2013年6月12日

アメリカの大学で学ぶということ


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滝下沙也伽(国際経済学科3年)
University of Washington
交換留学中

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長いようで短かった留学生活最後の学期が終わろうとしています。留学先の大学はワシントン大学、アメリカの北西部の街、シアトルにある比較的大きな大学です。近年、ワシントン大学はアメリカの国内大学ランキングでの順位をあげ、それに示されるとおり大変質の高い授業、学習環境、そして意欲的な学生が集まっています。
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今回は、こちらで学ぶ中で私が気が付いたアメリカの大学での学びの特徴ついて書かせていただきたいと思います。なお、ワシントン大学での私の経験がアメリカのすべての大学にあてはまるというわけではないと思いますが、おおまかな傾向だと捉えていただければよいかと思います。


アメリカでは学生の勉強量が日本と比較して多いというのはよく言われることですが、実際の授業時間数自体は一日に3時間程度でむしろ日本の大学の方がはるかに多いです。そうであるにも関わらず、宿題を初めて気が付いたら夜になっていた、などということはこちらではざらにあることです。このように、アメリカの大学では授業時間以外の課題はもちろん、自主学習が求められ、また重視されます。また、日本では学生は1学期に多くの授業を履修しますが、アメリカでは平均3~4教科程度の履修であり、その代わりに1科目の授業が週に2時間×2回または1時間×5回など、少ない教科を密に学びます。こちらでの履修を考える際に、ワシントン大学では語学の授業が非常に評価が高いことや、語学だったら少し息抜きになるだろうという気持ちでフランス語を履修しましたが、むしろこのフランス語の授業の課題に悩まされたくらいでした。語学の授業は毎朝あるので、日々がフランス語で始まるというおもしろい体験をアメリカですることになりました。


このように、3~4教科しか履修できない代わりに授業一つ一つのウエイトは非常に大きく、学生は選択した科目の学びを深めることができます。この点は、アメリカの大学が非常に特化した部分だと思います。学生は、1学期間を通して3~4つのテーマについてひたすら勉強します。課題についてですが、量が多いのは言うまでもないと思います。学生がその1教科だけを履修していると思っているのではないかと疑うほどの量なので、少しでもさぼってしまうと3日後の自分を苦しめることになります。また、多くの課題が学習カリキュラムに沿って綿密に作られており、学生のレベルより少し高めに作られているかなという印象を受けました。


私はフォスタービジネススクールの科目をいくつか履修しましたが、この学部はワシントン大学でもコンピューターサイエンスと1、2を争うほどの人気で非常にハイレベルな学生たちが集まっています。この学部の授業での学生の態度ですが、非常に積極的です。まず教室自体が教授を囲むようにU字型に作られており、学生はみなネームカードを配られます。そして教授が学生に質問を投げかける度に一斉に手があがり、誰が教授が一番求めている答えを出せるか、一番評価されるかを競います。実際、教授が用意しているのはその日に伝えたいことをいくつか項目化したものだけで、残りの授業時間は学生のディスカッションです。他の学生や教授とこういった相互的な関係を持ち学ぶのも、アメリカでは普通のことです。学生のモチベーションが非常に高く、特にビジネススクールではそうだと思うですが、ほとんどの学生が自分が1番になるという闘争心を持っているように感じました。始めのうちはそういう環境に慣れておらずそういった授業の雰囲気に物怖じしていましたが、慣れるとそれがいい刺激になり自分の学習意欲につながりました。


最後になりますが、アメリカに限定せず海外で学ぶということはただの経験ではありません。多くの大変なことを伴う代わりに、必ず確かな成長を私たちにもたらしてくれます。アメリカの大学で現地の学生や海外の優秀な学生たちとともに学んだ約9か月は、授業の内容以上に、国際的に競争力のある人材になるとはどういうことかを私に教えてくれました。


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2011年2月 7日

おもてなしの心


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長島奈津希(国際経済学科2年)
Northern Arizona University
交換留学中

