青山学院大学国際政治経済学部
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2009年度ゼミ始動!!と学習内容のフォロー

こんばんは。今さらな感が否めないですが2009年度の袴田ゼミが始動しました!4年生7人(1人はロシアへ留学中)、3年生9人でスタートしたゼミですが、某ゼミから「オカルトゼミ」と言われるほど(!)、端から見たら訳の分からないような内容をやる当ゼミです(笑)せっかくの今年度初ブログと言う事で、某ゼミの「誤解」を解く為に、あるいはかわいい後輩の手助けになる様に当ゼミの学習内容や目的、性質を簡単に説明していきたいと思います。


当ゼミの学習内容は、端的に言えば名著の講読を通しての「教養」の習得です。当ゼミでは年間50冊以上の本を講読し、毎週原稿用紙換算で16枚のレポートを書き、3時間以上に及ぶ討論を行うという量・質ともに他ゼミの追随を許さないスタイルをとっております。・・・既に引かれてる(惹かれてる?)方もいらっしゃる事でしょう。しかも扱う内容は文学、歴史、哲学・思想、政治、芸術と「文化全般」であり、本・作家としては3年次では『源氏物語』やドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』といった文学からニーチェやパンセ、モンテーニュのような哲学・思想、果ては『マハーバーラタ』を通してインド思想や仏教、禅、茶道等、ありとあらゆる題材を扱い、4年次では国際政治を中心にキッシンジャーの『外交』やF.フクヤマ『「信」なくば立たず』の様な本からシェイクスピア、モーゲンソー等の政治思想に繋がる人物の著書を扱います。
名著は多数存在するので、学生のカラーに適した著書を先生が、時に学生が選択して講読するというスタイルをとっています。


今回名前を出した著書は当ゼミで一年間に扱う本のほんの一部に過ぎません。年間50冊以上の本を仲間と講読し、レポートや議論において意見を交わす事が果たして何を意味するのか?


とその前に!当ゼミでは「教養」の習得を一つの目標に掲げているのですが、「知識」と「教養」は似ていて非なるものであり、前者は「事象に対する断片的な認識の総体」、後者は「事象に対する有機的な認識の総体」とでも言えます。例えば、教科書に載っている年号と事件を暗記しても、テストにしか役立ちません。しかし、それに関する情報を時代や社会や政治といったものに関する深い認識と共にを持っていたとしたら、断片的であった「知識」が有機的な「教養」に昇華されます。


残念な事に、日本では「知識」の量を測る検定ブームが起こっていたり、大学という高等教育の場でさえも「知識」を重んじる傾向があります。他方で知識人や外国の学生は豊かな「教養」を持ち合わせています。故にあらゆる物事を鋭い洞察力で観察する事が出来、結果として「自分なりの意見」を持ち「自分の言葉で語る」事が出来ます。このレベルを目指すのが当ゼミですが、そのレベルに至るまでには1年2年の努力ですら付け焼刃に過ぎないのかもしれません。


しかし、ゼミでの学習内容は決して付け焼刃ではなく、少しずつ(とは言っても怒涛の勢いですが。笑)「教養」や「文化」の何たるかを知る事で確実に自らの内面世界を広げ、「自分なりの意見を持ち、自分の言葉で語る」事が出来る「契機」は得られると個人的には考えています。今回執筆している私自身1年間ゼミで揉まれ、さらに個人的な知的欲求に駆られて絵画や映画や文学に傾倒していった事によってそのような力がほんの少しだけ身に付いたのではないかと実感しています。


そして自分の変化に気付くと同時に、世界を見る眼が変わっている事に気付くはずです。それは「知識」が「教養」に昇華する事で、時代も国も違うあらゆる文化に一定の共通性を見出す事が出来ます。この見方が正しいかどうかは分からないものの、例えばユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3つの宗教は「同じ神」を信じています。現代では宗教間対立は勿論、宗派間での対立も目立っています。同じ神を信じているにも関わらず、異なる文化的アイデンティティを持つ人間・エスニシティ同士がウエストファリア後に成立した国民国家という「想像された共同体」(B.アンダーソン)の枠組みの中でいがみ合う現実を、あなたならばどのように見るでしょうか?


政治を見る際にも歴史や宗教、経済といった他の文化からの視点は重要です。逆に言えば、あらゆる文化を有機的に把握していればあらゆる事象を鋭い洞察力で見つめ、それに対する意見を持ち、自分の言葉で説明出来るようになるということです。他のゼミが各教授の専門分野へ3年次からアプローチしていく中で、当ゼミの様なアプローチで無形の教養を得ようとするには大変な気合と忍耐が必要です。しかし、政治の「せ」の字も分からない様な状態で政治の中にある一分野の研究をするというのもいかがなものかと私は思います。学生の中には政治が文化の諸運動の一つに過ぎない事を見落としている者も多く存在します。文化を知らずして政治を、しかも政治のごく限られた一分野における知識を増やす事と当ゼミの様なアプローチで勉学に励む事とが、一般の学生にとって長期的に見た際どちらが有益かは自明な事であると思います。勿論他ゼミを批判するわけでなく、「政治に対してこういうアプローチも出来る」という事を伝えたいだけです。


大変長くなってしまいましたが、それとなく当ゼミの学習内容や目的、性質を掴んでいただけたでしょうか?「こんな厳しいゼミには・・・」と思う方もいらっしゃると思いますし、他大の学生や社会人の方々も閲覧されていると思うのですが、当ブログで登場する著書はいわば「間違えのない本」です。政治や文化や教養の何たるかについて考えたい方は時より「ワインセラー」的な扱いで当ブログを見ていただいて興味のある本を読んでいただければと思います。知識を振り回す人間でなく、教養でモノを計れる人間になりましょう!長くなってしまいましたが本日はこの辺で失礼します。ご静聴ありがとうございました(笑)


ゼミ生はちゃんと発表した本についてブログ書きましょうね!!それでは今年度も頑張っていきましょー!!


当ゼミに興味のある国政経の学生やその他の方、質問やご意見は以下のアドレスまで!
cow_boy_40033@yahoo.co.jp
4年ゼミ幹、まっすー

投稿者 学生
2009年6月24日04:11 [お知らせ] | コメント (0) | トラックバック (0)

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