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ヨーロッパ文化論という授業で「ヨーロッパ映画を見て批評を書け」というレポートがあったので、イタリアの巨匠、ルキノ・ヴィスコンティの『ベニスに死す』という映画を見ました。
で、ここからが本題ですがきっとゼミ生的に(特にUさんあたり)ツボな映画だと思うのでつらつらと文章を書かせていただきます。以下の文章は提出するレポートと同じ文章です。
本作の原作はトーマス・マンの『ヴェニスに死す』である。初老で地位のある音楽家、アシェンバッハはイタリア・ベニスへ静養に訪れる。そこで同じく静養に訪れていたポーランド人の家族の一人の美少年、タージオを見かける。タージオはまるで「ギリシャの彫刻」のように美しく、アシェンバッハにとって理想の容姿、つまり「絶対的完全な美」の持ち主である。アシェンバッハは「退廃の都」ベニスで自らの肉体的、精神的退廃を感じながら彼を追いかけ、やがて病に臥す。作中の現実と非現実の横断はアシェンバッハが現実では決して手にすることの出来ない絶対的な美を徐々に具体化していき、結末を以ってアシェンバッハをそれに導く。
とまあこんな感じの映画なんですが、とにかくデカダン、デカダン!と言いたくなるような映画でした。我ながら衝撃的でみなさんにどーしても見ていただきたいので主人公と友人の芸術論の会話をトランスクリプト(?)形式で載せさせていただきます。
主:芸術家は暗黒の中で獲物を狙うハンターである。何を狙うか分からない、そして現実がそれを照らすことは期待できないのだ/美と純粋さの創造は精神的行為だ
友:美は感覚だけに属するものだ/それは精神への到達である
主:感覚を通しては絶対に不可能だ。感覚への完全な優位を保つことによってのみ真の英知に到達できる。さらに真理と人間的尊厳へも・・・
友:いや、天才は天才の狂気、自然(神)が贈った罪深いひらめきだ
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などという会話が繰り広げられ、最後に
友:「和音の解釈は組み合わせしだいでどうにでも変わる。その解釈の自由な天国で君は飛び跳ねている、子供のように。これが君の音楽だ!!(と言って友人は理論に縛られた曲(主人公の曲)をピアノで弾く)」
こんな感じの展開で話は進んでいきます。ものすんごくおもしろそうじゃあないですか!?!?宴もたけなわなので一言でまとめると、「人は自然に勝てない」、つまり形式は自由に勝てない、芸術家たるもの純潔ではなく不潔を(逆説的であるが真の純潔は自然の側にある)、モラルでなく狂気を求めろ
といったことを掲げています。思えば初めがラストを暗示しています。本当に「芸術は阿片」だなと思います。その極北にあるものは人を去勢させる・・・、なーんてね。現に理性的な主人公は徐々に真の美を知りのめりこんでいき、最後に・・・。芥川的なアレです。原作を書いたトーマス・マンは文字でその極北を、ヴィスコンティは映像でその極北を指し示したのではないかなと思います。えっと、あくまで私の独断的解釈なのでアレですが、芥川の言ってたことが分からなかった人は見てみるべきかなと(上から目線ってわけじゃないですが)。文字より映像の方が私には親切でした。
「ベニス」的美学は三島の感覚(美的なあの感じ)にも繫がるというので、見てなかったらNさんにもおすすめです!!ちなみに『アマデウス』はこれと対極に位置します。こちらでは「絶対的な存在」にそむくことで生涯苦しみ続けることになるという意味で。ド素人ですが映画、楽しすぎます!!
はて、「お薦め」のカテゴリーでこれは適切だったのでしょうか?気にかけつつも熱っぽく語ってしまいました(笑)歌舞伎の方は他のみなさんが書くかと思って「あえて」スルーしました。
夏は皆さんに会える機会が少ないからブログで盛り上がれたら、と思います!前期はお世話になりました。
りとぅんばい まっすー
あの、BBQでハンバーガー作りたいんですがいいですかね??あこがれなんですぅー笑
投稿者 学生
2008年07月17日13:48
[雑記(お薦めなど)]
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