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 私が留学するNorthern Arizona University(NAU)のあるアリゾナ州フラッグスタッフという町は人口およそ6万人という小さな町です。学校からは幾つもの山々が見え、夜になると東京では見られない素晴らしい星空が見えます。そしてこの町を支えているのが私の通う大学、NAUと観光業です。
 NAUは留学生も含め2万5千人もの学生が在学中で、主に教育学科とホスピタリティー学科が有名です。教育学科は元々この学校が教師になる人たちのための学校であったということもあり、とても有名です。また、私がこの学校に行きたいと思ったきっかけにもなった"ホスピタリティー学"というのは、直訳するのが中々難しいのですが、「おもてなし」の表現の仕方を学ぶ学業であり、この町の観光業にとても深く関係しています。
GrandCanyon.jpg フラッグスタッフは、世界自然遺産でもあるグランドキャニオン国立公園(写真)から車で1時間半ほどのところにあり、他の州から自家用車を使って来る大勢の観光客がこの町を通って行きます。このような背景もあり、フラッグスタッフには数十件ものモーテルやホテルがあります。そしてそのほとんどのホテルの従業員はNAUのホスピタリティー学科の卒業生なのです。およそ100年前にグランドキャニオンが国立公園に指定されてから、その玄関口として他州・他国から大勢の観光客を迎えていたということもあり、現地の人の外国人への気遣いやおもてなしの仕方は本当に素晴らしいです。
 例えば、道を歩いていて、目が合うだけで笑いかけてくれたり、話しかけてくれたりします。すれ違った人が、急に着ている服や身につけているアクセサリーなどを必ず褒めてくれます。また、日本人の友人と会話していると、「どこの国の言葉を話しているの?とても興味があるわ!」などと話しかけられたこともあります。
 そして、ここの人々は人と接する時間をとても大切にします。例えば、地元のスーパーやコーヒーショップに行くと、レジに行列ができていたとしても店員さんは必ずお客さんと何気ないおしゃべりをします。そこで「私の名前も漢字で書くこともできるのかしら?」と聞かれたこともあります。しかし、後ろで並んで待っている人たちはその行為に対して決して苛立ったりしません。誰一人急いでいないのです。それよりもその場で出会ったひととの時間を楽しんでいるのです。私は初めてその光景を目にしたとき、列ができているのにお話している従業員に対して少し苛立っていた自分が恥ずかしくなりました。
 東京だけでなく、大きな都市では時間があっという間に過ぎ、殺伐とした空気があると思います。大都会で過ごしていると、そうなってしまうのも仕方のないことかもしれません。SNSの普及により、facebookやtwitterなどで直接顔を合わせないで会話をすることだってできます。しかし私はフラッグスタッフで、その場で出会ったひととその場で会話し、笑顔を交わすということがどれだけ大切で素晴らしいものであるかを学びました。
 そして私は今、日本にも外国人に対してのおもてなしの心が必要だと切実に感じています。日本は島国ということもあり、他の大陸国に比べると外国人に対しての対応が疎かな気がします。日本は今まで観光業に力を入れてこなかったのですが、2008年にようやく観光庁が発足しました。なんと2008年に日本を訪れた外国人旅行者は約835万人で世界第28位、アジアで第6位と低い水準でした。今後は観光客を増やすため、特に玄関口である首都圏に暮す私たちが意識を変えなければいけないと思います。
 私はフラッグスタッフの人たちを見習って、外国の人を見かけたら話しかけ、困っていたら手助けをしたいと思います。日本に来てくれてありがとうとまで言ったら大げさかもしれませんが、それくらいの気持ちを持って接して、「良い国だったな、また来たいな」と観光客の人たちが思ってくれるような国になれたらいいなと思います。それはまさに私がこの小さな町の人々から学び、感じた掛け替えのない教訓であるからです。




