2011年11月19日

在外研究中の「予期せぬ」思い出



ポダルコ・ピョートル(教員)
モスクワ大学
在外研究滞在(2010年9月~2011年9月)

 
 2010年秋より、私は在外研究の機会をいただき、一年間、ロシア連邦の首都モスクワに滞在した。1992年に大阪大学大学院の博士前期課程に入学して以来日本に暮らし続けた私にとっては、今回の在外研究は「里帰り」というよりも、自分が幼い頃から知っていた国家(つまりソ連)が1991年12月に崩壊していたため、ある意味で「半・外国滞在」といったようなものだった。
 在外研究中の一年間は、モスクワ以外にもロシア全国のあちらこちらに旅をして回った。まず、帝政時代の旧首都ペテルブルグや古都のウラジーミル、ユネスコの世界遺産にも登録されているプスコフおよびスーズダリ、さらに自分の生まれ育ったシベリアの中心にあるノボシビルスクなどに行った。ノボシビルスク大学の学生時代と同じように、日常を生きるうちに、予測もしない時と場所において人から人へとネットワークがつながっていくことになり、今回の在外研究期間には予定通りに調査を行うというよりも、あたかも誰かが勝手に私をどこかへ導いているかのような予期せぬ様々な経験をした。
 ロシアで私が居を定めたのは、様々な写真やポスター、パンフレット、ハガキなどで世界中に知られているモスクワ大学のメイン・ビルディング内の寮だった。その選択にはいくつかの理由がある。まず一つ目は、モスクワ川岸の高台の「スズメが丘」に立つこのビルは、1950年代から最も有名なモスクワ市内の名所になり、館内には様々な設備や施設が設けられているため、とても住み心地の良いところであったからである。私は2009年夏の短期留学・ロシア語研修に参加する学生の引率としてこの寮に宿泊したことがあったが、この寮は学生たちの間でもたいへん評判がよかった。第二の理由は、数年前から青山学院大学との協定校でもあるこのモスクワ大の職員の大部分がとても優しく、世話好きな人が多かったため、この一年間日常生活の面で私は一度も不便さを感じなかった。
 私はこれまで来日ロシア人(それはここで特にロシア革命後に来日した「白系ロシア人」を指す)の研究を行なってきたが、今回の在外調査では、これに「移民の問題」をテーマとして加えた。今日の世界のいたるところでも話題となる様々な移民対策や民族間の文化的な摩擦などを調べるには、多くの資料調査及び聞き取り調査、特に各現場でのフィールドワーク調査が必要である。そのためにモスクワからしばしばロシア国内および国外の出張に行かなければいけなかった。たとえば、2011年2月初めにアメリカの東・西両海岸において調査を行うために、ウクライナのキエフ首都経由ニューヨーク行き便で大西洋を渡った。一か月後の3月5日にモスクワへ帰国したが、8時間の時差のため数日間時差ボケに苦しんだ。そして、次第に時差ボケも回復しつつあった11日の朝9時半頃(モスクワ時間)に東日本大震災の知らせを受けた。
 東日本大震災が発生したとき、私の家族は東京にいた。したがって、地震に関する最初の情報は、テレビのニュース番組あるいは現地の新聞の朝刊ではなく、妻からの電話で知ることとなった。彼女はまず「仙台・東海岸に大地震があったが、私たちはみんな無事だよ」と教えてくれた。それ以降、私の生活は毎日、テレビ、インターネット、電話の間を行ったり来たりすることになり、震災直後の数週間はロシアを含む世界各国のメディアが流す津波の映像や福島第一原発の爆発の映像などを眺めていた。日本のニュースは当然、至る所にトップニュースとして流れ続けたが、それらの内容を見ていると、津波と爆発以外の映像がほとんどなく、すべてのルポルタージュも同じものばかりであり、それはとても偏ったものであった。毎日妻と電話を通じて話したが、彼女が語ってくれたことと、国際メディアが報道していたことを比較するたびに、それらの間に大きな溝があることを感じた。
 震災から数週間を経た3月末に私は、予てから予定していたようにイスラエルへ向かった。もともとユダヤ人によって建国されたイスラエルだが、最近はアフリカ各地における武力紛争や困難な生活から逃れようとする難民移住者が大勢増えてきたという。そのことに興味を持った私は、移民問題を新しい側面から調査しようと、現地での資料収集を目指してイスラエルへ旅だったわけである。現在のイスラエルには、昔からパレスチナ地域に定住していたアラブ人とユダヤ人に加えて、独立国家の宣言後に世界各地から移民してきた人々が多く住んでいる。彼らの中には、旧ソ連邦出身のユダヤ系の人々が多く、母語であるロシア語を話す人々が現在全人口の5分の1か4分の1を占め、その過半数は元ソ連大統領のミハイル・ゴルバチョフが始めたペレストロイカ以降にイスラエルに来たという。イスラエルには彼らを対象とするテレビチャンネル(国営と私営)、新聞、雑誌などがあり、そのすべては情報をロシア語で送っている。情報が人から人に伝わるのは早く、私が日本の大学で教員をしていることも、すぐに知れ渡った。そして、ある日イスラエルのテレビ局の一つである「第9チャンネル」から招かれ、ゲストスピーカーとしてニュース番組で日本事情をめぐる質問に答える役割を担うこととなった。
 私は今年の春にイスラエルで3回、そして4月にロシアへ戻ってから2回、合計5回のテレビ番組に出演したが、そのすべてのテーマは日本と大震災、災害時における日本人の態度や行為などだった。つまり、私は「在外研究を行う大学教員または研究者」ではなく、「日本で家族をもつ一人」として受け入れられた。もちろん、私は地震・津波などに関しては全く素人であり、特に自分がその時に日本にもおらず、すべての話は妻から得た情報をもとにしたものであったが、継続的に流される偏ったメディアニュースの歪みを修正しようと試みていた。その際私は、現在がまさに「情報化時代」であり、「グローバルメディアの支配時代」であることを改めて実感した。「ニュースメーカーを握る手は、世界政府を握る」というのは、今日の事実だ。このメディアの力を逆手にとって、日本の皆さんには、震災後に浮上した数々の問題を今後力を合わせて克服していただき、「災難に直面して、我々は何をどう為すべきか」について、行為の見本と教訓とともに是非とも世界に対して発信していただきたく思う。




Category: from Russia
Posted by sipec at 22:40 | Comments (0) | TrackBack (0)
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