現代においては、強大な政治力や経済力を持つアメリカ文化の影響が大きいと考えられます。今回は中国のアメリカ化を例に取りました。文化支配は国の文化的アイデンティティの発展を妨げる可能性が高まります。
以上のように、英語の世界的普及は、グローバル社会において大事なコミュニケーションツールであると同時に、様々な問題を生み出します。
今後、英語の普及を止めることは難しいと考えられますが、今後は英語のみを中心に考えるのではなく、少数言語の保護や独自の文化的アイデンティティについても慎重に考えていくべきなのではないでしょうか。


『日本外交のID(ソフトパワーとクールジャパン)』矢崎 彩
かつて日本人にとって、単なる"娯楽"であったアニメは、「現在世界で放映中のアニメ作品の約60%が日本製」と言われるほどに世界で高く評価され、そして今、日本でもアニメは、新たな"産業"という考え方に変わりつつあります。
では、この背景を受けて、今日、"クールジャパン"というものが注目を集めています。これはダグラス・マッグレイ氏が"Japan's Gross National Cool"という論文を発表したことが始まりますが、その由来は、かつてトニー・ブレア英首相が行った、クール・ブリタニア政策であると言われています。
では、世界の人々は日本のどのような点が、クールであると捉えているのでしょうか。それは、先に挙げたアニメをはじめ、マンガ・ゲーム・ファッション・ライフスタイル・食事...などポップカルチャーのことを指しています。外務省では、この、日本人の感性や精神性など、等身大の日本を伝えることができるポップカルチャーを世界に発信していくことによって、その背後にある日本人の感性・考え方を海外に論理的に説明し、外交面においても、日本に対するより一層の理解や信頼、イメージ向上を図ろうとしています。これが、いわゆるソフトパワーといわれるものです。
ソフトパワーという概念は、ジョセフ・ナイ氏が発表したもので、自国の魅力によって、自らが望むことを相手が自発的に行う状況を作る力のことを指し、その源泉には、文化・価値観・政策の3つの源泉があります。しかし、これには、"自国が有する力の源泉"と"相手国の受容"という2つの側面から考察する必要があります。
 では、どのようにソフトパワーを向上させていくのがよいのでしょうか。その手段の1つとして注目されているのが、パブリックディプロマシー(対市民外交)というものです。これは、国際社会の中で自国の存在感を高め、自国のイメージを向上させ、自国の対する理解を深めるために、従来の相手国の政府に働きかけるだけではなく、相手国の国民に働きかけていく外交活動と捉えることができます。現在、様々なものが行われていますが、やはり注目すべきは、ポップカルチャーの活用です。これは既に述べたように、ポップカルチャーがクールジャパンのイメージに最もフィットするだけでなく、コンテンツ(=中身)の輸出という経済的実利も伴ってくるためであり、産官学一体となった日本の ポップカルチャーのいわゆる「産業化」の動きが加速しています。
 しかし一方で、ソフトパワーの効果には、一定の時間がかかる上、根本的に交流が絶たれてしまっては、打つ手がないという現状もあり、ジョセフ・ナイ氏は、外交政策では、ソフトパワーとハード・パワーを調和させた、スマート・パワーを実践するべきであるとしています。
 平和憲法の下、軍事力には制約があり、少子高齢化が進展する中、新興国の台頭もあり、経済力というハード・パワーも陰りが見え始める日本にとって、将来にわたって国際社会に存在感を持って貢献していくためには、世界中の人々をひきつけるソフト・パワーを戦略的に育成し、効果的に発信していくことが重要となっていくことでしょう。そしてさらに、一歩進んだスマート・パワーの行使への道を模索していかなければならないと思います。


どのプレゼンも身近な話題であったこともあり、プレゼン後のディスカッションもいつもに増して盛り上がりました(^^)
2年生にも楽しんでもらえたら幸いです。

くぼ

投稿者 student1
2012年10月23日21:06 [週刊押村ゼミ]


2012.10.9 3年プレゼンテーション(7)

こんにちは、河です。
天気も徐々に涼しくなり、押村ゼミプレゼンテーションも後期第一弾に突入致しました!
一体どんな発表があるのか、どきどきわくわくですね!

では早速参りましょう!!

今回のプレゼンのテーマは

4限 百瀬 佳里奈:日系人のアイデンティティ
5限 安斎 夏海:華僑・華人のアイデンティティ
です。

4限:

今回は日系アメリカ人に焦点をあて、歴史をたどりながら一世、二世がどのようにアイデンティティ形成をしていったかプレゼンテーションを行いました。

日系人とは日本人を祖先にもつ日本以外の国籍を持っている人々の事を言いますが、明確な定義はありません。彼らをとりまく環境、時代背景によって日系人はアイデンティティを形成してきました。

1880年代から稼ぎを求めて日本人たちはアメリカ、カナダ、南米へ渡ります。いわゆる一世と呼ばれる彼らは白人社会であるアメリカの文化と自分たちの文化との葛藤で悩みますが、苛酷な労働や苦難を故郷への強い思いに託し、アメリカ社会に順応していこうとします。
日露戦争で日本が勝利をして以来、黄色人種が白人に勝ったという恐怖心やアメリカ人から労働を奪っていることから日本人排除運動が始まり、1920年代には排日運動が活発となります。この時代を生きたのが一世そして二世。後にはじまる太平洋戦争により、彼らはアメリカに忠誠を誓うか否か、日本人として生きるか、アメリカ人として生きるかの選択をする二重の文化環境にいました。

そんな中、自分のアイデンティティの模索をしていた日系人にとって重要な役割を果たしていたのが日系人コミュニティです。彼らは日本人協議会、仏教会、日本町やリトルトーキョーなどのコミュニティを作り、日本文化を後世に伝えていく場を設けたり、アメリカに同化しようと活動しながら日本人として、そして日系アメリカ人としてのアイデンティティを確立していきました。

このように日系人のアイデンティティを形成していったのは国際情勢が深く関わっていたといえます。


5限:

【華僑・華人のアイデンティティ】
 定義、現在の華僑・華人の世界分布に続き、長崎、神戸、横浜という日本でも
華僑・華人と関係の深い3都市をメインに考察した。
世界分布では、インドネシアでのブミプトラ制に触れた(政策だけでなく、文化
やもう少し違った分野に関してももうすこし触れられれば良かったと思う・・)。
冒頭にも述べたが、今回は日本国内にもっとも力をいれて調べたのでそのことに
ついて紹介する。
長崎:日本の中でもっとも歴史が長い都市であり、江戸時代までさかのぼる。昔
から中国・台湾以外からの渡来人とも交流のあった風土ということもあり、「家
族」のような身近さが生まれることが多い。
神戸:長崎についで歴史が長い。長崎は大陸からの移住者が多いのに対し、神戸
は台湾からの移住者が多いのが特徴。実業家が多いというのは長崎と共通してい
る。日本人との関係は「友人」と表されることもある。
横浜:台中関係が深刻化した時代、不安定な政治、飢饉などのプッシュ要因から
来日した人々が多い。中国各地だけでなく、台湾など様々な地域から来日した。
華僑華人同士の関係も一時的なものといった性格があり、日本人との関係も「隣
人」のようだと言われる(あいさつは交わすがお互いにあまり干渉はしないといっ
た感じ)。
 このように同じ華僑・華人といっても、時代、地域によって大きく性格が異な
ることが分かるだろう。老華僑と新華僑と言われるように定住する者と新たに移
住してきた者、また、定住しているものの中でも世代によってその性格は異なる。
「華僑・華人」と一言でくくるには多様すぎるのかもしれないが、ひとつの世界
的動き(歴史・文化等)として考察することは理解する上での助けになるだろう。

以上です。

意外と知らない日系人、身近な日本の華僑・華人。
近いようで遠く、遠いようで近い存在。
日系アメリカ人のアイデンティティ変化に伴う苦悩・葛藤や彼らのコミュニティのあり方は、華僑・華人のそれと比べかなり異なっていました。日系人とゆえど、日本に住む人たちとはかなり異なった文化・アイデンティティを持っていました。
また日本の華僑も長崎・神戸・横浜の地域ごとに、日本人との関係性は大きく違く、ひとくくりで呼ぶことは難しいなと感じました。
議論ででたユダヤ人との比較も、非常に興味深いものでした。
中華街にいくときにも、また違った視点で見えるのではないでしょうか。

二人とも初回からお疲れ様です!
来週も乞うご期待あれ〜


投稿者 student1
2012年10月20日06:46 [週刊押村ゼミ]