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2008年5月25日

大学生にも熱気、米大統領選


R.A(国際政治学科4年)
University of Montana
交換留学中

 2007年8月から交換留学生としてアメリカ・モンタナ州のUniversity of Montanaに派遣されて、早いものでもう8か月が経とうとしています。ここでの8か月を振り返ってみるとそれまで海外に在住したことのなかった私にとって、到着した当日から毎日新しい事との出会いの連続で、毎日毎日を乗り切ることで必死になっていたらあっという間にこんなに月日がたってしまいました。あまりにいろいろなことがあり過ぎて、何から書き始めていいのやらという感じなのですが、ここはたまには(?)政治学科らしく、さらに日本でも話題性の高い大統領選挙について書きたいと思います。

 日本でも報道されているとおり、現在アメリカでは予備選挙の真っただ中にあり、民主党からのヒラリークリントン氏とバラクオバマ氏が有力といわれています。ヒラリー氏が大統領になれば初の女性大統領、オバマ氏ならば初の黒人大統領ということで世界各国を巻き込んでその行方が注目されています。そんな中で、先日、私が通う大学にオバマ氏が選挙活動の一環として講演会をしに来たのですが、その時最初に私が思ったことといえば「なんでこんなにみんな政治家が好きなの?」ということ。チケットは即品切れ(チケットを手に入れた私は運がいいと散々いわれました)で、朝の5時から会場前には長蛇の列。私の友達なんて夜中の12時から待っていたほど。日本で大学生が選挙の講演会のために寒空の中徹夜で待っている姿なんてちょっと想像できませんよね?さらに会場に入ってからもオバマ氏の登場を今か今かと待ち構え、客席ではウェーブをつくり、おそろいのTシャツを着てフリップを掲げ、カメラを用意し…もうまさにアイドルのコンサート会場に負けない熱気むんむんでした。私とタイ人の友達もVoterでないにもかかわらずオバマのOマークを作ったりステッカーを顔に貼ったりちゃっかり楽しんでいましたが!

 アメリカ人の政治の関心度の高さはこの講演会だけにとどまらず普段の生活でもしばしば感じられること。ジャーナリズム専攻の子たちが毎日、学校新聞を発行しているのですがほとんどの生徒が毎日読んでいて、午後に貰おうかなーと思うとすでにゼロ。また例えばふと友達に“誰に大統領になってほしい?”と聞けば誰でも“私は○○支持。なぜなら~”と必ず自分が支持する人の名前とその理由が明確に返ってきます。日本人によくありがちな“わからない。”“誰でもいいんじゃない?”“なんとなく”なんて答えはありません。むしろ自分が日本の政治について突っ込まれて詳しく説明できないことや自分が心から支持する候補者とそれに伴う根拠を考えもしなかったことに気が付き、カルチャーショックを受けました。

 日本人の感覚では“選挙にそんなに真剣になるなんてばかげている”と思いがちですが彼らにとっては自分たちの未来を左右する代表に会うチャンスに真剣にならないほうがおかしい。もちろん、アメリカ人の政治への態度を悪く言えば狂信的ととらえる見方もあります。その国の社会システムに適した独自の選挙方法があるのも当然で、どちらが良い悪いを決めるつもりはありません。ただ今回の経験を通して私は「文化」というものに触れたと思います。言語能力を伸ばすことだけでなく他文化を実際にこの目でみて、自分の文化について学ぶことも留学の醍醐味だなと感じる出来事でした。





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2007年5月 7日

アメリカ文化を表すCM


Mamie(国際経済学科4年)
San Diego State University
交換留学中

 カリフォルニア州サンディエゴに交換留学生として来てからもうすぐ9ヶ月。帰国を間近としています。交換留学生であること、カリフォルニアという土地柄のせいで、多くの国の人と接する機会がたくさんありました。まさに多くの人種が集まっていて、その分とても住みやすい環境にあったと思います。

