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今回の課題は以前のソルジェニーツィンの『イワンデニソビッチの一日』と同系譜のいわゆる「ラーゲリ文学」の著書です。1930年代中盤、スターリンによる粛清が勢いを増す中で共産党幹部である夫を持つ妻ギンズブルグは捕まってしまいます。その後長い間収容所に囚われの身となりながら、その中で起こったことを描くといった話です。
見所はソルジェニーツィンの前掲書とは違い、感情が溢れているところです。『イワン・デニソビッチの一日』には感情があらわになることはない、それは最後の文章の淡々とした雰囲気に代表されている通りです。しかし『明るい夜 暗い昼』にはラーゲリの、無罪の自分を責める職員に対しての憤りや芸術に対する恍惚とした感情があらわになっている。ここで注目すべきはもうひとつの名著である『収容所群島』との違いである。これはあまり芸術的ではない、と先生が口にしていたが実際少し読んでみると言わんとしていることがわかった気がした。こちらは同じソルジェニーツィンの作品でも『イワン・デニソビッチの一日』よりエモーショナルな雰囲気を出している。しかしながらそれは体制批判に終始していて名著に見られる人間の本質に触れるような記載はない。この内容は大変貴重なものなのであろうが、芸術として心の吟線に触れるのか否かといわれると疑問を呈する。
話を戻すが、前述した通り『明るい夜 暗い昼』には感情が溢れている。本書の中で「清純な精神」が生きている。整理すると、『イワン・デニソビッチの一日』はラーゲリ文学の旗手として、なおかつ「あえて」感情的な面を記述しないという手法により内容に迫真性をもたらす。その迫力が作品に芸術性をもたらす。次に『明るい夜 暗い昼』は上述した通りである。感情の隆起は時に形而上の世界にも接し、読者の心の吟線に触れるという意味で芸術性があるのではないのだろうか。また『収容所群島』であるが上記の二冊を足して二で割りそこなってしまったとでも言えようか、リアリズムに徹しきれていないしヒューマニズムにも欠ける。
『明るい夜 暗い昼』を他のラーゲリ文学の名著と比較してみるとその特徴が分かりより楽しめるのではないだろうか。
投稿者 学生
2008年10月14日23:55
[発表者 コメント]
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『収容所群島』も読んでいないけれど、ジャーナリズムに近いのかな。
新聞記事も社説もわかりやすいけれど芸術性はない。
文章として価値がないとは言えないけれど。
「芸術的価値」ってなんなんでしょうね。
時間が経っても残っている作品は「本物」といっても、淘汰されるまでにどれくらいの時間がかかるのか。
さほどそれが長くないとすれば、例えば社会主義レアリズム(っぽい)『蟹工船』にはそれはそれで芸術的価値があるといえるものなのか。
ここでいう価値っていうのは現代的にも何らかの「意味」を持ちうるということだとしたら。 芸術に意味を問うことは野暮なことであって。悶々。
同じラーゲリもので言えば、去年読んだ内藤剛助『生き急ぐ』はなかなかすごかったです。
投稿者 "pessimist" : 2008年10月15日 01:06
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