2012.10.2 活動報告

2012.10.2


今回の授業では、皆でビデオを見ました。
古い映像をもとに、「外国から見た日本」が昔からどのように捉えられ、描かれて来たのかということを学ぶ良い機会となりました。


以下、内容の簡単な要約です。


*********

かつて、200年近くもの鎖国時代から、
急速な近代化を遂げる日本を、諸外国は是としてきました。
パリ万博では日本文化は人気を博し、
日本をモチーフとした映像が数多く作られました。
その後起きた「日露戦争」は日本にとって大きな転換点となりました。
日本は西洋と並ぶ列強として扱われるようになり、
ロシア革命では、西洋各国の期待を背負う存在とまでなりました。
しかしその後、アメリカでは日本人移民排斥運動が行われ、
満州国建設をきっかけに国際連盟を脱退するなど、
日本に対する風当たりは強くなっていきました。

*********


ビデオを見たあとは、皆でいつものように先生を囲んでディスカッションを行いました。

異文化との交流はアイデンティティの形成を促す大きな要因です。
相手は自分をどう見ているのか、また自分はどう見られたいのか、
という問を通してアイデンティティは形を変えていきます。
そのため、日本のアイデンティティ形成の核となるのは、
外国との交流が始まった明治行こうと言えるのではないでしょうか。


5時限目は、4年生の先輩方の卒業論文報告の続きを行いました。
この日、報告をしてくださった先輩は、以下の3名です。


◆音石達矢 「道州制と強度意識の関連性―関西地方の実情を踏まえながら―」

基本的クエスチョン
→そもそも道州制にはどのような目的があるのか。
→道州制に関する政府の最新ビジョンは、
国民の強度意識を汲み取ったものになっているのか。
→仮に道州制が導入された場合、
強度意識の強い府県が複数ある関西地方では、どのような問題が生じるのか。


◆長谷川稜 「『想像の共同体』リベラル・ナショナリズムの資格からの再検討―D・ミラーの論考を中心に―」

基本的クエスチョン
→ネーションが想像の産物だとしてもそれが人々のアイデンティティを照射し、
行動や決断、または生き方そのものに与えている影響には無視できないものがある。
ネーションには「虚構性」「物語性」を超えた意義はあるのか。
→アイデンティティは重層的に成立しうるとの前提の下、
ナショナリティはどのような位置を占め、どれほどの実態性があるのか。
→グローバリゼーションが間断なく進行しナショナリティは衰退したのか、していくのか?
また、コスモポリタニズムとは本質的に相容れないものなのか?

◆川上泰 「韓国に見る反日とその形成要因」

基本的クエスチョン
→反日とはなんで、その内実はどのようなものか。
→批判的な国民感情の形成に今日のメディアが果たす役割はどのようなものか。
→韓国における反日、日本における反韓感情はいかにして形成され、
どのようにして増幅されているのか。
また、そこに過去の歴史問題はどの程度関連しているのか。
→上記の問を踏まえ、日刊は歴史問題を乗り越え、
両国の(とりわけ韓国の)反日感情を取り除き、
東アジアにおいて和解、共生していくことは可能か。
もし可能であるとすれば、どのようにすれば日韓において、
肯定的な国民感情を醸成することができるのか。

今回の報告で、先輩方の卒業論文報告は最後となりました。
最後まで、お一人お一人がしっかりした内容を報告しており、とても為になりました。

次回からは、3年生のプレゼンテーションが新たに始まります。
4年生の素晴らしい報告に負けないよう、頑張っていきたいと思います。

投稿者 student1
2012年10月12日23:46 [週刊押村ゼミ]


2012.9.25 活動報告

後期の活動のスタートです。
夏合宿を終えて、一層仲良くなり、知識を深め合った仲間と、新しいスタートを切りました。

この日の4時限目は、合宿の話に花を咲かせながら、後期のスケジュールの確認などを行いました。

合同ゼミの計画や、就活の話なども出て、良いスタートダッシュを切るための準備のような、有意義な時間となりました。

就活の話では、先生の助言をもとに、皆真剣に悩んでいました。
難しいことなのでなかなか答えは出ないかもしれませんが、押村先生のお話はとても参考になりました。


5時限目は、夏合宿中に終わらなかった4年先生の先輩方の、卒業論文報告の続きを行いました。
この日、報告をしてくださった先輩は、以下の3名です。


◆岩谷惟子 「日本の国民性と領土問題」

基本的クエスチョン
→日本と周辺諸国とのあいだに生じている領有権争いについて、
日本国民は冷めているように見受けられ、
日本の代表でもある政府も「日本固有の領土である」と述べるにとどまっているが、
相手国は多くの場合、国内世論の支えもあり日本よりも強引な手段に出ている。
このような海外には見られない日本独特の「弱腰」な対応の背景には、
日本人自身が日本を愛せない「国民性」が関わっているというのは事実か否か。
→日本の国民性が地理的、歴史的なものから作られているとすれば、
日本は今後も増えるかもしれない領有権争いにどのように対処していくことが望ましいか。

◆針替朝子 「上部ライン地域における越境制作―EU統合の中で」

基本的クエスチョン
→EUの中で重要な役割である越境制作が、
複雑な歴史を持つ独仏国境地帯を含むライン川上流地域で成功している要因は何か。
なぜほかの地域に比べより発展したのか。
→制作において、国境がもたらす困難、国境が阻むものとは何か。
→ユーロリージョンにおける制作によって地域にもたらされた変化(経済的恩恵や人の移動)は人々の持つIDに変化をもたらしているのか、
それとも以前と変わらないのか。

◆西田圭吾 「武士の精神と日本」

基本的クエスチョン
→「武士道」と一口に言っても戦乱気には戦向けの実用的な特徴、
泰平記には儒教的な要素を持つように、時代によって様相が異なる。
その背景には禅の思想や、江戸時代の政治、開国による異文化流入があったというのは真実か。
また、それはどのように「武士道」に影響を与えたのか。
→元来、身分が高いはずである武士の道徳(武士道)がなぜ日本人のアイデンティティとして見られるのか、
即ち、どのようにして大衆娯楽と関連があるのではないか。
→武士の精神は現代においても、
戦前の教育や割腹自殺をした三島由紀夫、武士を題材とした漫画や映画などをとうして、しばしば引き合いに出されることがある。
これらの現象は、国民が「日本人である」という意識を持つ必要がある状況で表れたように思われる。
このことは明治~戦前、戦後、バブル崩壊後でどう変化してきたのだろうか。

先輩方の卒業論文の報告は、今後の参考にもなるし、とても為になりました。
これから自分たちも書くと思うと、今回の卒業論文の報告は、とても興味深いものでした。

投稿者 student1
2012年10月12日23:28 [週刊押村ゼミ]


2012.7.3 3年プレゼンテーション(6)

こんにちは、北條です。

今日は前期最後のプレゼンテーションでした!

プレゼンテーションの内容は

4限 矢崎 彩 「日本のナショナリズムの行方」
5限 安斎夏海 「沖縄のアイデンティティ」


です。


以下、要約です。


【日本のナショナリズムの行方】

ナショナリズムとは、まず、国民主義、国家主義、民族主義と様々な捉え方があります。国民国家の形成にかかせないものですが、その反面、マイノリティの排除といった側面もあります。

日本のナショナリズムは、歴史認識と密接不可分の関係があるように思われます。江戸時代以前までは、統一的に全土を実行支配する統治機構はまだありませんでした。やがて、江戸時代になると、徳川幕府による様々な政策により、"日本人"というエスニック共同体へと発展していきます。しかし、人々の間には、クニという概念が強く、まだまだ、日本が国民国家であるとはいえない段階です。その後、明治維新の様々な政策によって、全国が統一的に支配され、天皇を中心とする近代国家が成立し、ナショナリズムが勃興してくるのです。日本は、開国のち、不平等条約という障害を越えて、脱亜入欧を目指し、日清日露戦争を経て、大陸進出を果たし、第二次世界大戦へと突入していきます。
そして、第二次大戦の敗戦後、日本はアメリカによる占領政策下の中で、国体がおおきく変化すると共に、日本のナショナルなものを否定されることによって、日本人としてのアイデンティティが縮小していくのです。
しかし、戦後、日本は世界屈指の経済力をつけることによって、日本国民としての自信を取り戻し、日本のアイデンティティが再評価されるようになりました。
これに対して、戦後、半世紀を経ようとする頃から、日本の従来の歴史教育を自虐史観として批判しこれを見直そうとする動きが出てきました。それが新しい歴史教科書をつくる会です。これについては、自国に誇りをもたせる教育としては一定の支持がありますが、一方で価値観の右傾化による批判もあります。
グローバル化する国際社会において、自国に対する愛国心と同時に、相手への敬意を忘れてはいけないと思います。客観的に自国を見つめ、その間で、どのようにバランスをとっていくか。その目を養っていくには、まず、両方の価値観をきちんと学ぶことが大事なのではないかと思います。