 留学していろいろ感じることはありますが、生活の中で、「ここはアメリカだ」と特に感じさせられるのはテレビCMです。CMはアメリカの文化をよく表していると思います。例えば、スーパーボウルというアメリカの人気スポーツであるアメフトの番組で、多くの人がスーパーボウル中に放映されるCMを楽しみにしています。なぜなら、どれもユーモア、耳に残るリズム、アメリカのイメージと言えるような金髪のセクシーな女性など、すごく馬鹿げていたり、印象に残るものがたくさんあり、どの会社も力を入れてCM制作しているからです。そのCMを友達や家族と一緒に楽しみにして観る習慣、またそのCMが人々の話題になるほどの影響力を持つ、ということがすごくアメリカらしいと思います。

 ある日、オーストラリアからのルームメイトが「アメリカは食べ物のCMばかりだ」と言っていました。確かに、日本ではないような脂肪分・カロリー何%カット、病気になりにくい、といったような言い方がとても多くて、それは冷凍食品・缶詰や飲み物のCMに多く見られます。だから、ファーストフードのCMは、ここのお肉がおいしいよと”tasty!”を強調して、いかにも「簡単、健康的」に見えるけれど、本当はそうじゃない・・・というようなアメリカの食生活を感じさせられます。

 日本車のCMもよく見られます。もちろん日本車はアメリカでたくさん見かけますが、CMは随分違います。日本では、高級感をアピールするコンパクトな車のCMを多く見ますが、こちらでは、大きなワゴン車が絶壁を猛スピードで走り、崖の手前で停まる、という思わずドキドキしてしまうような、実際のライフスタイルとはかけ離れたCMで、大きさ、速さなどを強調しています。このようなCMの違いから、日本企業がアメリカでどのように日本製品を売っているのかを垣間みることもできます。

 これらのCMの中の商品はアメリカ中に溢れていて、実際にアメリカで暮らしていると、それらがアメリカ文化そのものを表していることを実感します。今回初めて海外で暮らして、アメリカの文化に触れられただけでなく、一つの国にとらわれず多くの国の文化にも興味を持ち始めました。これから先、いろいろな国を訪れ、自分の目でその国独特の文化というものを見てみたいと思っています。今は日本に帰国して、家族や友人に久々に会うことを楽しみにしています。




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2007年2月21日

Good Luck!


抱井尚子(教員)
カリフォルニア大学サンディエゴ校
在外研究中

身近な生活の中にマクロの社会を見る、これは前回の歯科医院での経験を報告した際のテーマでもありますが、今回はまた新たな日常生活の出来事からマクロの世界を垣間見たお話をさせていただきます。

こちら米国カリフォルニア州サンディエゴで生活を始めてから、私は早朝6時のラジオのニュースで目覚めることを習慣にしています。しかし、6時のニュースは決まって前日にイラクで命を落とした米国人兵士の人数の報告から始まります。すがすがしい朝の目覚めを妨げるようなこのニュースですが、今のところ私はこの習慣を変えてはいません。

多くの日本人にとって恐らくそうであるように、私にとってイラクの惨劇は、現在のところ現実味のない遠く離れた異国の地で起きている出来事です。私とイラクの現実をつなぐものは、毎朝ラジオから流れてくるニュースと、新聞の活字といったメディアが発信する情報が中心で、その悲惨な状況を憂うことはあっても、目頭が熱くなるような情動レベルでの揺さぶりを経験したことはありませんでした。少なくともこの日の夜までは。

