青山学院大学国際政治経済学部
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「手段」は芸術に成り得ないのか

どうも三年生です。
一昨日、六本木ヒルズで元気ロケッツというミュージシャンの3Dライブを見てきました。
3Dライブと言うと全く想像つかないかもしれませんが、DJが一人居て、DJの背後にある巨大3Dモニターで映像を楽しむと言うスタイルでした。
3Dの映像は初体験だったので、かなりのショックを受けました。

さてさてライブのレポートなど袴田ゼミと全く関係無いじゃないか!と思うかも知れませんが、3D映像にショックを受けた僕はライブ中に「芸術とは何か」とずっと考えてしまったのでここに駄文をアップしている次第です。

3D映像というのは「手段」に過ぎません。いや3D映像に限らず文学も音楽も演劇も全て「手段」に過ぎません。だから本質的に「手段」と言うのは評価の対象になったり、そこに優越があったりするものじゃないと思うのです。はい。例えば文学よりも音楽が上位に来ると言うことはあり得ないと思うのです。その逆もしかり。本質的な部分は「手段」ではなく「中身」にあるはずです。

だがしかーし!3D映像を見た僕は「人類のテクノロジーが到達した一つの『可能性』を、単なる『手段』として割りきって良いのだろうか」と思ってしまいました。つまり3D自体を一つの「芸術」として評価して良いのではないか?という仮説です。
うーんラジカルな仮説でしょうか???どうなんでしょうか?
とにもかくにも音*光*3D 最高な空間でした。

さんねんせい

投稿者 学生
2010年5月26日22:28 [学生から一言] | コメント (1) | トラックバック (0)

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コメント

いまさらながらコメントしてみます。

私は、3Dで表現されるものが芸術になる可能性はあれど、3Dという技術自体を芸術とは言えないかな、と思います。

テクノロジーと言うのは過去にもなんども「革新的!」と更新されてきたものだと考えています。常に新発明は驚きの対象であったのではないでしょうか。
3Dが芸術だとしたら、あの高度な打楽器、ピアノが「発明」されたことも芸術になってしまいそうです。

そもそもロジックでいくら「芸術だ!」と言ったところで、「昼の星」がなければゼミで言うところの「芸術」にはならないでしょう。

まぁ「芸術」という言葉の意味付をどうするかでもいろいろ変わってくるのかもしれませんが…
ただ、「芸術」と呼ばれるものは、それ以上に代用のきく呼称がないとも思います。

長くなりましたが、一意見として。
ていうかこれ投稿者さん読んでるかな?(笑)

投稿者 3年 : 2010年6月10日 23:41


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