矢崎 彩

【沖縄のアイデンティティ】

琉球王国からのIDの違いを歴史的に細かく追うのではなく、3つの記念日を通して本土とは異なるということを感じてもらえるようなプレゼンを目標にしました。

6/23沖縄戦終戦記念日
4/28沖縄米軍施政権下へ
5/15本土復帰

構成のメインは「教育」、「戦争と基地」の2部です。
「教育」前半では、いかに沖縄が沖縄県として本土への同化を進めていったか、そして後半では沖縄が戦争を経験したのちの取り組みについて述べました。
「戦争と基地」では、沖縄戦→終戦→アメリカ世(米軍施政権下時代)→ヤマト世(返還後〜現在)まで順を追ってそれぞれ詳しく紹介させていただきました。
沖縄が日本に組み込まれてからというもの現代にいたるまで本土が沖縄に対して向けてきた冷やかな視線と犠牲を強いる態度。
例を挙げれば切がないですが、沖縄戦での地元民に対する蔑視、日本独立のために切り捨てられた歴史、そして現在まで続く基地の存在----沖縄を知ることは(本土)日本人のIDを知る上でも重要なのではないでしょうか。

議論中、基地問題は沖縄のIDと関係ないという指摘もありましたが、私はそうは思いません。戦後67年経った今も、本土の安全、極東の安全の為にという理由で継続し続けている基地とは。それは現代の沖縄のID形成を考える際、琉球王朝時代から続く風土的ものよりもはるかに影響力を持っていると考えられるのです。

個人的に原点に立ち返るようなテーマだったので、プレゼン準備はなかなか面白かったです。
改めて思いましたが、知ろうとする努力を持ち続けることと、想像力を培うことは重要ですね。次回はもっと分かりやすく、ポイントをさらに絞って一番大切な部分を伝えられるように心がけようと思います。

安斎夏海


-------------


前期最後のプレゼンでしたが、
どちらも興味深く考えさせられる内容でした。
次回のゼミは課外実習で東京ジャーミィに行きます。
前期に学んだことを活かしつつ、多くのことを吸収してきたいと思います。


北條


投稿者 student1
2012年7月12日10:10 [週刊押村ゼミ]


2012.06.26 3年プレゼンテーション(5)

こんばんわ久保です。

今回のプレゼンテーマは、
4限 麻生千尋 「移民・難民のID」
5限 大寺陽 「ユダヤ人のID」
でした。


それでは要約です。

移民・難民のID

今日、グローバリゼーションに伴い増加している"ヒトの国際移動"について概観した後、それが国家(主に受入国)にもたらす脅威について、ナショナルIDとエスニックIDの視点から考察しました。また、移民を抱える国において、「多文化主義」がどのように実現されるべきなのかについて議論しました。

今日の移民の問題は、彼らが本来のエスニック・アイデンティティを保持したまま、主流文化と溶け込まずにあることだといえます。そうして、国家の主流社会とは別のコミュニティとして平行社会を形成し、経済的・政治的・文化的な摩擦・分裂を引き起こすことで、同じ「国民」としての結束を保たせるナショナル・アイデンティティを脅かします。
しかし、私たちの持つアイデンティティとは、ゼロ・サムゲームではありません。移住先で、そこの国民としてのアイデンティティを受け入れるからといって、現在持っているエスニック・アイデンティティを捨てなければならないというようなことはなく、同時にいくつものIDを持つことは可能です。また、同時に抱えたIDが、それとしてひとつの新しい「移民」というIDの形を作るとも言えます。
後半では、移民を多く受け入れてきたドイツの、「多文化社会の失敗」を例に取り上げました。多文化社会の実現においては、異文化を寛容に受け入れるべきなのはもちろんです。しかし、一国家という同じ空間・共同体のうちに共存していく以上、社会的なルールや言語など、ある程度の「統合」は不可欠です。
移民を社会から排斥するでもなく、同化させるでもなく、彼らの持つエスニック・アイデンティティを尊重したうえで、どのように摩擦をなくし、国家としてのまとまりを持たせることができるのでしょうか。それにあたり、政治や経済といった社会参加の面で、新しい「シティズンシップ」の形を考えることも必要です。
少子化に伴い労働力の不足する日本も、近い将来、労働力として移民を受け入れ、同じ課題を抱えることが予想されます。また、将来私たちが他国へ移民として暮らすこともあり得ると思います。私たちは、この問題について、当事者意識を持って考えていく必要がありそうです。

麻生


ユダヤ人ID

今日、政界や財界に多くの優秀な人物を輩出し続けているユダヤ人ですが、彼らがこれほどまでに国際社会において権力を握るまでには、長きに渡る差別と排斥があったことを忘れてはいけません。今回のプレゼンでは、各国に居住する離散ユダヤ人による、居住国への同化へ向けての試行錯誤の歴史を「宗教ID」「民族ID」という二つの観点から分析し、国家のマジョリティとの共生の可能性について論じました。プレゼンでは、最初に曖昧であるユダヤ人の定義、ユダヤ教徒の大まかな分類、そしてユダヤ人への迫害の歴史の概略を説明しました。それから、離散ユダヤ人の同化の実例として、ヨーロッパにおいて初めてユダヤ人に市民権を付与し、ユダヤ人を「民族」「宗教」という二つの観点で分けて考慮するようになったフランスの例を挙げ、それから憲法上において始めてユダヤ人を人種的にも宗教的にも受容し、先例を見ないほど国の中枢へと同化させていったアメリカ合衆国の例を挙げ、ユダヤ人に対する見方の変化と積極的な動きについて紹介しました。その後、イスラエル建国によりアメリカ国民のマジョリティが胸に秘めているユダヤ人の「民族」としての側面に対する反発意識や、ユダヤ人自身も自分たちが従来持つ「イスラエル民族」としてのIDに対する敬遠意識を持っていることなどが明らかとなり、両者の間に残存する対立関係が露呈したことにも触れ、ユダヤ人の居住国家への同化の可能性について、自分なりに結論を出させていただきました。
結論として、
 ユダヤ人のIDとは、常にマイノリティとして社会的に疎外されてきた経験、長い迫害の歴史が育んだ共同意識
 国家の理念しだいで、ユダヤ人は同国民にも他国民にもなれるため、少なくともユダヤ人を「宗教集団」としてみるなら、信教の自由を保障する民主主義国家では政教分離の原則に従い、事実上その国の国民ともなれる
 居住国で生きていくための、彼らが従来持つ民族IDとはまた異なる新たな集団IDの形成、強調の必要がある
 そして居住国のマジョリティ側からもユダヤ人に対する反発意識を取り除き、互いに歩み寄る必要がある
これらのことが、諸国家において離散ユダヤ人と国家のマジョリティとの共生を可能にすると考えられます。
ディスカッションでは、ユダヤ人がなぜ優秀なのかについて、ユダヤ人が勉学に励まなければならなかった歴史的背景や、ユダヤの教育制度、ユダヤ人の定義などについて議論しました。
このプレゼンを通して、ユダヤ人への興味が非常に強くなりました。またプレゼンそのものに関しては、本当にこれでよかったのかなと今でも正直思っているのですが、ディスカッションで自分が気づかなかった点をほかの人が指摘してくれることにより理解も深まり、緊張もしていましたが、やはりあの場をとても楽しめたかなという気はします。次は何のテーマになるかまだ分かりませんが、どのテーマであっても、今回よりもより良いものを作れるよう精進したいと思います。


大寺

以上です。


移民・難民のIDでは、
ドイツの失敗例を挙げられていたことから、何をもって「成功」と呼ぶのか。移民と主流民にとっての「成功」は異なるということを考えました。
ユダヤ人IDでは、
ユダヤ人とは誰を指すのかという議論が白熱しました。

2人ともお疲れ様でした!
来週はいよいよ前期最後のプレゼンです。
準備に追われている頃かと思いますが、トリを飾る2人、楽しみにしてます^^


くぼ

投稿者 student1
2012年6月30日01:23 [週刊押村ゼミ]


2012/6/19 3年プレゼンテーション(4)