バレンタイン・デーを数日に控えたこの日の夜、大学から自宅に戻ると、アパートの部屋のドアに留守のため未配達となった荷物が管理オフィスにあるというメッセージが貼ってありました。留守がちな私にはよくある日常茶飯事のことでした。私はいつものようにそのメッセージを携えてオフィスに向かいました。今回、唯一いつもと違っていたところは、管理オフィスのカウンターで、心にとどめておきたい出来事が待っていたことです。管理オフィスのカウンター前では、体格の良い30代くらいの二人の男性が会話をしていました。どうやら彼らも、留守中で未配達となった荷物をここに取りに来ていたようでした。二人のうち一人の男性は、どういうわけか乳母車を持参していました。恐らく、受け取る荷物が多そうだったので、それらを乳母車で運ぼうと思ったのでしょう。乳母車をもってきた男性が、もう一人の男性に、「ワシントンDC経由でバグダッドに入るんだ」と言っているのが聞こえてきました。「バグダッド」という音の響きに、思わず私は彼らの話しに耳をそばだててしまいました。「そうか...でも、出発がバレンタイン・デーの翌日でよかったな」と、もう一人の男性。すると乳母車をもった男性が、「いや、13日にはここ(サンディエゴ)を発つ。DCからバグダッドに向かうのがバレンタイン・デーの翌日だ。ワイフは既に....」と、男性。彼が奥さんについて言及した部分は、私には聞き取れませんでしたが、彼の脇にある乳母車と「ワイフ」ということばに、彼が妻帯者であり、小さな子供もいるようだということが容易に推察できました。彼が軍人で、バレンタイン・デーを待たずに妻と子供をここに残して、日々多くの米国軍人が命を落とすバグダッドに向かうと理解したとき、私の中で熱いものがこみ上げて来ました。会話を交わしていた一方の男性がこの男性に「グッドラック!」と声をかけました。「ありがとう」と返すこの軍人に、まったく彼とは無関係の私まで、思わず「グッドラック!」と声を掛けずにはいられませんでした。イラクの惨劇が、私にとって急に身近な出来事と感じられた一瞬でした。

また、米国人の彼に「グッドラック!」と声援を送ったときの私の頭の中には、自分が日本人であるという意識や、国家という概念は明らかにありませんでした。社会心理学に個人的アイデンティティと社会的アイデンティティという概念がありますが、このときの私には、国家や民族といった社会的アイデンティティはなく、同じアパートに住む一個人としての個人的アイデンティティしかなかったといえるでしょう。個人的アイデンティティは、文化、民族、宗教、国家といった社会的カテゴリーに限定されない対人コミュニケーションを促進しますが、社会的アイデンティティがネガティブに働く場合は、ステレオタイプ、偏見、差別といった、"We vs They"という対立構造をグループ間に生みやすくします。現に内戦状態と化した現在のイラクの混乱も、宗派間抗争という社会的アイデンティティと深く関連した現象といえます(余談ですが、日本においても2006年12月の教育基本法の改正により愛国心教育の重要性が盛り込まれることとなりましたが、これがグループ間対立を助長するようなマイナスの効果をもたらすことがないよう祈るばかりです)。

世界で起きているさまざまな出来事を認知のレベルだけで理解しようとするとき、私たちは最も大切なものを見失いがちにならないでしょうか。また、社会的アイデンティティに縛られることで、私たちは出来事の真っ只中にいる当事者たちが私たちと同じように愛する家族や友人をもち、私たちと同じように笑い、泣き、怒り、喜ぶ人間であるということを忘れてしまいがちではないでしょうか。ミクロのレンズを通してマクロの出来事を見ると、これまでとは違う世界が見えてくるはずです。何はともあれ、とにかく今は、今夜偶然出会った私の隣人が、無事にイラクから帰還できるよう祈るばかりです。




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2006年10月26日

映画鑑賞中に歯科治療!?:アメリカの医療事情を垣間見る


抱井尚子(教員)
カリフォルニア大学サンディエゴ校
在外研究中

  私は現在、カリフォルニア大学サンディエゴ校があるラ・ホヤという街に住んでいます。ラ・ホヤとはスペイン語で「宝石」(La Jolla)という意味ですが、太平洋に臨むこの街は、その名に負けない本当に美しい街です。ところで、先日突然の歯痛のため、この街にある歯科医院を訪れました。久々にアメリカの歯科で診療を受けて、あらためて気がついたことを今回は3点ご紹介いたします。

