2006年10月26日

映画鑑賞中に歯科治療!?:アメリカの医療事情を垣間見る


抱井尚子(教員)
カリフォルニア大学サンディエゴ校
在外研究中

  私は現在、カリフォルニア大学サンディエゴ校があるラ・ホヤという街に住んでいます。ラ・ホヤとはスペイン語で「宝石」(La Jolla)という意味ですが、太平洋に臨むこの街は、その名に負けない本当に美しい街です。ところで、先日突然の歯痛のため、この街にある歯科医院を訪れました。久々にアメリカの歯科で診療を受けて、あらためて気がついたことを今回は3点ご紹介いたします。

  第一点目は、初診時に記入しなければならない書類の多さです。アメリカでは歯科に限らず医療クリニックを訪れた場合、何ページにもわたる書類を渡され、症状、病歴、アレルギーの有無に関していやになるほど細かい情報を記入した後、「記載内容に偽りがない」という書類に署名します。この書類を受付に渡すと、ようやく診療台のある部屋へ通され、歯科衛生士によるインテーク・インタビューが行われます。問題のある歯はどこか、どのような問題があるのか、いつごろから症状があるのか、などを歯科衛生士に告げると、その情報が歯科医に渡され、歯科医が患者に診療内容を説明します。そして患者は、「十分な説明を確かに受けた上で治療に同意します」という意思表示として、インフォームドコンセントに署名をします。このように、実際に治療が始まるまで、書面でのやりとりを何度も行う必要があります。久しぶりにこのプロセスを体験して、「さすが契約社会、さすが医療訴訟大国」と改めて痛感しました。

  第二点目は、患者とのコミュニケーションを助ける最新技術の活用です。先日訪れた歯科医院では、診療台のところにPCのパネルスクリーンが置いてあり、患者の緊張を和らげるためか、南の島の透き通るような海、やしの木、そして青空といった、ブルーを基調としたスクリーン・セーバーの画面が映し出されていました(私の場合、スクリーン・セーバーの画面に負けないぐらい美しいラ・ホヤの「現実」の海が窓の向こうに見えていたので、もっぱらそちらに見とれていたのですが...)。歯科医は、チューブの先にカメラが付いた胃カメラのようなものを用いて、問題のある歯をあらやる角度から撮影していきます。そして最後に、「Smile!」と言って、私の顔写真も撮影しました。これらの写真はすぐにパネルスクリーンに映し出され、歯科医は私の歯の状態を写真で見せながら、治療の方針について丁寧に説明します。まさに「ハイテクを用いた説明と同意」という感じでした。歯科医によると、最近は歯科トレーニングの中でもPatients Education(患者教育)が重視されており、写真を駆使した説明もこの考え方に基づく方法の1つであるとのことでした。さらに驚いたのは、すべての歯が図で示された映像が画面に表示され、歯科医が衛生士に問題のある歯の状態を伝え出しました。すると衛生士は、リモコンのようなものを巧みに操作しながら、これらの情報を次々と入力していきました。その効率の良い作業を見ていて、人間の認知活動において道具を不可分のものと捉える分散認知の格好の研究事例になると思いました。

  第三点目は、競争原理を背景とした徹底したサービス精神です。今回の治療には、虫歯2本の治療と親知らず1本の抜歯で3時間近くかかりましたが、その間私は、なんと口を開けたまま映画を鑑賞していました。ゴーグルのような形をしたメガネの内側に映像が映し出され、歯科医お勧め(?)の「Monster in Law」を鑑賞しました。口を開けたままなので少し違和感はありましたが、治療中の痛みもほとんど感じず、飛行機の中での映画鑑賞以上に快適でした。映画を見に来たのか歯の治療に来たのかわからないでいるうちに、映画と治療はほぼ同時に終了しました。もちろんすべての歯科医院で治療中に映画鑑賞ができるわけではないでしょうが、とにかく治療の現場での徹底したサービス精神に改めて感心させられました。

  このように、一度の歯科医院訪問でも、医療訴訟大国、科学技術大国、市場経済主義大国といった、アメリカが持つさまざま側面が浮かび上がってきたように思います。このようなアメリカの医療の現状を、皆さんはどう思われたでしょうか。「羨ましい」と思われた方も少なくないかもしれません。しかし、忘れてはならないことは、この国では医療がマーケット化しサービスの質が向上する一方で、誰もがその恩恵に授かれるわけではないということです。全般的に治療費(特に歯科)は高額です。さらに、日本のような国民皆保険制度を導入しておらず、医療保険の中心は民間企業が担っているため、人口の15%が無保険者です。また、歯科の保険は医療保険とは別であるのが一般的で、医療保険はもっていても歯科保険は持っていないという人も少なくありません。結局、どれだけすばらしいサービスが存在しようとも、それを享受できる人間は限られているということです。このようなアメリカの医療システムの中に、この国の光と影が象徴されているような気がします。




Category: from U.S.A
Posted by sipec at 10:52 | Comments (0) | TrackBack (0)
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