こんにちは、河です。
前期のプレゼンも早い哉、後半戦に突入しました。

今回のプレゼンのテーマは

4限 島川小百合:「国籍とアイデンティティ」
5限 久保舞:「日本における他者」〜共生を目指して〜
です。

以下、発表者による要約になります。

島川:
グローバル化によって国籍とアイデンティティが乖離しはじめている今日、国籍とは何なのか、何のために存在するのか考えます。
まず、国籍とは国の構成員である資格であると同時に、人権に関わる権利義務の前提となりす。
国籍の取得、喪失は国籍法で各国ごとに定められていて、生まれた場所に起因する生地主義と両親の国籍に起因する血統主義があります。この主義の相互作用によって多国籍や無国籍が起こります。日本は血統主義であり、重国籍を禁止しています。
国籍とアイデンティティの問題として、重国籍の禁止で多民族を排他するドイツの例、人権としての国籍の役割に無国籍の問題、国家と国籍の結びつきにFIFAのサッカー選手を例にあげました。
日本での問題としては、多国籍結婚、オールドカマーニューカマーの問題をとりあげました。
国籍は、国内でアイデンティティと結びつけて意識されますが、国外では人権としての役割が重要になります。多様化する国籍の形に柔軟な国籍法が必要となります。


久保:
日本には誰が暮らしているのでしょう。「他者」とは誰のことを指すのでしょう。
在日コリアンを中心に、今後の共生を目指したアプローチを考えました。

●日本の現状
 日本における他者
●他者の現状
 エスニック集団
 在日コリアン
 ニューカマー
●多文化共生
 定義
 課題

 日本では外国人登録をしている外国人、アイヌや琉球民族を他者ととらえます。
資料から見ても、様々な背景を持った他者が存在するはずの日本では、日本のIDも関係して「日本は単一国家である」と主張し続けています。
 2007年までは最多であった在日コリアンの歴史は、1910年の日韓併合までさかのぼります。植民地時代、日本は彼らに日本国籍を強制し、終戦後は文化とともに剥奪しました。彼らは『在日』というIDを築き上げながら日本の地で暮らしています。現在は日本国籍への帰化や自然死により減少し、ニューカマーと呼ばれる就労目的の外国人に数を抜かれました。ニューカマーは中国が最多で、人手不足なのに開国しない日本において、不法滞在が多くあることが現状です 。
 多文化共生は、文化的相対主義ではなく原則を前提とした共存を指します。日本は自他文化理解、在日コリアンは国籍の選択、ニューカマーは言語の習得などが今後の課題として挙げられるのではないでしょうか。

お疲れ様でした!
両テーマとも主に日本のアイデンティティを扱った発表で、ふむふむと自分自身のアイデンティティについて改めて考えさせられる内容だったのではないでしょうか。
国籍や民族などのアイデンティティは、自然にそこにあるものというより、個人が再発見し、さらには権利・義務の下に責任をもって自由に選択し獲得しうるものだということがプレゼンを通して認識されました。
今後より一層あらわになる問題でもあり、日本という枠組みでのアイデンティティを等身大の問題として捉える大切さを学びました。

次回の発表者もがんばってください!

投稿者 student1
2012年6月25日21:06 [週刊押村ゼミ]


2012/6/12 3年プレゼンテーション(3)


北條です。

更新したつもりが反映されておらず、
アップするのが遅れてしまい申し訳ありません。


6/12のプレゼンの内容です。

今回のプレゼンは、
4限 榎本有沙 :「人種偏見とその克服」
5限 中村早希 :「多文化主義」
でした。


 
【人種偏見とその克服】
 
「人種差別とは、現実の、あるいは架空の差異に、一般的、決定的な価値付けをすることであり、この価値付けは、告発者が自分の攻撃を正当化するために、被害者を犠牲にして、自分の利益のために行うものである」と定義されています。また、その原因は固定概念や恐怖といわれています。
今回のプレゼンでは、実際に存在した太平洋戦争とアイルランドにおける2つの人種偏見の事例を取り上げました。
太平洋戦争は、アジアにおける戦闘で生じた激しい憎悪による人種戦争です。日本人は欧米人から猿や類人猿、原始人や子供とみられました。そして日本人は欧米人のことを、怪物や鬼とみていました。そこには根強い白人至上主義が存在したのです。
アイルランドでは、クロムウェルによる侵略を例に挙げ、イギリスからの偏見について考えました。アイルランド人は無知や野蛮、怠惰、不潔で劣った白人とイギリス人からみられていました。
これらの人種偏見には、指導者、メディアによる洗脳からくる恐怖や、支配したいという気持ちが原因だと考えました。そして、支配するための最終手段としての争いや大虐殺につながったのです。
これらの人種偏見を克服するために、人種差別撤廃条約の存在や教育、メディアによる解決策を挙げました。日本にはまだ人種差別撤廃の法律はないものの、こうした条約がもたらした市民への意識の変化は大きかったのではないかと思います。
いまだ世界から無くなっていない人種偏見をなくすために、まずは法的側面からの基盤づくり、そしてお互いに差異を受け入れて共存していくための教育や情報発信に力を入れていくべきではないでしょうか。
みんなとの議論では、実際に自分が差別されるという経験をすることや、キング牧師のようなリーダーを作る、また個々の解決策については世界中に友達を作るなどの意見もいただきました。
克服について教育やメディアの具体的な例などを考えていなかったために、抽象的になってしまったことが反省点です。
また、留学組からは現地での差別の実態などを聞けて、とても興味深かったです。
 

【多文化共存主義】

現代社会のグローバル化によって国家同士の相互の関わり合いが増え、全世界で人の行き来が自由になりました。このグローバル社会の中で広がってきたのが多文化主義の考え方です。
人の移動が自由になり多様化した社会において国家は移住規制や移民の管理が非常に難しくなりました。そこでこうした多文化社会化、多民族国家化の過程で生まれる摩擦や紛争を防ぎ、社会の安定的な統合のために考案されたのが多文化主義です。
多文化主義とは、政治的、経済的、文化・言語的不平等をなくして国際社会の統合を維持しようとするイデオロギーを意味します。この考え方は1970年代からオーストラリアやカナダでその有効性が認識されるようになりました。
しかし一方で、国家の主流国民にとって多文化社会化は国家アイデンティティの動揺の原因であるとか、国民文化や公用語の優越性に対する挑戦とみて、多文化主義に否定的な部分もあります。

さて、代表的な多文化主義国家としてオーストラリアが挙げられます。オーストラリアはイギリスの植民地となり、ヨーロッパからの流刑地として流刑囚によって入植が始まりました。その後は開拓や金の発見によって自由移民が急激に増え、多民族化が社会を変化させました。
しかし、1901年のオーストラリア連邦成立ともに、非白人移民への移民統制がなされ、1960年代まで白豪主義が続きました。
第二次世界大戦後は、大陸防衛と経済復興、経済成長を目的として大量の労働力確保のため、大量移民政策が実施されました。その結果1960年代までにオーストラリアは多文化主義国家へと変化していきました。
オーストラリアの多文化主義の考え方は時代とともに変化し、現代では、その多様性の承認には適切な管理が必要で、制限されるべきだと考えられています。

多文化主義国家として、様々な言語教育がなされています。
英語運用力が十分でない移民のためには「第二言語としての英語教育(ESL)」の政策がとられ、大人を対象に就職に必要な英語教育、子どもには学校の勉強に必要な英語教育を実施しています。
また多文化主義国家として、英語以外の言語を母語とする人々の第一言語を発展、継承し、国家の言語資源を増大させ、文化的知的に社会を豊かにするため、「英語以外の言語教育LOTE」も実施されています。
このように、言語の多様性を保護するとともに社会的公正を実現するための言語教育政策がとられています。

最近では、海外からの技能労働者の確保のためにビザの発給を迅速にする協定などを締結し、技術移民を呼び寄せようとする動きが見られます。

以上のように、グローバル化社会において多様な文化や言語、民族が存在する社会の不平等をなくして、国民社会の統合の安定化を目指すためには多文化主義が有効と考えられます。


感想

今回のプレゼンでは今までで一番多く本を読んだ気がします( ̄▽ ̄)笑
準備には時間がかかりましたが、その分一つのテーマを深く掘り下げ、じつくり考えることができたと思います。

投稿者 student1
2012年6月25日21:01 [週刊押村ゼミ]


2012/6/12 3年プレゼンテーション(3)