  第一点目は、初診時に記入しなければならない書類の多さです。アメリカでは歯科に限らず医療クリニックを訪れた場合、何ページにもわたる書類を渡され、症状、病歴、アレルギーの有無に関していやになるほど細かい情報を記入した後、「記載内容に偽りがない」という書類に署名します。この書類を受付に渡すと、ようやく診療台のある部屋へ通され、歯科衛生士によるインテーク・インタビューが行われます。問題のある歯はどこか、どのような問題があるのか、いつごろから症状があるのか、などを歯科衛生士に告げると、その情報が歯科医に渡され、歯科医が患者に診療内容を説明します。そして患者は、「十分な説明を確かに受けた上で治療に同意します」という意思表示として、インフォームドコンセントに署名をします。このように、実際に治療が始まるまで、書面でのやりとりを何度も行う必要があります。久しぶりにこのプロセスを体験して、「さすが契約社会、さすが医療訴訟大国」と改めて痛感しました。

  第二点目は、患者とのコミュニケーションを助ける最新技術の活用です。先日訪れた歯科医院では、診療台のところにPCのパネルスクリーンが置いてあり、患者の緊張を和らげるためか、南の島の透き通るような海、やしの木、そして青空といった、ブルーを基調としたスクリーン・セーバーの画面が映し出されていました(私の場合、スクリーン・セーバーの画面に負けないぐらい美しいラ・ホヤの「現実」の海が窓の向こうに見えていたので、もっぱらそちらに見とれていたのですが...)。歯科医は、チューブの先にカメラが付いた胃カメラのようなものを用いて、問題のある歯をあらやる角度から撮影していきます。そして最後に、「Smile!」と言って、私の顔写真も撮影しました。これらの写真はすぐにパネルスクリーンに映し出され、歯科医は私の歯の状態を写真で見せながら、治療の方針について丁寧に説明します。まさに「ハイテクを用いた説明と同意」という感じでした。歯科医によると、最近は歯科トレーニングの中でもPatients Education(患者教育)が重視されており、写真を駆使した説明もこの考え方に基づく方法の1つであるとのことでした。さらに驚いたのは、すべての歯が図で示された映像が画面に表示され、歯科医が衛生士に問題のある歯の状態を伝え出しました。すると衛生士は、リモコンのようなものを巧みに操作しながら、これらの情報を次々と入力していきました。その効率の良い作業を見ていて、人間の認知活動において道具を不可分のものと捉える分散認知の格好の研究事例になると思いました。

  第三点目は、競争原理を背景とした徹底したサービス精神です。今回の治療には、虫歯2本の治療と親知らず1本の抜歯で3時間近くかかりましたが、その間私は、なんと口を開けたまま映画を鑑賞していました。ゴーグルのような形をしたメガネの内側に映像が映し出され、歯科医お勧め(?)の「Monster in Law」を鑑賞しました。口を開けたままなので少し違和感はありましたが、治療中の痛みもほとんど感じず、飛行機の中での映画鑑賞以上に快適でした。映画を見に来たのか歯の治療に来たのかわからないでいるうちに、映画と治療はほぼ同時に終了しました。もちろんすべての歯科医院で治療中に映画鑑賞ができるわけではないでしょうが、とにかく治療の現場での徹底したサービス精神に改めて感心させられました。

  このように、一度の歯科医院訪問でも、医療訴訟大国、科学技術大国、市場経済主義大国といった、アメリカが持つさまざま側面が浮かび上がってきたように思います。このようなアメリカの医療の現状を、皆さんはどう思われたでしょうか。「羨ましい」と思われた方も少なくないかもしれません。しかし、忘れてはならないことは、この国では医療がマーケット化しサービスの質が向上する一方で、誰もがその恩恵に授かれるわけではないということです。全般的に治療費(特に歯科)は高額です。さらに、日本のような国民皆保険制度を導入しておらず、医療保険の中心は民間企業が担っているため、人口の15%が無保険者です。また、歯科の保険は医療保険とは別であるのが一般的で、医療保険はもっていても歯科保険は持っていないという人も少なくありません。結局、どれだけすばらしいサービスが存在しようとも、それを享受できる人間は限られているということです。このようなアメリカの医療システムの中に、この国の光と影が象徴されているような気がします。




