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曖昧なのに真を突く分類法

レストランで頼んだスープに虫が入っていたら?

イギリス人は皮肉を言って店を出る。
アメリカ人は裁判に持ち込む。
ロシア人は酔っ払って気付かない。
中国人は気にせず食べる。
日本人は周りを見回し、自分の皿だけに入っていることを確認し、そっとボーイを呼ぶ。
韓国人は日本人のせいだと叫び、日の丸を燃やす。


これは各国の国民性を表したあるブラックジョークである。


不思議な事に、人の出身国により彼の特徴を言い表すことができる。例えば、
フランス人は理屈っぽい。
恋愛とは理屈では理解し難い。
だからこそ、フランス映画に恋愛ものが多い。

だが、ここで述べられている国民性は一側面から見たただの表徴に過ぎない。皮肉を言わないイギリス人も、裁判を嫌うアメリカ人も、アルコールを拒否するロシア人もいるはずである。日本人もしかり。

しかし「国民性」という漠然とした枠組みは全くの信憑性に欠けるものかと問うと、そうでもないだろう。国民性が述べられるということは、誰かがそう受け取っているわけで、ある行動がそのように受け取られた以上、本人の意思に関わらず「国民性」は形成される。不思議なことに、その国民達には傍から見ると共通点が垣間見られる。だからこそ、本人の自覚の有無に関わらず、その「国民性」はどことなく的を射ているのだ。


そんな「国民性」の一意見を見出すことができるのは遠藤周作の作品である。彼の生涯のテーマとなったのはキリスト教であり、遠藤氏のキリスト教や日本人に対する問題意識は深い。多くの作品を通じて、彼はこの問題に取り組んだのだとわたしは解釈した。キリスト教者として日本人として生活する彼こそがある意味で「中庸」な人であったのだ。特に、遠藤氏の『沈黙』という作品は「手放したくない娘」と本人が述べるように、読むと彼の問題意識が全て詰まっているように感じる。

日本人にキリスト教は根付くのか?
裏切り者のユダの心理とは?
イエスはユダに対しどう感じていたのか?
神は一体なぜ沈黙しているのか?


・・・是非作品を実際に読んでみてください。


今回のわたしの発表は遠藤周作の日本人観を介してわたし自身の日本人観を洗い直すものに仕上がった。あくまでも自由課題という形で発表したので、発表の場が独壇場と化してしまったのを反省すると同時に仕方ないと諦めの境地に至りもする。補足も兼ね、レポートにて述べきれなかった部分を語ろうと思う。


それにしても人間というものは不可解で不幸せである。
しかし、この娑婆苦の充ち満ちた世界で生きる人間というものほど幸せ者もいないだろう。
プラトニック・スゥイサイドができる人間は、神に同情するほど強くなれるのだ。


芥川をむさぼり読む長老

投稿者 学生
2009年07月04日00:48 [発表者 コメント] | コメント (0) | トラックバック (0)

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