北條です。

更新したつもりが反映されておらず、
アップするのが遅れてしまい申し訳ありません。


6/12のプレゼンの内容です。

今回のプレゼンは、
4限 榎本有沙 :「人種偏見とその克服」
5限 中村早希 :「多文化主義」
でした。


 
【人種偏見とその克服】
 
「人種差別とは、現実の、あるいは架空の差異に、一般的、決定的な価値付けをすることであり、この価値付けは、告発者が自分の攻撃を正当化するために、被害者を犠牲にして、自分の利益のために行うものである」と定義されています。また、その原因は固定概念や恐怖といわれています。
今回のプレゼンでは、実際に存在した太平洋戦争とアイルランドにおける2つの人種偏見の事例を取り上げました。
太平洋戦争は、アジアにおける戦闘で生じた激しい憎悪による人種戦争です。日本人は欧米人から猿や類人猿、原始人や子供とみられました。そして日本人は欧米人のことを、怪物や鬼とみていました。そこには根強い白人至上主義が存在したのです。
アイルランドでは、クロムウェルによる侵略を例に挙げ、イギリスからの偏見について考えました。アイルランド人は無知や野蛮、怠惰、不潔で劣った白人とイギリス人からみられていました。
これらの人種偏見には、指導者、メディアによる洗脳からくる恐怖や、支配したいという気持ちが原因だと考えました。そして、支配するための最終手段としての争いや大虐殺につながったのです。
これらの人種偏見を克服するために、人種差別撤廃条約の存在や教育、メディアによる解決策を挙げました。日本にはまだ人種差別撤廃の法律はないものの、こうした条約がもたらした市民への意識の変化は大きかったのではないかと思います。
いまだ世界から無くなっていない人種偏見をなくすために、まずは法的側面からの基盤づくり、そしてお互いに差異を受け入れて共存していくための教育や情報発信に力を入れていくべきではないでしょうか。
みんなとの議論では、実際に自分が差別されるという経験をすることや、キング牧師のようなリーダーを作る、また個々の解決策については世界中に友達を作るなどの意見もいただきました。
克服について教育やメディアの具体的な例などを考えていなかったために、抽象的になってしまったことが反省点です。
また、留学組からは現地での差別の実態などを聞けて、とても興味深かったです。
 

【多文化共存主義】

現代社会のグローバル化によって国家同士の相互の関わり合いが増え、全世界で人の行き来が自由になりました。このグローバル社会の中で広がってきたのが多文化主義の考え方です。
人の移動が自由になり多様化した社会において国家は移住規制や移民の管理が非常に難しくなりました。そこでこうした多文化社会化、多民族国家化の過程で生まれる摩擦や紛争を防ぎ、社会の安定的な統合のために考案されたのが多文化主義です。
多文化主義とは、政治的、経済的、文化・言語的不平等をなくして国際社会の統合を維持しようとするイデオロギーを意味します。この考え方は1970年代からオーストラリアやカナダでその有効性が認識されるようになりました。
しかし一方で、国家の主流国民にとって多文化社会化は国家アイデンティティの動揺の原因であるとか、国民文化や公用語の優越性に対する挑戦とみて、多文化主義に否定的な部分もあります。

さて、代表的な多文化主義国家としてオーストラリアが挙げられます。オーストラリアはイギリスの植民地となり、ヨーロッパからの流刑地として流刑囚によって入植が始まりました。その後は開拓や金の発見によって自由移民が急激に増え、多民族化が社会を変化させました。
しかし、1901年のオーストラリア連邦成立ともに、非白人移民への移民統制がなされ、1960年代まで白豪主義が続きました。
第二次世界大戦後は、大陸防衛と経済復興、経済成長を目的として大量の労働力確保のため、大量移民政策が実施されました。その結果1960年代までにオーストラリアは多文化主義国家へと変化していきました。
オーストラリアの多文化主義の考え方は時代とともに変化し、現代では、その多様性の承認には適切な管理が必要で、制限されるべきだと考えられています。

多文化主義国家として、様々な言語教育がなされています。
英語運用力が十分でない移民のためには「第二言語としての英語教育(ESL)」の政策がとられ、大人を対象に就職に必要な英語教育、子どもには学校の勉強に必要な英語教育を実施しています。
また多文化主義国家として、英語以外の言語を母語とする人々の第一言語を発展、継承し、国家の言語資源を増大させ、文化的知的に社会を豊かにするため、「英語以外の言語教育LOTE」も実施されています。
このように、言語の多様性を保護するとともに社会的公正を実現するための言語教育政策がとられています。

最近では、海外からの技能労働者の確保のためにビザの発給を迅速にする協定などを締結し、技術移民を呼び寄せようとする動きが見られます。

以上のように、グローバル化社会において多様な文化や言語、民族が存在する社会の不平等をなくして、国民社会の統合の安定化を目指すためには多文化主義が有効と考えられます。


感想

今回のプレゼンでは今までで一番多く本を読んだ気がします( ̄▽ ̄)笑
準備には時間がかかりましたが、その分一つのテーマを深く掘り下げ、じつくり考えることができたと思います。

投稿者 student1
2012年6月21日08:20 [週刊押村ゼミ]


2012/06/05 3年プレゼンテーション(2)

こんにちは、久保です。

今回のプレゼンは、
4限 高岸陽子:「歴史教育とアイデンティティ」~他国と比較し日本の歴史教育を見直す~
5限 原川拓士:「ことばと国家」
でした。


要約・感想

高岸:

歴史教育は世界の地域によって様々です。
東北アジアでは自国史と他国史を分けて、通史を小中高と繰り返し教えます。
自国史と他国史が分かれている分、その関連が掴みにくいのが難点です。
それに対して西ヨーロッパでは自国史と他国史は区別されていなく、小学校で古代、高校で現代史というように小中高一貫教育になっています。
世界には客観的、中立的な歴史は存在していなく、各国それぞれ何らかのアイデンティティや視点に基づき歴史を書いているのです。
日本と同盟国であるドイツでは加害国として、現代史、特にナチの過去について一年かけて教えます。説明に加え、収容所の写真や史料などを豊富に織り交ぜ、生徒が歴史的事実において実感をもって認識できるようにし、生徒への問いかけを通して事実を前に考え生徒たち自身に結論を出させることを重視しています。
また中国は犠牲者としてのアイデンティティから歴史を民族意識を高める目的で教え、南京大虐殺などについて具体的な数字や写真を用いて詳細に教えています。
それでは日本はというと、
特徴として①高校では世界史が必修で日本史が選択科目、
②繰り返し型で現代史が疎かになりがち、
③事項羅列で無味乾燥な表現、
④他国への侵略についての記述が不十分、
⑤過去のことを素直に誇れない、
⑥東アジア地域との関連がわかりにくい、
などが挙げられます。
犠牲者とも勝利者とも言い難い日本は歴史教育をアイデンティティに関連づけることはせず、歴史は一科目という位置づけで事項羅列型になっています。
受験のための歴史といった歴史教育の目的をもつ日本はどのような歴史教育の根本的な改善が必要なのか、東アジア地域と日本の関係史を重視し、日本人のアイデンティティの健全な成立のために東アジア史と世界史を学ぶべきでは、などと議論が盛り上がりました。
また先生は日本の2度のアイデンティティの断絶からも日本は歴史を知ろうとする姿勢が弱いのではとも指摘されていました。
今回韓国、中国の教科書で日本がどのように書かれているかについて調べて、日本人は過去に向き合い事実を正しく学ばないといけないなと思いました。
よく知らないからなんとなく罪悪感を持つことはやめ、歴史を知り自らが考えることが求められているのですね。
プレゼンではアイデンティティの観点が不十分であったことを反省しています。みんなが議論を盛り上げてくれたのがよかったです。


原川:

「我々は一人残らず、はじめて日本語を学んだのは母からであった。」と柳田国男は言った。
私がゼミのプレゼンで聞いた生徒は母語は日本語といい、母国語も日本語であるという。
しかし厳密には、母語と母国語は異なっている。母語は、母親から教わったことばであるの対し、母国語は国家語である。
日本ではあまり問題にならないが、世界では母語と母国語の不一致により、ある者は言語的マイノリティになり、自国でも母語が通じないというアイデンティティクライシスに陥ることがある。
今回のプレゼンでは、人のアイデンティティに深くかかわる言語に対し、国家がどのようにかかわってきたかを述べ、
そしてそれらの国でどのような言語的アイデンティティクライシスがあるかを検証した。
国家の言語政策は、
一番人口の多い母語を国家語にしたフランスから、
言語の共存を図ったスイス、
そして誰の母語でもない英語を国家語にしたシンガポールを挙げた。
フランスでは、フランス語至上主義による厳格な言語政策によって、マイノリティが弾圧され、多くの方言話者が犠牲にあった。
スイスでは、多言語国家であるがゆえに、ナショナルアイデンティティが弱く、言語の話者人口に比例して言語に優劣があるのも現状だ。
シンガポールでは、多民族を統一するために英語を導入したが、実際それが皮肉にもシンガポールのナショナルアイデンティティに結びついていない。
むしろ海外移住者を促進させてしまった。
何か国語も流暢に話す外国人を見ると、不覚にも羨望のまなざしで見ることがある日本人であるが、
まずは彼らの「母語が通じない社会に生きる孤独」というものを理解する必要があるのではないか。

感想
いやープレゼンテーション緊張しました。ゼミの圧力は想像以上でした。これからは聴く側になりますが、楽しんで参加していきます^^

以上です。

今回の2つのプレゼンは、私たちの生活に密着したもので、今まで学んできた歴史、普段何気なく使っている言語を改めて考え直す機会となりました。
特に歴史教育のプレゼンでは、各自が高校の授業を振り返ってみたり、受験組と内部で意見が分かれたり、様々な議論が発展して面白かったです。
親から教えられる言葉、学校で習う歴史、いずれも教育がIDに深く根付いている事を学びました。

2人ともお疲れ様でした!


