
青山学院大学大学院国際政治経済学研究科(修士)卒業。
日本の大手電気会社でSEとして政府系金融機関プロジェクトで活躍。
その後、19世紀米国の二大発明家グラハム・ベルに起源を持つ
米国最大の通信会社AT&Tにて、先進的なネットワークコンサル
ティングの領域を開拓。その後当時通信の知の結集とも言うべき
ベル研究所擁するAT&T Solutionsに異動し、さらにネットワーク
コンサルティング領域を追求。
その後、Accenture(当時Andersen Consulting)にて、通信分野を
柱に活躍の領域をメディア&エンターテイメント領域に拡大したコ
ンサルティングをSenior Managerとして展開。音楽、映画、ゲーム
と通信を活用した新事業のコンサルティングを行う。
現在、野村総合研究所で、通信事業分野における新規事業コンサル
ティングに上級コンサルタントとして従事。
そんな時代の寵児の成功の秘訣は?どんな経験をされてきたのか?
青学国際政経同窓会がインタビューします。
■SEから社会人人生のスタート。なぜSE?
―――社会人のスタートは大手電気会社のSEとしてですね。なぜSE
を選んだのでしょうか?
青学11号館の前のベンチでパンを食べていたんですが、そこを友人
のS君がカッコいいリクルートスーツで僕のところに来て、就職活
動の話をしました。そしたらS君が「俺、SEになるから!SEっての
は企業のシステムを・・・・」なんて話してくれたんです。当時の
僕はアメリカ行くことしか考えていなかったので、「SEってなんだ
よ!!!それアメリカ行けるの???」とか言ってものすごい惹か
れたんです。S君は僕がSEに興味を持ったのを企業の人事に話して
くれたみたいで、面接をさせてもらえたんです。僕は面接受けはい
いらしくIBMと大手電気会社など数社から内定をもらいました。
他に内定できたのは資生堂、ユニチャームなど女の子が多く軟弱な
ところですね(笑)。91年の就職活動はバブル期だったんで、すぐ
内定したんです。面接を受けに行って、その日のうちに内定が出た
なんてこともありました。内定が出たあと大学OBがお金を使うため
に僕らを呼んで高い料亭なんかに誘うなんてことはありました。ち
なみに内定の出やすい時代でしたけど、このバブル世代は後で苦労
しています。
―――多く内定したうち、なぜ大手電気会社を選ばれたのですか?
人事がかなり口のうまい人だったんですね。IBMとの間で悩んでいる
旨を伝えたら、「うちには英語を話せる人が全然いないから、英語
の話せる松永さんはすぐ外国にいけます。」即決でした(笑)。今
考えると、かなり凄腕の人事だったと思います(笑)。
つづく。
(おまけ1)
松永さんはインターネットメディアに記事の出稿や動画講演もされて
おります。分かりやすく初心者にも興味が湧いてくる内容です。
”物流が変わる 購買が変わる 消費が変わる:Web 2.0”
”エリック松永の英語道場”
”モバイルによるリアルタイムな企業経営”
(おまけ2)
お会いして思ったのですが業界でも有名なコンサルタントにも
関わらず、意外にもキャリアの最初からすごい戦略を持って会社を
選ばれたわけでもないのだなぁと思いました。偶然の出会いや選択を
大切にされています。実はそういう一つ一つの偶然があとあと
大きな意味を持つのかもしれません。
次回は松永さんのSE研修期間のお話を掲載します。「コーディング
の意味が分からない!」です。
インタビューアー:2005年卒伊藤洋二 |