木原愛さん(1997年卒業)
国際政治学科 1997年卒業
元・東ティモール国連暫定行政機構
人権部人権委員

98年ボスニア総選挙でのPKO平和協力隊参加をはじめ、様々な海外でのボランティア活動、NGO活動を経験。99年には東ティモールでの独立か自治かを問う歴史的な選挙に国連から派遣され、その後も現地で人権問題の調査や援助に取り組んできました。
■国際社会での仕事を志したきっかけは?
高校生のころ、留学を経験してきた友人達が「アメリカ人だから○○○ね。アメリカ人は日本人にくらべて○○○。」とよく話しをするのを聞いて、世界には多くの国や民族がいるのに、国家といった枠組みだけでとらえるのはおかしいと思ったんです。その枠組みを越えたものがあるのではないか、そこで何か私が貢献できないのかと考えたんです。
■国際政経学部では、どんな学生時代を過ごしましたか?
国際性や英語教育に強いことで青学を選びましたが、やはり、実践的な英語、国際司法、開発の授業、国際法のゼミなどが面白く為になりました。当時のノートや教科書は今も見直して役立てています。また、サークルのアイセックで、各国の学生達とディスカッションしたり積極的に活動しました。研究に専念するよりも現場タイプなんですね。様々な機会で活動するうちに、人権問題について強く興味を持っていったんです。卒論も、ゼミの先生から人権に興味があるならと勧められた、東ティモールの人権侵害をテーマにしました。
■東ティモールへ派遣された経緯は?
青学を卒業後、英国のサセックス大学留学、ボスニア総選挙PKO平和協力隊などの活動を経験してきましたが、99年に東ティモールで国民投票を行うというニュースを聞き、「私も現地で手伝いたい、行くしかない」と決意し国連ボランティアに応募しました。履歴書を送り数週間連絡もなかったのですが、ある夜中に「明後日出発してください」との突然の電話。心の準備をする暇もないなか、翌日ビザを取り予防注射をして…飛行機に飛び乗った感じでした。いま思えば、この行動力が道を切り開く大きな助けになりました。
■東ティモールではどんな活動をされていたのですか?
99年は選挙委員として、村をまわって選挙の説明をしたり、有権者登録、投票の手伝いなどが主でした。なにしろ、方言を含めて何十もの言語があるから通訳さんも十分ではないし、人口の約60%が字が読めない、鉛筆を持ったことがない人も多い国です。字が読めなくても分かるように投票用紙にマークをつけたり、クギで穴を開けるようにしたり…日本では想像できない苦労が多かったです。でも、いまにも出産しそうな妊婦さんが投票に来たり、遠くから3日間歩いて来る人々を見て、どうしても国の将来を自分たちで決めたいのだという彼らの気持ちに打たれました。「私はこういう人を助けるために、やってきたのだ」と感慨を新たにしました。
■人権委員の活動で苦労されたことは?
選挙後は東ティモール国連暫定行政機構の人権部に勤務しましたが、車も水道、電気もない、国連の事務所でさえ机や椅子のない所。こんな状況で何ができるのだろうかと呆然とした時もありました。でも、苦渋の生活を強いられてきた人達がまず願ってきたのは、食料でも服でもなく人権侵害の調査だったんです。理不尽な迫害、殺人、暴行、難民の帰還問題など、一件一件、何時間もかけて歩いて行き話を聞く地道な調査を続けましたが、そこには国が抱える風習とか社会問題が絡み、教科書通りには解決できない問題が多いんです。人権問題の難しさを実感させられました。
また、国際援助の難しい点は、例えば服を援助すると、援助された人達は服は貰う物と考えてしまうことです。期待して仕事をしなくなるのです。援助は物や考えを押しつけるのではなく、自立を助けることだと思います。字が読めてはじめて国づくりと考え、学校づくりや辞書を買う寄附金を募ったり、未亡人達の自立のために刺繍を教える活動もしました。
■これから世界を目指す学生に対してのメッセージ
日本人は知識はあるのに意見を言わないから、とても損をしてます。もっと自分の意見を発言し理解してもらう訓練をしましょう。また、本や新聞に書いてあることも信じ込まずに、本当に正しいのかを考えることで、早く判断する力がつき説得力がつきます。もちろん国際社会では英語は必須。それに加えてフランス語やスペイン語ができたり、他人より強い分野や専門性があると力になります。あとは、意志を持って挑戦してチャンスをのがさないことです。多くの志ある人が育って、一緒に海外の現場で活動できることを願っています。
(※2004年度パンフレットより)
Category: 卒業生 Posted by at 2006年3月 8日 10:29
|