くぼ

投稿者 student1
2012年6月10日02:48 [週刊押村ゼミ]


2012/05/29 3年プレゼンテーション⑴

こんにちは、河です。

今週から3年生によるプレゼンテーションが始まりました。
前半・後半の計二人による発表とディスカッションになります。

第一回目のテーマは

4限 佐々木康隆:「アフリカの部族社会」 〜アフリカにおける国家建設の行く末〜
5限 北條愛美:「イスラム原理主義のインパクト」 〜二つのイスラーム〜

でした。
毎週担当者が各自プレゼンを要約し、記載します。

以下、各担当の要約になります。

佐々木:
今回僕はアフリカの部族社会についてのプレゼンをしました。
 アフリカの人々は「部族」「民族」という括りを自己、あるいは集団に内在化して生活しています。つまり、この括りは彼らの社会を規定しているのです。「部族」また「民族」の概念は、植民地時代における西洋諸国の分割統治に由来します。宗主国の自文化中心的な視座から、アフリカは未開社会であると決めつけられ、西洋のご都合主義で人工的に境界、コミュニティー、文化を定義したのです。今では、国家という枠組みがあるものの、彼らのIDは民族に属しており、それは動かしがたい事実としてそこにある。
 現在のアフリカは、多種多様な「民族」が人工的な国境の中に混在する状態にあります。この多民族性は、彼らの国家建設、開発の阻害となり、それが「民族」ごとの対立へと発展する危険をはらんでいるのです。政治における少数民族の冷遇や、希少な土地や資源の民族ごとの取り合いが、その具体的な現れです。多民族国家において、公共財というのは、多民族であるが故に、供給されるのが困難になります。多民族性は、その国家の中での開発の格差を顕在化し、自己と他者の区別を明確にしてしまいます。
 ここで重要となるのが、多民族性という動かしがたい事実があっても、彼らの相互理解、和解を促進する必要があると考えます。そこで対立する双方の意見を組み込んで妥協案を模索するなど、ゼロサムではなく、win-winに持ち込める建設的な対話を重視する問題解決の土台が必要なのではと考えます。ただ各国によって状況は違うので、この方法が!00%全ての国家に適用できるかどうかは難しいところですが、姿勢としては必要十分なのではと思います。
 感想:初回で緊張しましたが、なんとかやりきれました。ディスカッションが盛り上げられなかったのが、個人的に惜しかったので、今後はファシリテーション技術をもっと高めれたらと思います。


北條:
イスラーム原理主義とは、現代のイスラーム世界を、コーランの教えに従ったイスラーム共同体の本来あるべき姿ではないとして、イスラームの原点に回帰しようといううんのことを指します。つまり、西洋の侵食や近代化によって脅かされる彼らの信仰を守って行こう、または取り戻そうという運動で、イスラーム復興主義と言えます。
しかし、メディアの偏った報道や、潜在的なオリエンタリズムによって、
【イスラーム=恐ろしい宗教 / ムスリム=原理主義者=テロリスト】
という、誤解が生まれてしまいました。
また、このような偏った報道やオリエンタリズムは、西洋社会にイスラモフォービア(イスラーム嫌悪症)という反応を引き起こしました。
そしてイスラモフォービアに対抗するかのように、イスラーム世界でもウェスタンフォービアが顕在化し始めます。
加えて、長年積み上がってきた犠牲者意識や劣等感、また西洋に対するidentityの確保いった要因も合間って、イスラーム世界と欧米の対立は激化していきました。

イスラーム原理主義の運動は大きく3つの時期に分けられます。
①西洋の帝国主義とそれに伴う西洋化への抵抗手段として発展
②アラブ・ナショナリズムに変わるイデオロギーとして影響力が広がる
*主権国家を前提とした運動の展開の一方で、脱国境的な側面も顕著になる
③イスラーム原理主義の二極化があきらかになる
*グローバル化やインターネットの普及によって越境的な活動が増加

以上のような軌跡を辿ってきたイスラームですが、国境を越えて活動していることやウンマの拡大を目的としていることなどの共通点がある一方で、今日では穏健派と急進派の二極化が顕著になってきました。

【急進派】
国境に縛られず、完全なウンマを目標とする。
民主主義、自由、人権といった概念を軽視し、ジハードに重きを置く。
【穏健派】
主権国家など、既存の枠組みを前提として活動を行う。
*穏健派イスラーム政党ー政党という政治組織を通じてイスラーム復興運動を展開する。
社会、経済活動を重視し、ムスリム同胞団などが有名。
*イスラームNGO
*イスラームに基づく国際機関

過激派の存在がイスラモフォービアを悪化させ、イスラーム世界とその他の国々との間の心理的境界線を深める一方で、穏健派の存在はあまり知られていません。
大多数のムスリムが穏健派であるにも関わらず、イスラームに対する誤解を払拭するために大きな役割を果たすであろう穏健派の活動は、過激派のテロ行為の裏に隠れてしまっているのが現状です。

急進派だけがクローズアップされている現状を打破し、イスラモフォービアとウエスタンフォービアの負のサイクルを断ち切ることが今、もとめられているのではないでしょうか。メディアのあり方が問われていると思います。
同時にイスラームに対する私たちの意識も重要です。イスラームは本来、平和や融和、平等の精神などを唱えている宗教です。TVに映る過激派テロリストの姿を通してイスラームを知るのではなく、彼らの本質を理解しようとする必要があると思います。

お疲れ様でした!初回から二人とも質の高いプレゼンで、一気にハードルが上がりましたね!
アフリカとイスラームの問題を考えると、まるで鬱蒼とした森の中に放りこまれたような気持ちになります。
二人の発表はその中で標識を設けてくれました。
アフリカの部族社会の問題もイスラーム原理主義の問題も、それぞれ外部からの介入による分裂が根底となっていました。
西欧により自文化の形成を妨げられたアフリカや、アメリカのメディアにより急進派のイメージを植え付けられたイスラーム教。
欧米諸国を「敵」とし、新たにアイデンティティを構築するのではなく、互いに理解し合いながら共通のアイデンティティを「再発見」することが大切であり、日本は第三者として、黙視でも軍事介入でもなく他に必要とされていることがあるのではないだろうか、と考えさせられたプレゼンでした。

毎週発表が聞けると思うと、とてもワクワクしつつ気負いも感じられます。
これからがんばっていきまっしょう!