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2006年8月17日

海外から認識する日本と日本人


福井 由香里 (2004年卒)
University of Maryland, School of Public Policy  卒業 (2006年)

今年5月にめでたく大学院を卒業し、現在米国において環境関連NPO/NGOを中心として仕事探し中です。つい最近まで国際政治経済学部のwebsiteに海外からのお便りコーナーがあることを知らなかったけれど、たまたま私の大学に短期研修で20人の学部生がやってきて、このコーナーのことを知らされたので、書いてみようという気になりました(本当は引率の某先生に頼まれてしまったのだけれど)。アメリカの大学生活が過酷なことは既に広く知られていることだと思うので、それよりも、今回はメリーランドで認識した「意外に日本(人)って知られていない」ことについて書いてみたいと思います。

「アメリカの最重要同盟国、経済世界第二位、このところ日本人俳優がハリウッドに進出しているし、ジブリの映画も世界進出しているし・・・。」なんて、世界の人々、特にアメリカ人が日本についてよく知っていると思ったら大間違い。このことは青学在学中に交換留学で行ったシアトルではあまり気づかなかった。米西海岸は距離的に近いこともあって日本人がたくさんいるからだと思う。日本食のレストランも多い。それに対して東海岸のメリーランドや最も近い大都市であり首都でもあるワシントンDCには意外に日本人が少ない。DCの街で日本人を見かけることはほとんどないし、メリーランド大学の3万人以上の学生のなか、日本人は百人足らずといわれている。最初の1年間、私の学部での日本人は私一人だった。そのため、そこら中にウジャウジャいる中国人と違ってかなり珍しがられていい気分だったが、少し失望感も味わった。大学院ともなると、さすがにみんな日本がどこにあるのかくらいは知っている。しかし、SONYやFuji Filmといった一流企業が日本出身であること、東京の地下鉄がNYのそれよりも複雑であること、日本の通貨が円であること、日本語でYesは「はい」であること、その他いろいろなことを、みんなは知らない。「はい」に関していえば、ある日私の携帯に日本人から電話がかかってきて「はい、はい」と返事をしているのを聞いていた私の親友が「I thought Yukari became crazy」と言うのである。聞いてみると「Hi! Hi!」と何十回も繰り返し挨拶をしているのかと思ったそうで・・・。日本人についても侍時代の日本のイメージが強いらしく、日本人の女性は静かで従順だと思っていたらしい。男に向かって平然と怒鳴り返し、Partyでは酒を飲みまくる私を見て、ところがどっこいといった感じか。そんな友達に正しく説明するために、私自身、日本人が何であるかを考えなければならないことがしばしばあった。

メリーランド大学の図書館にはプランゲ文庫というものがある。そこには戦後(1945−49)にGHQの民間検閲局が日本の出版物を検閲した際の、約600,000枚に及ぶ検閲関連文書が保存されている。そのプランゲ文庫に先述の夏期研修中の青学生が見学に来た。この頃は学力低下が叫ばれているし、冷めた子が多いので、こういうものにどこまで興味を持つか疑問だったけれど、ことのほか興奮して帰っていった。私の時もそうだったけれど、日本から遠く離れたこの地で日本を学ぶことの意外さが一役買ったのだと思う。日本で普段「日本は平和だ」とか「日本は戦争に負け、アメリカによって作り直された」とかいう話を聞き飽きるほど聞かされていると、それが当然の事実になっていて、感じることや考えることをしなくなっている。それが、遠くアメリカに来て、日本にすら残っていない戦後間もない日本を目の当たりにすることによって、「なぜそこまで大事に保存しているのだろう」という疑問がわいてくる。