投稿者 student1
2012年6月 3日00:09 [週刊押村ゼミ]


2012/05/22 ゼミ内容

こんにちわ、北條です。

今日から3年生に新しく百瀬さんと河さん、2人のメンバーが加わりました。

河さんはブログ係をしていただくことになったので、
これからは3人で頑張ってブログを更新していきたいと思います。


よろしくお願いします。


それでは、5/22の活動報告に入ります。

3時間目は、前回に続いて

Friedrich von Schlegelの
Nations, States, and Conflicting identitiesを読み進めました。

内容としては、nationやstate、ethnicなどIDに関する概念を学びました。


nation-国民、そこに住む国民全体
state-領域、人民、主権(政府、権力)を備えたもの、法的概念
race―身体的同一性に基づき、差別につながる可能性
nationality-国民であること
ethnic group-nationの中に存在する異なったidentityの集合体
nationalityの下に位置し、同時に持てる
       (American=nationality / ~-American=ethnic identity)
       同一の言語・文化的価値、身体的類似性
       日本は国家の中における同一性が高い
       反対の例として、イギリス、ユーゴスラビア
tribe-部族
Nation without state-国家無き国民 Ex)クルド人、パレスチナ人

この様な差異を越えていくためにできること、行ってきたこと
Assimilation-どうか、majorityがminorityを飲み込む
Slavery-人種隔離
Social development-教育などを通しお互いを理解する―真実和解委員会
Economic development-移動による争いの原因となり経済格差を取り除く

以上のような内容を、様々な例を交えて学びながら、
identityに対する意識をさらに深めました。

4限は、ユーゴスラビアの内戦に関するビデオを見ました。

ユーゴスラビアは、
社会主義の名のもとに"いろいろな民族が一緒に暮らせる国"を目指して作られました。
1つの国家、2つの文字、3つの宗教、4つの言語、5つの民族、6つの共和国、7つの国境
という1~7の数字で構成される特殊な国、ユーゴスラビア。
Tito大統領がソ連の力を借りることなく自力でドイツを打ち破り、
6つの共和国をまとめたことから始まります。
しかし、Titoの死によりその結束が失われてしまいました。

その中でも、ボスニア・ヘルツェゴビナは
クロアチア人、イスラーム、セルビア人という3つの勢力が混在し、
それぞれの思惑によりボスニア・ヘルツェゴビナの内戦は泥沼化します。


ビデオの中では、紛争までの流れをたどったのちに、
紛争を経験した人々への取材を通して、
今も深い爪痕を人々の間に残した紛争の惨さが描かれていました。

中でも、息子や家族を亡くした人々のインタビューが印象的で、
紛争が人びとの心に残していくもののむごたらしさが伝わってきました。

みな、ショッキングな内容のビデオを食い入るように見ており、
いろいろなことを考えさせられた授業でした。


北條

投稿者 student1
2012年5月22日09:38 [週刊押村ゼミ]


2012/05/15 ゼミ内容

こんにちは!
ゼミ合宿明け初のゼミ。
3年生は一段と仲良くなり、教室内のアットホーム感が増したような気がします(*^_^*)

そんな4限では、世界価値観データブックの資料を参考に、どう資料を読みとるかを学びました。
資料を参考にする場合、数字からどの様な背景を読みとるかが重要になります。
例えば、もし戦争が起こったら、国のために戦うか。
という問いに、
アメリカは「はい」が63.2、「いいえ」が34.2
中国は「はい」が75.7、「いいえ」が11.2
それに対し、
日本は「はい」が15.1、「いいえ」が46.4
ドイツは「はい」が27.7、「いいえ」が53.6
という数字が出ていました。
これらから、第二次世界大戦に敗北した日本やドイツは「はい」と答える数が少ないと読みとれます。

また、あなたにとって大切なこと。周囲の人を助けて、幸せにすること。
この問いに
「非常によく当てはまる」と答えた日本人は5.5。アメリカ人は17.6。
その他の国も2桁の中、日本はとても少ない数となりました。
道徳で教え込まれている日本人が低いのは何故でしょう。
金縛りの人間関係の中で反発が生まれる事が理由として挙げられるでしょう。
また、キリスト教の隣人愛の精神が染みついていない点も挙げられます。
実際は周囲を助ける日本人ですが、意識の上では反発したがっている事がわかります。
また視点を変えると、アメリカは隣人愛を言葉にしていないと成り立たない国だと言えます。
放っておいてまとまる国が日本、ばらけてしまう国がアメリカ。と2国間の差異が見てとれます。

この様にわかりやすい例を元に、数字から背景を読みとることを学びました。


その後、"Nations, States, and Conflicting Identities"という英語文献を読み始めました。
前書きの部分だけですがIDの重要な定義が定められている部分です。

そもそもIDとは何なのか。相互に排他的なグループに置くべきなのか、共通のHuman IDがそれらを越えるように仕向けるべきなのであろうか。
社会を創ることで他グループと対立し得る。
それは依存してきた社会集団に能力や才能を溜め込む、という人間の偉業でもあるが
同時に、相互に破壊的にも成り得る。
集団としてまとまると安心感を得る一方、同じ国家に住む「その他」を安全ではないと感じてしまう。
数世紀にも長引く国家間の戦いや内戦、反乱、テロなどは差異による境界により生じる。
このチャプターでは、グローバル政治における役割の考察から始め、IDを書き表す国民性や民族性の概念の議論を続ける。
社会と人々を隔てる国家や人種の裂け目の代表的な事例を挙げ説明していく。


来週からは本文に入ります。
先生の英語の解説がとってもわかりやすくて感動してしまいました!(笑)


5限では4年生も合流して、
グローバリゼーションについてのVTRを見ました。
アメリカの経済学者Joseph Stiglitzが
故郷であるGaryの繁栄から衰退の歴史を軸に、世界各地のグローバル化をレポートしに行くものでした。
キーワードとなった"Natural Resourse Curse"。
これは、先進国が資源を全て吸い上げ、環境破壊を進めていることを指します。
またWTOなどのルール自体が不平等で、ルールを守ったところで豊かになるわけではない現状があります。
この様な例もあり、彼はグローバル化は格差を広げる事しかしない。と考えます。

Garyの繁栄から衰退が示すように、"マーケットはどこへでも動く上に、現地の福利は関係ない"
という点がグローバル化の格差が広がる理由となります。
エクアドルではTexacoという石油による毒に苦しんでいます。
利益は全て先進国へ吸い取られ、現地民は毒を残されただけとなってしまいました。

交渉力の差が生じてしまうことが最大の問題点とされます。

解決策として
Legal Flamework 住民に対しての責任も負わせることや、
Grobal Compact 国を介さずに企業同士が協力することなども挙げられます。

しかし国際関係には強制力がないために、容易なことではないでしょう。
また国が経済に負けている現状を回帰する必要もあります。

ルールを作れば平和になるという考えは間違いで、
より不公平な世の中が生まれてしまう場合もあります。
誰がつくれば公平になるのでしょうか。

Alter-Globalizationとして、
経済中心のグローバリゼーションではなく、コミュニケーション中心のものは効果を得ている現状もあります。
目の前の"利益"だけにとらわれる事なく、長い目で見ることが必要なのでしょう。

グローバリゼーションにおける問題点を挙げられたVTR後の議論は、
今後どのようなアプローチがあるのかと白熱しました。

グローバル化はIDをわけ隔てる。
Majorityは(特に経済面において)Minorityの気持ちがわからず
MinorityはMajorityを敵と認識するから仲良くできない。
という点が印象に残っています。
またこの議論の続きをしたいです。


くぼ

投稿者 student1
2012年5月15日23:35 [週刊押村ゼミ]


2012/05/08 ゼミ内容


こんにちは、北條です。
5/8の活動報告です。


今回の4限は、前回の「日本人のidentity」というテーマの講義の続きを行いました。

IDの規定要因として
・地理的、自然的
・文化的
・歴史的
という3点があげられます。

前回は、地理的・自然的要因と文化的要因について行ったので、
今回の授業では残りの歴史的要因について考えました。

歴史的要因
*宗教
6C以前の日本...原始神道(アミニズム)
6C...仏教の導入、神仏混淆
江戸時代...幕府による儒教の導入/武士は朱子学
明治時代...国家神道の誕生
・本来は矛盾するものを矛盾しないように取り込んできたという歴史
・アミニズム(教義がない、自然信仰)
・利用できるところを取り込む
という傾向が日本にはある。

*二度の文化的断絶
①明治維新―半開の日本・文明開化
      昔のものに対する否定
②戦後―民主化(人間としての天皇、GHQの戦後教育)

この様なidentityの断絶により
・過去のことを素直に誇れない
・自己否定の傾向
という日本人のidentityが形成された。

*外交
憲法9条の存在
→経済、開発、技術支援など非軍事的支援しかできない
戦時中のアジアの国に対する過干渉
→内政不干渉の傾向

*アメリカとの関係
国連加盟、サンフランシスコ講和条約におけるアメリカの手引き
→アメリカに対する負い目
→アメリカへの依存

以上のように、様々な歴史的背景が私たち日本人のIDを形成していることが分かりました。
過去のことが現在の私たちのIDにこんなにも影響していることは、とても興味深い事実でした。

5限は、globalizationに関するビデオを見ました。

今回のビデオは、グローバル化に否定的な内容でした。
各国におけるグローバル化がもたらした被害にクローズアップして、
グローバル化の負の側面を学ぶことができました。

特に、先進国におけるグローバル化の被害はとても以外で、
グローバル化の負の側面は途上国のみでなく
先進国にも重大な影響を与えているということを改めて実感しました。

ビデオの内容を通して、グローバル化の被害を学んだあとは
この様な事態に対して、法的枠組みを作っていくことが必要か、という話になりました。
しかし、そこには途上国と先進国との間の交渉力の差など様々な問題が絡んできます。
現在の不平等なruleをどう改善していくかがポイントだと思いました。

グローバル化に関しては、
まだまだ考えなければならないことが多いと実感させられた授業でした。

北條

投稿者 student1
2012年5月 8日09:35 [週刊押村ゼミ]


2012/05/01 ゼミ内容

こんにちは、くぼです。
5月1日の活動報告をします!