普段日本にいて当然に映って見える日本や日本人、更に言えば自分自身が、外からの視点を知ることによって、当然ではないことを思い知る。「なぜ?」という言葉が次から次へと飛び出してくる。答えが見つからなくてもいい。海外を知ることもそうだが、客観的に日本を考えるようになることも、海外生活の醍醐味だと思う。距離的にも文化的にも日本に近いようで近くないアメリカ東海岸は、そういう醍醐味を味わえる場所だと思う。そして、この地で20歳前後の青学生の初々しい感動を見ることができて、なんとも新鮮な2週間だった。学生のみなさん、どうもありがとう。久しぶりに日本のおいしい食事にありついて、とことん日本に感謝してください。




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2005年12月24日

NYの住宅事情:レント コントロールと経済政策におけるマーフィーの法則(?)


中川浩宣(教員)
米コロンビア大学
在外研究中

ところ変わればということでしょうか。ここNYでは日本では考えられないような出来事は枚挙にいとまがないほど多いわけですが、今回はオーソドックスな話題に限定し、NYマンハッタンの住宅事情とレント コントロール(家賃規制、賃料規制と訳されるでしょうか)についてお伝えします。

NYマンハッタンでは多くの賃貸住宅にレント コントロールが適用されており、その規制が故に、既存の(普通にhabitableな)賃貸住宅の空きは滅法少なく、他方、規制適用外の物件は、その賃料の高騰甚だしく(住宅バブルが拍車を掛けてます)、今回の私のケースのようにアパートを求める需要サイドからしますと、賃貸アパートを探すのは容易でないことは想像に難くないでしょう。レント コントロールは価格統制であり、自由取引における市場価格を下回る水準にレントが人為的に抑えられていることから、供給サイドのアパートの貸し手もメンテナンスを行うインセンティブを失い、結果的に既存住宅の劣化が進むことが考えられます。更に、新規の賃貸住宅はと言うと、規制対象になる可能性が恐れられ、こちらの住宅投資も促されず。(増殖するのは商業ビルばかり。)したがって、ネットでみれば賃貸住宅供給は長期的には縮小傾向にでさえあるのです。

私の場合も御多分に洩れず、NY入りしてからアパート探しには随分と苦労しました。一時は途方にくれてたこともあったと言ったら大袈裟でしょうか。最終的には、不動産屋さんの知り合いが部屋を貸して下さることになり、大学付近に住処を確保することができました、幸いにも。考えてみますと、資産の取引において通常はマーケット メカニズムによるマーケット クリアリングの適用を最も重視する国で、今回は実質的にノン マーケットでようやく取引が成立したのは何とも皮肉なことです。

さて、上で述べたようなレント コントロールの弊害については、経済学者の間でも最もコンセンサスが得られているところであります。にもかかわらず、そうした規制が撤廃されないのは由々しき事態です。ポール クルーグマンいわく、これはアラン ブラインダーのいう ”Murphy’s Law of Economic Policy” (経済政策におけるマーフィーの法則)に当てはまる、そうです。つまり、我々の理解度が高く、ほぼunanimousな同意が得られている政策インプリケーションに限って、現実には生かされていないという意味で。

レントコントロールも含め、様々な問題を抱えるNYですが、この街が「人種のるつぼ」である故に人々は自由を実感できますし、宗教の問題こそあれ、クリスマス(あるいは一般的にholiday season)も皆に平等に訪れます。ロックフェラーセンターのツリーも煌びやかです。それを見る度に、青山キャンパスのツリーと点火祭が懐かしく思い起こされます。ロックフェラーセンターの今回のツリーは隣の州にあったノルウェー トウヒだそうですが、毎年どこかで巨木が切られていると思うと見るに忍びない気もします。ですから、そのような残酷さとは無縁の青山キャンパスのクリスマスツリーと点火祭に軍配。




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