4限は3年生のみの活動で、
日本人のアイデンティティ(ID)をテーマに押村先生の講義を受けました。


IDの規定要因として挙げられる
・地理的、自然的
・文化的
・歴史的
以上3点を日本に当てはめて考えました。


まず地理的、自然的要因。
・島国である。海洋国家である。
・極東の一国である。
・中国という大国の隣に位置する。
・資源小国である。
・国土の2/3が森林である。
・平野が少なく、人口密度が高い。
・四季がある。
などの特徴があげられます。
これらから得る日本のIDとして、
独自性が高いが、外からの攻撃に弱い、遅れているという脆弱感を抱えている。
とまとめられます。


次に文化的要因。
・和を尊ぶ。
・混在が許されるので決定力に欠ける。
の特徴をもとに日本のIDを考えると、
コンセンサスを基調とする我慢強い性格で、個人主義ではなく、秩序を保つための関係主義を重視する。
とまとめられました。
この結論には、
土地が狭い中でいかに上手く生きていくか、という面から生まれる我慢強さ。
西洋の一神教に対し、八百万の神を信仰する点で許容される混在。
また"和魂洋才"というように、異なった物を混在させてより良い物を目指す。
神道において、心で通じ合う事が重視されるため、言葉は二流となる。
と日本の文化に深く根付いたものである事がわかります。

3点目の歴史的要因は時間がなくなってしまい次回に持ち越すこととなりました。

自分たち、日本のIDということもあり、質問や意見も活発に交わされました。
今までなんとなく感じていた「日本人らしさ」の要因の根拠を学べました。


5限目は4年生も合流して、イスラム過激派のVTRを見ました。
先週学んだ、宗教の差異だけでは争いは起こらないはずである事を前提に、
・イスラム教とは信仰であるのか、口実であるのか、手段であるのか。
・アフガニスタンの国内の状況
・今後どうすれば良いのか
という3点に注目してみました。

内容は、アフガニスタン国内のムジャヒディン(イスラム教兵士)の密着取材したものです。
タリバンに抑圧されているアフガン人を救う名目で武装しているアメリカ兵に対し、
ジハード(聖戦)と称してイスラム教を守るために戦うイスラム兵。
あるグループに密着し、爆弾作りから実際に攻撃を行う時もカメラを回し続けていました。

ムジャヒディンのエネルギー源がイスラム教であることは確かなので、信仰心が故の戦いなのですが、
自分達は被害者であるIDも根強いものでしょう。
世界を解放するために戦士になるというアメリカ兵のIDとは真逆である事が伺えます。
また、戦士になる原因は貧しさや格差による自暴自棄でもあり、
イスラム内部の問題も多々あります。

もう10年近く続いている争いですが解決までには様々な問題が残っています。
映像として見ることで改めてショックを受けました。

投稿者 student1
2012年5月 1日01:46 [週刊押村ゼミ]


2012/04/24 ゼミ内容


久保舞と一緒にブログ係になりました、北條です。
システムトラブルのため、更新が滞ってしまった上に、
記事の順番が前後してしまい申し訳ありませんでした。


これから頑張って更新していきますのでよろしくお願いします。


それでは、4/24の活動報告に入りたいと思います。


4限は、前回の「identityとは何か」
「なぜ今、identityが注目されているのか」に続き、
「identityは紛争の原因か」をテーマに講義が行われました。

授業はまず、
アメリカとカナダの間にはなぜ軍隊がいないか?
という問いから始まりました。
IDの観点からみると、両国は人種やイデオロギーなどいくつも共通点があり、
戦争の準備をする必要すらないことが分かります。

しかし、マレーシアのプミプトラ政策などから
差異が必ずしも争いを生むとは限らないことは明らかです。
パキスタンの事例では、
自爆テロは宗教に、経済的困難、資金を拠出する人の存在、
マインドコントロールなどの要因が加わって自爆テロにつながるそうです。
差異+αが争いを生み出しており、
差異それ自体が根本原因ではないことが分かりました。


この、+αにはメディアや教育が大きく関わっており、
様々な要因が考えられます。

差異を前提にどう予防するか、どう解決するか、というところが問題になっていると学びました。


5限目は4年生も合流して、「領土とidentity紛争」をテーマに授業が行われました。

領土は共同支配が難しくゼロサム的な解決方法になるため、
identityが重なると頻繁に争いが起きます。
今回はそのことを踏まえて、尖閣諸島、竹島、北方領土に関するビデオをみました。

領土問題は様々な背景を抱えているために、
一つ一つがとても複雑で考えさせられました。

竹島の問題に関しては、韓国側の心理的な側面が強く押し出されており、
解決は容易ではないことが授業を通してよく分かりました。

また、領土という者がゼロサム的な存在であることに加え、
各国の利害や心理的な問題が絡まりあい問題はとても複雑になっていると感じました。


投稿者 student1
2012年4月27日09:30 [週刊押村ゼミ]


2012/04/17 ゼミ内容

17期と18期による押村ゼミがいよいよ始まりました。

17日の活動報告です。


先週は今後のスケジュール確認と自己紹介で終わったので今日が初めてのゼミでした。
緊張感あふれる中、アイデンティティ(ID)の導入として押村先生の講義を受けました。

大きくテーマは2つです。
IDとは何か。
何故IDがクローズアップされるのか。


個人IDと集団IDの差を知り、
我々は、複数の"WE"と呼ばれる集団IDを持つことが自然な中で、それらをいかに共存させるかが重要である事を学びました。

また、社会を構成している枠組みが、流動的ではなかった国民国家から
現在はグローバリゼーションにより流動化し、国境が隙間だらけであること。
IDを意識するのは異文化交流によるもので、グローバリゼーションの中では身の安全を守るためにもIDが必要とされ、IDの意識を後押ししていることなどを学びました。


最初は緊張からか、とても静かな教室内でしたが、
徐々に、本当に少しずつ(笑)、質問する人が出てきました。


その後、4年生と合同の5限では、コンストラクティビズムについて学びました。

構造主義と呼ばれ、世の中は人間の意識が作り出していくものとするこの主義の概要や、
これにより何がわかるのかというテーマでした。


人の意識が作り上げる世の中とは、
予言はみんなが信じるから当たる。
戦争を身構えるから戦争が起こる。
などの例を挙げながら、
IDを知るには本人より環境を調べなければならないことや、
家族が選べない様に、選びとれる物には範囲があることを考えました。

女王蜂のIDは本能なのか?と言う話もあり
それぞれが考え込んでいました。


また、人間の意識が介在するなら、考え方を変えれば現実が変わるというコンストラクティビズムの前提から、
IDは本能に埋め込まれたものではないことも学びました。

東アジアのEU化を例に
アジアとヨーロッパの考え方の差などにも触れました。

初めてのゼミは、あっという間の3時間でした。
先生だけでなく先輩からも、同期からも、学ぶ事が多く
へぇそうなんだ。と感心してしまうばかりですが、
ただ吸収するだけではなく質問できる思考を作っていきたいです。


くぼ

投稿者 student1
2012年4月17日01:38 [週刊押村ゼミ]


2012/04/10 ゼミ内容

17期生と18期生で構成される、新しい押村ゼミが始まりました!

今回は初回ということと、初めて顔を合わせるメンバーもいたこともあって、
まずは改めて自己紹介から始まりました。
ひとりひとり、自分の趣味や春休みのことなどを話し、
みんなのことをさらによく知るいい機会になりました。
押村先生を囲みながら終始和気藹々とした雰 囲気で、
質問なども交えながら楽しい自己紹介ができました。


自己紹介の後は、今後のゼミの日程の確認や、諸連絡を行いました。
夏の合宿や、合同ゼミ、校外学習など様々な活動の予定に
今後の押村ゼミでの活動がさらに楽しみになりました。
その後、4年生も加わり和やかな感じで初めてのゼミは終わりました。

3年生はまだまだ緊張気味でしたが、
暖かく頼りになる4年生について、このゼミで色々なことを学んでいけたらと思います。

これから1年、よろしくお願いいたします。

北条

投稿者 student1
2012年4月10日01:31 [週刊押村ゼミ]